音羽城
2013/10/6
滋賀県日野町のお城めぐり
蒲生氏最初の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 音羽城
よみ: オトワ
別称: 日野城・智甘城
所在地: 滋賀県蒲生郡日野町音羽
現状: 公園
築城年代: 応仁・文明年間(1467-87)
築城者: 蒲生貞秀
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・南丸・出曲輪・空堀・井戸跡・抜穴跡・土塁跡
規模: 300m×400m、標高285m、比高40m
文化財:
訪城日: 2010/8/1・2013/10/6
≪ 訪城記 ≫
中野城から音羽城へ向かう。
日野川ダム駐車場を出て北へ向かい、中野城案内板のある三叉路を右折、日野住宅街を東進、途中に大きく左に曲がり、次に大きく右に曲がったらしばらく東進、音羽集落に入ってすぐの音羽薬師堂の三叉路を斜め右に曲がり、約150mで道が大きく右に曲がり川を越えて、約200m南進した道の左側の山が音羽城跡で山の北側に舗装した空き地があるので、ここに車を駐車する。
駐車した空き地から徒歩で約250m道を登っていくと音羽城跡の山の南側に出て道が南に大きく曲がっている場所に説明板が建っている。
案内板の場所から少し東に行ったところに北へ登る登城道があり、道なりに登って行くと、道が右に曲がる場所に音羽城趾碑があり、すぐに開けたアスレチックのある広場に出る。中央には大きな説明板が建っている。
ここに本丸、二の丸、南丸があったようですが、公園整備で一緒になってしまい区画がわからない。南東隅に井戸跡があり、さらに南側に空堀跡、空堀を越えたところに出曲輪跡、また空堀跡があり、さらに奥に入って行くと抜穴跡があります。
公園の東と北側にも空堀跡、北西側隅にも出曲輪跡があり、西側には侍屋敷跡と水源地があります。
≪ 歴 史 ≫
応仁・文明年間 (1467-87) 蒲生氏中興の祖、蒲生貞秀によって築かれる。
明応五年 (1496) 美濃の斎藤利国が京極氏とともに六角高頼を攻めたとき、音羽城も攻められる。
文亀三年 (1503) 六角氏の重臣伊庭貞隆が乱を起こしたとき、六角高頼が音羽城に逃げ込み伊庭貞隆の攻撃を受け、籠城して撤退させている。
大永二年七月二十日 (1522) 蒲生秀紀の音羽城を蒲生高郷が攻める一族の内紛で、音羽城の秀紀は八か月間に及ぶ籠城戦ののち、大永三年三月八日降参して、音羽城は破城され廃城となり、降参した秀紀は鎌掛城に移り、高郷は中野城に移る。
≪ 写 真 ≫
音羽城登城口
音羽城趾碑
本丸・二の丸・南丸跡
南丸の土塁跡
井戸跡
南丸の南側の空堀跡
東側の空堀跡
抜穴跡
北側の空堀跡
北西隅の出曲輪跡
西側の侍屋敷跡
音羽城内の水源地
現地音羽城跡図(リンク付サムネイル)
現地音羽城跡現況図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
近江鉄道日野駅から近江バスで上音羽下車、徒歩約15分。
<車>
名神高速竜王ICを降りて国道477号を南下、すぐの竜王IC南交差点信号を左折、国道477号のまま南東へ進み、岡屋三叉路信号を右折、しばらく進み下田交差点信号を左折、北東へ進み、山之上南交差点信号を右折、国道477号のまま北東へ進み、蒲生堂交差点信号を右折、南東へ進み、鈴交差点信号を左折、北東へ進み、日野川を渡り、市子沖交差点信号を右折、国道477号のまま南東へ進む、途中、下麻生町はずれの三叉路を斜め右折、国道477号をそのまま進み、突き当りの三叉路を左折、国道477号のまま進み松尾北交差点信号を右折、国道307号近江グリーンロードを南下、松尾交差点信号を左折、日野の町中に入る。道が少し狭いところがあるので対向車に注意。約4.5km東進し音羽集落に入ってすぐの音羽薬師堂の三叉路を斜め右に曲がり、約150mで道が大きく右に曲がり川を越えて、約200m南進した道の左側の山が音羽城跡で山の北側に舗装した空き地があるので利用すると良い。
≪ 位置図 ≫
音羽城
音羽城登城口
紹介したお城の数 140城
2013/10/6
滋賀県日野町のお城めぐり
