湯かけ祭りの由来
源頼朝が鷹狩りの際に発見したと言われる川原湯温泉。
800年以上の歴史の中で異彩を放つのが湯かけ祭りです。
その由来は約400年程前に突然温泉が噴出しなくなり困った村人がたちが温泉の臭いが卵に似ていると言う事で
ニワトリを生贄に祈ったところ、再び温泉が湧き始まりました。
喜んだ村人たちがお互いに湯をかけ合った事がこの祭りの起源とされています。
その際互いにかけ合いながら
お湯が湧いたお湯が湧いたの叫び声が
現在のお祝いだーに変化したといれています。
お祭り中の選手は喜怒哀楽をお祝いだーに込めて力いっぱいお湯をかけ合います。
その後お祭りを休んだところ村中に疫病が流行して大変な思いをしたため
絶えることなく湧き続ける温泉に対する絶対感謝のお祭りであるとともに
正月20日の大寒の早朝に裸で行う行為は禊の意味も含まれているとも言われています。
お祭りで使われるニワトリは、川原湯地区で大切に飼育され、この日の為に使用しております。
昔から湯しぶきを浴びると無病息災の御利益がある。
と言われております。
湯かけ太鼓の演奏がおわり神事が始まりました。長野原町の議長と町長さんが来ていました。
八ッ場ダムのゼネコンさん国交省の人ツアーの案内の人達も来ていました。
神祓が終わ総大将が先頭つづいて大きなたらい持った両軍の選手がタイマツを手に源泉を汲みに行きます。
持ち帰った源泉を二人の巫女が手桶に分湯して両軍の大将に手渡し王湯の湯船に入れて分湯の儀はおわりました。
樽酒を鏡割りしてお神酒とミカン紅白のお餅入浴材を頂きました。
これから湯かけ合戦が開始しました。
当日の朝の気温は氷点下8度風もあり寒い選手たちからは湯気が上がっていました。最初は父親に無理やり参加させられた小学校の兄弟がしだいに元気よく湯をかけあっていたのが印象に残りました。
選手同士でかけあっていたのも後半はエスカレート観衆にお湯をかけるのは禁止されていたのですがお湯をかけはじめる人もいてびしょびしょになりカッパについた水滴がバリバリに氷ました。
両軍の選手がくす玉を目掛けてお湯をかけくす玉の中から出てきたニワトリを手にした人が今年の福男になります。神前に奉納が終わったら選手はたらい観客は手拍子でシャンシャンシャンをして六時半頃に終わりました。
お昼はやまきぼしさんで昼食を食べる予定なので車で仮眠しました目が覚めても時間があるので八ッ場大橋から不動大橋展望台とウォーキングしました。
神社にあった木の置物がアレとソレに見えましたが子宝の神様かな?
歩きながらやまきぼしさんと赤いえんとつに昼頃行きましたが休みだったので麦の香りに行きました。
こんにゃくがみずみずしく柔らかくて美味しかったです。
今日は王湯が休みなので道の駅吾妻峡で温泉を楽しみ帰ります。
今年は川原湯のお湯をたくさん浴びたから無病息災だー
また来週来ますね。
記事は湯かけ祭りで頂いたチラシから抜粋しました。