お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

志波城

2014-10-27 06:34:58 | 北海道・青森県・岩手県
 志波城

2014/9/19

岩手県盛岡市のお城めぐり

 坂上田村麻呂が築いた日本最北の古代官衙城柵

≪ お城の概要 ≫

城名: 志波城
よみ: シワ
別称: 志和城・方八丁
所在地: 岩手県盛岡市下太田方八丁
現状: 志波城古代公園
築城年代: 延暦二十二年(803)
築城者: 坂上田村麻呂
形式: 平城
遺構: 復元外郭南門・築地塀・櫓・政庁南門・東門・西門・北門跡・正殿跡・東脇殿跡・西脇殿跡・堀
規模: 840m×840m、標高130m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/9/19


≪ 訪城記 ≫

安倍館から志波城へ向かう。

天昌寺駐車場を出て国道46号を西進、稲荷町三叉路信号を直進、西バイパス北口交差点信号を左折、雫石川を渡り、国道46号盛岡西バイパスを南下、道が大きく左に曲がった下太田林崎交差点信号を斜め右折、県道13号を南下、自動車教習所を過ぎた上鹿妻田貝交差点信号を右折、県道16号盛岡環状線を約500m西進したところに志波城古代公園の看板がある道の北側が志波城跡で案内所の左側に駐車場がある。

最初、案内所によってパンフレットをもらうと良い。
案内所の右側から入って行くと、とても広い方形の政庁跡が復元されていて、大きな外郭南門と両側に広がった築地塀、塀の上には約60m間隔で矢倉が乗っている。前面には堀跡が残る。
外郭南門をくぐると両翼に堀跡、中央政庁南門に向かって一直線の広い南大路が続き、方形の政庁跡には南門、東門、西門と両側の築地塀が復元され、政庁内の正殿、東脇殿、西脇殿跡が区画されている。
とても広い古代城柵が見事に復元されている。


志波城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

延暦二十二年 (803) 征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷統治のための行政府として志波城を築く。
弘仁二年 (811) 坂上田村麻呂が徳丹城を築き移る。


≪ 写 真 ≫


志波城外郭南門


外郭南門の土塀と矢倉


空堀


南大路


政庁南門


土塀と南門外側空堀


土塀と南門内側空堀


政庁内


西脇殿跡


政庁西門


西門外側空堀


西門内側空堀


正殿跡


東脇殿跡


政庁東門


東門内側空堀


東門外側空堀


政庁北門跡


北門内側空堀


北門外側空堀


現地志波城古代公園案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東北本線・東北新幹線盛岡駅からバスで志波城古代公園前バス停下車すぐ。
<車>
東北道盛岡ICを降りて国道46号を東進、すぐの西バイパス北口交差点信号を右折、雫石川を渡り、国道46号盛岡西バイパスを南下、道が大きく左に曲がった下太田林崎交差点信号を斜め右折、県道13号を南下、自動車教習所を過ぎた上鹿妻田貝交差点信号を右折、県道16号盛岡環状線を約500m西進したところに志波城古代公園の看板がある道の北側が志波城跡で案内所の西側に駐車場有。


≪ 位置図 ≫

志波城(志波城古代公園)


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知識ゼロからの日本の城入門
小和田 哲男
幻冬舎

安倍館

2014-10-26 07:33:15 | 北海道・青森県・岩手県
 安倍館

2014/9/19

岩手県盛岡市のお城めぐり

 陸奥の豪族安倍氏が築いた最北端で前九年の役最後の拠点城柵

≪ お城の概要 ≫

城名: 安倍館
よみ: アベ
別称: 厨川城・厨川柵・栗谷川古城
所在地: 岩手県盛岡市安倍館町
現状: 厨川八幡宮・住宅地
築城年代: 平安時代
築城者: 安倍氏
形式: 居館
遺構: 空堀
規模:
文化財:
訪城日: 2014/9/19


≪ 訪城記 ≫

盛岡城から安倍館へ向かう。

盛岡城跡公園前の岩手県産業会館有料駐車場を出て岩手公園下三叉路信号を右折、西進して開運橋東複合交差点信号を斜め左折、北上川に架かる開運橋を渡り、JR盛岡駅前の信号を右折、北上川沿いに北西に進む、夕顔瀬橋西信号を直進、ここから県道220号になり、館坂複合交差点信号を約600m直進した安倍館バス停を左折、住宅地を東に入った奥の北上川沿いに安倍館公民館があり、公民館前の空き地に車を駐車させてもらう。

