お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

朝妻城

2013-04-30 20:25:28 | 滋賀県
 朝妻城

2013/4/13

滋賀県米原市のお城めぐり

 神社となっている新庄氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 朝妻城
よみ: アサヅマ
別称:
所在地: 滋賀県米原市朝妻筑摩1486-1
現状: 中嶋神社
築城年代:
築城者: 新庄直昌
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2010/11/23・2013/4/13


≪ 訪城記 ≫

彦根城と佐和山城を訪れた帰り道に湖岸道路沿いの朝妻緑地入口にある、朝妻湊の石碑の上に掛る桜が綺麗だったので、朝妻城を思い出し、途中に寄りました。

佐和山城を出て東海道本線の踏切を渡り、西へすぐの三叉路を左折、約500m南下、船町東交差点信号を右折、県道を北西に彦根城を左側に見ながら進み、松原橋交差点信号を右折、湖岸道路を北上、約6kmの朝妻の信号を右折、約50mで右折、約80mで中嶋神社に着く。神社北側の道路脇に車を路上駐車する。

中嶋神社の北西角に説明板があるのみでなにもない。


≪ 歴 史 ≫

新庄直昌が築城、浅井氏に属する。
子の新庄直頼は、信長に仕え、のちに秀吉の馬廻りとなり、子孫は常陸麻生藩主として存続しました。


≪ 写 真 ≫


中嶋神社北西隅の説明板


中嶋神社


朝妻湊の石碑

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線坂田駅から徒歩約30分。
<車>
名神高速道路彦根ICを降りて国道306号を北西に進み、外町交差点信号を右折、国道8号を北上、古沢町三叉路信号を左折、東海道本線、近江鉄道の上を通って松原橋交差点信号を右折、湖岸道路を北上、約6kmの朝妻の信号を右折、約50mで右折、約80mで中嶋神社に着く。


≪ 位置図 ≫

中嶋神社(朝妻城)


朝妻湊の石碑


紹介したお城の数 57城



城めぐりがもっと楽しくなる!お城の地図帳 (タツミムック)
クリエーター情報なし
辰巳出版

佐和山城

2013-04-22 22:11:54 | 滋賀県
 佐和山城

2013/4/13

滋賀県彦根市のお城めぐり

 「三成に過ぎたるものと謳われた」石田三成の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 佐和山城
よみ: サワヤマ
別称: 佐保城
所在地: 滋賀県彦根市佐和山町・古沢町
現状: 山
築城年代: 建久年間(1190-99)
築城者: 佐保時綱
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・西の丸・太鼓丸・法華丸・石垣・土塁・堀切・井戸跡
規模: 1,100m×600m、標高232.9m、比高145m
文化財:
訪城日: 2010/5/1・2013/4/13


≪ 訪城記 ≫

彦根城から佐和山城へ向かう。

県立彦根総合運動場の駐車場を出て前の道を南東に走る。船町交差点信号を直進し、次の船町東交差点信号を左折、住宅街の細い道を約500m北上すると清凉寺または龍潭寺の案内がある角を右折、東海道本線の踏切を渡ったすぐを左折、清凉寺を過ぎ、次の龍潭寺前に無料駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場には説明板がある。
龍潭寺南側に東山ハイキングコース入口があり、ここが佐和山城への登城口です。入るとすぐに道の左側に石田三成の像があります。
まっすぐ東へ歩いて行くと山門があり、山門をくぐり、さらに進むと大洞観音堂に突き当たる。この観音堂の右脇の墓地の中の道を進む。墓地を過ぎたあたりから山の中へ入り、かなり急な坂道を登ること20分程で龍潭寺越えの切通しの分かれ道に出る。案内板に従い右の尾根を登って行くと塩硝櫓跡に着く。櫓跡の入り口にはおおきな穴が開いている。さらに進むと三段の曲輪になった西の丸に着く。一番上の曲輪には説明板と土塁と堀切がある。ここから東へ降りていくと二の丸、三の丸へ行けるはずですが、途中でがけ崩れがあり道が寸断されていて先に進めないので探訪を断念しました。
さらに10分程登ると本丸跡に着きます。本丸跡には佐和山城址碑と説明板があり、かなり広い削平地となっていて、ここから彦根城が良く見えます。
本丸から東へ降りていくと、本丸北面に隅石垣が2段残っています。反対側の南面には千貫井戸があります。
さらに降りていくと太鼓丸があり、先端に土塁と削平地が見られます。太鼓丸入口には堀切があり、分かれ道をさらに降りると法華丸でここの先端にも土塁と削平地を見られます。

