苗木城
2013/11/24
岐阜県中津川市のお城めぐり
巨岩の上に天守があった苗木遠山氏の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 苗木城
よみ: ナエギ
別称: 赤壁城・高森城
所在地: 岐阜県中津川市苗木
現状: 山
築城年代: 天文年間(1532-1555)
築城者: 遠山直廉
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪・居館跡・大矢倉跡・風吹門跡・北門跡・駈門跡・大門跡・綿蔵門跡・坂下門跡・菱櫓門跡・本丸口門跡・不明門跡・御朱印蔵跡・武器蔵跡・具足蔵跡・笠置矢倉跡・龍王院門跡・足軽長屋跡・井戸・石垣・馬洗岩
規模: 130m×315m、標高423m、比高126m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2011/9/6・2013/11/24
≪ 訪城記 ≫
飯羽間城から苗木城へ向かう。
県道406号を東進、中切三叉路信号を左折、国道257号を北進して小沢山トンネル、阿木川湖、花無山トンネル、ヘアピンカーブを抜けて、正家交差点信号を右折、国道19号中山道を東進、中央道の高架下を通り、中央道沿いに進み、中津川IC入口を過ぎた次の二俣に分かれた三叉路を左側に進み、国道257号をJR中央本線沿いに北上、青木三叉路信号を左折、JR中央線の高架を通り木曽川に架かる城山大橋を渡ったすぐの苗木城跡の案内板のある交差点を右折、青邨記念館前を左に曲がり登っていくと苗木遠山史料館があり、史料館の駐車場に車を駐車する。
史料館の裏にある道を東へ登ってすぐに石垣のある登城口に着く。左側に駐車場もある。
登城口を入ってすぐの右側に足軽屋敷跡と龍王院跡がある。
しばらく登ると二俣の道にでる。右側に行くと二の丸下の曲輪に出る。発掘中の石垣や居館跡の礎石が見られ、見上げると巨岩の石垣に目を奪われてしまう。さらに奥には不明門跡がある。
道を引き返し、二俣の右側を登ると風吹門跡にでる。風吹門の左側には大きな石の上に石垣を配置した大矢倉があり、北側には北門跡と馬用の飲み水池がある。
広い三の丸を南へ進むと大門跡、二の丸へ入り巨岩の石垣沿いにつづれ折れの道を綿蔵門跡、坂下門跡、菱櫓門跡と上がっていくと本丸下に帯曲輪の的場、千石井戸、菱櫓の石垣、本丸口門を抜けたところに武器蔵と具足蔵跡があり、奥に笠置矢倉跡、この上が天守跡で巨岩の上に天守があったそうです。現在は巨岩の上に展望台が設置されていて、木曽川の絶景が見渡せます。北を見下ろすとマチュピチュ遺跡風に見える大矢倉石垣がすばらしい。本丸南側の下には巨岩の馬洗岩が今にも落ちてしまいそうな体制で鎮座しています。
下山して苗木遠山史料館を見学、入場料310円、中には風吹門が飾られている。
苗木城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
諸説あるが恵那郡内を領有していた小笠原氏が内紛で衰退して勢力が弱まった天文年間に岩村城城主遠山景友の次子一雲入道が直廉と称して苗木城を築く。
元亀元年 (1570) 遠山直廉が没し、代わって飯羽間城主遠山友勝・友忠が苗木城を継ぐ。
元亀三年 (1572) 武田信玄の将高遠城主秋山信友が美濃に侵入して、飯羽間・岩村の両城が落城したが苗木城は信長方で戦う。
天正十一年 (1583) 兼山城主森長可と争い遠山友忠・友政父子は徳川家康を頼り苗木城を出奔、苗木城は長可の弟忠政が城主となり、続いて川尻直次が城主となる。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の役で遠山友政が苗木・岩村城を攻略を家康から命じられ、苗木城を奪還、以後、明治維新まで苗木遠山氏が居城とする。
≪ 写 真 ≫
苗木遠山史料館
苗木遠山史料館裏の登城道
登城口
足軽長屋と龍王院跡
二の丸下の石垣
発掘中の石垣
不明門跡
居館跡の礎石
風吹門跡
北門跡
馬用の飲み水池
大矢倉跡
駈門跡
大門跡
御朱印蔵跡
綿蔵門跡
坂下門跡
菱櫓門跡
的場(帯曲輪)
菱櫓石垣と千石井戸
本丸口門跡
武器蔵・具足蔵跡
笠置矢倉跡
マチュピチュ遺跡風に見える大矢倉
巨石上の天守展望台
木曽川の絶景
展望台
馬洗岩
天守南面石垣
現地案内板(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR中央本線中津川駅から北恵那バスで付知・加子母方面行約15分、苗木バス停下車、徒歩約35分で苗木遠山史料館
<車>
中央道中津川ICを降りて国道19号を東進、次の二俣に分かれた三叉路を左側に進み、国道257号をJR中央本線沿いに北上、青木三叉路信号を左折、JR中央線の高架を通り木曽川に架かる城山大橋を渡ったすぐの苗木城跡の案内板のある交差点を右折、青邨記念館前を左に曲がり登っていくと苗木遠山史料館に着く。史料館の駐車場を利用すると良い。
史料館から徒歩約20分で大矢倉跡。
≪ 位置図 ≫
苗木城
苗木遠山史料館
紹介したお城の数 160城
2013/11/24
岐阜県中津川市のお城めぐり
