お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

黒石藩陣屋

2014-10-02 05:56:58 | 北海道・青森県・岩手県
 黒石藩陣屋

2014/9/15

青森県黒石市のお城めぐり

 弘前藩二代藩主津軽信牧の次男信英が分地された黒石藩陣屋

≪ お城の概要 ≫

城名: 黒石藩陣屋
よみ: クロイシハン
別称: 黒石城・黒石陣屋
所在地: 青森県黒石市内町31-5
現状: 御幸公園
築城年代: 明暦二年(1656)
築城者: 津軽信英
形式: 陣屋
遺構: 空堀
規模: 12,900㎡、比高15m
文化財:
訪城日: 2014/9/15


≪ 訪城記 ≫

大浦城から黒氏藩陣屋へ向かう。

弘前市役所岩木庁舎駐車場を出て南下、賀田1丁目信号を左折、県道3号鰺ヶ沢街道を東進、岩木川を渡り、弘前城追手門前の追手門通り信号を左折、すぐに追手門前で右折、追手門通り東信号を左に曲がり、すぐの信号を右折、商店街通りを通って県道260号羽州街道を南東に進み、松森町交差点信号を左折、県道109号を東進、運動公園入口交差点信号を直進、国道102号を東進、道が左にカーブして北上、平川を渡り、日沼富岳付近で右にカーブして東進、中川篠村交差点信号を左折、県道13号を北上、浅瀬石川を渡り、山形町交差点信号を左折、県道38号を西進して石黒市役所前を通り、石黒市勤労少年ホームを通り過ぎた三叉路の左側が御幸公園で通り越した石黒稲荷神社へ入る道へ左折、この道の脇に車を駐車する。

御幸公園の南西隅に黒石城趾碑と幕末の黒石陣屋絵図が建っていて、公園の南側は断崖です。
南東側には空堀を挟み段丘がある。橋を渡って入ると削平された郭のようです。


≪ 歴 史 ≫

明暦二年 (1656) 黒石藩祖の津軽十郎左衛門信英が黒石に分地され、黒石藩陣屋が置かれた。以後、明治四年(1872)の廃藩置県まで続く。

≪ 写 真 ≫


黒石城趾碑と絵図


段丘との間の空堀


段丘

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
弘南鉄道弘南線黒石駅から徒歩5分。
<車>
東北道黒石ICを降りて国道102号を西進、中川篠村交差点信号を右折、県道13号を北上、浅瀬石川を渡り、山形町交差点信号を左折、県道38号を西進して石黒市役所前を通り、石黒市勤労少年ホームを通り過ぎた三叉路の左側が御幸公園で通り越した石黒稲荷神社へ入る道へ左折、この道の脇に駐車可能。


≪ 位置図 ≫

黒石藩陣屋(御幸公園)


紹介したお城の数 269城



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大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
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大浦城

2014-10-01 05:54:38 | 北海道・青森県・岩手県
 大浦城

2014/9/15

青森県弘前市のお城めぐり

 津軽氏と改称する大浦氏の本拠で発祥の城

≪ お城の概要 ≫

城名: 大浦城
よみ: オオウラ
別称: 八幡城・賀田城
所在地: 青森県弘前市五代早稲田
現状: 市立津軽中学校・住宅街
築城年代: 文亀二年(1502)
築城者: 南部光信
形式: 平城
遺構:
規模: 500m×250m
文化財:
訪城日: 2014/9/15


≪ 訪城記 ≫

石川城から大浦城へ向かう。

大仏公園第2駐車場を出て弘南鉄道大鰐線高架下をくぐり、約130mの三叉路を右折、細い道を進み突き当りの三叉路を左折、県道260号羽州街道を北西に進み、弘前城追手門付近へ戻り、追手門通り信号を外濠沿いに県道3号鰺ヶ沢街道を進み、岩木川を渡り、東奥信用金庫岩木支店角の賀田1丁目信号を右折してすぐの弘前市役所岩木庁舎駐車場に車を駐車する。

ここから徒歩でいったん賀田1丁目信号を右折、県道3号の歩道を約500m西進、五代早稲田信号を斜め深く右折、約150m進んだ津軽中学校へ入る道の角に大浦城趾碑と説明板があるのみです。


