お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

岡山城

2014-01-27 07:20:59 | 大阪府
 岡山城

2014/1/5

大阪府四條畷市のお城めぐり

 飯盛山城の支城で大坂夏の陣に徳川秀忠の本陣が置かれたお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 岡山城
よみ: オカヤマ
別称: 御勝山
所在地: 大阪府四條畷市岡山2丁目7-12
現状: 忍陵神社
築城年代:
築城者:
形式: 丘城
遺構: 削平地
規模:
文化財:
訪城日: 2014/1/5


≪ 訪城記 ≫

飯盛山城から岡山城へ向かう。

四條畷神社入口から西へ向かい、四條畷神社前交差点信号を右折、国道170号東高野街道を北上、東中野交差点信号を左折、国道163号を西進、西中野交差点信号を右折、約450m北上した畷生会病院角の交差点信号を右折、約350m東進した新井医院前を左折、住宅街の細い道を約250m北上した突き当りが岡山城跡の忍陵神社で、突き当りを右折、次の突き当りを左折した坂の上の神社東側に岡山自治会忍ケ丘会館があり、前の空き地に車を駐車させてもらう。

会館の西側が忍陵神社で参道を登った社殿横に忍岡古墳が保存されている。神社の一段下に周囲を取り巻く削平地が見られるのみで、特に遺構はない。
城跡は古墳上に築かれていたと思われる。また、この場所は、大坂夏の陣の際に徳川秀忠が本陣をおいたところです。


≪ 歴 史 ≫

飯盛山城の東方を守る支城として築かれたようで、後に大坂夏の陣の際に徳川秀忠の本陣が置かれた。

≪ 写 真 ≫


忍陵神社


忍陵神社参道


社殿下の削平地


忍岡古墳


現地忍岡古墳図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR片町線忍ケ丘駅から徒歩約10分。
<車>
第二京阪道路寝屋川南ICで降りて大平ポンプ場前信号を斜め左折、府道21号を南下、巣本複合交差点信号を左折、国道163号を東進、西中野交差点信号を左折、約450m北上した畷生会病院角の交差点信号を右折、約350m東進した新井医院前を左折、住宅街の細い道を約250m北上した突き当りが岡山城跡の忍陵神社で、突き当りを右折、次の突き当りを左折した坂の上の神社東側に岡山自治会忍ケ丘会館があり、前の空き地に車を駐車させてもらうと良い。


≪ 位置図 ≫

岡山城(忍陵神社)


紹介したお城の数 174城



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茶臼山砦

2014-01-26 11:24:23 | 大阪府
茶臼山砦

2014/1/5

大阪府四條畷市のお城めぐり

 飯盛山城の北端にある飯盛山城の出城

≪ お城の概要 ≫

城名: 茶臼山砦
よみ: チャウスヤマ
別称:
所在地: 大阪府四條畷市南野6丁目11-70
現状: 龍尾寺
築城年代:
築城者:
形式: 丘城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2014/1/5


≪ 訪城記 ≫

飯盛山城から徒歩で茶臼山砦へ向かう。

四條畷神社へ登る階段登り口を北へ向かい、住宅街の細い道を約300m進んだ三叉路を右へ、さらに住宅街の路地を約200m進んで川を渡り、右へ約100mで谷川沿いの道へ出る。この谷川の登り口の東側、丘の上が茶臼山砦跡の龍尾寺がある。道と谷川を挟んだ反対側には御机神社がある。
参道に寺の説明板があるが、砦跡のことはなにも書かれていない。また、遺構もない。
「日本城郭大系」には、飯盛山城の北端、滝谷口の入口に位置し、独立丘をなす。現在龍尾寺が建つとある。


≪ 歴 史 ≫

いつ頃、だれが築いたかわからないが、飯盛山城の出城とあるので、おそらく木沢長政か三好長慶が飯盛山城主のときに拡張したのではないか。

≪ 写 真 ≫


龍尾寺の入口


龍尾寺


御机神社入口


御机神社

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR片町線四條畷駅から徒歩約30分。
<車>
第二京阪道路寝屋川南ICで降りて大平ポンプ場前信号を斜め左折、府道21号を南下、巣本複合交差点信号を左折、国道163号を東進、東中野交差点信号を右折、国道170号東高野街道を南西に進み、途中で道が斜め左に曲がり南下、四條畷神社前交差点信号を左折、約550m東進した突き当りに四條畷神社がある。神社の右側の急な坂を登り切った四條畷神社社殿前に参拝者用の駐車場がある。付近にも有料駐車場有。ここから徒歩で住宅街の細い道を約300m北へ進んだ三叉路を右へ、さらに住宅街の路地を約200m進んで川を渡り、右へ約100mで谷川沿いの道へ出る。この谷川の登り口の東側、丘の上が茶臼山砦跡の龍尾寺がある。徒歩約15分。


