お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

荒砥城

2013-06-14 05:07:03 | 長野県
 荒砥城

2013/5/5  信州北部遠征(3泊4日)

長野県千曲市のお城めぐり

 大河ドラマのロケ地として使われた村上氏一族の山田氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 荒砥城
よみ: アラト
別称: 山田城・砥沢城
所在地: 長野県千曲市上山田3510-7
現状: 城山史跡公園
築城年代:
築城者:
形式: 山城
遺構: 本郭・二の郭・三の郭・四の郭・復元門・兵舎・櫓・石垣
規模: 標高595m、比高215m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2013/5/5


≪ 訪城記 ≫

信州北部遠征(3泊4日)  3日目、坂城神社駐車場から荒砥城へ向かう。

坂城神社駐車場前の道を西へ進み国道18号へ出て、千曲川沿いに北西へ進む。すぐに千曲市に入り、戸倉上山田温泉入口三叉路信号を左折、上山田温泉方面へ向かう。千曲市に架かる橋を渡り、そのまままっすぐ進み、城山入口交差点信号をまっすぐ山に登っていく。けっこう急な坂を登ると中腹に日本歴史館やお寺、神社があり、通り越したところを右折すると城山史跡公園の駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場の東端に登城道があり、登っていき左へ曲がり、次に右に曲がったところに荒砥城址碑と案内所があり、入場料300円で中に入れる。門をくぐった入ると、右側すぐに腰郭のような削平された四の郭がある。
曲がり道を登っていくと途中に道の端に郭とは思えない三の郭、さらに登り見張台付の復元門をくぐると二の丸で東端に復元高櫓、中央の小屋の中には説明板等が展示されてある。二の郭から石垣に挟まれた小道を西に行くと柵に囲まれた本郭でここにも復元門があり、中には復元された館と兵舎が建っている。奥に展望台もある。
中世の城跡が良く復元されている。


≪ 歴 史 ≫

村上氏の一族である山田氏の居城と言われているが不明である。
天文十七年 (1548) 荒砥城主山田国政が砥石城の戦いで戦死。
天文二十二年九月 (1553) 村上義清救援に長尾景虎が兵を出し、武田方と荒砥城を奪い合う。この時山田国政の子国継が葛尾城落城の際に戦死、山田氏は滅亡する。
永禄年間 (1558-70) 屋代城主屋代政国が信玄から宛行われ屋代氏の持城となる。
天正十年 (1582) 政国の子屋代秀正が上杉景勝から海津城の副将を命じられ、在地の豪族清野・寺尾・西条・大室・保科・綱島・綿内の七氏が交代で荒砥城の守備をする。
天正十二年 (1584) 秀正が徳川家康に内応し、荒砥城に立て籠もるが、上杉方の猛攻で落城。廃城となる。
平成七年六月 (1995) 城山史跡公園として整備される。


≪ 写 真 ≫


駐車場からの登城入口


荒砥城址碑と案内所入口


四の郭


三の郭から見上げる高櫓


二の郭門


高櫓


本郭門


館と兵舎


本郭から二の郭


現地城山史跡公園案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JRしなの鉄道戸倉駅から徒歩約60分。
<車>
長野道更埴ICを降りて国道18号を南下、千曲市に入り、戸倉上山田温泉入口三叉路信号を右折、上山田温泉方面へ向かう。千曲市に架かる橋を渡り、そのまままっすぐ進み、城山入口交差点信号をまっすぐ山に登っていく。けっこう急な坂を登ると中腹に日本歴史館やお寺、神社があり、通り越したところを右折すると城山史跡公園の駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

荒砥城


駐車場と登城口


紹介したお城の数 82城



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村上氏居館

2013-06-09 05:05:06 | 長野県
 村上氏居館

2013/5/5  信州北部遠征(3泊4日)

長野県坂城町のお城めぐり

 村上氏代々の居館

≪ お城の概要 ≫

城名: 村上氏居館
よみ: ムラカミシ
別称:
所在地: 長野県埴科郡坂城町坂城1905-16
現状: 満泉寺
築城年代:
築城者:
形式: 館
遺構:
規模:
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2013/5/5