≪ 歴 史 ≫

文亀元年 (1501) 南部光信が大浦郷内の古城を大修築して翌二年(1502)、養子の南部盛信を大浦城に入れる。
大永七年 (1527) 南部光信が種里城で没し、大浦城の大浦盛信が跡を継ぐ。
天文七年 (1538) 盛信が没し、養嗣子としていた光信の孫政信が跡を継ぐ。
天文十年 (1541) 大浦政信が和徳城を攻め、城主小山内満春と戦い、両者とも討死してしまう。大浦城は子の為則が継いだが、やがて為則は為信を婿養子に迎え没し、為信が城主となる。
永禄十年 (1567) 為則は為信を婿養子に迎え没し、為信が城主となる。
元亀二年 (1571) 大浦為信が津軽統一をめざし大浦城を本拠に堀越城を足掛かりとして、石川城と和徳城を攻略する。
天正三年 (1575) 大光寺城を落す。
天正十七年 (1589) 為信が念願の津軽統一を成し遂げ、大浦氏を改め津軽氏を称する。
文禄三年 (1594) 本拠を堀越城に移す。
元和元年 (1615) 一国一城令により三の丸はなくなったが、本丸・二の丸・西の丸は残る。以後も廃城にはなったが弘前城の詰城として残る。


≪ 写 真 ≫


大浦城趾碑と説明板

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR奥羽本線弘前駅からバスで岩木庁舎前バス停下車、徒歩約10分。
<車>
東北道大鰐弘前ICで降りて国道7号石川バイパスを北上、平川に架かる弘前大橋を渡り、堀越城跡を左手に見ながら国道7号弘前バイパスを北西に進み、弘前市運動公園付近で側道に入り、運動公園入口交差点信号を左折、県道109号を西進、JR奥羽本線と弘南鉄道弘南線を越え、松森町付近交差点信号を右折、県道260号を北西に進み、一方通行の商店街を通り、弘前城に突き当たる追手門通り東T字路信号を左折、すぐに右折、外濠沿いに進み、追手門前を左折、追手門通り信号を直進、外濠沿いに県道3号鰺ヶ沢街道を進み、岩木川を渡り、東奥信用金庫岩木支店角の賀田1丁目信号を右折してすぐの弘前市役所岩木庁舎駐車場に駐車すると良い。岩木庁舎から徒歩約10分。


≪ 位置図 ≫

大浦城


紹介したお城の数 268城



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大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
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石川城

2014-09-30 05:59:45 | 北海道・青森県・岩手県
 石川城

2014/9/15

青森県弘前市のお城めぐり

 津軽為信の奇襲により落城した南部氏本家南部安信の弟石川(南部)高信の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 石川城
よみ: イシカワ
別称: 石川楯・岩館十三楯・石川十三楯・石川大仏ヶ鼻城・大渕ヶ鼻城
所在地: 青森県弘前市石川大仏
現状: 大仏公園
築城年代: 元弘四年(建武元年、1334)
築城者: 曾我道性
形式: 山城
遺構: 郭
規模: 1,600m×500m、比高約10m
文化財:
訪城日: 2014/9/15


≪ 訪城記 ≫

堀越城から石川城へ向かう。

堀越城跡整備工事現場を出て左折、南西に進み堀越宮本三叉路信号を斜め左折、すぐに道が左に曲がり県道260号羽州街道を南東に進む。石川の集落に入り、平川に架かる橋の前のもう一つ手前の三叉路を右折、細い道を約100m南下して突き当りを左折、約130m進んだ弘南鉄道大鰐線高架下をくぐり、すぐの三叉路を右折、約50mで道の右側に大仏公園第2駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場からまっすぐ進むんだところに丘の上に登る階段があり、手前に大渕ヶ鼻城跡碑が建っている。
階段を上がると広い広場になっていて、上に三段の郭らしき広がりがあり、一番上の渕は断崖絶壁で下に平川が流れている。
さらに右側の展望広場に古い大仏ヶ鼻城趾碑が建っている。さらに渕沿いに右へ登ると頂上に着く。ここが主郭跡のようです。
公園の正面入口に説明板がある。


