お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

毘沙門堂砦

2013-01-30 20:18:29 | 静岡県
 毘沙門堂砦

2012/12/9

静岡県浜松市のお城めぐり

 二俣城攻略のために築かれた付城

≪ お城の概要 ≫

城名: 毘沙門堂砦
よみ: ビシャモンドウ
別称:
所在地: 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣
現状: 山
築城年代: 天正三年(1575)
築城者: 徳川家康
形式: 平山城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2012/12/9


≪ 訪城記 ≫

二俣城から毘沙門堂砦に向かう。
二俣城から国道152号秋葉街道へ出る信号まで戻る。この信号を左折、途中道なりに右折、双竜橋を渡らずに、手前を左折、二俣川沿いに進み、次の二俣大橋を右折して二俣川を渡り切った所を右折すると栄林寺です。
お寺の駐車場に車を止めさせてもう。

毘沙門堂砦の登り口がわからず、墓地の参道が山の上まで続いていそうなので、墓地の最上段まで行くと道はないけれど栄林寺の裏山に入れそうなので木々をかき分け入っていく。するとすぐに人工的に削平されたり、土を土塁のように端に押しやったりした跡のある場所に着く。そこからまだ南へ行くと電波塔と大きな看板のある場所に出る。ここが頂上のようですが、人の手が近年に入っているようで、遺構らしきものはありません。そこから引き返し北へ行くと突然木々が無くなり、造成地に出ます。こんな山の上まで人の手が入っているとは思いませんでした。
結局、なにも見つけられませんでした。


≪ 歴 史 ≫

天正三年 (1575) 二俣城を攻略するために築かれた付城で、本多忠勝が守備した。

≪ 写 真 ≫


栄林寺


栄林寺の裏山にある鉄塔附近


栄林寺の裏山にある大きな看板附近

≪ アクセス ≫

<車>
新東名高速浜松浜北ICを降りて国道152号を北上し、新東名高速の下を抜け、中瀬大平交差点を左折、堤防上の道を進むと右側に自動車教習所の跡地があり、しばらく進むと県道45号笠井街道へ出る三叉路へ着く、この三叉路を右斜めに右折し、県道45号へ出る。北上を続けると鹿島坂下南の複合交差点へ着く。この交差点をななめ左折し、天竜浜名湖線の踏切を越えるとすぐに国道152号秋葉街道へ出る鹿島坂下の三叉路を斜めに右折、約200mで天竜川に架かる鹿島橋を渡り、約200m進むとトンネルがあり、このトンネルをを抜けて国道152号秋葉街道まっすぐ進み、途中道なりに右折、双竜橋を渡らずに、手前を左折、二俣川沿いに進み、次の二俣大橋を右折して二俣川を渡り切った所を右折すると栄林寺です。


≪ 位置図 ≫

栄林寺


毘沙門堂砦


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城めぐりがもっと楽しくなる!お城の地図帳 (タツミムック)
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二俣城

2013-01-28 21:05:24 | 静岡県
 二俣城

2012/12/9

静岡県浜松市のお城めぐり

 武田軍と徳川軍が奪い合い、松平信康が自害した悲劇のお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 二俣城
よみ: フタマタ
別称: 蜷原城
所在地: 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣
現状: 城山公園・城山稲荷神社・旭ヶ丘神社
築城年代: 文亀年間(1501-04)
築城者: 二俣氏
形式: 平山城
遺構: 天守台・本丸・二の丸・北曲輪・蔵屋敷・南曲輪・井戸曲輪・土塁・空堀・石塁・堀切
規模: 350m×100m、標高約40m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2012/12/9


≪ 訪城記 ≫

鳥羽山城から二俣城へ向かう。
国道152号秋葉街道へ戻るため、来た道を引き返しトンネル出口の交差点を左折、約200m進んだ信号を左折したら、すぐに右へ道がカーブする、その途中に山へ登る側道があるので、その道を登っていくと二俣城址入口と書かれた木製看板が左側にある。そのまま道なりに左カーブになった所の右側土手に5台ほど止められる無料駐車場がある。

