中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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山猫ミャ~との交友録(11):ジョハリの窓;ミャ~は何を考える

2012年05月14日 04時15分57秒 | 丹沢の山旅

                              <2010年3月11日のミャ~君>

       山猫ミャ~との交友録(11):ジョハリの窓;ミャ~は何を考える 

2012年4月28日(水)

 前回4月25日に塔ノ岳に登ってから,中2日置いて,4月28日に,また塔ノ岳に登った.前回は,残念ながら,尊仏山荘の山猫“ミャ~君(以下ミー君)”に会えなかったが,今回は,やっミー君に会うことができた.
 もう,ミー君も,私も,何時何があってもおかしくない年齢である.だから,1回,1回のふれあいがとても大切だ.
 最近,尊仏山荘の客室で,小さな椅子の上に超然と正座しているミー君を見るとある種の威厳・・というか哲学猫のような風格を感じる.
 「やあ・・・ミー君.元気だったかい・・」
私は,ミー君の頭を撫でながら,話しかける.
 ミー君は,私のことは無視して超然と座ったままジッとしている.これがまた良いのだ.

       ************************

 私は,たまたま居合わせたご常連に,前回の登山から使用している「足底板」のことを話し始める.私の話が分かるのか分からないのか良く分からないが,ミー君も温和しくジッと座ったままである.
 私も,つい先日まで,病気のことなど,ついぞ話題にしたことはなかったが,このところ身体の一寸した故障で体調を崩すことが多くなってきた.こういうのを「年を取った」って言うんだなと,実感している.

 ミー君は,私の病気の話など,全く興味がないらしく,大きな欠伸をして,のそのそと畳部屋に入っていく.
 ミー君だって,もう年なのだから,身体のどこかが痛かったり,調子が悪いことがあるだろうが.そんなときでも,痛い痛いと訴えることもなく,ただ一人(一匹),超然と耐えている.そこが素晴らしい.

2012年5月6日(日)  晴

 一昨日の土曜日,1週間ぶりに塔ノ岳を往復した.異常なほど沢山の登山客が訪れていた.沢山のご常連とお会いできたので大変嬉しかった.ただ,尊仏山荘でお茶をしたものの,山猫ミー君には会えないまま下山した.あの哲学者然としたミー君に会えないままだと,何となく物足りない気分になる.
 いつも,ミー君の頭を撫でながら,
 「おい,・・・お前さん.何を考えているんだい・・」
と無言でミー君に話しかける.
 ミー君は表情一つ変えずに,されるままにしている.そこがまたミー君が可愛い所以でもある.

    ******************************

 そんなミー君を眺めているときに,私は何時も「ジョハリ(John and Harry)の窓」を思い出す.このジョハリの窓は,企業の管理者教育に良く使われる代物.今更,当ブログの読者には,釈迦に説法になるが,ごく大雑把に言ってしまえば,次の図のようなものである.
 まず自分の全体像を,4個の四角(□)の枠全体だとしよう.この全体の四角を縦横それぞれ二つの分ける.
 横軸は「他人(ここではミー君)から見た自分(つまりFH)」,
そして,
 縦軸は「自分から見た自分(つまりFHから見たFH)」
を表す.
 横軸,縦軸ともに
 「認識できる」

 「認識できない」
の二つに区分する.
 すると4個の四角の意味が決まる.

 まず,第1象限の四角(一番色の濃い四角)は,自分も他人も同じように認識している自分ということになる.
 そして,第2象限の四角(左上のちょっと濃い色の四角)は,自分は自分のことをこうだと思っていても,他人には理解して貰えない自分である.
 第3象限は自分も他人も認識していない自分(潜在している自分)である.
 そして,最後の第4象限は,自分では分からないが,他人には分かる自分である.
 序でながら,一般的には相手とのコミュニケーションを密にして,第一象限の面積を広くすることが必要である.
 さて最初に,横軸を山猫ミー君にしよう.そして縦軸は私ことFH.すると,ミー君にとってみれば,私など,毎日何十人,何百人と訪れる登山客の1人なので,私のことなど特別に認識している筈がない.だから,第1象限の四角形は,残念ながら,限りなくゼロに近い.それに反して,第3象限がヤケにでかい四角形になるだろう.さしずめ,下の図の(a)という所かな.

