九戸城
2014/9/18
岩手県二戸市のお城めぐり
南部氏に謀反した九戸政実らが豊臣秀吉の奥州仕置に籠城した、九戸政実の乱の舞台となった九戸氏の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 九戸城
よみ: クノヘ
別称: 白鳥城・宮野城・福岡城
所在地: 岩手県二戸市福岡城ノ内
現状: 史跡九戸城跡
築城年代: 明応年間(1492-1500)
築城者: 九戸光政
形式: 平山城
遺構: 本丸・二の丸・松の丸・外館(石沢館)・若狭館・大手門跡・搦手門跡・本丸虎口・桝形虎口・空堀・石垣・土塁・西南隅櫓跡・西北隅櫓跡
規模: 850m×650m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/9/18
≪ 訪城記 ≫
四戸城から九戸城へ向かう。
長壽寺の駐車場を出て前面道路を約1.35㎞北上したいわて銀河鉄道踏切に入る三叉路を右折、踏切を渡ってすぐの三叉路を右折、約180m南下した三叉路を左折して約300m東進した金田一温泉入口交差点信号を右折、国道4号を南下、金田一交差点信号を左折、すぐに大きく右に曲がり、馬淵川を渡り、県道274号を南下、岩屋観音堂付近の交差点信号を直進、約360m進んだ九戸城周辺文化財案内図のある三叉路を左折、約450m南西に細い道を進み、途中、大手門脇堀跡があり、道の左側上に九戸城趾碑がある方向へ左折すると九戸城跡に着く。奥の二の丸搦手門跡前に駐車スペースがある。ここに車を駐車する。
まずは入口三叉路の案内板が気になったので見に行き、入ってきた道沿いの大手門脇堀跡と二の丸南側の見事な断崖絶壁を見て、南側に松の丸を先に見に行きました。松の丸は一番南側の九戸政実神社付近の遊具のある広場に説明板付の石柱がある。
大手門跡へ戻り、綺麗な芝生で緑一色になった二の丸を見ながら、奥の二の丸搦手門跡を東に行くと、本丸入口の堀に架かる橋を渡り、追手門跡の桝形を通って本丸に入る。本丸は土塁と空堀に囲まれ東と西側に区画されているようで、東側が少し高く、断崖絶壁になっている。
南西隅櫓付近に本丸跡碑があり、桝形虎口になっていて、土塁と空堀が南東隅櫓につながっている。桝形虎口を出ると二の丸で、ここも東側が少し高い。中央付近に城跡の模型が造られている。
搦手門跡に戻り、西側に空堀を降りていくと、台地上になった外館(石沢館)跡、さらに奥に若狭館がある。
各郭ごとに石柱が建てられていて説明板が付いているので非常にありがたい。
九戸城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
明応年間 (1492-1500) 九戸政実の四代前の九戸光政の頃に築城したと言われている。
永禄十一年 (1568) 鹿角郡奪還の戦いで九戸政実が戦功をたて、二戸郡福岡を給され移ったと言われている。
天正八年 (1580) 三戸城主南部晴政が死去。政実は妾腹の子晴継を後継に推していた。それより前にも、南部信直が世子となっていたにもかかわらず、晴政の弟実親を推していたことが対立の引鉄となったようです。
天正十八年 (1590) 豊臣秀吉は小田原を攻略し、続いて奥州仕置を開始する。
天正十九年三月 (1591) 九戸城主九戸政実らが三戸南部氏に反逆し、南部信直と合戦に及ぶが、八月に蒲生氏郷を主将とする奥州仕置の軍勢が到着、九月一日には姉帯、根反の二城を攻略、二日、九戸城に迫り、政実らは籠城する。四日、政実らが降伏して九戸城は落城する。信直は三戸城から九戸城へ移って修築、福岡城と改める。
寛永十三年 (1636) 南部利直が盛岡城に本拠を移したため、九戸城は廃城となった。
≪ 写 真 ≫
九戸城本丸
本丸空堀
本丸追手門跡
本丸跡南側
本丸桝形虎口
西南隅櫓跡
二の丸跡
本丸桝形虎口付近の土塁
追手門桝形虎口
西北隅櫓跡
本丸跡北側
本丸虎口付近
本丸西南隅櫓跡付近
二の丸と石沢館の間の空堀
外館(石沢館)南西側
外館(石沢館)南東側
外館(石沢館)跡
若狭館
大手門跡
九戸城趾碑
大手門脇堀跡
二の丸南側断崖絶壁
松の丸跡
二の丸搦手門跡
九戸城周辺文化財案内図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東北新幹線、いわて銀河鉄道二戸駅から徒歩約25分。
<車>
八戸道一戸ICを降りて一戸インター入口信号を左折、国道4号を北上、中曽根三叉路信号を右折、県道24号を西進、馬淵川を渡り、岩屋観音堂付近の交差点信号を右折、約360m進んだ九戸城周辺文化財案内図のある三叉路を左折、約450m南西に細い道を進み、途中、大手門脇堀跡があり、道の左側上に九戸城趾碑がある方向へ左折すると九戸城跡に着く。奥の二の丸搦手門跡前に駐車スペースがある。
≪ 位置図 ≫
九戸城
紹介したお城の数 283城
2014/9/18
岩手県二戸市のお城めぐり
南部氏に謀反した九戸政実らが豊臣秀吉の奥州仕置に籠城した、九戸政実の乱の舞台となった九戸氏の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 九戸城
よみ: クノヘ
別称: 白鳥城・宮野城・福岡城
所在地: 岩手県二戸市福岡城ノ内
現状: 史跡九戸城跡
