お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

岩崎城

2014-11-05 06:01:31 | 北海道・青森県・岩手県
 岩崎城

2014/9/20

岩手県北上市のお城めぐり

 和賀一揆で和賀氏の旧臣が最後に立て籠もったお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 岩崎城
よみ: イワサキ
別称: 岩崎楯
所在地: 岩手県北上市和賀町岩崎18地割
現状: 岩崎城運動公園
築城年代: 南北朝時代
築城者:
形式: 平山城
遺構: 本丸・三の丸・土塁・空堀・桝形虎口
規模: 600m×300m、比高30m
文化財:
訪城日: 2014/9/20


≪ 訪城記 ≫

二子城から岩崎城へ向かう。

二子城を出て北上工業団地を通り抜け、北上工業団地口交差点信号を左折、国道4号奥州街道を南下、和賀川に架かるわが大橋を渡り、都鳥交差点信号を右折、県道225号を西進、東北道高架下をくぐり、夏油川を渡り、約500m西進した道の左手に岩崎城の説明板のある三叉路を左折、約100m南下した道が大きく右に曲がる地点を左側に入った先が岩崎城運動公園で、そのまま登って行った先が岩崎城跡です。空堀に架かる橋で通行止めになっていて、ここで道に車を駐車する。

空堀に架かる橋の前に説明板があり、空堀はとても深いです。
橋を渡った先が本丸跡で、公民館となっている模擬天守閣があると聞いてきたのですが、現在は岩崎城址舞楽殿という黒い平屋の建物が建っています。本丸の周りには土塁跡が残るのみです。
橋の西側が三の丸で、ここも周りに土塁跡、西側の入口が大手門跡で桝形虎口になっています。


岩崎城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

暦応四年(1341)に「岩崎楯」で合戦があり、鬼柳清義が討死しているが、岩崎城の沿革は不明です。享禄四年(1531)の和賀氏と小田嶋氏の戦いに岩崎氏が出陣している。
天正十八年 (1590) 豊臣秀吉の奥州仕置によって平定され、二十年には岩崎城が破却されている。
慶長五年 (1600) 和賀一揆を起こした和賀忠親が二子城で敗れ、最後の砦として旧家臣とともに岩崎城に立て籠もったが落城、忠親らは自刃して果てた。
慶長七年 (1602) 南部氏の家臣柏山伊勢守明助が入城する。
寛永元年十二月 (1624) 花巻城主南部政直が岩崎城代柏山伊勢とともに変死を遂げる。
寛永二年 (1625) 二代柏山明定が死去。
万治二年 (1659) 三代柏山明信が死去。


≪ 写 真 ≫


岩崎城本丸


岩崎城址舞楽殿


本丸土塁


空堀


空堀に架かる橋


三の丸


三の丸土塁


大手桝形虎口


岩崎城大手門趾碑


岩崎城運動公園入口


現地岩崎城・運動公園案内マップ(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東北本線・東北新幹線北上駅からバスで城内バス停下車、徒歩約10分。
<車>
東北道北上江釣子ICを降りて国道107号を西進、東北道高架下をくぐってすぐの三叉路信号を斜め左折、突き当りの三叉路を右折、県道122号を西進、江釣子神社を通り過ぎた次の交差点信号を左折、南下して和賀川に架かる広表橋を渡り、里小屋交差点信号を右折、夏油川を渡り、約500m西進した道の左手に岩崎城の説明板のある三叉路を左折、約100m南下した道が大きく右に曲がる地点を左側に入った先が岩崎城運動公園で、そのまま登って行った先が岩崎城跡です。岩崎城運動公園の駐車場を利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

岩崎城


紹介したお城の数 294城



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二子城

2014-11-04 06:05:50 | 北海道・青森県・岩手県
 二子城

2014/9/20

岩手県北上市のお城めぐり

 和賀郡を治めた和賀氏代々の本城

≪ お城の概要 ≫

城名: 二子城
よみ: フタゴ
別称: 飛勢城
所在地: 岩手県北上市二子町渋谷
現状: 市立公園飛勢城跡・八幡宮・山
築城年代: 室町時代初期
築城者: 和賀氏
形式: 平山城
遺構: 曲輪・空堀
規模: 100m×500m、比高約70m
文化財:
訪城日: 2014/9/20


≪ 訪城記 ≫

花巻城から二子城に向かう。

花巻城薬研堀跡駐車場を出て花巻市役所前交差点信号を左折、南下して次の交差点信号を左折、東進して里川口交差点信号を右折、豊沢川を渡り、国道4号を南下、花巻東BP南口三叉路信号を斜め右折、国道4号奥州街道を南下、北上市に入り、北上工業団地口交差点信号を左折、JR東北本線を越え、北上工業団地を抜けた渋谷交差点信号を右折、約300m山中を進んだところに道の左側に木製の飛勢城趾標柱のある分かれ道を入った奥が二子城跡で前に駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場から登ってすぐに説明板があり、その上に八幡宮がある。八幡宮の裏手に出ると広がった曲輪があり、北端に展望台があり、北上川の景色が絶景です。この展望台横を降りていくと空堀跡と出曲輪がある。
八幡宮のある曲輪の西側も空堀跡です。