龍潭寺の駐車場へ帰り、ここから船町東交差点信号を左折して、古沢町三叉路信号を左折、国道8号北へ、佐和山トンネルを抜けて「つるやゴルフ」前の交差点を左に入ったすぐの川沿いに大手口跡の説明板があり、川を越えたところに大手土居の跡が残っています。ここが大手の登城道だったようですが、現在は道は残ってません。さらに東海道本線を越えたあたりに内堀跡があり、井戸跡の前に説明板があります。


≪ 歴 史 ≫

建久年間 (1190-99) 佐々木氏の佐保六郎時綱が佐和山の麓に屋敷を構える。
大永年間 (1521-28) 六角佐々木氏の領有となり、小川左右大輔が城主となる。
その後、京極氏の領有となり、台頭した浅井氏が取って代り、浅井氏の部将磯野員昌が城主となる。
元亀二年 (1571) 織田信長と戦い、籠城したが開城している。
本能寺の変で信長が斃れると豊臣秀吉の領有となり、堀秀政、堀尾吉晴を経て、天正十八年(1590)、石田三成が城主となる。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の戦いに敗れた石田方は、佐和山城に三成の父正継、兄正澄が籠城するが、落城する。
その後、徳川四天王の一人、井伊直政が入城したが慶長七年(1602)に死去し、慶長八年(1603)、子の直勝が彦根城を築城した際、佐和山城は破城を受け、石垣や建物が彦根城へ運ばれました。


≪ 写 真 ≫


佐和山城全景


龍潭寺


佐和山城登城口(東山ハイキングコース入口)


登城口にある石田三成像


山門


大洞観音堂


龍潭寺越えの切通しの分かれ道


塩硝櫓跡


西の丸


西の丸の堀切


本丸跡


本丸にある佐和山城址碑


佐和山城本丸から見た彦根城


千貫井戸


隅石垣跡


太鼓丸入口の堀切


太鼓丸


法華丸


法華丸の土塁跡


大手口の大手土居


現地佐和山城遺構概要図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線彦根駅より徒歩約15分。山頂まで30分。
<車>
名神高速道路彦根ICを降りて国道306号を北西に進み、外町交差点信号を右折、国道8号を北上、古沢町三叉路信号を左折、東海道本線、近江鉄道の上を通って船町東交差点信号を右折、住宅街の細い道を約500m北上すると清凉寺または龍潭寺の案内がある角を右折、東海道本線の踏切を渡ったすぐを左折、清凉寺を過ぎ、次の龍潭寺前に無料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

佐和山城


登城口(東山ハイキングコース入口)


大手口の大手土居


紹介したお城の数 56城



近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版

彦根城

2013-04-21 09:31:13 | 滋賀県
 彦根城

2013/4/13

滋賀県彦根市のお城めぐり

 徳川四天王、井伊の赤備えの居城 国宝現存天守 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 彦根城
よみ: ヒコネ
別称: 金亀城
所在地: 滋賀県彦根市金亀町1-1
現状: 金亀公園
築城年代: 慶長八年(1603)
築城者: 井伊直勝
形式: 平山城
遺構: 現存天守・現存太鼓門櫓・現存天秤櫓・現存西の丸三重櫓・現存二の丸佐和口多聞櫓・馬屋・本丸・西の丸・太鼓丸・鐘の丸・二の丸・石垣・堀・井戸
規模: 1,000m×700m、標高136m
文化財: 国指定特別史跡・国宝・重文
訪城日: 2010/6/1・2011/11/16・2013/4/13