公民館から県道220号へ出て約100m北上した道脇に安倍館遺跡標柱や説明板があり、空堀跡が残っている。ここから住宅地を東に入って行くと厨川八幡宮があり、八幡宮の北側に深い空堀跡、八幡宮を中心に住宅地の周りにコの字形の空堀跡が残る。

公民館前を出て県道220号を南下、館坂複合交差点信号を右折、国道46号を西進、東北新幹線高架下をくぐり、約200m進んだ道の南側に天昌寺があり、道沿いの塀の前に厨川柵の説明板が飾られている。


厨川柵の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

陸奥の豪族安倍氏が厨川柵を築いた最北端の城柵で安倍貞任が配されていた。
天喜四年 (1056) 前九年の役が起こり、最初は安倍氏が優勢であったが、出羽の豪族清原氏が源頼義・義家の討伐軍に加わり、次第に劣勢となる。
康平五年 (1062) 厨川柵で最後の決戦が行われ、安倍貞任・宗任が敗れ、安倍氏は滅亡する。
文治五年 (1189) 源頼朝の奥州藤原氏討伐戦で戦功を立てた伊豆の工藤小次郎行光が岩手郡を給され、安倍館に居館を構える。
天正二十年 (1592) 安倍館は、豊臣秀吉の命により破却される。


≪ 写 真 ≫


厨川八幡宮


厨川八幡宮入口の空堀跡


空堀前の安倍館遺跡標柱


厨川八幡宮北側の空堀跡


道端の厨川柵の碑


厨川八幡宮南側の空堀跡


天昌寺


現地安倍館図面(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東北本線・東北新幹線盛岡駅からバスで安倍館バス停下車すぐ。
<車>
東北道盛岡ICで降りて国道46号秋田街道を東進、稲荷町三叉路信号を斜め左折、東北新幹線高架下をくぐり、館坂交差点信号を左折、約600m北上した安倍館バス停を左折、住宅地を東に入った奥の北上川沿いに安倍館公民館があり、公民館前の空き地に駐車可能。ここから県道220号を約100m北上した厨川八幡宮入口付近に空堀が残る。


≪ 位置図 ≫

安倍館(厨川八幡宮)


天昌寺


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意外と知らない! こんなにすごい「日本の城」 (じっぴコンパクト)
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盛岡城

2014-10-25 07:03:09 | 北海道・青森県・岩手県
 盛岡城

2014/9/19

岩手県盛岡市のお城めぐり

 四十一年かけて完成した総石垣造の南部氏の居城

 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 盛岡城
よみ: モリオカ
別称: 不来方城
所在地: 岩手県盛岡市内丸
現状: 盛岡城跡公園
築城年代: 着手・文禄二年(1593)、完成・寛永十年(1633)
築城者: 南部信直・利直・重直
形式: 平城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・淡路丸・榊山稲荷曲輪・腰曲輪・下曲輪・御三階櫓跡・石垣・水堀・彦御蔵・桝形虎口・井戸跡
規模: 本丸70m×55m、二の丸90m×60m、三の丸100m×40m、標高143m、比高15m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2011/12/15・2014/9/19


≪ 訪城記 ≫

ホテルを出て盛岡城に向かう。

ホテルを出て北上川沿いの道を南下、盛岡駅前の交差点信号を左折、開運橋を渡り、開運橋東複合交差点信号を斜め右折、東進した突き当りが盛岡城跡で、岩手公園下三叉路信号を左折、盛岡城の高石垣を右手に見ながら次の交差点信号左側の岩手県産業会館有料駐車場に車を駐車する。

岩手県産業会館前の道を渡り、水堀跡の亀ヶ池沿いの道を入って行き、櫻山神社手前を南に進むと三の丸入口横に盛岡城趾碑があり、桝形虎口を入った東側が三の丸跡で烏帽子岩がある。
三の丸から南に進むと二の丸入口の桝形虎口があり、庭園が広がる。南詰の石垣空堀に架かる赤い渡雲橋を渡った広場が本丸で中央に南部中尉銅像のあった台座が残されている。本丸南東隅が御三階櫓跡です。
東側の桝形虎口を降りていくと本丸廻りの淡路丸、腰曲輪、榊山稲荷曲輪と時計回りに本丸の見事な高石垣を見ながら回り、渡雲橋下の空堀を歩き、今度は淡路丸、腰曲輪、榊山稲荷曲輪下の見事な高石垣を同じように見て感動しましたが、二の丸下と三の丸下の高石垣も素晴らしいのですが、かなり孕んできているようで少し気になりました。
その後、櫻山神社北側の商店街がある下曲輪廻りの水堀、もりおか歴史文化館の間にある庭園風になった水堀跡の鶴池が美しいです。