二子城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

和賀氏の本城で、和賀郡最大の城郭。
天正十八年 (1590) 和賀氏が豊臣秀吉の小田原攻めに参陣しなかったため領地を没収され、二子城は秀吉の家臣浅野長政の管理下に置かれ、長政の家臣後藤半七が入れ置かれたが、仕置の軍勢が帰還した後、和賀氏の残党が蜂起して二子城を奪還する。
天正十九年 (1591) 再び奥州仕置軍の蒲生氏郷に攻められ、二子城は落城して当主和賀薩摩守義忠は逃亡途中で殺される。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の戦いの上杉景勝の兵乱に南部信直が最上に出陣した機に乗じて、和賀氏に遺児和賀忠親が蜂起した和賀一揆が起こり、いっとき二子城を奪うが、敗退して鎮圧される。


≪ 写 真 ≫


二子城跡の八幡宮


八幡宮裏側の曲輪


展望台


展望台から見る北上川


出曲輪


空堀


入口の飛勢城趾標柱


現地二子城見取図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東北本線村崎野駅からバスで北上工業団地バス停下車、徒歩で約1.7㎞、約30分。
<車>
東北道北上江釣子ICを降りて国道107号を東進、有田町交差点信号を左折、国道4号を北上、北上工業団地口交差点信号を右折、JR東北本線を越え、北上工業団地を抜けた渋谷交差点信号を右折、約300m山中を進んだところに道の左側に木製の飛勢城趾標柱のある分かれ道を入った奥が二子城跡で前に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

二子城(市立公園飛勢城趾)


紹介したお城の数 293城



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花巻城

2014-11-03 07:15:53 | 北海道・青森県・岩手県
 花巻城

2014/9/20

岩手県花巻市のお城めぐり

 奥州稗貫氏の本拠を花巻城と改称して南部氏の家臣北秀愛が城代を務めた南部藩の支城

≪ お城の概要 ≫

城名: 花巻城
よみ: ハナマキ
別称: 鳥谷ヶ崎城
所在地: 岩手県花巻市城内11-45
現状: 鳥谷ヶ崎公園・鳥谷崎神社・早坂稲荷神社・花巻市役所
築城年代: 天正十九年(1591)
築城者: 北秀愛
形式: 平山城
遺構: 本丸跡・復元西御門・菱櫓跡・御台所前御門跡・早坂御門跡・中御門跡・東御門跡・現存圓城寺門・大手門跡・時鐘・長屋跡・井戸跡・土塁・空堀・御堀跡
規模: 400m×480m、比高約20m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2014/9/20


≪ 訪城記 ≫

ホテルから花巻城へ向かう。

ホテルを出て国道4号を南下、いわて花巻空港横を通り過ぎ、花巻東BP北口交差点信号を斜め右折、国道4号奥州街道を南下、釜石道高架下をくぐり、瀬川を渡り、四日町三叉路信号を右折、県道123号を西進、四日町三丁目三叉路信号を左折、県道116号を南下、吹張町交差点信号を左折、東進して花巻市役所前を過ぎた新館前の駐車場に車を駐車する。

新館への西側からの入口が大手門跡で、南側角に花巻城時鐘がある。

新館北側の道を東へ約400mで鳥谷崎神社があり、神社南西入口の道沿いに現存圓城寺門があり、道を挟んで南西側に公園に説明板がいくつかある。

圓城寺門の西側の道を北進した突き当りを左折したところに薬研堀跡の駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場東側の道を北進すると東御門跡で、突き当りを左折、西進した花巻幼稚園内に土塁跡が残る。さらに西進した交差点付近が中御門跡で、交差点を右折て北進した花巻小学校の東側が鳥谷ヶ崎公園で花巻城本丸跡です。
北側は瀬川の断崖絶壁で、手前入口から入ると説明板があり、南側が長屋跡、東側に西御門が復元されていて、入ると本丸跡で南西側に土塁跡、御武具蔵跡、本丸井戸跡、御台所前御門跡、御堀跡、東側には菱櫓跡が残る。


