
<2010年春のミャ~君とOさん>
山猫ミャ~との交友録(12):ミャ~よ,Oさんを覚えているかい?
2012年5月某日
このところ,1週間ぐらいの周期で晴れの日と曇りまたは雨の日が繰り返しやってくる.三寒四温っていうやつかな?
私は自分の雑用の都合とお天気のサイクルが旨く合致した日を選んで,塔ノ岳詣でを繰り返している.この療法のサイクルがなかなか旨くかみ合わないので,1週間に2回程度は塔ノ岳に登りたいなと思っていても,結果的には週に1度程度のペースになってしまう.
そんな程度のノンビリ頻度登山では,塔ノ岳累積登攀回数は,せいぜい500~600回程度ではないかと思っている.登山の度に,おおむね30枚程度の写真を撮っているので,塔ノ岳関連の写真は1万500枚から1万8000枚程度の枚数になっているはずである.
その内,ミー君の写真は,多分5パーセント程度.したがって,ミー君の写真は1000枚程度であろう.
ところで,ミー君よ!
お前さん,散々お世話になった元小屋番のOさんのこと,覚えているかな.
あんたにとって,Oさんは命の恩人だよ.
もっとも,ネコは飼い主には懐かず,家になつくというから,ひょっとしたらOさんのことは,もう覚えていないかもしれないね.もし,全く覚えていないとすれば寂しいね.
実は,このほど,Oさんの知人から,
「ミー君とOさんのツーショット写真があったら分けて欲しい・・・」
という依頼があったよ.
私は,もちろん,喜んで,
「OK!」
って返事をしたよ.
そして,1万8000枚もある塔ノ岳関連の写真の中から,お前さんとOさんのツーショット写真を苦労して選び出したんだ.そして,その中から20枚余りを選んで,L版の印画紙にプリントアウトしたよ.
これだけの作業で,丸半日掛かっちゃった.
…で,折角,選び出したんだから,選んだ写真を送る前に,コピーを取ったんだ.
今回は,そのコピーを披露することにしよう.
ミー君よ! お前さんを“ネコッ可愛がり”したOさんとのツーショット写真だよ.
方向が,逆さになったり,横になったりの写真が沢山あるがご容赦.
・・・と,まあ,今回はこのくらいでヤメにしておきましょう.でも,まだまだ沢山,ツーショット写真が残っています.
尊仏山荘にOさんが居られた頃は,これらのツーショット写真が撮りたくて,せっせと塔ノ岳に登っていたと言っても言い過ぎではないだろう.
犬はともかく,その他の動物や家畜と人間の関係は,まあ,大体,「片思い」の関係が多いと思って間違いないような気がする.
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…で,またまた私の妄想が始まる.
つまり,昨今,流行語になって,早くも下火になりつつある“絆”のことが,私には妙に引っかかるのだ.
そこで,前回触れたジョハリの窓を,さらに自己流にアレンジし直してみた.それが下図.つまり「”絆”って何?」のポートフォリオである(こんなのポートフォリオとは言わないよ・・・でも,ここは学会じゃないので,良いじゃないか・・・ということにしておこう).
この図では,縦軸にA,横軸にBを取っている.A,Bは何でも良いが,まずはAを私,そしてBをミー君にしてみよう.すると,Aの私はBのミー君にある種の“絆”があると感じているが,肝心のBなるミー君はAの私に何にも感じていないだろう.
”絆”は英語でBondという.つまり,絆とは,bond A and B,あるいはbond each otherである.つまり,2枚の紙,AとBに例えてみよう.この2枚の紙を貼り付けるには,
(1)紙Aに糊を塗って貼り付ける(第2象限)
(2)紙Bに糊を塗って貼り付ける(第4象限)
(3)紙Aと紙Bの両方に糊を塗って貼り付ける(第1象限)
当然,(3)のbondが一番強固であり,(1)は紙Aの気分次第,また(2)は紙Bの気分次第でbondは強くなったり弱くなったりする(無機質の紙に“気分”など持たせるのはどうかしているって・ まあ,良いじゃないですか!).
ところで,私の家のすぐ近くに瘋癲先生という人物が住んでいる.この先生,かれこれ17~18年ほど前から,ニフティのネットを使ったISフォーラムや,ARENAフォーラムに,ちょくちょくと顔を出していたノラクラ先生である.
私は暫く振りに,先生のお宅を訪れた.
