砥石城
2013/5/4 信州北部遠征(3泊4日)
長野県上田市のお城めぐり
「砥石崩れ」で有名な村上義清の拠点となったお城
≪ お城の概要 ≫
城名: 砥石城
よみ: トイシ
別称: 戸石城・伊勢崎城
所在地: 長野県上田市上野
現状: 山
築城年代:
築城者:
形式: 山城
遺構: 砥石城・本城・桝形城・段曲輪・馬場・堀切・土塁・石垣
規模: 標高791m(桝形城)
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2013/5/4
≪ 訪城記 ≫
信州北部遠征(3泊4日) 2日目、真田館から砥石城へ向かう。
真田館の駐車場を出て細い丘陵地の道を西へ西へと向かい、国道144号へ出て南へ、真田氏発祥の郷を通り、神川を渡り、伊勢山の集落へ入る信号を右折、すぐにまた右折して北へ緩やかな狭い道を約700m行くと陽泰寺前の空き地のような駐車場に到着する。ここに車を駐車させてもらう。
駐車場から徒歩で陽泰寺前の道を北へ約300m行った道の左側に三角形の石柱の案内板があり、そこが砥石城の大手道の登城道でつづら折れの山道を10分程登ると桝形城と本城の分かれ道に出る。
まずは右側の桝形城へ向かう。尾根道を登っていくと一番高い場所の非常に急な坂道の下へ出る。用意してあるロープをたどりながら頂上に着くと台地状の削平地に出る。ここが砥石城北端の要害、桝形城で北の端に堀切を挟んで小さな出曲輪がある。現在、北の諸城を見渡す展望台になっていて、見渡せるお城の案内板が建ててある。
引き返して本城へ向かう。
引き返してすぐに立派な堀切のある場所に出る。この堀切を渡ったところが本城の曲輪でちょうど分かれ道の上の当りです。
北の堀切方向に土塁の跡があります。さらに南への降口に石垣跡が残っています。ここから馬場までの間に段曲輪が扇状に何段もあり壮観です。馬場は千畳敷のような広さで大手口と考えられています。
さらに尾根を南に行くと手前に堀切のある一段高い場所に出る。ここが砥石城の曲輪です。ここも険しい上り坂でロープを伝って頂上へ出ると、ここも台地状の削平地で中央に説明板と南側に砥石城址碑が建てられていて、南の諸城を見渡すことができ、見渡せるお城の案内板が建っています。
このお城は村上義清が武田晴信(信玄)を敗退させた戦い「砥石崩れ」として有名な堅固な城です。
砥石城から南へ急な坂道を降りて、また登ると米山城です。
他にも登城ルートがいくつかあるようです。
≪ 歴 史 ≫
築城時期ははっきりしない。
天文十年 (1541) 海野平合戦の頃には村上義清の拠点となっている。
天文十九年八月 (1550) 武田晴信が村上義清の砥石城を攻めるが、落すことが出来ず、引き揚げ時に村上勢の追い打ちを受け、歴代の諸将を失った。この戦いを「砥石崩れ」と言う。
天文二十年 (1551) 真田幸隆が調略をもって砥石城を攻略する。以後、真田氏の拠点となり、真田昌幸による上田城築城以降も上田城の背後の固めの城として重要視された。
慶長五年 (1600) 第二次上田合戦の時のも砥石城が使われたようです。
≪ 写 真 ≫
登城口の陽泰寺
大手道の登り口
桝形城と本城の分かれ道
桝形城へ向かう尾根道
桝形城虎口
桝形城の曲輪
桝形城北端の出曲輪
桝形城と出曲輪の間の堀切
出曲輪からの桝形城
本城北側の堀切
本城北側の土塁跡
本城の曲輪
本城南側虎口の石垣跡
本城南側に広がる段曲輪
本城南側虎口
段曲輪
馬場(大手口)
砥石城手前の堀切
砥石城の切岸
砥石城の曲輪にある砥石城址碑
砥石城の曲輪
≪ アクセス ≫
<車>
上信越道上田菅平ICを降りて国道144号を北東へ進み上信越道の高架下を通り、伊勢山の集落へ入る信号を左折、すぐにまた右折して北へ緩やかな狭い道を約700m行くと陽泰寺前の空き地のような駐車場に到着する。他にも登城口がいくつかあります。
≪ 位置図 ≫
砥石城
桝形城
登城口の陽泰寺
紹介したお城の数 78城
2013/5/4 信州北部遠征(3泊4日)
長野県上田市のお城めぐり
「砥石崩れ」で有名な村上義清の拠点となったお城
≪ お城の概要 ≫
城名: 砥石城
よみ: トイシ
別称: 戸石城・伊勢崎城