≪ 訪城記 ≫

信州北部遠征(3泊4日)  3日目、坂城神社駐車場から徒歩で村上氏居館跡の満泉寺へ向かう。

坂城神社前の南へ向かう道を約200m行った左折する道の入り口に村上氏居館跡の碑と県史跡の碑が建てられている。
約100m東へ進んだ突き当りに説明付の石碑があり、突き当りを左折、北へ約30mで満泉寺へ着く。
遺構は何も残っていない。
村上氏が葛尾城を築城したのと同じ時期に麓に居館として造られたようで、村上氏代々の居館です。


≪ 歴 史 ≫

葛尾城と同じ時期に居館として築城される。天文二十二年(1553)、村上氏が武田氏に攻められ葛尾城とともに落城、村上義清は越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼り越後に逃れた。

≪ 写 真 ≫


村上氏居館跡入り口


村上氏居館趾碑


村上氏居館跡の石碑


満泉寺

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JRしなの鉄道坂城駅から満泉寺まで徒歩約10分。
<車>
上信越道坂城ICを降りて県道91号を西進、坂城IC入口三叉路を右折、国道18号を北上、田町交差点信号を右折、JRしなの鉄道を越えて、次の交差点を左折、約200m北上し変速交差点を左折、西進し坂城駅前の三叉路を右折、そのまま北上、途中県道が左に折れているがそのまま狭い道を約300m北上すると坂城神社に着く。神社の東側に道を北へ約100mで葛尾城の登城口、さらに川沿いに少し北へ行くと専用駐車場がある。坂城神社から徒歩で南へ向かう道を約200m行った左折する道の入り口に村上氏居館跡の碑と県史跡の碑が建てられている。
約100m東へ進んだ突き当りに説明付の石碑があり、突き当りを左折、北へ約30mで満泉寺へ着く。


≪ 位置図 ≫

満泉寺


紹介したお城の数 81城



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葛尾城

2013-06-08 11:39:28 | 長野県
 葛尾城

2013/5/5  信州北部遠征(3泊4日)

長野県坂城町のお城めぐり

 武田軍を二度破った村上義清の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 葛尾城
よみ: カツラオ
別称:
所在地: 長野県埴科郡坂城町坂城
現状: 山
築城年代:
築城者:
形式: 山城
遺構: 本郭・段郭・土塁・堀切・竪堀
規模: 標高816.5m、比高386.5m
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2013/5/5


≪ 訪城記 ≫

信州北部遠征(3泊4日)  3日目、ホテルから葛尾城へ向かう。

長野駅前を通って中御所北交差点信号を左折、国道19号を南下、犀川を渡り国道171号をさらに南下、青木島三叉路信号を斜めに左折、そのまま南下する。古戦場入口交差点信号を右折、国道18号を道なりに進み、坂城町に入ると右に千曲川、左に葛尾城のある山並みを見ながら山裾が切れる付近の三叉路を左折、山裾の狭い道を北東に進み、しなの鉄道の下をくぐり、次の三叉路を左折、山裾道をほぼ北へ登っていくと約500mで坂城神社の前に到着する。神社前の空き地に車を駐車させてもらう。坂城神社の北側に専用駐車場がある。

ここから徒歩で坂城神社の東側の道を進み、神社の裏側に出ると村上氏城館跡に碑のある西向きの登城口があり、ここから登っていく、途中、近道の分岐点があり私はこのまままっすぐに行くことにする。ちなみに帰り近道で降りたが非常に急な滑りやすい尾根を登る道です。
竪堀の見られる案内板辺りからつづれ折りの道をひたすら登ること約30分で岩肌の出た葛尾城と姫城の分岐点に到着する。登り口の案内や途中の案内にでてくる姫城が気になっていて、ここから姫城へ向かうことにする。
山裾の踏みつけ道を降りていくと堀切に出る。立派な堀切を越えてさらに山裾道を進むと約10分で姫城への案内板のある分かれ道に出る。ここから南へ約100m進むと両側を堀切で挟まれた姫城の郭に出る。郭には説明板が建てられている。姫城の手前の削平地は馬場がある。
姫城をあとにして岩肌の出た尾根に帰り、葛尾城を目指す。約30分で本丸前の段郭に出る。堀切を挟み一段高い頂上が本丸跡で細長い台状地の北側に祠、南側に東屋があり、東屋の屋根の裏側に説明板が張ってあり、郭の中央西側に葛尾城址碑が建てられている。
北側の切岸に架けられた階段を降りて堀切、削平地を越えて、さらに北へ進むと堀切、削平された尾根の連続で石塁跡と思われる石が転がっている土橋状の尾根を越えると林道へ出る。ここにも説明板がある。
引き返し本郭の東側の降り口(近道)で下山する。


