12個の季節

管理人フロートがダラダラ書きます。過去記事ほぼ黒歴史。とはいえ検閲する時間も手間も惜しい。よって黒歴史公開継続中。

【特集】釧路@その1

2009-08-23 08:26:42 | 10・旅行記関連系

09/08/23 [08:26]

どうもおはようございます。
この前、地元釧路に帰ったわけなんですが。
その際あれこれとケータイのカメラでパシャパシャしてきたので
そいつを有効活用して更新しちゃおうぜ!!って
今思いついたのでやっちゃいます。

ちなみに。
今回の特集では、釧路在住もしくは釧路に住んでたことがある方を
主な対象にして進行します。
もしこの記事で興味持っていただけたら、
グーグルマップかなんかで釧路市の地図を見ながら、
あー、この辺かー、みたいな感じで妄想しつつ楽しんで頂ければ、
と思います。

てなわけでー。
釧路帰って一番最初に撮影したのから順番にいきます。

Image133

もうちょっと近づいてみましょうか。
ちかーく、もっとちかーく。

Image134

釧路市の東側に住んでる人はもちろん、
そうじゃない人もそこそこ知ってる神社、
春採神社。
なんかいつの間にか無くなってたみたいです。
太平洋炭礦の安全操業祈願みたいな感じで建立された
神社らしいので、すでに炭鉱なき今となっては
その役目も終えたのでしょうけども、
夏になると毎年、この神社の例大祭が行われてて、
僕は1回しか行ったことなかったのだけども
そこそこ賑わったりもしてたので、なんか残念というか、寂しいというか。
この写真は、そんな賑わいのあった場所の跡地。

じゃ、次ね、次。

Image135

ここは、上の春採神社のすぐ隣に建っていた「ヒルトップ」っていう、
レジャー施設の跡地。
写真には体育館と公民館(?)が写ってますが、
かつては体育館の右側に入浴施設が建ってました。
でもって、手前に写ってる道の左側には宿泊施設も建ってました。
入浴施設はすでに取り壊されてますが、宿泊施設のほうは
まだ辛うじて取り壊されてないようでして、
その写真がこちら。

Image136

窓はベニヤ板でふさがれ、入り口も同様でした。
昔もそんなに宿泊客いるようには見えなかったけど、
それでもこんな姿はやっぱり寂しいもんですよね。
まあ、僕は1回も入ったことなかったんですが。

で。
その「ヒルトップ」って呼ばれていたレジャー施設群のなかで、
今もなお生き残り、かつ自由に人が入れるのが
体育館と公民館、それともう一つ。
「炭鉱展示館」です。

Image140

あんまり大きい施設とは言えないですけども、
地下には実際の炭鉱の坑道を再現した施設があり、
炭鉱で使われていたマシンなども展示されてたりします。
昔からあんま人は入ってなかったけども、
それでも今なお生き残ってるのがなんか嬉しい。
ちなみに、この日は僕を含め7人ぐらいの客が訪れてまして、
管理してるおじさんも炭鉱の技術について熱心に語ってくれました。

で。
このヒルトップ、
日本語訳すると「丘の上」で合ってるかな?
とにかくその名の通り、
釧路市の武佐・春採下町地区と桜ヶ丘・興津地区を隔てる丘、
ってかむしろ軽く山な勢いな高台の上に建っています。
そこからの風景は100万ドル・・・
ってわけではないですけども、
まあそれなりに爽快感のある景色でもありまして。

Image144

写真の右のほうにある、白い学校っぽい建物が、
今はなき僕の中学時代の母校、「武佐中学校」。
現在は市内の私立学校が市から買い受け(?)、
中高一貫教育の学校になり、再び学舎としての道を歩んでたりします。
ちなみに、一番右に写ってる鉄塔(?)が、
釧路地方全域の地上デジタル放送を中継してる
地デジのアンテナ施設でして、僕が高校の時に建ちました。
ま、そんなことはどーでもいいのですが。

