12個の季節

管理人フロートがダラダラ書きます。過去記事ほぼ黒歴史。とはいえ検閲する時間も手間も惜しい。よって黒歴史公開継続中。

近況そのに

2019-06-16 01:44:00 | 01・日常(2012/10/1~現在)
前回、いろいろありながらも出産が近付いてるってとこで終わったと思います。
今回はその続きから書いていきます。
 
色々と問題にぶち当たりながらも、なんとか乗り切ってきた妊娠期間。
切迫早産の危機が5月で、そこから3ヶ月ほど経った8月中旬。
予定日が近付きながらも、なかなか生まれる気配が見えない我が子。
この頃の妻は、身重ながらも近所に散歩に出かけたり、友人とバーベキューしたりと、思いの外活動的でした。
病気なわけでもないし、子どもにとってもある程度動いた方が生まれやすいから当然とは妻の段。
男からすると、身体が重いのによく動くという驚き半分、転倒でもしないかという不安半分。
そんな日々の中で、その日は唐突に訪れました。
 
お盆前日、2016年8月14日。
暦上は日曜で、世間一般にはお盆休みの真っ只中。
しかし、自販機の管理・補充の仕事で、完全に休みの日がない仕事をしている私。
飲食業に近いものがあり、パチンコ店やレジャー施設、ショッピングモールなどは休みの日ほどよく売れます。
なので、年末年始もGWもお盆も、常に交代で誰かは出勤し、自販機を回る。そういう仕事なのです。
 
この日も私は仕事でした。
予定日が迫っていたこともあり、それまでにも増してそわそわしながら仕事をしていました。
今でも不思議ですが、何故かこの日は特に仕事のペースが早かった。
普段より2時間ほど仕事が早く片付き、午後2時ぐらいにはその日の仕事の約8割が終了。
少し余裕があったので、妻に様子を電話で聞いてみました。
この時はまだ、陣痛などもなく普通に過ごしていたようでした。
 
午後4時過ぎ、早いペースのままで普段よりもかなり早い時間に会社に戻ってきました。
翌日補充分の製品を積み込み、その日補充した自販機の売上金の精算も済ませ、2Fの事務所に上がったのが午後5時頃。
事務所に戻ると所長から声を掛けられました。予定日が近いこともあり、妻の様子を尋ねられました。
昼過ぎに電話した時の様子を話したのですが、それでも気になったのか、今もう一度連絡するよう言われ、再度妻に電話をかけてみることに。
 
電話をかけると、最初は普通に話していた妻の様子が段々変わっていきました。今この瞬間、陣痛が始まり出したようでお互い大慌て。
 
電話を切り、所長に今の状態を説明したところ、残りの事務処理は別の人に頼むので今すぐ帰宅していいとの事。
大慌てで着替え、今までで一番の速さで妻の実家へ向かいました。
 
妻の部屋に飛び込むように入ると、布団で辛そうにしている妻と、そんな妻の腰を摩っている義母の姿が。
ひとまず状態を聞き、すぐさま妻を乗せて病院へ。
既に座るのも辛いようで、シートを完全に倒して寝そべるような状態で車を走らせました。
 
20分ほどで通院していた病院の救急外来の窓口へ。
たまたま通りかかった、勤務明けの看護士さんが車椅子を持ってきてくれ、妻は車椅子で産婦人科病棟へ。
病棟内の出産時に使う個室に移動しいざ分娩が始まりました。
 
隣の部屋でも別の家族が分娩中にようで、声が漏れ聞こえてきていました。
陣痛から出産までの時間は結構人によって個人差があるらしく、長いと一晩がかりにもなるとのこと。
また、初産婦と経産婦でも違う傾向があるそうで、初産婦の妻は長期戦も覚悟した方がいいと聞いていました。
緊張している私が出来たことは、声をかけることと摩ることぐらい。
もっと他にもしてやれた事があったんじゃないかと改めて思います。
 
いつ終わるのかもわからないまま、力んで息を吐いてを繰り返す妻。
助産師さんと妻がラストスパートをかけていることが隣にいる私にも感じられました。
 
そして陣痛が始まってから約3時間後の19時47分。
ついに我が子がこの世に生まれました。

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