荒砥城
2013/5/5 信州北部遠征(3泊4日)
長野県千曲市のお城めぐり
大河ドラマのロケ地として使われた村上氏一族の山田氏の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 荒砥城
よみ: アラト
別称: 山田城・砥沢城
所在地: 長野県千曲市上山田3510-7
現状: 城山史跡公園
築城年代:
築城者:
形式: 山城
遺構: 本郭・二の郭・三の郭・四の郭・復元門・兵舎・櫓・石垣
規模: 標高595m、比高215m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2013/5/5
≪ 訪城記 ≫
信州北部遠征(3泊4日) 3日目、坂城神社駐車場から荒砥城へ向かう。
坂城神社駐車場前の道を西へ進み国道18号へ出て、千曲川沿いに北西へ進む。すぐに千曲市に入り、戸倉上山田温泉入口三叉路信号を左折、上山田温泉方面へ向かう。千曲市に架かる橋を渡り、そのまままっすぐ進み、城山入口交差点信号をまっすぐ山に登っていく。けっこう急な坂を登ると中腹に日本歴史館やお寺、神社があり、通り越したところを右折すると城山史跡公園の駐車場がある。ここに車を駐車する。
駐車場の東端に登城道があり、登っていき左へ曲がり、次に右に曲がったところに荒砥城址碑と案内所があり、入場料300円で中に入れる。門をくぐった入ると、右側すぐに腰郭のような削平された四の郭がある。
曲がり道を登っていくと途中に道の端に郭とは思えない三の郭、さらに登り見張台付の復元門をくぐると二の丸で東端に復元高櫓、中央の小屋の中には説明板等が展示されてある。二の郭から石垣に挟まれた小道を西に行くと柵に囲まれた本郭でここにも復元門があり、中には復元された館と兵舎が建っている。奥に展望台もある。
中世の城跡が良く復元されている。
≪ 歴 史 ≫
村上氏の一族である山田氏の居城と言われているが不明である。
天文十七年 (1548) 荒砥城主山田国政が砥石城の戦いで戦死。
天文二十二年九月 (1553) 村上義清救援に長尾景虎が兵を出し、武田方と荒砥城を奪い合う。この時山田国政の子国継が葛尾城落城の際に戦死、山田氏は滅亡する。
永禄年間 (1558-70) 屋代城主屋代政国が信玄から宛行われ屋代氏の持城となる。
天正十年 (1582) 政国の子屋代秀正が上杉景勝から海津城の副将を命じられ、在地の豪族清野・寺尾・西条・大室・保科・綱島・綿内の七氏が交代で荒砥城の守備をする。
天正十二年 (1584) 秀正が徳川家康に内応し、荒砥城に立て籠もるが、上杉方の猛攻で落城。廃城となる。
平成七年六月 (1995) 城山史跡公園として整備される。
≪ 写 真 ≫
駐車場からの登城入口
荒砥城址碑と案内所入口
四の郭
三の郭から見上げる高櫓
二の郭門
高櫓
本郭門
館と兵舎
本郭から二の郭
現地城山史跡公園案内図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JRしなの鉄道戸倉駅から徒歩約60分。
<車>
長野道更埴ICを降りて国道18号を南下、千曲市に入り、戸倉上山田温泉入口三叉路信号を右折、上山田温泉方面へ向かう。千曲市に架かる橋を渡り、そのまままっすぐ進み、城山入口交差点信号をまっすぐ山に登っていく。けっこう急な坂を登ると中腹に日本歴史館やお寺、神社があり、通り越したところを右折すると城山史跡公園の駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
荒砥城
駐車場と登城口
紹介したお城の数 82城
2013/5/5 信州北部遠征(3泊4日)
長野県千曲市のお城めぐり
大河ドラマのロケ地として使われた村上氏一族の山田氏の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 荒砥城
よみ: アラト
別称: 山田城・砥沢城
所在地: 長野県千曲市上山田3510-7
現状: 城山史跡公園
築城年代:
築城者:
形式: 山城
遺構: 本郭・二の郭・三の郭・四の郭・復元門・兵舎・櫓・石垣
規模: 標高595m、比高215m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2013/5/5
≪ 訪城記 ≫
信州北部遠征(3泊4日) 3日目、坂城神社駐車場から荒砥城へ向かう。
坂城神社駐車場前の道を西へ進み国道18号へ出て、千曲川沿いに北西へ進む。すぐに千曲市に入り、戸倉上山田温泉入口三叉路信号を左折、上山田温泉方面へ向かう。千曲市に架かる橋を渡り、そのまままっすぐ進み、城山入口交差点信号をまっすぐ山に登っていく。けっこう急な坂を登ると中腹に日本歴史館やお寺、神社があり、通り越したところを右折すると城山史跡公園の駐車場がある。ここに車を駐車する。
駐車場の東端に登城道があり、登っていき左へ曲がり、次に右に曲がったところに荒砥城址碑と案内所があり、入場料300円で中に入れる。門をくぐった入ると、右側すぐに腰郭のような削平された四の郭がある。
曲がり道を登っていくと途中に道の端に郭とは思えない三の郭、さらに登り見張台付の復元門をくぐると二の丸で東端に復元高櫓、中央の小屋の中には説明板等が展示されてある。二の郭から石垣に挟まれた小道を西に行くと柵に囲まれた本郭でここにも復元門があり、中には復元された館と兵舎が建っている。奥に展望台もある。
中世の城跡が良く復元されている。
≪ 歴 史 ≫
村上氏の一族である山田氏の居城と言われているが不明である。
天文十七年 (1548) 荒砥城主山田国政が砥石城の戦いで戦死。
天文二十二年九月 (1553) 村上義清救援に長尾景虎が兵を出し、武田方と荒砥城を奪い合う。この時山田国政の子国継が葛尾城落城の際に戦死、山田氏は滅亡する。
永禄年間 (1558-70) 屋代城主屋代政国が信玄から宛行われ屋代氏の持城となる。
天正十年 (1582) 政国の子屋代秀正が上杉景勝から海津城の副将を命じられ、在地の豪族清野・寺尾・西条・大室・保科・綱島・綿内の七氏が交代で荒砥城の守備をする。
天正十二年 (1584) 秀正が徳川家康に内応し、荒砥城に立て籠もるが、上杉方の猛攻で落城。廃城となる。
平成七年六月 (1995) 城山史跡公園として整備される。
≪ 写 真 ≫
駐車場からの登城入口
荒砥城址碑と案内所入口
四の郭
三の郭から見上げる高櫓
二の郭門
高櫓
本郭門
館と兵舎
本郭から二の郭
現地城山史跡公園案内図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JRしなの鉄道戸倉駅から徒歩約60分。
<車>
長野道更埴ICを降りて国道18号を南下、千曲市に入り、戸倉上山田温泉入口三叉路信号を右折、上山田温泉方面へ向かう。千曲市に架かる橋を渡り、そのまままっすぐ進み、城山入口交差点信号をまっすぐ山に登っていく。けっこう急な坂を登ると中腹に日本歴史館やお寺、神社があり、通り越したところを右折すると城山史跡公園の駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
荒砥城
駐車場と登城口
紹介したお城の数 82城
日本の城 完全名鑑 増補改訂版 (廣済堂ベストムック) | |
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