花巻城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

鳥谷ヶ崎城は戦国時代に稗貫氏の本城であった。
天正十八年 (1590) 豊臣秀吉の小田原攻めに稗貫氏が参陣しなかったため領地を没収され、鳥谷ヶ崎城には秀吉の代官浅野長政家臣浅野重吉が置かれたが、稗貫氏の当主稗貫孫次郎広忠と弟和賀薩摩守義忠が一揆を起こし、二子城、鳥谷ヶ崎城を奪還される。
天正十九年 (1591) 奥州仕置軍の攻撃により二子城、鳥谷ヶ崎城共に落城する。鳥谷ヶ崎城は南部信直の臣北松斎信愛の子秀愛が入り、花巻城と改める。
慶長三年 (1598) 花巻城代北秀愛が死去し、代わって父の北松斎信愛が入る。
慶長五年 (1600) 和賀義忠の遺児忠親が和賀一揆を起こし、花巻城が攻撃され、三の丸、二の丸を突破され御台所前御門付近で激戦となったが、味方軍の帰還によって一揆軍を撃退する。
慶長十八年八月 (1613) 北松斎信愛が九十一歳で死去し、南部利直は次男彦九郎政直を花巻城主とする。政直が入ると大改修され花巻城は近世城郭に変わった。
寛永元年十二月 (1624) 花巻城主南部政直が岩崎城代柏山伊勢とともに変死を遂げる。
明治六年 (1873) 本丸御殿などが取り壊される。
平成四年 (1992) 本丸西御門が復元される。


≪ 写 真 ≫


花巻城復元西御門


現存圓城寺門


花巻城時鐘


長屋跡


本丸土塁跡


瀬川沿いの断崖絶壁


本丸


御武具蔵跡


井戸跡


御台所前御門跡


御堀跡


菱櫓跡


東側の御堀跡


中御門跡


時鐘前の大手門跡碑


花巻幼稚園内の土塁跡


東御門跡


薬研堀跡


鳥谷崎神社


圓城寺門南西前の公園


現地西御門前説明板図(リンク付サムネイル)


現地花巻城案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東北本線花巻駅から徒歩約15分。
<車>
東北道花巻南ICで降りて県道12号を南下、突き当りの三叉路信号を左折、東進してすぐの交差点信号を直進、東北道高架下をくぐり、滝の沢交差点信号を直進してすぐに斜め右折、東進して藤沢町三叉路信号を斜め左折、県道103号を東進、JR東北本線高架下をくぐり、鍛治町付近の三叉路を左折、北上して吹張町交差点信号を右折、東進して花巻市役所前を過ぎた突き当りを左折してすぐに右折、新館北側の道を東へ約400m圓城寺門の西側の道を北進した突き当りを左折したところに薬研堀跡の駐車場がある。ここから徒歩で北進した花巻小学校の東側が鳥谷ヶ崎公園で花巻城本丸跡です。


≪ 位置図 ≫

花巻城(鳥谷ヶ崎公園)


圓城寺門


花巻城時鐘


紹介したお城の数 292城



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高水寺城

2014-11-02 06:38:25 | 北海道・青森県・岩手県
 高水寺城

2014/9/19

岩手県紫波町のお城めぐり

 足利尊氏が斯波高経の長子家長を奥州管領として下向させ築いた奥州斯波氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 高水寺城
よみ: コウスイジ
別称: 斯波館・郡山城
所在地: 岩手県紫波郡紫波町二日町古舘21-2
現状: 城山公園
築城年代: 建武二年(1335)
築城者: 斯波家長
形式: 平山城
遺構: 本丸・二の丸(若殿屋敷)・姫御殿跡・帯曲輪・空堀
規模: 550m×700m、標高180m、比高84m
文化財: 町指定史跡
訪城日: 2014/9/19


≪ 訪城記 ≫

徳丹城から高水寺城に向かう。

徳田小学校北側の空き地を出て国道4号を南下、紫波町に入り、城山入口交差点信号を左折、約500m東進した突き当りの小高い山が高水寺城跡の城山公園で右への曲がり口を左折して少し登った所に公園の駐車場がある。ここに車を駐車する。
さらに山を登っていくと本丸西側下にも駐車場がある。こちらを利用する方が良い。

駐車場の北側に空堀跡があり、空堀に架かる橋を渡って登っていくと、本丸下の遊具のある曲輪に出る。この上の広い曲輪が南側と東側に広がっている。東側には管理事務所と小さな動物園がある。
中央に一段高くなったところが本丸で、南側の階段前に説明板がある。登ると広い削平地で御殿跡だったようで大きな看板があり、その横に高水寺城趾碑、北側奥には愛宕神社がある。
東側に延びる尾根上に二の丸(若殿御殿)があり、工事中で何もない。北側下の削平地が姫御殿跡のようです。西側の斜面には数段の帯曲輪がある。