≪ 歴 史 ≫

葛尾城がいつ頃築城されたは定かではないが、天文十七年(1548)の上田原の戦い、同十九年(1551)の砥石崩れで武田軍を破った頃には東北信地方に最大の勢力を誇った村上義清の居城となっている。
天文二十二年 (1553) 武田軍の攻撃によって村上義清は葛尾城を去り、越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼り越後に逃れた。
出城の姫城については葛尾城よりも後に築城されたようです。


≪ 写 真 ≫


坂城神社


坂城神社北側の登城口


近道との分岐点


つづれ折れ道前の竪堀


つづれ折れ道


岩肌の見える尾根の葛尾城と姫城の分岐点


岩肌の見える尾根道


姫城へ向かってすぐの竪堀


姫城案内板のある分岐点


姫城北側の堀切


姫城南側の堀切


姫城の主郭


姫城の馬場


葛尾城主郭前の段曲輪


主郭入り口前の堀切


主郭にある葛尾城址碑


葛尾城主郭


本郭北側の切岸


本郭北側降りてすぐの堀切


本郭北側の曲輪


本郭北側の曲輪北側の堀切


石塁跡


石塁跡を越えた土橋


現地案内板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JRしなの鉄道坂城駅から坂城神社まで徒歩約10分。葛尾城まで約1時間。
<車>
上信越道坂城ICを降りて県道91号を西進、坂城IC入口三叉路を右折、国道18号を北上、田町交差点信号を右折、JRしなの鉄道を越えて、次の交差点を左折、約200m北上し変速交差点を左折、西進し坂城駅前の三叉路を右折、そのまま北上、途中県道が左に折れているがそのまま狭い道を約300m北上すると坂城神社に着く。神社の東側に道を北へ約100mで葛尾城の登城口、さらに川沿いに少し北へ行くと専用駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

坂城神社北側の登城口


葛尾城


姫城


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長野の山城ベスト50を歩く
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米山城

2013-06-07 05:05:46 | 長野県
 米山城

2013/5/4  信州北部遠征(3泊4日)

長野県上田市のお城めぐり

 村上氏の砥石城の出城

≪ お城の概要 ≫

城名: 米山城
よみ: コメヤマ
別称:
所在地: 長野県上田市住吉
現状: 山
築城年代:
築城者:
形式: 山城
遺構: 本郭・二の郭・三の郭・石垣
規模:
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2013/5/4


≪ 訪城記 ≫

信州北部遠征(3泊4日)  2日目、砥石城から出城の米山城に向かう。

砥石城の南側の虎口から急な下り階段を降りて馬の背のような尾根に着き、今度は逆に非常に急な斜面をロープを伝いながら上り詰めた頂上が米山城の本郭で、手前の北側斜面に石垣跡が残っている。
本郭から南へ段に二の郭、三の郭、金剛寺方面からの登城道となっている。
砥石城からの馬の背状の尾根からも東へ登城道がある。
本郭の北側中央に村上義清公の碑、北からの急な登り口付近に説明板と米山城址碑が建てられている。


≪ 歴 史 ≫

築城時期は砥石城と共にはっきりしないが、天文十九年(1550)の「砥石崩れ」のときには、砥石城と共に村上義清勢が籠城して、武田晴信軍を撃退している。翌二十年(1551)には真田幸隆の調略によって砥石城と共に武田軍の手に落ちている。

≪ 写 真 ≫


砥石城方面からの急な上り坂


北面の石垣跡


村上義清公の碑


米山城址碑


本郭


二の郭、三の郭

≪ アクセス ≫

<車>
上信越道上田菅平ICを降りて国道144号を北東へ進み上信越道の高架下を通り、伊勢山の集落へ入る信号を左折、すぐにまた右折して北へ緩やかな狭い道を約700m行くと陽泰寺前の空き地のような駐車場に到着する。他にも登城口がいくつかあります。
砥石城と一緒に訪城するとよい。


≪ 位置図 ≫

米山城


登城口の陽泰寺


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砥石城

2013-06-05 05:11:30 | 長野県
 砥石城

2013/5/4  信州北部遠征(3泊4日)