所在地: 長野県上田市上野
現状: 山
築城年代:
築城者:
形式: 山城
遺構: 砥石城・本城・桝形城・段曲輪・馬場・堀切・土塁・石垣
規模: 標高791m(桝形城)
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2013/5/4
≪ 訪城記 ≫
信州北部遠征(3泊4日) 2日目、真田館から砥石城へ向かう。
真田館の駐車場を出て細い丘陵地の道を西へ西へと向かい、国道144号へ出て南へ、真田氏発祥の郷を通り、神川を渡り、伊勢山の集落へ入る信号を右折、すぐにまた右折して北へ緩やかな狭い道を約700m行くと陽泰寺前の空き地のような駐車場に到着する。ここに車を駐車させてもらう。
駐車場から徒歩で陽泰寺前の道を北へ約300m行った道の左側に三角形の石柱の案内板があり、そこが砥石城の大手道の登城道でつづら折れの山道を10分程登ると桝形城と本城の分かれ道に出る。
まずは右側の桝形城へ向かう。尾根道を登っていくと一番高い場所の非常に急な坂道の下へ出る。用意してあるロープをたどりながら頂上に着くと台地状の削平地に出る。ここが砥石城北端の要害、桝形城で北の端に堀切を挟んで小さな出曲輪がある。現在、北の諸城を見渡す展望台になっていて、見渡せるお城の案内板が建ててある。
引き返して本城へ向かう。
引き返してすぐに立派な堀切のある場所に出る。この堀切を渡ったところが本城の曲輪でちょうど分かれ道の上の当りです。
北の堀切方向に土塁の跡があります。さらに南への降口に石垣跡が残っています。ここから馬場までの間に段曲輪が扇状に何段もあり壮観です。馬場は千畳敷のような広さで大手口と考えられています。
さらに尾根を南に行くと手前に堀切のある一段高い場所に出る。ここが砥石城の曲輪です。ここも険しい上り坂でロープを伝って頂上へ出ると、ここも台地状の削平地で中央に説明板と南側に砥石城址碑が建てられていて、南の諸城を見渡すことができ、見渡せるお城の案内板が建っています。
このお城は村上義清が武田晴信(信玄)を敗退させた戦い「砥石崩れ」として有名な堅固な城です。
砥石城から南へ急な坂道を降りて、また登ると米山城です。
他にも登城ルートがいくつかあるようです。
≪ 歴 史 ≫
築城時期ははっきりしない。
天文十年 (1541) 海野平合戦の頃には村上義清の拠点となっている。
天文十九年八月 (1550) 武田晴信が村上義清の砥石城を攻めるが、落すことが出来ず、引き揚げ時に村上勢の追い打ちを受け、歴代の諸将を失った。この戦いを「砥石崩れ」と言う。
天文二十年 (1551) 真田幸隆が調略をもって砥石城を攻略する。以後、真田氏の拠点となり、真田昌幸による上田城築城以降も上田城の背後の固めの城として重要視された。
慶長五年 (1600) 第二次上田合戦の時のも砥石城が使われたようです。
≪ 写 真 ≫
登城口の陽泰寺
大手道の登り口
桝形城と本城の分かれ道
桝形城へ向かう尾根道
桝形城虎口
桝形城の曲輪
桝形城北端の出曲輪
桝形城と出曲輪の間の堀切
出曲輪からの桝形城
本城北側の堀切
本城北側の土塁跡
本城の曲輪
本城南側虎口の石垣跡
本城南側に広がる段曲輪
本城南側虎口
段曲輪
馬場(大手口)
砥石城手前の堀切
砥石城の切岸
砥石城の曲輪にある砥石城址碑
砥石城の曲輪
≪ アクセス ≫
<車>
上信越道上田菅平ICを降りて国道144号を北東へ進み上信越道の高架下を通り、伊勢山の集落へ入る信号を左折、すぐにまた右折して北へ緩やかな狭い道を約700m行くと陽泰寺前の空き地のような駐車場に到着する。他にも登城口がいくつかあります。
≪ 位置図 ≫
砥石城
桝形城
登城口の陽泰寺
紹介したお城の数 78城
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サンライズ出版 |
先日、砥石城に行ってきました。
その際、このブログを参考にさせていただきました。
私のホームページに、リンクを張らせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?
お願いします。
リンクをよろしくお願いします。