 私は,尊仏山荘でミー君の頭を撫でながら,ときどき,こんな馬鹿なことを考えている.
 ・・・で,ミー君と私との関係は,まあ,さしずめこんな所でよいだろう.何の問題もない.

 ところで,一番気になるのは,このジョハリの窓を,自分の交友関係にまで敷衍したときどうなるかである.
 まずは,「他人」のところを,「ミー君」から「山の知人」に置き換えてみよう.そうしたら,ジョハリの窓の各象限は,どのようなことになるんだろうか.

 昨年度の流行語は「絆」だった.
 絆とジョハリの窓の関係はどんなになるんだろう.
 私は,ミー君の頭を撫でながら,ときどき,妙なことを考えている. 

 さてある日の午後,私は近くの鎌倉中央公園を散歩する.
 爽やかな5月.沢山の家族連れで賑わっている.こどもの日は過ぎたが,池の上には相変わらず沢山の鯉幟が泳いでいる.ついつい,鯉幟がジョハリの窓の大きさと,どんな因果関係があるんだろうか・・などと,余計なことを考えてしまう.
 ”どんな媒体,あるいは触媒が,ジョハリの窓にどんな影響を与えるんだろうか”
こんなことを考え出すと,ますます不思議なことが増えてくる.

2012年5月7日(月) 晴

 今日は3週間振りに,掛かり付けの内科医の診察を受ける.
 機械もそうだが,古くなるとだんだんとメンテナンス費用が増大してくる.あちこちの部品が消耗したり劣化したりで,なかなか思うように動かなくなるのは機械も人間も同じである.しかも,困ったことに機械と違って,人間の場合は劣化部品の交換ができない.
 私の場合も,ここ数年,毎年のように,部品がチョコチョコと故障する.その度に病院の診察券が増えていく.困ったものである.
 幸か不幸か,私はこれまで,ほとんど病気らしい病気をしたことがなかった.だから,毎朝,どこも痛いところもなく,毎朝,起きて,何となく一日を過ごして,また,夜寝るという繰り返しが,どれほど有り難いことなのかを,十分に認識していなかった.
 ところが,こんな繰り返しが,ますます自分を意気地なしにしていることに,最近になって漸く気がついた.
 実は,身体の何処かが,一寸痛かったり,不調になると,何だかこの世も終わりになるかのように気分がシュリンクしてしまう.つまり,自分が“とても打たれ弱い”人間だと自覚するに至った.

 例えば,こうである.
 前回紹介した右足の踵に痛みを感じたとき,
 「オレは骨の癌になってしまった!・・・もうダメだ!」
と不安になる.結果は・・・大したことなかった.

 一昨年,目眩がしたときも,
 「オレは脳溢血になったぞ!・・・もうダメだ!」
でシュリンクする.でも,結果的には,大したことなく,4~5日で自然に治った.

 昨年,右足脹ら脛の軽い肉離れのときも,オレはもう一生まともに歩けなくなるんだぞと過度に悲観する.このときも1週間ほどで,もとの状態に戻った.


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 そこで,何時も泰然としている哲学ネコのミー君よ・・・

 お前さん.この頃,右目の調子が悪いようだが,気にならないのかい.気にならないんなら,あたたはとても偉いよ.

 これも素人の暴論かもしれないけど・・・・
 どうやら,広義の体力(人間力とでも言った方が良いのかな)は,精神的な体力(下図では略して精神的)と,肉体的な体力(下図では略して体力)との二つで構成されているような気がしている.
 下図のように,横軸に「精神的に”強い”,“弱い”」,縦軸に「肉体的に“強い”,“弱い”」を取ると,4個の四角ができる.
 この四角を使って,さきほどのジョハリの窓ではないが,自分の体力がどこに位置づけできるか考えてみたい(馬鹿馬鹿しいが・・).