巨岩の上に天守があった苗木遠山氏の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 苗木城
よみ: ナエギ
別称: 赤壁城・高森城
所在地: 岐阜県中津川市苗木
現状: 山
築城年代: 天文年間(1532-1555)
築城者: 遠山直廉
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪・居館跡・大矢倉跡・風吹門跡・北門跡・駈門跡・大門跡・綿蔵門跡・坂下門跡・菱櫓門跡・本丸口門跡・不明門跡・御朱印蔵跡・武器蔵跡・具足蔵跡・笠置矢倉跡・龍王院門跡・足軽長屋跡・井戸・石垣・馬洗岩
規模: 130m×315m、標高423m、比高126m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2011/9/6・2013/11/24
≪ 訪城記 ≫
飯羽間城から苗木城へ向かう。
県道406号を東進、中切三叉路信号を左折、国道257号を北進して小沢山トンネル、阿木川湖、花無山トンネル、ヘアピンカーブを抜けて、正家交差点信号を右折、国道19号中山道を東進、中央道の高架下を通り、中央道沿いに進み、中津川IC入口を過ぎた次の二俣に分かれた三叉路を左側に進み、国道257号をJR中央本線沿いに北上、青木三叉路信号を左折、JR中央線の高架を通り木曽川に架かる城山大橋を渡ったすぐの苗木城跡の案内板のある交差点を右折、青邨記念館前を左に曲がり登っていくと苗木遠山史料館があり、史料館の駐車場に車を駐車する。
史料館の裏にある道を東へ登ってすぐに石垣のある登城口に着く。左側に駐車場もある。
登城口を入ってすぐの右側に足軽屋敷跡と龍王院跡がある。
しばらく登ると二俣の道にでる。右側に行くと二の丸下の曲輪に出る。発掘中の石垣や居館跡の礎石が見られ、見上げると巨岩の石垣に目を奪われてしまう。さらに奥には不明門跡がある。
道を引き返し、二俣の右側を登ると風吹門跡にでる。風吹門の左側には大きな石の上に石垣を配置した大矢倉があり、北側には北門跡と馬用の飲み水池がある。
広い三の丸を南へ進むと大門跡、二の丸へ入り巨岩の石垣沿いにつづれ折れの道を綿蔵門跡、坂下門跡、菱櫓門跡と上がっていくと本丸下に帯曲輪の的場、千石井戸、菱櫓の石垣、本丸口門を抜けたところに武器蔵と具足蔵跡があり、奥に笠置矢倉跡、この上が天守跡で巨岩の上に天守があったそうです。現在は巨岩の上に展望台が設置されていて、木曽川の絶景が見渡せます。北を見下ろすとマチュピチュ遺跡風に見える大矢倉石垣がすばらしい。本丸南側の下には巨岩の馬洗岩が今にも落ちてしまいそうな体制で鎮座しています。
下山して苗木遠山史料館を見学、入場料310円、中には風吹門が飾られている。
苗木城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
諸説あるが恵那郡内を領有していた小笠原氏が内紛で衰退して勢力が弱まった天文年間に岩村城城主遠山景友の次子一雲入道が直廉と称して苗木城を築く。
元亀元年 (1570) 遠山直廉が没し、代わって飯羽間城主遠山友勝・友忠が苗木城を継ぐ。
元亀三年 (1572) 武田信玄の将高遠城主秋山信友が美濃に侵入して、飯羽間・岩村の両城が落城したが苗木城は信長方で戦う。
天正十一年 (1583) 兼山城主森長可と争い遠山友忠・友政父子は徳川家康を頼り苗木城を出奔、苗木城は長可の弟忠政が城主となり、続いて川尻直次が城主となる。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の役で遠山友政が苗木・岩村城を攻略を家康から命じられ、苗木城を奪還、以後、明治維新まで苗木遠山氏が居城とする。
≪ 写 真 ≫
苗木遠山史料館
苗木遠山史料館裏の登城道
登城口
足軽長屋と龍王院跡
二の丸下の石垣
発掘中の石垣
不明門跡
居館跡の礎石
風吹門跡
北門跡
馬用の飲み水池
大矢倉跡
駈門跡
大門跡
御朱印蔵跡
綿蔵門跡
坂下門跡
菱櫓門跡
的場(帯曲輪)
菱櫓石垣と千石井戸
本丸口門跡
武器蔵・具足蔵跡
笠置矢倉跡
マチュピチュ遺跡風に見える大矢倉
巨石上の天守展望台
木曽川の絶景
展望台
馬洗岩
天守南面石垣
現地案内板(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR中央本線中津川駅から北恵那バスで付知・加子母方面行約15分、苗木バス停下車、徒歩約35分で苗木遠山史料館
<車>
中央道中津川ICを降りて国道19号を東進、次の二俣に分かれた三叉路を左側に進み、国道257号をJR中央本線沿いに北上、青木三叉路信号を左折、JR中央線の高架を通り木曽川に架かる城山大橋を渡ったすぐの苗木城跡の案内板のある交差点を右折、青邨記念館前を左に曲がり登っていくと苗木遠山史料館に着く。史料館の駐車場を利用すると良い。
史料館から徒歩約20分で大矢倉跡。
≪ 位置図 ≫
苗木城
苗木遠山史料館
紹介したお城の数 160城
岐阜の山城ベスト50を歩く | |
クリエーター情報なし | |
サンライズ出版 |