盛岡城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

天正十八年 (1590) 二十六代南部直信が小田原の陣への参陣により、豊臣秀吉から所領を安堵される。
天正十九年 (1591) 九戸政実の乱が終り、豊臣秀吉から派遣された軍監浅野長政の勧めで岩手郡不来方に築城することとなる。
文禄二年 (1593) 築城工事に着手する。
慶長四年 (1599) 南部信直が福岡城で没し、嫡子利直が築城工事を引き継ぐ。
元和年間 (1615-24) 不来方城を盛岡城と改め、利直が福岡城より移る。
寛永十年 (1633) 四十一年かけて二十八代南部重直のときに完成する。以後、明治維新まで南部氏代々の居城となる。
延宝元年 (1673) 火災で焼失した三層の天守閣が再建される。
明治六年 (1873) 石垣、水堀を残し破却される。


≪ 写 真 ≫


盛岡城南西隅高石垣


榊山稲荷曲輪高石垣


二の丸高石垣


三の丸西面高石垣


二の丸高石垣側面


三の丸北面高石垣


腰曲輪南面高石垣


淡路丸南東隅高石垣


本丸西側高石垣


二の丸東側二段石垣


本丸と二の丸の間の空堀


本丸北東隅高石垣


本丸御三階櫓跡


南部中尉銅像台座


本丸


本丸南西隅櫓跡


二の丸


二の丸桝形虎口


三の丸


三の丸桝形虎口


盛岡城趾碑


水堀跡の亀ヶ池


彦御蔵


吹上坂付近


烏帽子岩


南部稲荷神社


櫻山神社


下曲輪水堀跡


水堀跡の鶴池


現地盛岡城跡公園案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東北本線・東北新幹線盛岡駅からバスで約10分。盛岡城跡公園バス停下車すぐ。
<車>
東北道盛岡ICで降りて国道46号秋田街道を東進、稲荷町三叉路信号を斜め左折、東北新幹線高架下をくぐり、館坂交差点信号を右折、北上川沿いの県道220号を南下、盛岡駅前の交差点信号を左折、開運橋を渡り、開運橋東複合交差点信号を斜め右折、東進した突き当りが盛岡城跡の盛岡城跡公園で付近に有料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

盛岡城(盛岡城跡公園)


紹介したお城の数 287城



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田頭城

2014-10-22 06:00:48 | 北海道・青森県・岩手県
 田頭城

2014/9/18

岩手県八幡平市のお城めぐり

 田頭左衛門佐直祐が築城した田頭氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 田頭城
よみ: デンドウ
別称:
所在地: 岩手県八幡平市田頭第23地割68
現状: 田頭城址館山公園
築城年代: 天正年間(1573-93)
築城者: 田頭左衛門佐直祐
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・腰曲輪・土塁・空堀
規模: 150m×70m、標高320m、比高51m
文化財:
訪城日: 2014/9/18


≪ 訪城記 ≫

姉帯城から田頭城へ向かう。

姉帯城へ行く林道を戻り、馬淵川を渡り、侍村の三叉路右折、県道15号を西進、いわて銀河鉄道踏切を渡り、姉帯入口交差点信号を左折、国道4号を南下、久保口交差点信号を右折、県道17号を西進、久保第18地割三叉路を斜め左折、県道257号を西進、土川第4地割付近で南西に進み、八幡平市に入り西進、十和田八幡平四季彩ラインと国道282号を越えて次の交差点信号を右折、道が右に曲がり八幡平市役所の突き当り三叉路信号を右折、国道282号を南下、大更第24地割三叉路信号を右折、県道23号を西進、田頭第22地割交差点信号を過ぎてすぐの田頭郵便局の右側に田頭城址館山公園駐車場がある。この駐車場に車を駐車する。駐車場の西の山が田頭城跡です。