≪ 訪城記 ≫

自宅から県道2号(通称湖岸道路)を南下し、松原橋交差点信号を左折、約400m東進したところにある彦根城北側の県立彦根総合運動場の無料駐車場に車を駐車する。

総合運動場から歩道橋を渡り、県道と外堀を越えて金亀公園に入る。野球場とテニスコートの間の散策路を南へ行くと楽々園の石垣と堀が見られる。そのまま内堀まで進み、突き当りを左折すると、黒門がある。そのまま内堀沿いに歩き、楽々園、玄宮園を過ぎ、井伊大老像のある広場を過ぎて堀が右に曲がり、進むと馬屋に出る。
馬屋から南東にある佐和口の虎口を通って「いろは松」のある中堀まで行く。この外堀に咲く桜と外堀石垣がとても綺麗です。
「いろは松」から振り返り佐和口までもう一度戻り、中堀越しに虎口左に現存佐和口多聞櫓、右に復元続櫓(開国記念館)が水面に映って美しい、中堀沿いに右に行くと埋木舎があります。
馬屋から表門橋を渡って入場券売り場で彦根城、玄宮園、彦根城博物館の共通入場券1,000円を購入し、さっそく入口にある博物館を見学してから彦根城へ入る。石段を登っていくと天秤櫓下の大堀切へ出る。時代劇でおなじみの天秤櫓へ入る橋の下をくぐり、すぐに左へ曲がり石段を登ると南側が鐘の丸で北側に天秤櫓があり、橋を渡り天秤櫓の門をくぐり、石段を登っていくと右側に太鼓門櫓があり、左側に時報鐘があります。太鼓門櫓をくぐって左へ曲がりながら石段を登りきったところが本丸で北西隅に現存天守があります。北東隅には着見櫓跡があり、ここから佐和山城跡の佐和山が見えます。
天守内を見学し、出てきたら、なんと天守前で人だかり、「ひこにゃん」がいて驚くことに今日は「ひこにゃん」の7歳の誕生日だということでお祝いのケーキをもらっていました。
天守の西側が西の丸で奥に西の丸三重櫓があります。三重櫓と出丸の間には石垣の大堀切があり、大きさにビックリです。
さらに西へ降りて行くと先端が山崎郭です。ここから引き返し、黒門を通って玄宮園へ、玄宮園から見上げる天守はとても綺麗です。
内堀沿いに二の丸方面へ、大手門を通り過ぎ、鉢巻石垣、腰巻石垣を堪能して、中堀沿いに歩き、石垣沿いに咲く桜の隙間から覗く天守がとても印象的で綺麗です。


彦根城のホームページは ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

慶長八年 (1603) 金亀山に元和八年(1622)までの約20年かけて築城された。天守閣は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築されたといわれている。
明治に入り、多くの建物が撤去される。
明治十一年 (1878) 明治天皇の巡幸の際に天守の保存が決定される。
明治二十七年 (1894) 井伊家に下賜される。
昭和十九年 (1944) 井伊家から彦根市に寄付される。
昭和三十一年 (1956) 国指定特別史跡となる。


≪ 写 真 ≫


彦根城遠景


内堀の石垣


井伊大老像


内堀


外堀


「いろは松」付近の桜と石垣


佐和口多聞櫓


佐和口続櫓(開国記念館)


埋木舎


佐和口付近


馬屋


彦根城博物館


天秤櫓の橋と堀切


鐘の丸


天秤櫓


着見櫓高石垣


時報鐘


太鼓門櫓


現存天守


入城口方向から見る現存天守


ひこにゃん


西の丸三重櫓


西の丸


西の丸と出丸の間の大堀切


山崎郭


玄宮園から見る天守


鉢巻石垣と腰巻石垣


大手橋


彦根城西方から見る西の丸三重櫓


桜の間から見る現存天守

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線彦根駅から徒歩約10分。
<車>
名神高速道路彦根ICで降りて国道306号を北西に進み、外町交差点信号を直進、JR東海道本線高架を越えて彦根市街に入り、まっすぐ進むと彦根城の中堀が見えてくる。京橋交差点信号を右折、中堀に架かる橋を通り城内へ、内堀前の道を左折して大手橋付近に有料駐車場がある。「いろは松」付近にも有料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

彦根城


「いろは松」のある佐和口付近


玄宮園


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日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ)
福代徹,日本城郭協会
学習研究社




近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版

三木城

2013-04-15 22:41:44 | 兵庫県
 三木城

2013/3/30

兵庫県三木市のお城めぐり

 「三木の干殺し」で有名な三木合戦の舞台となったお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 三木城
よみ: ミキ
別称: 釜山城・別所城
所在地: 兵庫県三木市上ノ丸町5-45
現状: 三木城跡上ノ丸公園・稲荷神社・保育所・金物資料館・市立図書館
築城年代: 十五世紀後半
築城者: 別所則治
形式: 丘城
遺構: 天守跡・本丸跡・二の丸跡・かんかん井戸
規模: 600m×500m
文化財:
訪城日: 2013/3/30


