お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

根来寺

2013-02-10 11:17:53 | 和歌山県
 根来寺

2012/12/2  和歌山遠征(1泊2日)

和歌山県岩出市のお城めぐり

 強大な鉄砲集団根来衆の本拠地

≪ お城の概要 ≫

城名: 根来寺
よみ: ネゴロデラ
別称:
所在地: 和歌山県岩出市根来2286
現状: 寺院
築城年代: 大治元年(1126)
築城者: 覚鑁上人
形式: 平城・寺院城郭
遺構: 根本大塔・大門・庭園
規模: 2,000m2
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2012/12/2


≪ 訪城記 ≫

和歌山遠征(1泊2日)  2日目

山口御殿から岩出市の鉄砲を取り入れた僧兵集団の根拠地根来寺へ

山口小学校から来た道を戻り、国道24号和歌山バイパスへ出て東進し、備前交差点で左折、県道63号を北上、川尻の三叉路で斜め右に進み、岩手図書館前の交差点を右折すると大門池が見えてきて、左へカーブすると大門です。道なりに進んで次の交差点を右折すると岩出市民俗資料館前の無料駐車場に着く。

最初に岩出市民俗資料館を見学しました。この資料館は無料で鉄砲伝来と鉄砲集団の根来衆関連の資料が展示されていました。
次に根本大塔を見学するため根来寺内へ、根本大塔には秀吉の根来寺焼き討ちの時の鉄砲の弾痕が残されているそうです。
拝観料は500円で内部の庭園も見られます。
根来寺の内部も拝観しました。
外へ出ると雨が降ってきて、急いで駐車場に行き、最後に大門を見るため、車で移動しました。
大門のあるカーブに駐車場があるので、そこに駐車して立派ね大門を見学して帰りの途に就きました。


根来寺ホームページ ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

大治元年 (1126) 真言宗中興の祖覚鑁上人が石手荘を寄進され、鳥羽上皇の保護を受け、保延六年(1140)大伝法堂を移したことから始まる。
室町時代に僧兵を数万かかえ大きな勢力となる。その後、種子島鉄砲をいち早く取り入れ、強大な鉄砲集団となり、寺は城郭を形成するようになる。
天正十三年 (1585) 秀吉の紀州征伐で焼き討ちにあい、根来衆は崩壊する。


≪ 写 真 ≫


岩出市民俗資料館


根本大塔


庭園


大門

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR和泉砂川駅または南海樽井駅からバスで根来寺下車すぐ
<車>
阪和道和歌山ICを降りて国道24号和歌山バイパスへ出て東進し、備前交差点で左折、県道63号を北上、川尻の三叉路で斜め右に進み、岩手図書館前の交差点を右折すると大門池が見えてきて、左へカーブすると大門です。道なりに進んで次の交差点を右折すると岩出市民俗資料館前の無料駐車場に着く。


≪ 位置図 ≫

岩出市民俗資料館


根来寺


大門


紹介したお城の数 27城



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山口御殿

2013-02-09 20:03:36 | 和歌山県
 山口御殿

2012/12/2  和歌山遠征(1泊2日)

和歌山県和歌山市のお城めぐり

 小学校に残る紀州徳川家の御殿跡

≪ お城の概要 ≫

城名: 山口御殿
よみ: ヤマグチ
別称: 易井屋敷
所在地: 和歌山県和歌山市里146-2
現状: 山口小学校
築城年代:
築城者: 易井喜内
形式: 館
遺構: 石橋
規模:
文化財:
訪城日: 2012/12/2


≪ 訪城記 ≫

和歌山遠征(1泊2日)  2日目

湯浅城からもう一度和歌山市内の山口御殿へ

湯浅城から国道42号へ出て和歌山市内へ、和歌山城前の県庁前交差点を右折、県道138号三年坂通りを和歌山IC方面へ向かい、道なりに国道24号和歌山バイパスを走り、和歌山ICを通り過ぎ、紀の川を渡り右に大きくカーブして、山口交差点で斜め左の細い道に入る。約300m進んだT字路を右折、約60mで左折、約100m行った次の交差点を左折、約100mで山口小学校に着く。この付近の道は狭いので通行に注意が必要。