≪ 位置図 ≫

茶臼山砦(龍尾寺)


紹介したお城の数 173城



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飯盛山城

2014-01-25 08:22:19 | 大阪府
 飯盛山城

2014/1/5

大阪府四條畷市のお城めぐり

 佐々目憲法が築城し、三好長慶が拡張整備した居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 飯盛山城
よみ: イイモリヤマ
別称: 飯盛城
所在地: 大阪府四條畷市南野・大東市北条
現状: 山
築城年代: 建武年間(1334-38)
築城者: 佐々目憲法
形式: 山城
遺構: 本丸高櫓郭・本丸千畳敷郭・南丸・本丸展望台郭・本丸倉屋敷郭・本丸三本松郭・二ノ丸御体塚郭・二ノ丸史蹟碑郭・腰郭・石垣・竪堀・堀切・虎口
規模: 400m×650m、標高315m、比高300m
文化財:
訪城日: 2014/1/5


≪ 訪城記 ≫

自宅から飯盛山城へ向かう。

第二京阪道路寝屋川南ICで降りて大平ポンプ場前信号を斜め左折、府道21号を南下、巣本複合交差点信号を左折、国道163号を東進、東中野交差点信号を右折、国道170号東高野街道を南西に進み、途中で道が斜め左に曲がり南下、四條畷神社前交差点信号を左折、約550m東進した突き当りに四條畷神社がある。神社の右側の急な坂を登り切った四條畷神社社殿前に参拝者用の駐車場がある。ここに車を駐車させてもらう。

まず最初に四條畷神社にお参りして駐車場南側の会館脇に飯盛山登山道の入口があり、途中、下からの登山道と合流する。登山道は非常に急な階段の坂道で、登ること約30分で二ノ丸史蹟碑郭にたどり着く。ここには名の通り、中央に史蹟碑が建てられている小さな削平地です。道を進むと土橋、堀切を越えたところが二ノ丸御体塚郭で中央に登山三百回記念の碑が建ってる。東側斜面の回り道沿いには三段の腰曲輪と石垣跡、さらに竪堀らしき溝が二条あります。次に進むと道の東側の盛り上がった上の二段の削平地が本丸三本松郭で南へ降りたところに楠公寺へ進む分かれ道があり、飯盛山山頂方向へ登ると南北に長い削平地の本丸倉屋敷郭、石段を登った先には展望台のある本丸展望台郭、一段高い南に本郭の本丸高櫓郭があり、楠木正行公像、説明板、飯盛山城趾碑がある。さらに南へ降りたNHKの電波塔がある広い場所が本丸千畳敷郭で、南と西に広がっている。南の一段下がったところに虎口、南丸があり、南丸の東側に土塁跡があるのですが、笹が繁茂していて隆起は確認できる程度です。
本郭の東側下に石垣跡、楠公寺への道沿いにも二か所石垣跡が見られます。
全体的に小振りな削平地が南北に連なった感じの城跡で、登るのには辛いですが眺めは絶景です。