≪ 訪城記 ≫

明石城から三木城へ向かう。

図書館前の有料駐車場を出て東へ約300m、信号交差点を左折、錦城中学校前を通り過ぎ、白水東交差点信号を左折、県道21号を西へ進み、森友交差点信号を右折、国道175号を北上、福井ランプ交差点信号を左折、鶯谷三叉路信号を斜めに左折、県道20号を道なりに北上し、本町交番前信号を道なりに右へ曲がりながら直進、神戸電鉄粟生線を越えたところを大きく右へ曲がり、次の信号から約100m地点で細い路地に右折、神戸電鉄の下をくぐって細い道をくねりながら登っていくと上ノ丸公園と保育所へ入って行く坂道があり、坂道を登りきった所の保育所前の空き地に駐車できる。ここに車を駐車させてもらう。

車を降りた目の前に別所長治公の騎馬像があり、その右側にこんもりと一段高い場所があり、ここが天守跡で階段を登った上には辞世の歌碑が建てられている。
天守跡の北側には三木合戦図や説明板が建てられていて、北西角には「かんかん井戸」が残っている。西側は断崖で北側と西側には土塀が復元されている。
城域としては、天守跡や保育所、稲荷神社、金物神社付近が本丸跡で、道を隔てた南側の図書館付近が二の丸跡です。
この地で約二年におよぶ悲惨な籠城戦で有名な「三木の干殺し」があったとは思えないほど静かな場所です。

本丸跡から南へ約250m行ったところに別所長治公の首塚がある雲龍寺があります。


≪ 歴 史 ≫

明応年間 (1492-1501) 東播磨守護代別所則治によって築かれる。
天文七年 (1538) 同八年の二度にわたり尼子晴久の攻撃を受ける。
天文二十三年 (1554) 三好長逸に攻められ、和睦して三好氏の麾下となる。
永禄十一年頃 三好三人衆をみかぎり、織田信長と結ぶ。
天正六年 (1578) 織田信長を裏切り毛利氏と手を組んだため、羽柴秀吉に三木城を包囲され支城を次々と落され、一年十か月の悲惨な籠城戦「三木の干殺し」によって、天正八年(1580)一月十七日、別所長治一族が自害して開城した。
天正十三年 (1585) 中川秀政が入城するも文禄元年(1592)の朝鮮の役で事故死すると、弟の秀成が跡を継ぐ、三年に移封となり、以後豊臣氏の直轄地となり代官が置かれる。
慶長五年 (1600) 池田輝政が姫路城に入り、三木城はその支城となる。
元和元年 (1615) 江戸幕府の一国一城令によって廃城となり、古材を明石城の築城に使われたといわれている。


≪ 写 真 ≫


別所長治公騎馬像


天守跡


別所長治辞世の句碑


かんかん井戸


本丸跡


二の丸跡


雲龍寺


別所長治公首塚


現地三木城址案内図(リンク付サムネイル)


現地三木城想像図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
神戸電鉄粟生線三木上ノ丸駅より徒歩約3分。
<車>
山陽道三木東ICを降りて三木東インター入口を左折、県道85号を南下、奥田橋東詰交差点信号を右折、県道38号を西進し、本町1丁目の信号を直進、約100m地点で細い路地に左折、神戸電鉄の下をくぐって細い道をくねりながら登っていくと上ノ丸公園と保育所へ入って行く坂道があり、坂道を登りきった所の保育所前の空き地に駐車できる。図書館前にも駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

三木城(上ノ丸公園)


市立図書館


雲龍寺


紹介したお城の数 54城



日本の城 完全名鑑 増補改訂版 (廣済堂ベストムック)
クリエーター情報なし
廣済堂出版

明石城

2013-04-14 21:40:31 | 兵庫県
 明石城

2013/3/30

兵庫県明石市のお城めぐり

 西国大名への備えとして小笠原忠真が築いたお城 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 明石城
よみ: アカシ
別称: 喜春城・錦江城
所在地: 兵庫県明石市明石公園1-27
現状: 県立明石公園
築城年代: 元和四年(1618)
築城者: 小笠原忠真(忠政)
形式: 平山城
遺構: 現存巽櫓・現存坤櫓・天守台・本丸・二の丸・東の丸・稲荷郭・艮櫓跡・石垣・中堀・薬研堀・桜堀・箱堀・土塁・大手門桝形
規模:
文化財: 現存巽櫓・坤櫓は国指定重要文化財
訪城日: 2012/9/16・2013/3/30