この駐車場の道向かいに登城道の参道があり、二俣城址碑や案内板が建てられている。
少し登ると右の谷に竪堀、左に北曲輪(旭ヶ丘神社)、まっすぐで本丸に行ける。
まずは竪堀を見て、北曲輪の神社へ、続いて石垣が残る虎口から土塁で囲まれた本丸跡へ、正面の野面積天守台がすぐに見られる。ここだけ城跡から浮いたような感覚でいきなりポンと持ってきたような違和感を覚える。おそらく二俣城攻防戦の後の平穏な時代の建築物なのかも?
この天守台の裏側は天竜川の絶壁です。
天守台の横には梟が乗った二俣城址碑が建てられている。広い本丸南側には大きな説明板があり、二俣城をめぐる武田氏と徳川氏の攻防が書かれている。
喰い違いになった桝形をから二の丸に入ると、城山稲荷神社があり南側には高い土塁が残る。二の丸東側に追手虎口があり、虎口南側の土塁上には櫓台跡があり、二代目物見の松が植えられている。
この虎口にも石垣が残る。
虎口から南へ行くと二の丸と蔵屋敷の間の大きな堀切が良くわかる。蔵屋敷の南側には土塁跡があり石垣も少し残っている。この土塁の西端から南曲輪へ入れるが、竹藪でよくわからない。
二の丸まで引き返し、稲荷神社裏から井戸曲輪へ降りられる。二の丸と蔵屋敷の間の堀切をこんどは逆方向から見られ、見る位置が違うと雰囲気が変わります。
井戸曲輪は竹藪になっていて、竪堀や堀切がありそうですが、よくわかりません。
駐車場に戻り、二俣城の事件、家康の嫡男信康自刃の悲劇の場所でもあり、その墓所のある清瀧寺が近いので寄りました。


≪ 歴 史 ≫

文亀年間 (1501-04) 二俣近江守昌長が築く。
永正十一年 (1514) 二俣昌長が米倉城に移り、代って堤城城主松井左衛門亮信薫が入城する。
享禄二年 (1529) 信薫が病没し、弟の五郎八郎宗信が跡を継ぎ城主となる。
永禄二年 (1559) 松井左衛門佐宗信が今川氏真から所領を安堵される。
永禄三年 (1560) 桶狭間の戦いで宗信が討死する。同年十二月に子宗恒に所領を安堵される。
その後、今川氏の衰退によって、徳川氏が二俣城を攻略する。
永禄十一年十二月 (1568) 家康は、鵜殿氏長を城番に任じて所領を安堵する。
中根正照を主将、松平康安と青木貞治を副将として二俣城の守備に入れる。
元亀三年 (1572) 三方ヶ原の戦いの前哨戦で遠江に侵攻した武田信玄が二俣城を囲み、徳川軍は城を開け渡し、城は武田軍のものとなり依田信守・信蕃父子が守備に入る。
天正元年 (1573) 家康は二俣城攻略に着手。
天正三年五月 (1575) 家康は長篠の戦いで勝利すると、六月に二俣城奪還のため鳥羽山城・毘沙門堂砦・蜷原砦・和田ヶ島砦を築き包囲攻撃する。光明城・諏訪原城が攻略され孤立しても城兵は抵抗を続けたが、十二月二十四日依田信蕃は降伏開城し、長い攻城戦は終止符を打ち、家康は大久保忠世に守備を命じる。
天正七年九月十五日 (1579) 家康の嫡男信康が武田氏との共謀を疑われ、二俣城で自害させられる。墓は清瀧寺にある。
天正十八年 (1590) 家康が関東に移封になり、大久保忠世も小田原城へ移ったため二俣城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


登城口


北曲輪(旭ヶ丘神社)