蒲生氏最初の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 音羽城
よみ: オトワ
別称: 日野城・智甘城
所在地: 滋賀県蒲生郡日野町音羽
現状: 公園
築城年代: 応仁・文明年間(1467-87)
築城者: 蒲生貞秀
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・南丸・出曲輪・空堀・井戸跡・抜穴跡・土塁跡
規模: 300m×400m、標高285m、比高40m
文化財:
訪城日: 2010/8/1・2013/10/6
≪ 訪城記 ≫
中野城から音羽城へ向かう。
日野川ダム駐車場を出て北へ向かい、中野城案内板のある三叉路を右折、日野住宅街を東進、途中に大きく左に曲がり、次に大きく右に曲がったらしばらく東進、音羽集落に入ってすぐの音羽薬師堂の三叉路を斜め右に曲がり、約150mで道が大きく右に曲がり川を越えて、約200m南進した道の左側の山が音羽城跡で山の北側に舗装した空き地があるので、ここに車を駐車する。
駐車した空き地から徒歩で約250m道を登っていくと音羽城跡の山の南側に出て道が南に大きく曲がっている場所に説明板が建っている。
案内板の場所から少し東に行ったところに北へ登る登城道があり、道なりに登って行くと、道が右に曲がる場所に音羽城趾碑があり、すぐに開けたアスレチックのある広場に出る。中央には大きな説明板が建っている。
ここに本丸、二の丸、南丸があったようですが、公園整備で一緒になってしまい区画がわからない。南東隅に井戸跡があり、さらに南側に空堀跡、空堀を越えたところに出曲輪跡、また空堀跡があり、さらに奥に入って行くと抜穴跡があります。
公園の東と北側にも空堀跡、北西側隅にも出曲輪跡があり、西側には侍屋敷跡と水源地があります。
≪ 歴 史 ≫
応仁・文明年間 (1467-87) 蒲生氏中興の祖、蒲生貞秀によって築かれる。
明応五年 (1496) 美濃の斎藤利国が京極氏とともに六角高頼を攻めたとき、音羽城も攻められる。
文亀三年 (1503) 六角氏の重臣伊庭貞隆が乱を起こしたとき、六角高頼が音羽城に逃げ込み伊庭貞隆の攻撃を受け、籠城して撤退させている。
大永二年七月二十日 (1522) 蒲生秀紀の音羽城を蒲生高郷が攻める一族の内紛で、音羽城の秀紀は八か月間に及ぶ籠城戦ののち、大永三年三月八日降参して、音羽城は破城され廃城となり、降参した秀紀は鎌掛城に移り、高郷は中野城に移る。
≪ 写 真 ≫
音羽城登城口
音羽城趾碑
本丸・二の丸・南丸跡
南丸の土塁跡
井戸跡
南丸の南側の空堀跡
東側の空堀跡
抜穴跡
北側の空堀跡
北西隅の出曲輪跡
西側の侍屋敷跡
音羽城内の水源地
現地音羽城跡図(リンク付サムネイル)
現地音羽城跡現況図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
近江鉄道日野駅から近江バスで上音羽下車、徒歩約15分。
<車>
名神高速竜王ICを降りて国道477号を南下、すぐの竜王IC南交差点信号を左折、国道477号のまま南東へ進み、岡屋三叉路信号を右折、しばらく進み下田交差点信号を左折、北東へ進み、山之上南交差点信号を右折、国道477号のまま北東へ進み、蒲生堂交差点信号を右折、南東へ進み、鈴交差点信号を左折、北東へ進み、日野川を渡り、市子沖交差点信号を右折、国道477号のまま南東へ進む、途中、下麻生町はずれの三叉路を斜め右折、国道477号をそのまま進み、突き当りの三叉路を左折、国道477号のまま進み松尾北交差点信号を右折、国道307号近江グリーンロードを南下、松尾交差点信号を左折、日野の町中に入る。道が少し狭いところがあるので対向車に注意。約4.5km東進し音羽集落に入ってすぐの音羽薬師堂の三叉路を斜め右に曲がり、約150mで道が大きく右に曲がり川を越えて、約200m南進した道の左側の山が音羽城跡で山の北側に舗装した空き地があるので利用すると良い。
≪ 位置図 ≫
音羽城
音羽城登城口
紹介したお城の数 140城
近江の山城ベスト50を歩く | |
中井 均 | |
サンライズ出版 |
またまた、拙ブログにリンクを張らせていただきました。
ご報告申し上げます。