黒野城
2013/9/21
岐阜県岐阜市のお城めぐり
加藤貞泰が築いた短命の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 黒野城
よみ: クロノ
別称: 城藪
所在地: 岐阜県岐阜市黒野
現状: 黒野城跡公園
築城年代: 文禄四年(1595)
築城者: 加藤貞泰
形式: 平城
遺構: 本丸・南東櫓跡・北西櫓跡・桝形虎口・土塁・内堀・外堀
規模: 面積15.523㎡、標高14m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2011/6/14・2013/9/21
≪ 訪城記 ≫
自宅から岐阜県黒野城へ向かう。
国道21号をひたすら東進、長良川を越えて薮田交差点信号を左折、県道77号岐阜環状線を北上、長良川に架かる鏡島大橋を渡りさらに北上、正木土居交差点信号を左折、県道78号を西進、折立稲場三叉路信号を斜め左に直進、県道91号を約700m西進した「KVK」という会社敷地の西隅を右折、道を約100m北上すると黒野城跡公園に到着する。駐車場は旧黒野接骨院の駐車場の案内板があり、案内板に沿って旧黒野接骨院の駐車場に駐車させてもらう。
駐車場から徒歩ですぐのところに堀と土塁で囲まれた方形の黒野城跡公園に着く。堀に架かる橋を渡ると左側に黒野城址碑と説明板、右側に桝形虎口跡、本丸跡がグランドになっている。
高さ5.4mの高い土塁上を一周、南東隅に南東櫓跡、北西隅に北西櫓跡で現在発掘調査中でした。
堀も広く良好な状態で堀と土塁が残っています。
さらに北方の多賀神社裏に外堀跡があると地元の方に教えてもらい向かいました。神社裏の竹藪の中に横堀跡のような溝があり、説明板もありました。
「KVK」の敷地は黒野城主加藤貞泰の弟平内の屋敷跡です。
駐車場に戻ると黒野接骨院の御主人から黒野城のパンフレットをもらいました。感謝。
≪ 歴 史 ≫
文禄二年 (1593) 甲府城主であった加藤貞泰の父光泰が文禄の役で朝鮮出征中に没する。
文禄三年 (1594) 光泰の嫡子貞泰は若年であったため、減封され美濃国黒野に転封。
文禄四年 (1595) 貞泰が黒野城を築く。
慶長十五年 (1610) 関ヶ原の戦いの恩賞で伯耆国米子城主となり、城主を失った黒野城は十六年の短い期間であったが廃城となる。
≪ 写 真 ≫
「KVK」角の入口
加藤平内屋敷跡
南西方向からの黒野城
黒野城入口
黒野城址碑
桝形虎口跡
本丸跡
南面の土塁上
南東櫓跡
東面の土塁上
西面の堀
西面の土塁
東面の土塁
南西の堀と土塁
南東櫓跡と堀
東面の土塁と堀
多賀神社
多賀神社裏の外堀跡
現地黒野城本丸図(リンク付サムネイル)
現地黒野城城下町図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR岐阜駅からバスで黒野東口下車、徒歩約5分。
<車>
名神高速道路岐阜羽島ICで降りて県道46号を北上、竹鼻町大西交差点信号を斜め右折、県道151号を北東に進み、足近小学校西三叉路信号を斜め左折、北上して薮田交差点信号を直進、県道77号岐阜環状線を北上、長良川に架かる鏡島大橋を渡りさらに北上、正木土居交差点信号を左折、県道78号を西進、折立稲場三叉路信号を斜め左に直進、県道91号を約700m西進した「KVK」という会社敷地の西隅を右折、道を約100m北上すると黒野城跡公園に到着する。駐車場は旧黒野接骨院の駐車場の案内板があり、案内板に沿って旧黒野接骨院の駐車場を利用すると良い。また、土日祝日限定ですが黒野城東側にある平成医療専門学院の駐車場も利用可能です。
≪ 位置図 ≫
黒野城(黒野城跡公園)
多賀神社裏の外堀
紹介したお城の数 132城
2013/9/21
岐阜県岐阜市のお城めぐり