≪ 歴 史 ≫

元弘四年 (建武元年、1334) 鎌倉幕府が倒れ、幕府要人の安達・名越氏らが津軽の曾我道性を頼った。曾我道性は大光寺楯に迎え入れたが、在地諸将に攻撃され将兵は逃げ出し、石川楯・岩楯に立て籠もったが、五月にはついに落ち、敗残兵は相馬持寄城に逃げた。
天文二年 (1533) 南部高信が津軽に進攻し、石川城を本城として「大仏ヶ鼻城」と号し、津軽郡代となって居城する。
元亀二年 (1571) 大浦為信が石川城を奇襲し、石川(南部)高信は自刃、落城する。その後、板垣兵部将兼を守将に任じる。
慶長五年 (1600) 徳川家康に味方した津軽為信は封地を保持する。
慶長十六年 (1611) 弘前城築城後、石川城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


大仏ヶ鼻城趾碑


主郭跡


展望広場


一番上の郭付近


中間の郭付近


下の広い広場


大仏公園入口


階段前の大渕ヶ鼻城跡碑


現地大仏公園図面(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
弘南鉄道大鰐線石川駅から徒歩約10分。
<車>
東北道大鰐弘前ICで降りて国道7号を南下、すぐの高速道路石川入口三叉路信号を鋭角に右折、県道41号を北上、平川に架かる橋を渡り、二つ目の三叉路を左折、細い道を約100m南下して突き当りを左折、約130m進んだ弘南鉄道大鰐線高架下をくぐり、すぐの三叉路を右折、約50mで道の右側に大仏公園第2駐車場がある。公園正面入口付近にも第1駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

石川城(大仏公園)


紹介したお城の数 267城



日本の城 完全名鑑 増補改訂版 (廣済堂ベストムック)
中山良昭
廣済堂出版




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堀越城

2014-09-29 05:55:24 | 北海道・青森県・岩手県
 堀越城

2014/9/15

青森県弘前市のお城めぐり

 津軽地方を統一した津軽為信の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 堀越城
よみ: ホリコシ
別称: 堀越楯
所在地: 青森県弘前市堀越柏田
現状: 熊野宮・堀越城跡
築城年代: 建武三年(延元元、1336)
築城者: 曾我太郎貞光
形式: 平城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・堀・土塁・掘立柱建物跡
規模: 400m×500m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/9/15


≪ 訪城記 ≫

ホテルを出て堀越城に向かう。

青森市内のホテルを出て国道7号を西進、西バイパス環状線入口付近から南下、弘前市内に入り、弘前市運動公園前を通り、弘前バイパスを南下、堀越交差点信号南西側が堀越城跡復元現場で、右折してすぐの作業場に車を駐車させてもらう。

堀越交差点信号横に大きな「堀越城跡整備工事中」の看板があり分りやすい。
現場事務所の西側が二の丸で堀や土塁が復元され、堀越交差点信号から約200m南西に進んだ三叉路信号に熊野宮の真っ赤な鳥居が建っている脇に堀越城跡碑があり、追手門跡だそうです。
入って行くと二の丸虎口が復元されている。虎口を入ると掘立柱建物跡も復元されていて、ここから堀に架かる土橋を入ると本丸跡で右側に熊野宮、左側に掘立柱建物が復元され、土塁も復元されている。東側の土塁の切れている所に東門跡がある。
本丸の南側が三の丸で未整備のようです。