長野県上田市のお城めぐり

 「砥石崩れ」で有名な村上義清の拠点となったお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 砥石城
よみ: トイシ
別称: 戸石城・伊勢崎城
所在地: 長野県上田市上野
現状: 山
築城年代:
築城者:
形式: 山城
遺構: 砥石城・本城・桝形城・段曲輪・馬場・堀切・土塁・石垣
規模: 標高791m(桝形城)
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2013/5/4


≪ 訪城記 ≫

信州北部遠征(3泊4日)  2日目、真田館から砥石城へ向かう。

真田館の駐車場を出て細い丘陵地の道を西へ西へと向かい、国道144号へ出て南へ、真田氏発祥の郷を通り、神川を渡り、伊勢山の集落へ入る信号を右折、すぐにまた右折して北へ緩やかな狭い道を約700m行くと陽泰寺前の空き地のような駐車場に到着する。ここに車を駐車させてもらう。

駐車場から徒歩で陽泰寺前の道を北へ約300m行った道の左側に三角形の石柱の案内板があり、そこが砥石城の大手道の登城道でつづら折れの山道を10分程登ると桝形城と本城の分かれ道に出る。
まずは右側の桝形城へ向かう。尾根道を登っていくと一番高い場所の非常に急な坂道の下へ出る。用意してあるロープをたどりながら頂上に着くと台地状の削平地に出る。ここが砥石城北端の要害、桝形城で北の端に堀切を挟んで小さな出曲輪がある。現在、北の諸城を見渡す展望台になっていて、見渡せるお城の案内板が建ててある。
引き返して本城へ向かう。
引き返してすぐに立派な堀切のある場所に出る。この堀切を渡ったところが本城の曲輪でちょうど分かれ道の上の当りです。
北の堀切方向に土塁の跡があります。さらに南への降口に石垣跡が残っています。ここから馬場までの間に段曲輪が扇状に何段もあり壮観です。馬場は千畳敷のような広さで大手口と考えられています。
さらに尾根を南に行くと手前に堀切のある一段高い場所に出る。ここが砥石城の曲輪です。ここも険しい上り坂でロープを伝って頂上へ出ると、ここも台地状の削平地で中央に説明板と南側に砥石城址碑が建てられていて、南の諸城を見渡すことができ、見渡せるお城の案内板が建っています。
このお城は村上義清が武田晴信(信玄)を敗退させた戦い「砥石崩れ」として有名な堅固な城です。
砥石城から南へ急な坂道を降りて、また登ると米山城です。
他にも登城ルートがいくつかあるようです。


≪ 歴 史 ≫

築城時期ははっきりしない。
天文十年 (1541) 海野平合戦の頃には村上義清の拠点となっている。
天文十九年八月 (1550) 武田晴信が村上義清の砥石城を攻めるが、落すことが出来ず、引き揚げ時に村上勢の追い打ちを受け、歴代の諸将を失った。この戦いを「砥石崩れ」と言う。
天文二十年 (1551) 真田幸隆が調略をもって砥石城を攻略する。以後、真田氏の拠点となり、真田昌幸による上田城築城以降も上田城の背後の固めの城として重要視された。
慶長五年 (1600) 第二次上田合戦の時のも砥石城が使われたようです。


≪ 写 真 ≫


登城口の陽泰寺


大手道の登り口


桝形城と本城の分かれ道


桝形城へ向かう尾根道


桝形城虎口


桝形城の曲輪


桝形城北端の出曲輪


桝形城と出曲輪の間の堀切


出曲輪からの桝形城


本城北側の堀切


本城北側の土塁跡


本城の曲輪


本城南側虎口の石垣跡


本城南側に広がる段曲輪


本城南側虎口


段曲輪


馬場(大手口)


砥石城手前の堀切


砥石城の切岸


砥石城の曲輪にある砥石城址碑


砥石城の曲輪

≪ アクセス ≫

<車>
上信越道上田菅平ICを降りて国道144号を北東へ進み上信越道の高架下を通り、伊勢山の集落へ入る信号を左折、すぐにまた右折して北へ緩やかな狭い道を約700m行くと陽泰寺前の空き地のような駐車場に到着する。他にも登城口がいくつかあります。


≪ 位置図 ≫

砥石城


桝形城


登城口の陽泰寺


紹介したお城の数 78城



長野の山城ベスト50を歩く
クリエーター情報なし
サンライズ出版