最後に記事を投稿したのが2019年なので、およそ5年ぶりの投稿です。
なぜ今になってまた記事を投稿したのか?ー答えはただの気まぐれです。
第一に自分自身の備忘録として、副次的に誰かの何かに役に立てる情報発信、そんな意図でブログを再開してみようかなと思い立ったまでのことです。
2024年5月現在、気がつけば34歳のおじさんとなってしまいました。最後の投稿時点ではまだかろうじて20代だったんですね・・・
そこから5年経ったからといって、特に何か大きく成長したわけでもなく、まして何かを成し遂げたりすることもなく、ただただ年だけ食ってるその他大勢のモブキャラっぽい人生を相変わらず過ごしております。
とはいえ、仕事も変われば、家も買い、娘も小学2年生まで成長しました。
同じモブキャラ人生でも、これまでとは少し状況が変わったのかもしれません。
これまでは、周りの個性が強い人の主演作にモブキャラのみで登場していたのが、今では娘の主演作に脇役の父親としても登場するようになったという感じで。
今日はその辺の人生観というか、私自身何を思ってモブキャラのような人生を送っているのかについて頭で整理しながら書き残しておこうかと思います。
「自分の人生の主役は自分自身だ」なんていう言葉をどこかで耳にしたことがあります。
確かにそれはとても勇気づけられるような、何か動き出そうとするとき背中を押してくれるような良い言葉だと思います。
ですが、映画だろうと物語だろうと、主役だけでは話に華がありません。敵がいて、頼れる友人がいて、想い人がいて、家族がいて、そして主役の一挙一動で動かされる大衆がいて。それらの人々が相互に働きかけ、組み合わさることで物語に厚みが出て、華があるお話は出来上がるものです。
死の間際、その瞬間だけは主役でありたい。だがそれ以外の人生は、良い脇役であり、良いモブキャラで過ごしたい。そういう願望が私にはあります。
主役のような有能さや、何か光る才能、賢さや向上心、不屈の心などといったものは何一つ持ち合わせていないですから。また、何か血が滲む努力をして、それらのうち何かを手に入れたいという気持ちもありませんから。それでもなお、物語には登場したいという欲望も併せ持っていますから。
だから脇役、だからモブキャラ。
主役を演じることを諦めた、と見えるかもしれません。そしてそれは確かに一部は正解です。ですが、あくまで一部であり、それが全てではありません。
生きるのが楽な道を自分で選択した結果が、脇役でありモブキャラ。そう、そこには確かに自分の選択と決断があったはずなのです。例え無意識であれ、状況に流されただけであれ。
主役も脇役も、決断に責任が伴うことは変わりありません。どんな物語でもそれは同じと思います。
この道を歩いている自分の選択と決断の責任を改めて確認しつつ、だれかの人生のスパイスであり風景である自分に自信を持って。今日も脇役・モブキャラ人生を歩んでいこうと思います。
以上、人生観?についてでした。
次にまた投稿することがあったときは、思想的な小難しい話抜きで記事を書きたいものです。
それでは、また。
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