≪ 歴 史 ≫

建武三年 (1336) 南朝方に味方していた曾我貞光が、論功に不満を抱き、建武二年に北朝方に転じ南朝方の諸城を攻略した。このとき堀越に楯(館)を築く。その後、曾我貞光は暦応四年(1341)、根城の戦いに敗れ、康安元年(1361)に南部氏に滅ぼされる。
元亀二年 (1571) 大浦為信が大浦城を拠点に石川(南部)高信の石川大仏ヶ鼻城を攻略、十七年を経て、津軽地方を統一する。
天正十七年 (1589) 大浦氏から津軽氏に改める。
天正十八年 (1590) 小田原征伐中の秀吉のもとに赴き、津軽安堵の朱印状を受ける。
文禄三年 (1594) 堀越城を改修して大浦城から移る。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の合戦で徳川家康に味方して封地を保持する。
慶長八年 (1603) 関ヶ原合戦時と慶長七年(1602)の内紛で堀越城の弱体を痛感した津軽為信が新城建設の計画に着手する。
慶長十二年十二月 (1607) 京にあった嫡男信建の見舞いに上京するが、途中で信建の訃報に接し、自らも五十七歳で旅先で没する。三男信枚が跡を継ぐ。新城建設も引き継ぎ、慶長十五年二月に起工、十六年五月に完成して堀越城から新城に移る。
元和元年 (1615) 一国一城令によって堀越城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


堀越城本丸


熊野宮入口にある堀越城趾碑


二の丸虎口


復元された二の丸と土塁


二の丸掘立柱建物跡


復元された本丸堀


土橋


本丸にある熊野宮


本丸掘立柱建物跡


本丸東門跡


本丸土塁


三の丸付近


堀越城跡看板

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR奥羽本線弘前駅からバスで堀越バス停下車すぐ。
<車>
東北道大鰐弘前ICで降りて国道7号石川バイパスを北上、平川に架かる弘前大橋を渡り、堀越城跡整備工事中の看板がある堀越交差点信号を左折した工事現場に駐車すると良い。


≪ 位置図 ≫

堀越城


紹介したお城の数 266城



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弘前城

2014-09-28 11:31:54 | 北海道・青森県・岩手県
弘前城

2014/9/14

青森県弘前市のお城めぐり

 津軽地方を平定した津軽為信の子信牧が築いた津軽氏歴代の居城

 現存12天守  日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 弘前城
よみ: ヒロサキ
別称: 高岡城・鷹岡城
所在地: 青森県弘前市下白銀町1
現状: 弘前公園
築城年代: 慶長十六年(1611)
築城者: 津軽信牧
形式: 平山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・四の丸・北の郭・西の郭・現存天守・現存二の丸丑寅櫓・現存二の丸辰巳櫓・現存二の丸未申櫓・現存南内門・現存東内門・現存追手門・現存東門・本丸未申櫓跡・本丸戌亥櫓跡・子の櫓跡・西の郭未申櫓跡・埋門跡・御日記蔵跡・籾蔵跡・賀田門跡・石垣・土塁・内濠・中濠・外濠・蓮池・西濠・与力番所
規模: 618m×956m、標高46m
文化財: 国指定史跡・国指定重要文化財
訪城日: 2011/12/14・2014/9/14


≪ 訪城記 ≫

自宅から弘前城へ向かう。

東北道大鰐弘前ICで降りて国道7号石川バイパスを北上、平川に架かる弘前大橋を渡り、堀越城跡を左手に見ながら国道7号弘前バイパスを北西に進み、弘前市運動公園付近で側道に入り、運動公園入口交差点信号を左折、県道109号を西進、JR奥羽本線と弘南鉄道弘南線を越え、松森町付近交差点信号を右折、県道260号を北西に進み、一方通行の商店街を通り、弘前城に突き当たる追手門通り東T字路信号を左折、すぐに右折、外濠沿いに進み、追手門前を左折、追手門通り信号を南下して市立観光館の有料駐車場に車を駐車する。

