本来は旧暦7月7日の行事であるが、明治の改暦以降は、新暦の7月7日や月遅れの8月7日に行われる。
こと座の1等星ベガは、中国・日本の七夕伝説では織姫星(織女星)として知られている。
織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。夏彦星(彦星、牽牛星)は、わし座のアルタイルである。夏彦もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めた。
めでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。このため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離した。
ただ年に1度、7月7日だけ天帝は会うことをゆるし、天の川にどこからかやってきたカササギが橋を架けてくれ会うことができた。しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず夏彦も彼女に会うことができない。
星の逢引であることから、七夕には星あい(星合い、星合)という別名がある。また、この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれる。催涙雨は織姫と夏彦が流す涙といわれている。
1955年:東京通信工業(現ソニー)が世界初のトランジスタラジオを発売。
TR-52 は、格子の熱変形が発覚し急きょ発売中止、シンプルなTR-55 で発売開始
トランジスターグラマーの語源
1959年7月24日児島明子が日本人として初めてミス・ユニバースで優勝するが、国内のファッション界ではその反動で小柄なモデルがもてはやされたという。
1959年7月24日児島明子が日本人として初めてミス・ユニバースで優勝するが、国内のファッション界ではその反動で小柄なモデルがもてはやされたという。
八頭身よりも「3C(ちいさい・かわいい・かっこいい)」が重視され、「日本人らしい、小型でも高性能のモデル」をトランジスターグラマーと呼んだ。とか。
8月7日生まれの「 今年は、峠 」
1923年:司馬遼太郎(小説家)
1959年下期直木賞 / 1993年文化勲章
長編:「峠」、短編:「英雄児」
幕末の越後藩は長岡の産、河井継之助。
河井継之助は、越後長岡藩を、勤王でも佐幕でもなく「中立」にしようとしたが失敗。
「峠」では、河井継之助が志半ばで死んでしまうシーンで終わっているが、短編「英雄児」では、多くの藩士を死なせた河井継之助は、その家族の恨みの対象とされ、墓にやってきては、鞭打つ人が多かったらしく、河井継之助の奥さんはいたたまれずに長岡から出て行ってしまったという。
河井継之助は、越後長岡藩を、勤王でも佐幕でもなく「中立」にしようとしたが失敗。
「峠」では、河井継之助が志半ばで死んでしまうシーンで終わっているが、短編「英雄児」では、多くの藩士を死なせた河井継之助は、その家族の恨みの対象とされ、墓にやってきては、鞭打つ人が多かったらしく、河井継之助の奥さんはいたたまれずに長岡から出て行ってしまったという。
たしかに墓の隅が欠けているし、「墓に鞭打つ老婆がいた」なんて f-o-q が小僧の頃から、強烈に増幅されていまだに間違ったまま?記憶している。
一人の男としては筋を通したけれど、藩の重役としては、無理な中立を保とうとして、無謀な戦争に藩を引きずりこんでいるし、その才を時代の流れに贖わず活かしていれば。と口惜しい。ましてや、まだ小僧っ子時代の岩村精一郎に通じるわけがない。交渉は決裂。交戦を決意せざるを得なくなることをなぜ予見しなかったのか。
なんてこったい。と f-o-q は怒りに震えたよ。ということを思い出してきた。
諸国を遊学して見識は高すぎるといってよいほど持っていたはずなのに。まっことおしい。戦術家であって戦略にとぼしかったかもしれない。小さい枠に拘らず、広く日本のために戦ってほしかったなぁ。
まだ観てないからコロナ7波がピークアウトしたら行ってこよう。
小僧心に痛快だったガトリングガン連射
10年以上前に、新潟行った帰りに長岡の河井継之助記念館に寄ったけれど、その日はおひとり様だった。きっと今年は賑わっていることでしょう。因みに長岡の殿様は三河出身。
8月7日の誕生花:「 サルビア<赤>:燃える思い 」
和名:サルビア
英名:Sage、Salvia
燃え立つような濃い鮮やかな赤色の花
英名:Sage、Salvia
燃え立つような濃い鮮やかな赤色の花
サルビアは元々ラテン語で
「健康」や「安心」という意味を持つ。
中世ヨーロッパでは、サルビアは少女たちに、
中世ヨーロッパでは、サルビアは少女たちに、
将来の夫を予見させる力があると信じられていた。
寿命をのばしたり、精神力をたかめたり、
寿命をのばしたり、精神力をたかめたり、
悲しみを和らげたりする力があるともいわれていた。
では f-o-q
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます