
コニー・ウィリス「ドゥームズデイブック」 ハヤカワ文庫
高麗神社からの帰り、自転車をばらして電車に乗った。
自転車を持って電車に乗ると注目を浴びることが多い。そのときも一人の外国人が本を読みながら、ぼくをちらちら見ていた。
見られていることよりも、ぼくは彼が読んでいる本の方が気になった。彼が読んでいたのは、コニー・ウィリスのペイパーバック「Passage」だった。
実は、ちょっと前それを読んで、感心したのだ、その手管、テクニック、読者のツボを察知する能力。
まあ、一言で言えば、やられちゃったのよ、その本に。
終末まで一気に読み終わりたいくせに、読み終わったあとの寂寞感にさいなまれてしまい、ぼくは、だから、彼女の他の本も読むはめになってしまった。
それがこの「ドゥームズデイ・ブック」。
生を豊かにするために本を読むのではなく、その本を読むためだけに生きているときがある。
シェンケヴィッチの「クォ・ヴァディス」、デュマの「三銃士」、ワクワクする気持ちでその本を読みたくて、食事だろうが学校だろうが、そんなものは二の次で、大事なのは目が文字を追うことと指がページをめくることだけ。
もちろん社会人になってしまった今日、それが完全な形で再現できるとは思わないが、ずいぶんスケールダウンした形として、ぼくは言える。ぼくはコニー・ウィリスの「ドゥームズデイ・ブック」を読むために、ここ数日生きていた。
それくらい面白かった。いや、面白いというのはどうだろう、ふさわしくないかもしれない。なにしろ悲惨な場面や生理的に受け付けないような場面が続出するのだから。
でも、読み続けたくなる読書を引っ張る力があるのだ。
この人の宗教との関わり方の絶妙さがいい。ときとして狂信家は狭い場所に他人を押し込めようとしたり(しかもそれを善意で! この善意が一番うさんくさいんだ、実は)、他人に自らの狂信を押しつけようとする。それに対する警鐘の鳴らし方がいい。
過去への時間旅行が可能になった未来。女子大生キヴリンは衛生状態が悪く、危険なため誰も訪れたことのない14世紀(トレチェントだ!)に旅立つ。旅行時、すでにウィルスに感染していた彼女は、行った先で倒れてしまう。さらに悪いことに時間旅行の操作者もそのウィルスに感染して朦朧とした意識の中、彼女を誤って目標よりももっと後の時代、ペストの時代に送り込んでしまう。
果たして彼女を待ち受ける運命は………。
ほんと、おもしろかった。文庫本、上下で1200ページほどなのに、あっという間に読み終わった。
ただ、書かれた年代のせいか、時間旅行が可能な時代に携帯電話がないのかよ、とか、この時代はもうトイレットペイパーは使わないんじゃないの、などの感想もあり。