≪ 歴 史 ≫

建武年間 (1334-38) 北条氏与党の佐々目憲法が南北朝時代に築いたようで、四条繩手合戦で高師直が攻め登った。また、南朝方の恩地左近太郎が飯盛山城に籠って細川頼之軍に防戦する。
畠山氏の臣木沢長政が飯盛山城を修築する。
享禄四年 (1531) 木沢長政が主君畠山義堯を裏切り、細川晴元に寝返ったため、義堯が飯盛山城を攻める。
享禄五年五月 (1532) 再び畠山義堯が飯盛山城に木沢長政を攻めたが、逆に細川晴元、三好元長に攻められ義堯が敗死する。
享禄五年六月 (1532) 三好元長と亀裂が生じ、木沢長政が三好元長を堺で攻め滅ぼす。
天文十一年 (1542) 細川晴元と三好元長の子長慶が結んで、木沢長政を河内太平寺に攻め滅ぼす。木沢氏滅亡後は、交野城の安見美作守直政が飯盛山城に入城する。安見直政が河内守護代となり、主君河内守護畠山高政を紀伊へ追放する。
永禄二年 (1559) 畠山高政が三好長慶の援けを受け、安見直政が大和に敗走する。しかし、高政は三好長慶を恐れ、安見直政をふたたび河内守護代として飯盛山城に置く。これに憤慨した三好長慶が畠山高政の居城高屋城を攻め、救援に駆け付けた安見直政を寝屋川付近で打ち、高政と直政は堺へ敗走した。
永禄三年十一月十三日 (1560) 三好長慶が飯盛山城に入城する。
永禄四年 (1561) 畠山高政が根来衆を率いて飯盛山城を攻める。
永禄五年四月 (1562) 畠山高政軍に飯盛山城を包囲され、三好長慶が籠り防戦する間に長慶の弟安宅冬康、松永久秀が救援に駆けつけ、挟撃によって高政軍を破る。
永禄六年 (1563) 三好長慶の嫡子義興が芥川城で病死する。
永禄七年 (1564) 流言で弟安宅冬康を飯盛山城で自殺させ、長慶自らも病に伏せり、同年七月二十四日、四十三歳で没する。跡を三好三人衆の後押しで三好義継が継ぐが松永久秀と意見があわず、飯盛山城を出て高屋城へ移る。
永禄十一年 (1568) 織田信長が入洛し、飯盛山城は畠山昭高の所有となる。
元亀年間 (1570-73) 畠山昭高の家老遊佐信教が飯盛山城の守備をする。
天正四年 (1576) 織田信長に攻められ落城し、廃城となった。


≪ 写 真 ≫


四條畷神社


四條畷神社南側の登山口


急な登山道


二ノ丸史蹟碑郭


二ノ丸史蹟碑郭南側の土橋


二ノ丸史蹟碑郭と二ノ丸御体塚郭の間の堀切


二ノ丸御体塚郭東側の三段腰曲輪


二ノ丸御体塚郭東側の石垣


二ノ丸御体塚郭


二ノ丸御体塚郭東側の竪堀


本丸三本松郭


本丸倉屋敷郭


本丸展望台郭


本丸高櫓郭


本丸高櫓郭にある飯盛城趾碑


本丸高櫓郭にある楠木正行公像


本丸高櫓郭南側の切岸


NHK電波受信塔のある本丸千畳敷郭


本丸千畳敷郭南側に広がる削平地


本丸千畳敷郭西側に広がる削平地


本丸千畳敷郭南側


南丸入口の土塁


南丸


南丸の南斜面の切岸


虎口


本丸高櫓郭の南斜面


楠公寺へ行く道沿いに残る石垣(北側)


楠公寺へ行く道沿いに残る石垣(南側)


楠公寺


現地飯盛城址案内マップ(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR片町線四條畷駅から徒歩約50分。
<車>
第二京阪道路寝屋川南ICで降りて大平ポンプ場前信号を斜め左折、府道21号を南下、巣本複合交差点信号を左折、国道163号を東進、東中野交差点信号を右折、国道170号東高野街道を南西に進み、途中で道が斜め左に曲がり南下、四條畷神社前交差点信号を左折、約550m東進した突き当りに四條畷神社がある。神社の右側の急な坂を登り切った四條畷神社社殿前に参拝者用の駐車場がある。付近にも有料駐車場有。


≪ 位置図 ≫

飯盛山城


四條畷神社からの登山口


紹介したお城の数 172城



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下赤阪城

2013-11-12 06:17:24 | 大阪府
 下赤阪城

2013/11/2

大阪府千早赤阪村のお城めぐり

 鎌倉幕府の大軍を相手に防戦した楠木正成の前衛の城

≪ お城の概要 ≫

城名: 下赤阪城
よみ: シモアカサカ
別称: 楠木館
所在地: 大阪府南河内郡千早赤阪村森屋
現状: 千早赤阪村立中学校裏公園・千早赤阪村役場
築城年代: 元徳三年(元弘元、1331)
築城者: 楠木正成
形式: 山城
遺構:
規模:
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2013/11/2


≪ 訪城記 ≫

上赤阪城から下赤阪城へ向かう。

千早赤阪村立学校給食センターの駐車場を出て前の道を南下、次のT字路を大きく右折、道なりに進むと府道705号に出るT字路を右折、府道705号を北上、しばらくして左手に千早赤阪村立中学校が見えてくる。中学校へ入って通り抜けた裏側の丘に公園があり、この公園に駐車場がある。
公園の西側に赤阪城趾碑と説明板がある。ちなみに東側に見える棚田は非常に美しい。
公園を出て、再び府道705号を北上して、すぐに道の左手に千早赤阪村役場があり、入口に説明板がある。説明板によると役場の裏山が本丸跡だそうです。
役場を出て北側すぐのT字路を右折してS字道を登っていくと千早赤阪村郷土資料館があり、資料館横に楠公誕生地がある。さらに北側の棚田を降りていくと楠公産湯の井戸がある。