築城年代: 明応年間(1492-1500)
築城者: 九戸光政
形式: 平山城
遺構: 本丸・二の丸・松の丸・外館(石沢館)・若狭館・大手門跡・搦手門跡・本丸虎口・桝形虎口・空堀・石垣・土塁・西南隅櫓跡・西北隅櫓跡
規模: 850m×650m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/9/18
≪ 訪城記 ≫
四戸城から九戸城へ向かう。
長壽寺の駐車場を出て前面道路を約1.35㎞北上したいわて銀河鉄道踏切に入る三叉路を右折、踏切を渡ってすぐの三叉路を右折、約180m南下した三叉路を左折して約300m東進した金田一温泉入口交差点信号を右折、国道4号を南下、金田一交差点信号を左折、すぐに大きく右に曲がり、馬淵川を渡り、県道274号を南下、岩屋観音堂付近の交差点信号を直進、約360m進んだ九戸城周辺文化財案内図のある三叉路を左折、約450m南西に細い道を進み、途中、大手門脇堀跡があり、道の左側上に九戸城趾碑がある方向へ左折すると九戸城跡に着く。奥の二の丸搦手門跡前に駐車スペースがある。ここに車を駐車する。
まずは入口三叉路の案内板が気になったので見に行き、入ってきた道沿いの大手門脇堀跡と二の丸南側の見事な断崖絶壁を見て、南側に松の丸を先に見に行きました。松の丸は一番南側の九戸政実神社付近の遊具のある広場に説明板付の石柱がある。
大手門跡へ戻り、綺麗な芝生で緑一色になった二の丸を見ながら、奥の二の丸搦手門跡を東に行くと、本丸入口の堀に架かる橋を渡り、追手門跡の桝形を通って本丸に入る。本丸は土塁と空堀に囲まれ東と西側に区画されているようで、東側が少し高く、断崖絶壁になっている。
南西隅櫓付近に本丸跡碑があり、桝形虎口になっていて、土塁と空堀が南東隅櫓につながっている。桝形虎口を出ると二の丸で、ここも東側が少し高い。中央付近に城跡の模型が造られている。
搦手門跡に戻り、西側に空堀を降りていくと、台地上になった外館(石沢館)跡、さらに奥に若狭館がある。
各郭ごとに石柱が建てられていて説明板が付いているので非常にありがたい。
九戸城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
明応年間 (1492-1500) 九戸政実の四代前の九戸光政の頃に築城したと言われている。
永禄十一年 (1568) 鹿角郡奪還の戦いで九戸政実が戦功をたて、二戸郡福岡を給され移ったと言われている。
天正八年 (1580) 三戸城主南部晴政が死去。政実は妾腹の子晴継を後継に推していた。それより前にも、南部信直が世子となっていたにもかかわらず、晴政の弟実親を推していたことが対立の引鉄となったようです。
天正十八年 (1590) 豊臣秀吉は小田原を攻略し、続いて奥州仕置を開始する。
天正十九年三月 (1591) 九戸城主九戸政実らが三戸南部氏に反逆し、南部信直と合戦に及ぶが、八月に蒲生氏郷を主将とする奥州仕置の軍勢が到着、九月一日には姉帯、根反の二城を攻略、二日、九戸城に迫り、政実らは籠城する。四日、政実らが降伏して九戸城は落城する。信直は三戸城から九戸城へ移って修築、福岡城と改める。
寛永十三年 (1636) 南部利直が盛岡城に本拠を移したため、九戸城は廃城となった。
≪ 写 真 ≫
九戸城本丸
本丸空堀
本丸追手門跡
本丸跡南側
本丸桝形虎口
西南隅櫓跡
二の丸跡
本丸桝形虎口付近の土塁
追手門桝形虎口
西北隅櫓跡
本丸跡北側
本丸虎口付近
本丸西南隅櫓跡付近
二の丸と石沢館の間の空堀
外館(石沢館)南西側
外館(石沢館)南東側
外館(石沢館)跡
若狭館
大手門跡
九戸城趾碑
大手門脇堀跡
二の丸南側断崖絶壁
松の丸跡
二の丸搦手門跡
九戸城周辺文化財案内図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東北新幹線、いわて銀河鉄道二戸駅から徒歩約25分。
<車>
八戸道一戸ICを降りて一戸インター入口信号を左折、国道4号を北上、中曽根三叉路信号を右折、県道24号を西進、馬淵川を渡り、岩屋観音堂付近の交差点信号を右折、約360m進んだ九戸城周辺文化財案内図のある三叉路を左折、約450m南西に細い道を進み、途中、大手門脇堀跡があり、道の左側上に九戸城趾碑がある方向へ左折すると九戸城跡に着く。奥の二の丸搦手門跡前に駐車スペースがある。
≪ 位置図 ≫
九戸城
紹介したお城の数 283城
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わくわく城めぐり ビギナーも楽しめる〈城旅〉34 | |
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山と渓谷社 |
この度九戸城の戦いを題材にした記事を書くに当たり、tigersharkさんのこちらの記事を参考にさせていただきました❗
九戸城は後の福岡城の時に少し姿を変えてしまったのが残念ですが、九戸政実の乱の時も相当な規模だったようですね。
ぜひ訪れてみたい城です。
それと、誠に勝手ながら自ブログにてtigersharkさんのこちらの記事のリンクを貼らせていただいたので、ぜひ遊びにいらしてください❗
http://washiya.sapolog.com/e489455.html