駐車場を出るとすぐに追手門前に出る。外濠、桝形虎口の土塁前に弘前城址碑があり、虎口から現存追手門を通り、三の丸へ入る。市民広場の通りを抜けて中濠に出る。
中濠越しに現存二の丸辰巳櫓を見るが、木々の間でほとんど見えない。赤い杉の大橋前を通って市立博物館前から中濠越しに現存二の丸未申櫓を見る。こちらは良く見える。
杉の大橋を渡り現存内南門を通り二の丸へ入り、内側から辰巳櫓と未申櫓を見て内濠沿いに赤い下乗橋から本丸へ入る。ここから有料区域になり、入場料は310円です。
下乗橋付近からの現存三重隅櫓代用の天守は小さですが見ごたえがあります。
この天守下の石垣が孕んでいて10月から修繕工事が始まり、天守も曳家され場所が変わり、しばらくの間(HPによると10年間らしい)この風景は見られないようです。
まずは天守内を見学して天守横の発掘現場を見学、広い本丸西側両角の本丸未申櫓跡(元五層天守のあった場所)、本丸戌亥櫓跡、真ん中石垣上から見る雄大な岩木山、赤い鷹丘橋を渡り、北の郭に入り、武徳殿北側の籾蔵跡と子の櫓跡、二の丸に出て現存丑寅櫓、賀田門跡を通って北の四の丸、現存北門を見る。丑寅櫓に戻り、天守方向へ向かい。与力番所、現存東内門、現存東門を見る。東門から出た文化センター前に津軽為信公像がある。
とにかく広くて土塁は高い。とても見ごたえのるお城で隅々まで見学するのに約3時間かかった。


弘前城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

大浦為信が大浦城を拠点に石川高信の石川大仏ヶ鼻城を攻略、十七年を経て、津軽地方を統一する。
天正十七年 (1589) 大浦氏から津軽氏に改める。
天正十八年 (1590) 小田原征伐中の秀吉のもとに赴き、津軽安堵の朱印状を受ける。
文禄三年 (1594) 大浦城から堀越城に移る。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の合戦で徳川家康に味方して封地を保持する。
慶長八年 (1603) 津軽為信が新城建設の計画に着手する。
慶長十二年十二月 (1607) 京にあった嫡男信建の見舞いに上京するが、途中で信建の訃報に接し、自らも五十七歳で旅先で没する。三男信枚が跡を継ぐ。
慶長十六年五月 (1611) 高岡城が完成する。以後、信牧、信義、信政、信寿、信著、信寧、信明、寧親、信順、順承、承昭と続き、明治維新まで津軽藩歴代の居城となる。
寛永四年九月 (1627) 落雷に遭い五層天守が焼け落ちる。
寛永五年 (1628) 弘前城と改称される。
文化二年 (1805) 九代寧親の時に現在の三層天守を築く。
明治四年十一月 (1871) 本丸御殿が取り壊される。
明治三十五年五月 (1902) 弘前市に移譲される。


≪ 写 真 ≫


下乗橋からの弘前城天守


本丸からの弘前城天守


内濠と天守石垣


二の丸からの弘前城天守


追手門虎口


北門虎口


現存二の丸未申櫓


現存二の丸辰巳櫓


現存二の丸丑寅櫓


現存追手門


現存南内門


現存北門


現存東内門


現存東門


追手門付近の外濠


杉の大橋付近の中濠


下乗橋からの内濠


天守からの本丸虎口


本丸未申櫓跡


本丸戌亥櫓跡


本丸


御日記蔵跡


鷹丘橋と内濠


北の郭子の櫓跡


賀田門跡


二の丸与力番所


西の郭埋門跡


西の郭未申櫓跡


文化センター前津軽為信公像


現地弘前城案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR奥羽本線弘前駅からバスで約15分。市役所前バス停下車すぐ。
<車>
東北道大鰐弘前ICで降りて国道7号石川バイパスを北上、平川に架かる弘前大橋を渡り、堀越城跡を左手に見ながら国道7号弘前バイパスを北西に進み、弘前市運動公園付近で側道に入り、運動公園入口交差点信号を左折、県道109号を西進、JR奥羽本線と弘南鉄道弘南線を越え、松森町付近交差点信号を右折、県道260号を北西に進み、一方通行の商店街を通り、弘前城に突き当たる追手門通り東T字路信号を左折、すぐに右折、外濠沿いに進み、追手門前を左折、追手門通り信号を南下して市立観光館の有料駐車場他、付近に有料駐車場有。


≪ 位置図 ≫

弘前城


紹介したお城の数 265城



「現存」12天守めぐりの旅: 歴史ある国宝・重文のお城をたずねる
萩原 さちこ
学研パブリッシング




日本100名城に行こう―公式スタンプ帳つき
クリエーター情報なし
学研パブリッシング