校門前に車を駐車して、山口御殿を見学させてもらおうと校門にあるインターホンを鳴らしましたが、ちょうど訪れた日が日曜日で返事がありませんでした。しかたなく申し訳ないのですが、校門を乗り越えて中に入らせてもらいました。
校門の左に小さな庭園があり、そこに山口御殿趾の碑と石橋がありました。
石橋の説明板には、山口小学校が江戸時代の紀州御殿の趾で、石橋は、昔校門の前に架かっていたと書かれていました。


≪ 歴 史 ≫

浅野氏の家臣易井喜内の屋敷があり、のちの紀州徳川家の御殿が建てられたそうです。

≪ 写 真 ≫


山口小学校にある山口御殿趾碑と石橋

≪ アクセス ≫

<車>
阪和道和歌山ICを降りて国道24号和歌山バイパスを北上し、紀の川を渡り右に大きくカーブして、山口交差点で斜め左の細い道に入る。約300m進んだT字路を右折、約60mで左折、約100m行った次の交差点を左折、約100mで山口小学校に着く。この付近の道は狭いので通行に注意が必要。


≪ 位置図 ≫

山口御殿(山口小学校)


紹介したお城の数 26城



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湯浅城

2013-02-08 22:19:22 | 和歌山県
 湯浅城

2012/12/2  和歌山遠征(1泊2日)

和歌山県湯浅町のお城めぐり

 お城風の国民宿舎「湯浅城」の隣にある湯浅党の本城

≪ お城の概要 ≫

城名: 湯浅城
よみ: ユアサ
別称:
所在地: 和歌山県有田郡湯浅町青木
現状: 山
築城年代: 康治二年(1143)
築城者: 湯浅宗重
形式: 丘城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪・土塁・堀切・竪堀・石垣
規模: 150m×100m
文化財:
訪城日: 2012/12/2


≪ 訪城記 ≫

和歌山遠征(1泊2日)  2日目

雑賀城から湯浅城へ向かう。
国道42号熊野街道をひたすら南下、海南市、有田市で有田大橋を渡り、宮崎交差点を左折して、熊野街道を有田川に沿って東へ、国道42号熊野街道の道なりに湯浅町へ入る。湯浅交差点を左折、紀勢本線の踏切を渡り、500m程行くと川があるので、この川に架かる橋を渡って突き当りの三叉路を右へ曲がり、小さな山すそを左へぐるっと回ると大地の上にお城風の国民宿舎「湯浅城」が見えてくる。このまま大地を上がり国民宿舎「湯浅城」の駐車場に駐車する。

国民宿舎「湯浅城」のロビーで中を見せてほしいと頼むと、快く中を見せてもらえる。奥のエレベーターで5階の展望台で、4階に湯浅城の模型や説明が展示してある。

実際の湯浅城は、この国民宿舎「湯浅城」の南にある小高い山が城跡で、天守閣はありませんでした。
湯浅城への登城口を探して、ミカン畑をあがってみたりしましたが見つからず、登ってきた坂を徒歩で下っていて、川まで来たら小高い山の南側に行けそうだったのでミカン畑と川の間の道を川沿いに下って行ったら、ミカン畑が終わり山になったあたりでお手製で「紀州最古の城跡」と書かれた看板を発見、山へ入る道があるではないか。
ここが湯浅城への入口とよろこんで山道を登っていくと、ちょうど地元の方たちが保全作業をされている所で、二の郭で冠木門を作成中の様子でした。気軽に主郭へ登る場所を教えていただき感謝です。
城の案内に戻ります。
登城口にはお手製の縄張図などが設置されていて、階段登り口に湯浅城址の石碑があります。登っていくとすぐに櫓台跡や横矢がかりの削平地、二の郭入り口に虎口、南側に湯浅九郎、楠木正親、楠木正友の墓がある出郭があります。
二の郭には湯浅城址碑があり、主郭切岸の東側に主郭へ登る階段を教えてもらいました。
主郭には築城者の「湯浅宗重」と書かれた木柱があり、小ぶりな台状とです。奥に搦手虎口があり、降りていくと土橋や竪堀、堀切が見られます。
二の郭に戻って、主郭登り口を奥へ行くと、右側の竹林の中に薬研堀の堀切があり、北側には土塁と土橋を見られます。
帰り道によく見ると、木々の間に石垣が見え隠れしていて、これからの整備によって良く見られるようになるのが楽しみなお城です。