ではでは。
お次は坂を下って、春採下町地区のほうへ。
ここは、炭鉱がフル稼働してた時代(もう5年以上前)には
結構賑わってた商店街。
街の端っこのほうにあるくせに、「生協中央店」とか名乗っちゃうぐらい、
昔は賑わってた場所でした。
生協の2階にあった小っちゃなゲームセンターは、
小学生ならそこそこ楽しめたし、
この商店街の一角にあった「綿谷商店」っていう、
靴屋さん兼駄菓子屋さんには、小学校の頃はかなり通ってました。
てな具合に思い出詰まるこの場所なんですが。

Image151

今ではこんな具合にガランとしてました。
月曜の昼過ぎっていう時間帯も影響してはいるでしょうが、
どうやらそれだけが原因じゃないようで。

Image152

この商店街の基幹として、ずっと引っ張ってきてた
中央生協がちょこっと離れた場所に移転したようです。
絵図だけ見ると潰れちゃった勢いです。
まあ、この商店街にとってはどっちにしても「衰退」っていう
結果で変わらないとは思いますが。
で、移転した結果が、どうも商店街のガランとした雰囲気の原因
っぽいです。
まあもともとそれほど賑わうほど品揃えが豊富な商店街ではなく、
けども生活品や食料品、ファーストフードまで
一手に担いつつ商店街を支えてた生協ですからね、
それが無くなれば人足も途絶えるというわけでして、寂しい限り。

でもって、移転先もついでに。

Image159

2階建て→1階建てになりましたが、
広い駐車スペースと、ドラッグストアの併設で
そこそこ賑わってるようでした。
釧路も含め、北海道の地方都市は完全に車社会ですからね、
駐車スペースを広めに取れないと商売にならないわけで。
そこに建物の老朽化も相まって移転、ってのが僕の推理。
あながち的外れでもないはず。
てかむしろ、無難すぎる回答。
ちなみに、この移転先、
以前の建物からそれほど遠くはないっていうか、
むしろチャリで5分圏内にあったりします。
旧中央生協の場所から春採湖方面へ伸びる道路の右手、
昔は太平洋病院、現在の「みなみ病院」の坂の下の方で
かつては太平洋炭礦関連企業とIBMかなんかが入ってたビルの
あった場所にあります。
石炭輸送鉄道の春採駅の真ん前のあたり。

で。
その通り沿いの風景でも。

Image160

Image161

不二家の隣で今も変わらず頑張ってるのが、
地元ではなかなか美味しいと評判な「クランツ」っていう洋菓子屋さん。
この辺のお店って、
何故か昔からあるけど潰れないっていう不思議スポットです。
多分、常連のお客さんがいて、それで十分まかなえてるんでしょうかね。

で。
ついでなので炭鉱の選炭工場と、
石炭輸送鉄道の写真も。

Image155

これが選炭工場。

Image163

でこれが石炭輸送鉄道の春採駅構内。
かつては「釧路臨港鉄道」って社名で、
釧路川(旧名:旧釧路川)から東側に旅客路線も持ってたらしい。
国鉄(現JR)の東釧路駅に乗り入れてたこともあるらしい。
まあ僕が生まれるずーっと前の話ですけども。
何はともあれ、産炭がある日には現在でも春採から港まで石炭輸送するそうで。
北海道で唯一の私鉄(?)、今後も細々でいいから頑張ってくれ。

てなわけで、
とりあえず今回はこのくらいで。

まああれだね!
なんか、寂れた部分しか紹介してないよね、今回!!
実際、寂れてるんだから仕方ないけどね!!
次回はもうちょい、
寂れから目を背けた感じで紹介していきます。

でわでわ今日はこの辺で。
どうもフロートでした。

また明日ノシ

【2,723文字】


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
元釧路市出身です。 (マンタマンタ)
2010-03-11 10:37:04
元釧路市出身です。
適当にアクセスしたら、目に入り、クリックしてみました。

春採神社って、誰が維持しているのかなー。
神主が、いるのだろうか。
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