本丸虎口


天守台


天守台横の二俣城址碑


本丸


本丸から二の丸へ入る桝形


二の丸土塁


二の丸


二の丸櫓台跡の二代目物見の松


追手虎口


二の丸と蔵屋敷の間の堀切


蔵屋敷南側土塁に残る石垣


蔵屋敷と南曲輪の間の堀切


信康の墓所のある清瀧寺


信康廟


現地縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
天竜浜名湖鉄道二俣本町駅から徒歩10分。鳥羽山公園入口バス停から徒歩7分。
<車>
新東名高速浜松浜北ICを降りて国道152号を北上し、新東名高速の下を抜け、中瀬大平交差点を左折、堤防上の道を進むと右側に自動車教習所の跡地があり、しばらく進むと県道45号笠井街道へ出る三叉路へ着く、この三叉路を右斜めに右折し、県道45号へ出る。北上を続けると鹿島坂下南の複合交差点へ着く。この交差点をななめ左折し、天竜浜名湖線の踏切を越えるとすぐに国道152号秋葉街道へ出る鹿島坂下の三叉路を斜めに右折、約200mで天竜川に架かる鹿島橋を渡り、約200m進むとトンネルがあり、このトンネルをを抜けて一つ目の信号を左折したら、すぐに右へ道がカーブする、その途中に山へ登る側道があるので、その道を登っていくと二俣城址入口と書かれた木製看板が左側にある。そのまま道なりに左カーブになった所の右側土手に5台ほど止められる無料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

登城口


二俣城


清瀧寺


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鳥羽山城

2013-01-27 12:27:10 | 静岡県
 鳥羽山城

2012/12/9

静岡県浜松市のお城めぐり

 徳川家康が二俣城奪還の拠点として築いた付城

≪ お城の概要 ≫

城名: 鳥羽山城
よみ: トバヤマ
別称:
所在地: 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣
現状: 鳥羽山公園
築城年代: 天正三年(1575)
築城者: 徳川家康
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・笹曲輪・虎口・土塁・堀切
規模: 360m×300m、標高108.3m
文化財:
訪城日: 2012/12/9


≪ 訪城記 ≫

新東名高速浜松浜北ICを降りて国道152号を北上し、新東名高速の下を抜け、中瀬大平交差点を左折、堤防上の道を進むと右側に自動車教習所の跡地があり、しばらく進むと県道45号笠井街道へ出る三叉路へ着く、この三叉路を右斜めに右折し、県道45号へ出る。北上を続けると鹿島坂下南の複合交差点へ着く。この交差点をななめ左折し、天竜浜名湖線の踏切を越えるとすぐに国道152号秋葉街道へ出る鹿島坂下の三叉路を斜めに右折、約200mで天竜川に架かる鹿島橋を渡り、約200m進むとトンネルがあり、このトンネルをを抜けてすぐの交差点を左折し、山裾の道を進むと堤防道と山へ入る道とに分かれている。山へ入る登り道を進むと途中右側に空き地があり、わたしはそこに車を止めましたが、もう少し進むと大手道前に舗装した無料駐車場があります。

空き地の駐車場から山へ入る階段を登っていくと、すぐに笹曲輪に出られました。さらに進むとわんぱく広場と言う削平されたかなり広い場所に出て、さらに進むと本丸土塁の間に架かった木製橋のある虎口へ出て、やっと本丸に入れました。
大手道を登っていればすぐに本丸に着いたはずですが。
本丸は土塁に囲まれた広い削平地で北に搦手門跡、南に桝形の虎口のある大手門跡があり、大手門の脇には排水溝の遺構や説明板があります。大手門右側には休憩所を兼ねた展望台もあり、天竜川の眺望がすばらしいです。
大手門から桝形虎口を降りると左側の削平地が二の丸で、大手道参道の両側には石垣跡が少し残っています。参道入り口には櫓台跡があり祠址のようなものがあります。この櫓台と二の丸の間に堀切が見られます。

この城は、天竜川が大きくカーブした三方を囲まれ天然の要害となる鳥羽山に二俣城の付城の拠点として築かれ、二俣城とは目と鼻の先にあり、二俣城の武田城兵は嫌だったでしょうね。


≪ 歴 史 ≫

天正三年 (1575) 二俣城攻略の付城の拠点として築かれ、大久保忠世が守備をする。
五月の長篠の戦で武田方が敗北すると、家康は本格的な二俣城攻略を開始し、鳥羽山城・毘沙門堂砦・蜷原砦・和田ヶ島砦を築き、二俣城を包囲した。約六か月の籠城ののち十二月二十四日に降伏開城した。その後、二俣城に大久保忠世が入り、二俣城と鳥羽山城は別城一郭として修改築が行われる。
天正十八年 (1590) 大久保氏が徳川氏の関東移封に従い小田原城に移り、廃城となったようです。