≪ 訪城記 ≫

山陽道三木東ICを降りて三木東インター入口交差点信号を左折、県道85号を南進、西盛口交差点信号を直進、県道83号を南進、高和橋交差点信号を右折、明石川を越えたところの信号を左折、明石川沿いに南下、西戸口三叉路信号を左折、国道175号を南下、第二神明道路玉津ICを越えて、森友交差点信号を左折、県道21号を東進、明石川を越えて、山陽新幹線、伊川を通り過ぎ、次の白水東交差点信号を右折、カーブしながら南下、錦城中学校前を通り過ぎ、次の交差点信号を右折、住宅街を西に約300mで明石公園内にある県立図書館の有料駐車場に着く。この駐車場に車を駐車する。

駐車場から徒歩で図書館西側の道を南へ迂回すると、球技場との境付近の脇道南に石垣跡が木々の中に見えるところがあり、石垣見たさに入って行くと門の石垣のようで道の両側に石垣が残っている。そのまま谷を下へ降りていくと桜堀に出て、本丸や二の丸の高石垣がそびえている。このまま中堀沿いに二の丸高石垣の下を東へ行くと薬研堀から東の丸へ入る桝形石垣を通って東に丸に入る。
東の丸、二の丸を通って本丸へ入る土橋を渡ると左隅に現存巽櫓、本丸中央のこんもり土を盛った所が人丸塚で、その西側、西南隅に現存坤櫓がある。3月は坤櫓の公開中で中を見学できた。ほかに5・9・11月も公開されている。4・10月は巽櫓が公開されているようです。
坤櫓の北側に天守台があり、ここに天守は建てられなかったようです。
さらに本丸北東隅には艮櫓跡があります。
もう一度、東の丸まで帰り、薬研堀の石垣を見て、南面高石垣下の広場へ降り、大手桝形から出て外堀沿いを歩きました。
大手を出たところがJR明石駅です。


明石城(明石公園)の詳細は ……… こちらをクリック

≪ 歴 史 ≫

元和三年七月 (1617) 小笠原忠真が明石十万石を賜り、二代将軍徳川秀忠の命により、翌四年から築城を開始する。資材には廃城となった三木城、高砂城、船上城、枝吉城の解体資材が利用される。
寛永八年正月 (1631) 本丸御殿を失火により焼失。
寛永九年十月 (1632) 小笠原忠真が北九州の豊前小倉に移封となり、姫路の本多忠政の子忠義と孫政勝が一か月交替で在番をする。
寛永十年四月 (1633) 信濃松本から松平康直が入部する。
寛永十六年 (1639) 美濃加納から大久保忠職が入部する。
慶安二年 (1649) 丹波篠山から松平忠国が入部する。
延宝七年 (1679) 本多政利が入部する。
天和二年三月 (1682) 越前大野から松平直明が入部して明治維新を迎える。
明治四年 (1929) 廃城となる。


≪ 写 真 ≫


本丸北側の高石垣


二の丸北側の高石垣


東の丸へ入る桝形虎口


東の丸の土塁


東の丸


現存巽櫓


天守台


現存坤櫓


艮櫓跡


本丸


二の丸から本丸への橋


二の丸


薬研堀


二の丸南側の高石垣


天守台の石垣


南側公園広場から見た坤櫓


南側公園広場から見た巽櫓


南側公園広場から見た現存坤櫓・巽櫓


現地明石公園案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR山陽本線明石駅、山陽電鉄本線山陽明石駅から徒歩約5分。
<車>
第二神明道路大蔵谷ICを降りて県道21号を西進して、白水東交差点信号を左折、カーブしながら南下、錦城中学校前を通り過ぎ、次の交差点信号を右折、住宅街を西に約300mで明石公園内にある県立図書館の有料駐車場に着く。


≪ 位置図 ≫

県立図書館


明石城


紹介したお城の数 53城



日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ)
福代徹,日本城郭協会
学習研究社