≪ 歴 史 ≫

康治二年 (1143) 湯浅党の祖、湯浅宗重がこれまでの本城である広保山城を廃して、青木山に湯浅城を築く。
平治元年 (1159) 平清盛が熊野詣りの隙に源義朝が挙兵した折に、湯浅宗重三十騎で清盛に味方して以降、平家の家人となる。
平家滅亡後、鎌倉方の御家人となり、湯浅荘の地頭に任ぜられる。
康暦元年(天授五年) (1379) 南北朝時代に南朝方に味方して、三月に北朝方の山名軍に城を攻略される。
その後、楠木の残党が後村上天皇の孫義有王と共に入城する。
文安四年 (1447) 守護の畠山氏の軍勢が攻め寄せ、攻防を繰り返したが、二月に落城し、義有王は城内で自害したといわれる。


≪ 写 真 ≫


国民宿舎「湯浅城」


国民宿舎「湯浅城」から見た湯浅城全景


登城口の案内板


登城口


登ってすぐの櫓台跡


二の郭手前の湯浅九郎・楠木正親・楠木正親の墓


二の郭虎口の冠木門(製作中)


二の郭


二の郭にある湯浅城址碑


主郭


搦手側土橋


搦手側堀切


二の郭奥の土塁


二の郭奥の土橋


二の郭奥の薬研堀


主郭西側の曲輪にある櫓台跡


登城道から見られる石垣跡


現地お手製縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR紀勢本線湯浅駅から車で5分。
<車>
湯浅御坊道路湯浅ICを降りて取り付け道路を左折、約200mの川沿いの三叉路を斜め左に進み、約200m行った三叉路を今度は真っ直ぐに進み、約700m進んだ青木集落を抜けた十字路を右折、青木団地を抜けたところで川を渡り、川沿いに200m程で湯浅城の登城口に着く。駐車場が無いので国民宿舎「湯浅城」の駐車場を利用するといいでしょう。


≪ 位置図 ≫

国民宿舎「湯浅城」


登城口


湯浅城


紹介したお城の数 25城



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雑賀城

2013-02-06 21:34:33 | 和歌山県
 雑賀城

2012/12/2  和歌山遠征(1泊2日)

和歌山県和歌山市のお城めぐり

 雑賀合戦で雑賀孫市の父鈴木佐太夫が築いたお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 雑賀城
よみ: サイカ
別称: 妙見山城
所在地: 和歌山県和歌山市和歌浦中
現状: 城跡山公園・妙見堂
築城年代: 戦国時代
築城者: 鈴木佐太夫
形式: 丘城
遺構:
規模: 90m×50m
文化財:
訪城日: 2012/12/2


≪ 訪城記 ≫

和歌山遠征(1泊2日)  2日目

弥勒寺山城から車を駐車したスーパーマーケットゴトウまで帰り、そこから徒歩で国道42号を400m程南へ行くと右手に養珠寺があり、その南側に津屋公園がある。

この公園の大きなアスレチックの東側に津屋公園と城跡山公園の説明板があり、妙見堂から北に続く千畳敷が雑賀城跡と記されている。

津屋公園の奥、弁財天堂と池の間に山に登る道があり、登るとすぐに尾根に出て分かれ道がある。この道を左に行くと尾根の先端にある妙見寺で、右に行くと千畳敷です。鉄塔のある付近が城跡の千畳敷と思われますが、遺構は何もありません。
尾根道に石垣に見せたコンクリート壁があるので石垣と勘違いしてしまいそうです。注意