≪ 写 真 ≫


天竜川対岸から見た鳥羽山城


笹曲輪


搦手門跡


虎口に架かる木製橋


大手門桝形虎口


大手門跡


本丸


展望台から見た本丸


本丸の土塁


大手道入口


櫓台跡と二の丸の間の堀切


大手道


現地鳥羽山公園案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
天竜浜名湖鉄道二俣本町駅から徒歩10分。鳥羽山公園入口バス停から徒歩5分。
<車>
新東名高速浜松浜北ICを降りて国道152号を北上し、新東名高速の下を抜け、中瀬大平交差点を左折、堤防上の道を進むと右側に自動車教習所の跡地があり、しばらく進むと県道45号笠井街道へ出る三叉路へ着く、この三叉路を右斜めに右折し、県道45号へ出る。北上を続けると鹿島坂下南の複合交差点へ着く。この交差点をななめ左折し、天竜浜名湖線の踏切を越えるとすぐに国道152号秋葉街道へ出る鹿島坂下の三叉路を斜めに右折、約200mで天竜川に架かる鹿島橋を渡り、約200m進むとトンネルがあり、このトンネルをを抜けてすぐの交差点を左折し、山裾の道を進むと堤防道と山へ入る道とに分かれている。山へ入る登り道を進むと大手道前に舗装した無料駐車場があります。


≪ 位置図 ≫

鳥羽山城


鳥羽山公園駐車場



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丹波亀山城

2013-01-26 13:23:50 | 京都府
 丹波亀山城

2013/1/13

京都府亀岡市のお城めぐり

 明智光秀が丹波攻略の拠点とした居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 丹波亀山城
よみ: タンバカメヤマ
別称: 亀山城・亀宝城・霞城・亀岡城
所在地: 京都府亀岡市荒塚町内丸
現状: 大本教本部・南郷公園
築城年代: 天正五~七年(1577-79)
築城者: 明智光秀
形式: 平城
遺構: 本丸石垣・大堀・内堀・外堀・井戸
規模: 本丸838坪半、標高114.64m、比高23.1m
文化財:
訪城日: 2013/1/13


≪ 訪城記 ≫

園部城から丹波亀山城へ向かう。
園部城を出て、国道9号山陰道を南下、亀岡市内に入り、加塚交差点を斜め方向に左折、亀岡市役所前を東へ約600m、道なりに左斜めに曲がる道をそのまま進むと右手に内堀沿いの南郷公園がある。この公園の終わりにある交差点を右折すると亀山城のある大本教本部前の道に出る。大本教本部の案内板が出ているので分かる。
境内に無料駐車場が完備されている。

車を駐車したら、まず、みろく会館に入り、事務の方に亀山城跡を見せてほしいとお願いするとパンフレットとお祓いを受ける万祥殿への行き方を教えてもらえる。
さっそく、万祥殿へ万祥橋手前の手水舎で手を洗い、万祥殿右側の受付で亀山城跡を見させてほしいと頼むと万祥殿の前でお祓いをしていただける。
お祓いが済むと万祥殿左端を通り抜けると、二つ門があり、通り抜けた右側が本丸跡ですが、教団の聖地となっていて入ることができません。本丸へ入れないのが非常に残念です。
しかし、本丸への石段脇の隅の本丸石垣は見事です。この石垣などは教団が荒れていた城跡を再建されたようです。この石垣の通りの左側には井戸跡と土塁跡らしき盛り上がりのある場所があります。
他には、万祥池付近の石垣、この石垣には天下普請の跡である刻印が見られ、万祥池の奥は空堀跡です。
教団入り右口の道沿いを北へ行くと南郷公園があり、広い内堀跡が見られ、公園の西隅には亀山城鯱瓦が一対飾られています。また、丹波亀山城址碑もここにあります。


≪ 歴 史 ≫

天正五~七年 (1577-79) 明智光秀が丹波攻略の拠点として中世の亀山砦を拡張して築城する。
天正十一年 (1583) 山崎の合戦後、羽柴秀勝(信長四男)、豊臣秀勝(関白秀次の弟)、小早川秀秋と城主が代わり、以後、代官が置かれる。
慶長十四年 (1609) 岡部長盛が城主となり、大坂方へに備え天下普請で城を拡張する。一説に藤堂高虎が縄張りをして、今治城の天守を移築したそうです。
その後、城主は大給松平氏、菅沼氏、藤井松平氏、久世氏、井上氏、青山氏、形原松平氏と移り、明治維新を迎える。
明治十年 (1877) 天守閣が解体され、本丸一部の石垣を残して運び去られる。