高水寺城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

建武二年 (1335) 足利尊氏が斯波高経の長子家長を奥州管領として下向させ、家長が奥州斯波氏の居城として高水寺城を築く。
大永元年 (1521) 南部氏と戦う。
天文六年 (1537) 再度、南部氏と交戦し、岩手郡を攻略する。
天正十四年 (1586) 三戸南部氏との対立抗争が激化し、九戸政実の弟弥五郎(吉兵衛)を入婿させていたが、吉兵衛が出奔してからは斯波氏の威勢は衰える。
天正十六年 (1588) 斯波詮直のとき、家臣石清水右京の謀反を契機に南部信直の攻撃を受け、落城する。南部信直は高水寺城を郡山城と改め、中野康実(吉兵衛)を城代に任じる。のちに盛岡城築城時には、南部利直の仮の居城となった。
寛文七年 (1667) 廃城となり、古材は盛岡城に用いられた。


≪ 写 真 ≫


高水寺城本丸入口


本丸御殿跡


高水寺城趾碑


広い本丸御殿跡


愛宕神社


本丸西側切岸


姫御殿跡


西側斜面の帯曲輪


本丸下東側の曲輪


遊具のある曲輪


二の丸(若殿御殿)


駐車場北側の空堀跡


城山公園入口

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東北本線紫波中央駅から徒歩約2㎞、約40分。
<車>
東北道紫波ICを降りて県道46号を東進、JR東北本線高架下をくぐり、続いて東北新幹線高架下もくぐり、桜町交差点信号を左折、国道4号を北上、城山入口交差点信号を左折、約500m東進した突き当りの小高い山が高水寺城跡の城山公園で右への曲がり口を左折して少し登った所に公園の駐車場がある。さらに山を登っていくと本丸西側下にも駐車場がある。こちらを利用する方が良い。


≪ 位置図 ≫

高水寺城(城山公園)


紹介したお城の数 291城



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国別 戦国大名城郭事典
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徳丹城

2014-11-01 05:59:05 | 北海道・青森県・岩手県
 徳丹城

2014/9/19

岩手県矢巾町のお城めぐり

 志波城から移転によって文室綿麻呂が築城した古代城柵官衙

≪ お城の概要 ≫

城名: 徳丹城
よみ: トクタン
別称:
所在地: 岩手県紫波郡矢巾町西徳田第6地割
現状: 徳田小学校・徳丹城跡
築城年代: 弘仁四年(813)
築城者: 文室綿麻呂
形式: 平城
遺構: 政庁跡・北門跡・南門跡・掘立柱建物跡
規模: 350m×350m、標高100m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/9/19


≪ 訪城記 ≫

志波城から徳丹城へ向かう。

志波城古代公園を出て前の県道16号を東進、上鹿妻田貝の交差点信号を直進、斜め右に進み、道が右に大きく曲り本宮6丁目交差点信号を右折、国道46号盛岡西バイパスを東進、本宮2丁目交差点信号を直進、東北新幹線とJR東北本線高架下をくぐり、次の仙北2丁目交差点信号を右折、盛岡環状線を南下、川久保三叉路信号を斜め右折、国道4号に合流して南下、矢巾町に入り、矢幅駅入口交差点信号を直進、約400mで道の東側に徳田小学校があり、小学校南側が徳丹城跡です。左折して徳田小学校北側の道に入り、すぐの空き地に車を駐車する。

徳田小学校の北側に徳丹城北門跡があり、徳丹城北門跡碑と説明板がある。
小学校西側に国道4号沿いの歩道橋付近に徳丹城趾碑と発掘調査の説明板がある。小学校南側が政庁跡で掘立柱建物跡が復元されている。さらに南側の徳田神社北側で発掘調査中のようでした。
この徳田神社には南門跡があるそうです。
国道4号沿いの歩道橋南に徳丹城跡の案内板がある。

国道4号の西側には、矢巾町歴史民俗資料館があるので、資料館の駐車場を利用すると良い。


徳丹城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

弘仁二年 (811) 志波城がたびたび水害を受けるため移転が計画される。
弘仁四年 (813) 文室綿麻呂によって徳丹城が築かれる。


≪ 写 真 ≫


徳丹城跡


徳丹城北門跡


徳丹城北門跡碑


徳丹城趾碑と説明板


徳丹城趾碑


政庁跡の掘立柱建物跡


徳田神社北側の発掘調査現場


徳丹城跡の広場


現地徳丹城跡遺構概念図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東北本線矢幅駅からバスで徳田小学校前バス停下車すぐ。
<車>
東北道盛岡南ICを降りて県道36号を東進、東北新幹線高架下をくぐり、盛岡南IC入口交差点信号を右折、国道4号を南下、矢巾町に入り、矢幅駅入口交差点信号を直進、約400mで道の東側に徳田小学校があり、小学校南側が徳丹城跡です。国道4号の西側には、矢巾町歴史民俗資料館があるので、資料館の駐車場を利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

徳丹城


北門跡


紹介したお城の数 290城



レンズが撮らえた幕末日本の城―永久保存版
來本 雅之
山川出版社




城を攻める 城を守る (講談社現代新書)
伊東 潤
講談社