飯嶋和一「出星前夜」 小学館
島原の乱。
苛政とそれに連なる貧困、飢餓が25年の時を隔て人々をキリスト教に帰らせることになった。したがって、そこで戦われたのは、信教の自由というよりも、貧困や飢餓、疫病から逃れ、人が人として生きる権利だったのではないか。
丁寧に人々の困窮する生活を描くことによって、この本はそういう新たな視点をぼくたちに獲得させてくれる。
キリシタンに立ち返ること、それは単にキリスト教を再び信仰する宣言なのではなく、悪政に立ち向かうことを意味したのだ。したがって、ここでのキリスト教は最後の審判を信じ、それまで耐える宗教ではなく、戦う宗教となった。
人々は熱狂し、進んで戦闘に参加した。しかし、著者はその様子を「焼け死ぬことを知らず灯火に吸い込まれていく羽虫の群れの寒々とした光景」と描写する。われわれも知っている、これがどんな結末になったのか。
大変興味深いのは島原で生きるために勃発した蜂起と天草での蜂起とが微妙にそのスタンスを違えている点だ。島原では主謀者は処刑されるにしてもこの蜂起によって藩のめちゃくちゃな政治は公になり、改易など幕府の介入によって残された民衆の生活は上向きになるだろうとの考えで蜂起は起きた。
それに対して天草ではキリスト教の神の国の実現を目指して、そのためには殉教もいとわない覚悟で蜂起した、とこの小説は語る。
島原も天草のジェロニモ四郎に忠誠を誓った以上、全体が天草の殉教へ向かっていってしまう。
生活苦から始まった蜂起がいつの間にか神の国建設の蜂起へと変化するにつれ、、生きるための蜂起が死ぬための蜂起へと変わってきてしまうのだ。
その2つの立場を寿安と四郎という2人によって実感できる形で描写されている。
そして著者は主人公を寿安とすることによって彼の主張を吐露しているのだろう。
同じく島原の乱を描いた堀田善衛の「海鳴りの底から」もすばらしい本なので、できれば2冊あわせてどうぞ。
島原の乱。
苛政とそれに連なる貧困、飢餓が25年の時を隔て人々をキリスト教に帰らせることになった。したがって、そこで戦われたのは、信教の自由というよりも、貧困や飢餓、疫病から逃れ、人が人として生きる権利だったのではないか。
丁寧に人々の困窮する生活を描くことによって、この本はそういう新たな視点をぼくたちに獲得させてくれる。
キリシタンに立ち返ること、それは単にキリスト教を再び信仰する宣言なのではなく、悪政に立ち向かうことを意味したのだ。したがって、ここでのキリスト教は最後の審判を信じ、それまで耐える宗教ではなく、戦う宗教となった。
人々は熱狂し、進んで戦闘に参加した。しかし、著者はその様子を「焼け死ぬことを知らず灯火に吸い込まれていく羽虫の群れの寒々とした光景」と描写する。われわれも知っている、これがどんな結末になったのか。
大変興味深いのは島原で生きるために勃発した蜂起と天草での蜂起とが微妙にそのスタンスを違えている点だ。島原では主謀者は処刑されるにしてもこの蜂起によって藩のめちゃくちゃな政治は公になり、改易など幕府の介入によって残された民衆の生活は上向きになるだろうとの考えで蜂起は起きた。
それに対して天草ではキリスト教の神の国の実現を目指して、そのためには殉教もいとわない覚悟で蜂起した、とこの小説は語る。
島原も天草のジェロニモ四郎に忠誠を誓った以上、全体が天草の殉教へ向かっていってしまう。
生活苦から始まった蜂起がいつの間にか神の国建設の蜂起へと変化するにつれ、、生きるための蜂起が死ぬための蜂起へと変わってきてしまうのだ。
その2つの立場を寿安と四郎という2人によって実感できる形で描写されている。
そして著者は主人公を寿安とすることによって彼の主張を吐露しているのだろう。
同じく島原の乱を描いた堀田善衛の「海鳴りの底から」もすばらしい本なので、できれば2冊あわせてどうぞ。