≪ 写 真 ≫


大本教本部入口


みろく会館


万祥殿(お祓いを受けるところ)


本丸石垣


本丸石段


井戸


万祥殿から本丸へ入る門


門横の石垣


万祥池横の石垣


万祥池横の石垣の刻印


万祥池奥の空堀跡


内堀跡(南郷公園)


南郷公園にある鯱瓦


南郷公園に建てられた亀山城址碑

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR山陰本線亀岡駅から徒歩10分
<車>
京都丹波道路亀岡ICを降りて重利信号を右折、国道372号を東進、加塚交差点を直進、亀岡市役所前を東へ約600m、道なりに左斜めに曲がる道をそのまま進むと右手に内堀沿いの南郷公園がある。この公園の終わりにある交差点を右折すると亀山城のある大本教本部前の道に出る。大本教本部の案内板が出ているので分かる。


≪ 位置図 ≫

丹波亀山城


南郷公園


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ビジュアル百科 日本の城1000城 1冊でまるわかり!
大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
西東社

園部城

2013-01-24 22:15:02 | 京都府
 園部城

2013/1/13

京都府南丹市のお城めぐり

 大手門・巽櫓が現存する小出氏十二代の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 園部城
よみ: ソノベ
別称: 園部陣屋
所在地: 京都府南丹市園部町小桜町
現状: 園部高校・園部公園
築城年代: 江戸時代
築城者: 小出吉親
形式: 平山城
遺構: 現存大手門、現存巽櫓、石垣
規模: 436m×654m、標高140m
文化財: 府指定文化財
訪城日: 2013/1/13


≪ 訪城記 ≫

名神高速道路京都東ICを降りて国道1号を西進し、堀川五条から国道9号をひたすら西進、老の坂峠を越えたあたりから霧が濃くなり、本日最初の目的地、亀岡市の亀山城に向かっていたが、霧で見渡しが良くないので、急遽次の目的地、南丹市の園部城まで行くことにする。
国道9号を北上し、南丹市へ入る。園部駅前を通り過ぎ、園部本町の信号を過ぎ、約250mの所の2つ目の信号を左折、南丹市役所、市立南丹博物館を過ぎたところが園部公園で無料駐車場がある。ここに駐車する。
お城風の南丹市国際交流会館が良く目立つので目印になる。

園部公園の南隣に園部高校があり、高校正門が現存の大手門で、門の前に園部城址碑と説明板が建っている。大手門の南側には現存の巽櫓まであり、しばらく見とれていました。
ちょうど校門のあたりに部活指導の先生らしき人がおられたので、写真を撮らしてくださいと声をかけると、気軽にどうぞと言ってくださいました。巽櫓を正面方向から撮りたかったので、櫓前にあるテニスコート内にも入らせてもらいました。満足です。

そのあと、国際交流会館を見て、立派ではあるが模擬天守でもないなあと思いながら、もともと園部城って天守閣はなかったよなぁ

公園の裏山、こむぎ山に三層の小麦山櫓というのがあったそうで、山に登りましたが山頂には慰霊碑がたくさんあるのみで、何もありませんでした。


≪ 歴 史 ≫

元和五年 但馬出石城主小出吉親が国替えで園部に移封され、戦国時代に荒木山城守氏綱が拠った薗部城址に築城を開始する。
元和七年十一月 二年の月日を経て城が完成し、入城する。
幕末の動乱期に天皇の隠れ家として迎えるため、城の大改築を行う。


≪ 写 真 ≫


園部公園入口


現存大手門(園部高校正門)


大手門


園部城址碑


現存巽櫓


お城風の国際交流会館


こむぎ山山頂の慰霊碑

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR山陰本線園部駅よりバスで市役所前下車、徒歩5分。
<車>
京都丹波道路園部ICを降りて府道19号を南下、約2.1kmで園部河原町交差点を左折、国道9号を南進、川に架かる橋を渡り、約500m橋の南詰信号の次の信号を右折、南丹市役所、市立南丹博物館を過ぎたところが園部公園で無料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

園部公園・園部高校


こむぎ山


紹介したお城の数 16城



城めぐりがもっと楽しくなる!お城の地図帳 (タツミムック)
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