≪ 歴 史 ≫

雑賀孫市の父、鈴木佐太夫が雑賀城を築く。
天正五年二月 (1577) 雑賀孫市とともに織田信長の大軍を相手に奇襲戦法で一度は勝利したものの、鈴木佐太夫は計略で切腹し、雑賀城は落城する。


≪ 写 真 ≫


津屋公園


妙見堂


妙見堂の北の千畳敷


現地説明板(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
南海電鉄本線和歌山駅より和歌山バス和歌浦口下車徒歩約5分。
<車>
阪和道和歌山ICを降りて和歌山バイパスから県道138号三年坂通りを西進して和歌山城を通り過ぎて県庁前交差点を左折、国道42号を南下、和歌浦口の三叉路を左へ国道42号を400m程行った養珠寺の南側の津屋公園奥の山。


≪ 位置図 ≫

妙見堂


弁財天堂と池の間の登城口


千畳敷(雑賀城)


紹介したお城の数 24城



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弥勒寺山城

2013-02-05 20:13:57 | 和歌山県
 弥勒寺山城

2012/12/2  和歌山遠征(1泊2日)

和歌山県和歌山市のお城めぐり

 雑賀孫市が織田信長との戦いに本陣としたお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 弥勒寺山城
よみ: ミロクジサン
別称:
所在地: 和歌山県和歌山市秋葉町
現状: 秋葉山公園
築城年代: 天正五年(1577)
築城者: 雑賀孫市
形式: 丘城
遺構:
規模: 30m×50m、標高67m
文化財:
訪城日: 2012/12/2


≪ 訪城記 ≫

和歌山遠征(1泊2日)  2日目

和歌山城近くのホテルから出発し、国道42号中央通りを南下、高松の信号で4車線が2車線道路になってそのまま信号を2つ越えて左手に山が見えたら、その山が弥勒寺山で秋葉山公園となっています。この公園にある秋葉山公園県民水泳場の駐車場に駐車する計画でしたが、あいにく水泳場の改修工事中で駐車場がなかったので、400m程南に行った和歌浦口三叉路の三角地にあるスーパーマーケットゴトウの駐車場に駐車させてもらいました。

ここから歩いて中央通りの歩道を北へ400m程行くと歩道橋ある右側の山が弥勒寺山でパン屋さんの角を右に曲がり山裾まで行くと鉄製の階段があるので登ります。階段を登りきると遊歩道に出ます。
遊歩道を山頂目指して5分ほど進むと開かれた広場に出ます。この広場の西側一段高いところの奥に展望台があり、和歌山城も遠目に見えます。広場の東側には少し盛り上がったアスレチックの置いてある場所があり、ここが本丸のようですが、前に建てられた天正五年に合戦があったことが書かれた説明板のほかは何も遺構はありません。


≪ 歴 史 ≫

天正五年 (1577) 石山本願寺に味方した雑賀孫市が信長との合戦に弥勒寺山を本陣として、まわりに多くの城砦を築いた。
三月初めには織田信長の紀州攻めが始まり、弥勒寺山城を中心に攻防を繰り返したが、三月中旬には雑賀孫市が信長の軍門にくだる。


≪ 写 真 ≫


展望台のある広場


本丸跡と思われる盛り上がった場所


東側の梅林

≪ アクセス ≫

<車>
阪和道和歌山ICを降りて和歌山バイパスから県道138号三年坂通りを西進して和歌山城を通り過ぎて県庁前交差点を左折、国道42号を南下、水軒口信号を過ぎて歩道橋のあるあたりの東側の山が弥勒寺山城のある稲葉山公園で麓の水泳場前に駐車場があります。


≪ 位置図 ≫

弥勒寺山城(稲葉山公園)


紹介したお城の数 23城



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