
立川談春著「赤めだか」 扶桑社刊
名著。
ぼくは志らくのファンで、彼の独演会で、このままじゃ殺される、と思ったことがあった。たたみかけてくる彼の仕掛けに腹をよじって、もうやめて、もうこれ以上笑ったら死ぬ、と。志らくにはそういう狂気のようなものを感じている。
一方、談春は違う。もっと楷書の芸だ。破天荒の志らく、楷書の談春。正反対みたいな二人が立川ボーイズなんてやってた。目つきからヤバイ感じの志らくに対して、見た目普通の談春。しかし、もちろん人間そんな簡単じゃない。そんな簡単じゃない談春の、ビルドゥングス物語であると同時に、師匠談志の最良の描写でもある。
「総数(赤穂藩の武士300人)の中から47人しか敵討ちに行かなかった。残りの253人は逃げちゃったんだ。まさかうまくいくわけがないと思っていた敵討ちが成功したんだから、江戸の町民は拍手喝采だよな。そのあとで皆切腹したが、その遺族は尊敬され親切にもされただろう。逃げちゃった奴等はどんなに悪く云われたか考えてごらん。理由の如何を問わずつらい思いをしたはずだ。落語はね、この逃げちゃった奴等が主人公なんだ。人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいかないと、わかっていてもつい飲んじゃう。(中略)それを認めてやるのが落語だ」という談志の姿に男惚れする。
ずいぶん昔、勘九郎(現勘三郎)に対して、談志が自分の芸以上のものを背負い込んでしまって苦しんでいる、と書いていた。当時の勘九郎を見ていて、現状の歌舞伎の状況をなんとか突破しようともがいている様子が感じられて非常に納得した覚えがあった。でも、その言辞はまさに談志自身へ突き刺さるものではなかっただろうか。自分の芸だけでなく、落語界そのものに焦慮している彼の姿とも重なるのだ。そうした談志の姿をこの本の中で随所に垣間見ることができる。そこも大変貴重だ。
最終章、目白の師匠とのくだりは落語ファンなら、ちょいウルウルかも。