≪ 歴 史 ≫

元徳三年(元弘元)( 1331) 後醍醐天皇が笠置山で挙兵、笠置山が落ちた時、天皇を迎えようと楠木正成が急いで築城した。しかし、笠置山が落ち、天皇は楠木館へ向かう途中に捕えられ、護良親王を奉じて赤阪城に拠ったが、鎌倉勢に笠置山を落した勢いで攻められ、正成は城に火を放ち金剛山中に隠れた。
正慶元年(元弘二) (1332) 楠木正成は再起して、下赤阪城を奪回する。
正慶二年(元弘三) (1333) 鎌倉勢に攻められ、再び落城。
湊川で楠木正成が戦死すると、孫の正儀らが下赤阪城に拠る。
延文五年(正平十五) (1360) 竜泉寺・平石両城が落ち、楠木正儀は下赤阪城を捨て、金剛山中の千早城に退く。


≪ 写 真 ≫


千原赤阪村立中学校裏の公園にある赤阪城趾碑


赤阪城趾碑のある公園


美しい棚田


千早赤阪村役場入口の説明板


楠公誕生地


楠公誕生地の碑


千早赤阪村郷土資料館


楠公産湯の井戸

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
近鉄長野線富田林駅からバスで赤阪中学校前下車すぐ。
<車>
阪和道美原北ICで降りて、阪和道下道の府道36号を阪和道沿いに南下、下黒山交差点信号を左折、国道309号を南下、かなん道の駅を過ぎて、神山南交差点信号を右折、国道309号を南下、森屋三叉路信号を斜めに右折、府道705号を南下、千早赤阪村役場を過ぎ、道なりに南下、千早赤阪村立中学校が右手に見えてくる。中学校へ入って通り抜けた裏側の丘に公園があり、この公園に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

赤阪城趾碑のある公園


千早赤阪村役場


千原赤阪村郷土資料館


紹介したお城の数 149城



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上猫路砦

2013-11-11 06:16:07 | 大阪府
 上猫路砦

2013/11/2

大阪府千早赤阪村のお城めぐり

 楠木正成が上赤阪城と同時に築いた城砦群のひとつ

≪ お城の概要 ≫

城名: 上猫路砦
よみ: カミネコジ
別称: 上猫路城
所在地: 大阪府南河内郡千早赤阪村東阪
現状: 山
築城年代: 元弘年間(1331-34)
築城者: 楠木正成
形式: 砦
遺構: 曲輪・堀切・土橋
規模:
文化財:
訪城日: 2013/11/2


≪ 訪城記 ≫

下猫路砦から約20分山道を東に歩くと土橋を越えて堀切があり、案内板に沿って上の登ると猫路城跡と書かれた木製の城址碑がある。
この削平地が「日本城郭大系の城郭一覧」に載っている上猫路砦あとと思われる。
さらに東側の段々になった曲輪跡、北側には大きな堀切を見られます。


≪ 歴 史 ≫

元弘二年 (1332) 楠木正成が上赤阪城とともに築く。
元弘三年 (1333) 鎌倉幕府の大軍に包囲され、水路を絶たれ、本宮砦、猫路砦の搦手を落され、籠城十日で上赤阪城は落城した。


≪ 写 真 ≫


土橋


上猫路砦手前の堀切


上猫路砦


東側の曲輪


北側の堀切

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
近鉄長野線富田林駅からバスで水分下車、徒歩約60分で上赤阪城本丸。さらに進むこと約5分で下猫路砦跡、約20分で上猫路砦跡。
<車>
阪和道美原北ICで降りて、阪和道下道の府道36号を阪和道沿いに南下、下黒山交差点信号を左折、国道309号を南下、かなん道の駅を過ぎて、神山南交差点信号を右折、国道309号を南下、森屋三叉路信号を斜めに右折、府道705号を南下、千早赤阪村役場手前のT字路を左折、千早赤阪村郷土資料館前を通り過ぎ、二河原辺集落を通り過ぎた交差点を右折、すぐに学校給食センターがあり、学校給食センター前のT字路を左折、少し登ったところに上赤阪城の登城口がある。この登城口前に駐車場有。


≪ 位置図 ≫

上猫路砦


紹介したお城の数 148城



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