加藤貞泰が築いた短命の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 黒野城
よみ: クロノ
別称: 城藪
所在地: 岐阜県岐阜市黒野
現状: 黒野城跡公園
築城年代: 文禄四年(1595)
築城者: 加藤貞泰
形式: 平城
遺構: 本丸・南東櫓跡・北西櫓跡・桝形虎口・土塁・内堀・外堀
規模: 面積15.523㎡、標高14m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2011/6/14・2013/9/21
≪ 訪城記 ≫
自宅から岐阜県黒野城へ向かう。
国道21号をひたすら東進、長良川を越えて薮田交差点信号を左折、県道77号岐阜環状線を北上、長良川に架かる鏡島大橋を渡りさらに北上、正木土居交差点信号を左折、県道78号を西進、折立稲場三叉路信号を斜め左に直進、県道91号を約700m西進した「KVK」という会社敷地の西隅を右折、道を約100m北上すると黒野城跡公園に到着する。駐車場は旧黒野接骨院の駐車場の案内板があり、案内板に沿って旧黒野接骨院の駐車場に駐車させてもらう。
駐車場から徒歩ですぐのところに堀と土塁で囲まれた方形の黒野城跡公園に着く。堀に架かる橋を渡ると左側に黒野城址碑と説明板、右側に桝形虎口跡、本丸跡がグランドになっている。
高さ5.4mの高い土塁上を一周、南東隅に南東櫓跡、北西隅に北西櫓跡で現在発掘調査中でした。
堀も広く良好な状態で堀と土塁が残っています。
さらに北方の多賀神社裏に外堀跡があると地元の方に教えてもらい向かいました。神社裏の竹藪の中に横堀跡のような溝があり、説明板もありました。
「KVK」の敷地は黒野城主加藤貞泰の弟平内の屋敷跡です。
駐車場に戻ると黒野接骨院の御主人から黒野城のパンフレットをもらいました。感謝。
≪ 歴 史 ≫
文禄二年 (1593) 甲府城主であった加藤貞泰の父光泰が文禄の役で朝鮮出征中に没する。
文禄三年 (1594) 光泰の嫡子貞泰は若年であったため、減封され美濃国黒野に転封。
文禄四年 (1595) 貞泰が黒野城を築く。
慶長十五年 (1610) 関ヶ原の戦いの恩賞で伯耆国米子城主となり、城主を失った黒野城は十六年の短い期間であったが廃城となる。
≪ 写 真 ≫
「KVK」角の入口
加藤平内屋敷跡
南西方向からの黒野城
黒野城入口
黒野城址碑
桝形虎口跡
本丸跡
南面の土塁上
南東櫓跡
東面の土塁上
西面の堀
西面の土塁
東面の土塁
南西の堀と土塁
南東櫓跡と堀
東面の土塁と堀
多賀神社
多賀神社裏の外堀跡
現地黒野城本丸図(リンク付サムネイル)
現地黒野城城下町図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR岐阜駅からバスで黒野東口下車、徒歩約5分。
<車>
名神高速道路岐阜羽島ICで降りて県道46号を北上、竹鼻町大西交差点信号を斜め右折、県道151号を北東に進み、足近小学校西三叉路信号を斜め左折、北上して薮田交差点信号を直進、県道77号岐阜環状線を北上、長良川に架かる鏡島大橋を渡りさらに北上、正木土居交差点信号を左折、県道78号を西進、折立稲場三叉路信号を斜め左に直進、県道91号を約700m西進した「KVK」という会社敷地の西隅を右折、道を約100m北上すると黒野城跡公園に到着する。駐車場は旧黒野接骨院の駐車場の案内板があり、案内板に沿って旧黒野接骨院の駐車場を利用すると良い。また、土日祝日限定ですが黒野城東側にある平成医療専門学院の駐車場も利用可能です。
≪ 位置図 ≫
黒野城(黒野城跡公園)
多賀神社裏の外堀
紹介したお城の数 132城
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