駐車場と郵便局の間に田頭城址館山公園入口があり、登り口に説明板がある。階段を登っていくと両脇に腰曲輪らしい削平地を過ぎた左側に遊具のある三の丸、その上に二の丸、さらに登ると本丸があり、到着口に詳しい説明板がある。本丸奥の土塁跡の前に二重の鳥居がある。本丸の右側に本丸橋があり、渡った左隅に土塁跡、ぐるりと回って橋の下に空堀跡がある。さらに下に数段の腰曲輪を見られる。


≪ 歴 史 ≫

天正末年、葛巻信祐の二男田頭直祐が田頭氏を興し田頭城主となる。
天正十九年二月 (1591) 九戸政実が南部信直に反旗を翻し、九戸政実に加担した平舘城の一戸信濃守政包に田頭城は攻撃され落城する。


≪ 写 真 ≫


田頭城本丸


二の丸


三の丸


腰曲輪


本丸右側


本丸橋


本丸橋を渡った土塁跡


本丸橋下の空堀跡


本丸橋下の腰曲輪


田頭城址館山公園入口


現地説明板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
十和田八幡平四季彩ライン大更駅から徒歩約1.5㎞、約30分で田頭城址館山公園駐車場、ここから本丸まで約20分。
<車>
東北道西根ICを降りてインター入口信号を左折、次の三叉路信号を斜め左折、国道282号を北上、大更第24地割三叉路信号を左折、県道23号を西進、田頭第22地割交差点信号を過ぎてすぐの田頭郵便局の右側に田頭城址館山公園駐車場がある。ここから本丸まで約20分。


≪ 位置図 ≫

田頭城


田頭城址館山公園入口


紹介したお城の数 286城



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姉帯城

2014-10-21 06:00:06 | 北海道・青森県・岩手県
 姉帯城

2014/9/18

岩手県一戸町のお城めぐり

 九戸政実の乱の前哨戦で落城した姉帯氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 姉帯城
よみ: アネタイ
別称:
所在地: 岩手県二戸郡一戸町姉帯川久保
現状: 山
築城年代: 天正年間(1573-93)
築城者: 姉帯兼政
形式: 山城
遺構: 西の郭・東の郭・空堀・土塁
規模: 西の郭 東西130m×南北60m、東の郭 東西120m×南北100m
文化財: 町指定史跡
訪城日: 2014/9/18


≪ 訪城記 ≫

一戸城から姉帯城へ向かう。

一戸公園を出て国道4号を南下、姉帯入口交差点信号を左折、県道15号を東進、いわて銀河鉄道踏切を渡り、川を渡って右に大きく曲り南下、道が東に向き侍村付近で小さな姉帯城跡の標柱のある三叉路を左折、馬淵川を渡り、道が左へ曲がる地点の三叉路を右折、北上した最後の住宅裏の林道を東へ約400m進んだ行き止まりに車を路上駐車する。

行き止まりから南側の山へ舗装道があり、登った先に広がる郭が西の郭で入口に説明板がある。広い郭の東側に供養塔があり、この裏側に土塁が残り、下が深い空堀となっている。この空堀の東側が東の郭で山林となっている。


≪ 歴 史 ≫

天正年間 (1573-93) 九戸南部氏の一族、姉帯氏の姉帯兼政が築城する。
天正十九年 (1591) 九戸政実の乱の前哨戦で、姉帯城は豊臣軍の攻撃を受け、城主姉帯兼興、兼信兄弟らが討死、落城する。


≪ 写 真 ≫


姉帯城西の郭東側の供養塔


西の郭


姉帯城西の郭東側の土塁


西の郭と東の郭の間の空堀


東の郭


林道行き止まりからの登り道


林道入口


現地姉帯城全体図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
いわて銀河鉄道小鳥谷駅から徒歩約3㎞、約60分。
<車>
八戸道一戸ICを降りて一戸インター入口信号を右折、国道4号をを南下、姉帯入口交差点信号を左折、県道15号を東進、いわて銀河鉄道踏切を渡り、川を渡って右に大きく曲り南下、道が東に向き侍村付近で小さな姉帯城跡の標柱のある三叉路を左折、馬淵川を渡り、道が左へ曲がる地点の三叉路を右折、北上した最後の住宅裏の林道を東へ約400m進んだ行き止まりのスペースに車を路上駐車可能。


≪ 位置図 ≫

姉帯城


林道入口


紹介したお城の数 285城



城を攻める 城を守る (講談社現代新書)
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講談社




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