 自分で自己評価すれば,多分,私は上の図の第2象限の左下ぐらいに位置しているだろう.図の「自己評価の現在の私」と書いた「赤丸」の位置だと思っている.

 ところが,塔ノ岳登山中に,お会いする皆様から,私は,
 「お元気なようですね・・・」
という挨拶をしばしば受ける.
 とても有り難くて勇気付けられる.率直に嬉しい.
 でも,背後に,
 「その年齢にしては・・・」
という枕詞が暗に付いていることを,私も十分に承知している.

 つい数日前,三浦アルプスを歩いているときに,同行者から,
 「FHさんの歩く姿は,到底,十歳の方には見えないですね・・・」
と誉められたような,慰められたようなお言葉を頂戴した.ここにも,暗にではなく,明らかに「十歳にしては」という明白な枕詞が述べられている.

 ・・・ま,枕詞が付いているいないは別にして,大方の皆さんから,私は第1象限の白丸に位置する評価を受けているようである.だから,この白丸と私の赤丸とのギャップが,かなり大きいと言わざるを得ない.

 私は,2~3年前から,急性胃炎,右足の肉離れ,めまいなど,ほぼ1年ごとにチョコマカとした身体の故障を経験している.そして,その都度,1週間から10日ほど,余儀なく塔ノ岳行きを自粛してきた.
 もちろんこれらの故障は,どれも特に生命に関わるようなものではなく,一過性のものではある.だがら,早晩,快癒しているが.その都度,精神的にはかなりのショックを受けている.
 つまり,何かあるとすぐに第3象限の赤丸の位置まで,私は落ち込んでしまうのである.時定数が小さいということだろう.言い換えれば,ダンピングファクターが良すぎるのである.でも広帯域に対応していないから,すぐにオーバースイングしてしまう.
 こんなことを書いていると,ついつい学生時代にハンダ鏝を握りしめ,苦労しながら,分布常数増幅器(もちろん真空管)を作っていた頃のことを懐かしく思い出す.

 さて,元に戻って・・・
 第3象限の赤丸を,いかにして第1象限の赤丸の位置まで戻すかが,私にとって,毎回,喫緊の課題になっている.
 その最大の要因は,「あせり」である.
 毎度,
 “このままでは,オレはもう永久に立ち直れないのではないか”
と,極めて弱気になる.
 早く良くなろうとして,事を急ぎすぎる.それが災いして,次の故障を惹起する.こんな負の連鎖がすぐに始まりかねない.
 こんなこと,私も理屈では“良ぉ~く”分かってはいるのだが,ついつい同じことを何回も繰り返してしまう.
 そんなとき,
 「オレは,(精神的に)つくづく弱い人間だな~ぁ・・・!」
と実感する.

 病は心からという.
 円覚寺にでも行って,少し座禅でも組んで,精神修行した方が良いなと思う今日この頃である.

         
<医師なのに,何で遭難するの!?>

2012年5月某日

 北アルプスで何人ものお年寄りが遭難した.それも医師や歯科医師など,私たちが日頃頼りにしている先生方が遭難した.

 伝聞によると,標高の高い春山に行くのに,随分と薄着で,結局は低体温症で亡くなったという.本当にお気の毒である.
 でも,でも,・・・・である.
 なくなられた方には,誠に申し訳ないけれども,冬山も愛する年寄りの私としては,十把一絡げにして,
 「・・・だから中高年の登山は危なくてダメなんだ・・・」
と決めつけられるのが実に悔しい.

