ブログ 教育のとびら 100万PV達成記念記事の第2弾です。
ずばり、筆者が考えるこれからの教育の方向性について述べたいと思います。
今、教育をめぐる環境は激変していますね。
一番の激変は、児童・生徒・学生をとりまく情報空間の質と量です。
私たちが小さい頃の教育では、教師が圧倒的な知識量と経験を持っていました。
従って何かを知るには、教師の知識・経験に頼ざるを得ない。
しかし、今日の情報空間とでもよぶべきものは、ありとあらゆる手段で、学び手が情報を簡単に手にすることができます。各種のWebサイトや動画、SNSでの発信などで。
もちろん、小学校低学年までなどでは、まだ情報ツールを扱うスキルや識字などがありますから、多くの大人によるサポートは必要といえるでしょう。
情報の取捨選択と租借のレベルが上がれば、学びは加速度的に進むわけです。
文明生活を維持・発展させるには、過去の蓄積に現在情報が上積みされて、それらをさらに学ばなくてはならいとなると、指数関数的に学ぶ事項が増えてしまい、学び手にとってはオーバーフローする状態となります。これは教師にとっても同じで、教えるコンテンツの増加に加えて、対生徒や保護者とコミュニケーションする技術(ファシリテーション・コーチング・カウンセリング等)、〇〇教育(ITや環境、食etc)に関する知識、主体的対話的で深い学びをサポートするスキル などなど
しかし、教師の多忙さは、もはや限界。
そこで提案したいのは、すべてのスキルをみにつけるスーパーティーチャーをすべての教員が目指すのではなく、もっと生徒の成長を観察し見守り、適切なタイミングと方法で最小限の介入をしたり、学習環境に気を払い各生徒にとって最適にできるように設計してあげたりすることなのだと最近、強く思うようになりました。
いまでも教員向けのスキル研修はいろいろあり、おそらくそれは無限に続くかのようです。しかし、学び手の主役が児童・生徒・学生であることを考えると、まずは、学び手の自己選択や自己決定・自立を視野に、伴走する者としての立ち位置が今後、いっそう必要になってくるのではないかと思っています。
塾でもコンテンツを教えるより学び方や学びのペースをつくってあげる、学び手自信のリフレクションをサポートするところなども増えてきているようです。
そして、もう一つの話題。
学び手の自己選択に関するスタンスの話については、明日のブログでお話したいと思います。