 私はもちろん山の素人.でも,某山学校の登攀ガイドに,3年間(さらに2年間追加で),みっちり教わったことは,
 「とにかく安全第一,装備は十分に,無理をするな・・・」
ということであった.
 だから,春の雪山に行く場合は,必ず然るべき登攀ガイドに同行して頂くし,フリース長袖上下,防寒ヤッケ,防寒手袋など必要最小限の装備だけは必ず持参する.でも,持ち物の総重量は極力軽くするようにしている.例えば1週間の山行でも肌着の着替えなど1組しか持って行かない.これも下山してから,乗り物などに乗ったときに,近くの人に悪臭で迷惑を掛けないために,山行最後に着替えるためである.
 それに,行動中に寒くなったからといって,登山途中,強風雨の吹きすさぶ中で,リュックの中から防寒具を出して着るなど,実際には到底出来っこない.
 別にエラソーなことを言うつもりはないが,素人集団の私たち山仲間でさえ,この程度のことはわきまえている.
 同行して頂くガイドが,
 「今日は天候が危なそうだから,行動は止めよう・・」
と判断すれば,今現在,どんなに晴れていても,その判断に率直にしたがっている.

 私たちに山の基本を教えてくれた登攀ガイドのサンダーウエスト氏は,大の雷ぎらい.夏山でも,常に気象情報を確かめながら,少しでも雷の気配があると,その日の行動を止めてしまう.そのために,
 「何で,こんなに良い天気なのに,行動しないの?」
とそのときは不平タラタラ・・・
 でも,後になって,何とか今日まで無事に山登りを続けられるのも,サンダーウエスト氏の教えがあったからだと,深く感謝している.


 さて,そこでまた,ジョハリの窓である.ここは学会とは無関係なブログなので,勝手に拡大解釈する.

 …で,山に関する諸々の事象を考える.
 横軸に「医師・歯科医師」(医師と歯科医師を一緒くたにするなと叱られそうだが・・),縦軸に登攀ガイドを取る.願わくは,濃い緑の面積を出来るだけ広くして貰いたいが,今回遭難された方々は,第2象限(登攀ガイドには認識できる)の面積がいかにも小さすぎたと思える.
 かくいう素人の登山愛好者にとっても,第1象限の面積を出来るだけ広くして貰いたいし,第1象限の面積が大きい方のサポートを,是非,受けたい.多少単価が高くても・・・
 その第1ステップとして,山に関連する諸々のことで,各象限に対応することを,箇条書きにして列挙することから,実証研究を体系的に勧めて貰いたいものだと,つくづく思う.

 やや,話が脱線するが,こんな視点から見ると,例えばピッケルの使い方一つをとっても,ヨーロッパアルプスのガイドが言うことと,日本のガイドの言うことではかなりの差異があるし,同じ日本の中でもガイドによって教える内容がマチマチなことも実に多い.どうやら「登山学」というような学問体系がまだシッカリ確立されていないように思える.まあ,個人的で無責任な発言だが・・・

    ****************************

 さて,ミー君よ!

 お前さんを“ネコッ可愛がり”していたOさんのこと,覚えているかナ・・・ネコは「家につくが人にはつかない」という俗説があるけど,もう,お前さんもOさんのことは忘れちゃっただろうな.ネコだもの・・・
 ところで,つい先日,Oさん関係の“さるお方”から,お前さんとOさんのツーショット写真があったら提供して欲しいという依頼があったよ.もちろん,よろこんで提供しますよ.
 ・・・で,この間の日曜日,半日潰して,ここ5~6年間に撮ったお前さんとOさんのツーショット写真厳選20数枚を選び出したよ.
 近々,このプリントアウトをその方にお送りするつもり.
 でも,折角,抽出したので,その中の何枚かを,次回にでも披露することにしよう.
 そしたら,その次は“ネコ可愛がりのSさん”とのツーショット写真も,時機を見て特集することにしよう.

 今回は,大分,ひねた話になっちゃったな~ぁ・・・

                                          (おわり)

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5cd9bcff095525cac5d387f65e9098da
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