丁度そのとき,瘋癲先生は日当たりの良い廊下で胡座をかきながら,不器用な手つきで足の爪を切っている.
「やあ・・・FHくんか.暫くだったね.元気にしているかね・・」
私は挨拶をしながら,上の図を瘋癲先生に見て貰った.
「はは~ん・・・FHさんよ.君は考えることが小さいね・・・」
「・・・・・・」
「だって,AやBは何でも良いんだろう・・・ネコ,豚,OK.森羅万象何を持ってきても良いんだ・・地震雷火事おやじ・・・もっとも,この頃は親父の陰が薄いけど,マア良いや,皆既日食,太陽,宇宙,信号機,りんご,バロック音楽,なんでもかんでも,順番にAとBに入れちゃおう.それに『感じる』とか『感じない』なんて限定的な言葉ではなく,簡単明瞭にイエス(Y),ノー(N)で良いんじゃないの・・」
私は「イエス,ノー」を聞いた途端に,第2次世界大戦(大東亜戦争って言った方が馴染めるが・・)のとき,シンガポールの山下大将の"yes or no"を連想する.
私は瘋癲先生のコメントを参考にして,図を書き改めた.そうしたら,下の図のようなケッタイな図が出来上がった.この図は題して「”何”って何?」.
「なんじゃ~・・・これは!」
要するに”何”のところには「森羅万象」どんな事象でも入れられる.同様に,A,Bには何を入れても良い.つまり万能ポートフォリオのけったいな構成図である.
でも,これでは茫洋としていて掴み所がない.
なので,Aは,とりあえず1人の人間,そして,”何”は,やっぱり”絆”に固定する.その代わりにBは,変数として任意の事象をとったときに,”絆”はどんな構造になるんだろうか.
Bに色々な事象を代入するにしても,多分,Bは何らかの階層構造で表現できるだろう.すると”絆”も階層構造になるだろうなと予想できる.
こんな馬鹿なことを妄想していると,たまたまテレビの番組で,先日の竜巻の被害者を,福島の被害者が恩返しのためにボランティア活動をしたという報道を見た.感動した.
また,つい先日,塔ノ岳のご常連が観音茶屋に集まって懇親会を開いた.
どちらの場合も”絆”を強く感じた.この実感する絆の重みは,こんなポートフォリオなどクソクラエ.正に“休むに似たり”である.この図など馬鹿馬鹿しいの局地であろう.
「そんなこと,考えている閑があったら,ほんの一寸でも良いから,ボランティアをしなさい.それが本当の”絆”じゃないの・・・」
という“天の声”が聞こえてくる.
「そうだよ! そうなんだよ・・・・本当に必要なのは具体的なアクションだったな~ぁ・・・!」
私は雷に打たれたような気分になった.
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私は定年間際まで実業界に居た,その後,転職して“俄経営学者”あるいは”えせ経営学者”になろうとした.そして,18年もの長い間,経営学の世界で,片隅人生を送ったことがある.
そのとき,私は自分が経営学に如何に疎いかを知ると同時に,大方の経営学者先生が経営の実務,あるいは日陰部分について,全くと言って良いほどご存じないな・・・という感想を持った.
もちろん,ご存じの先生方も沢山居られるだろうし,こう,十把一絡げのような言い方は,恐ろしく厳密さに欠けるのは重々承知している.でも,この実感は,今でも正しいなと思っている.
さてそこで,「”何”って何」に,具体的なキーワード,「”学者・実務家”と絆」を代入してみよう.するといろいろなことが見えてくる.
冗長になるので,これ以上,グダグダもの申すのは止めるが,要するに私が言いたいのは,この図の→の重要さである.経営学の本当の役割は第1象限から第3象限に向かう→を実現することに尽きるような気がしている.
それには第2象限から第3象限に向かう→と,第4象限に向かう矢印の協力が必要である.
いわば二つのベクトルの合力が不可欠である.これこそ産学協同,あるいはプロジェクトチームの神髄だと思うんだよ・・・・“ネェ・・・”ミー君よ!.
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さて,ミー君よ.
今回も,例によって,ずいぶんと冗長で馬鹿馬鹿しい話ばかりしてしまったね.
でも,Oさんとミー君の写真のおかげで,ひさびさに,“頭の体操”させて貰ったよ.私の頭の老化防止に,随分役立っていると思うよ.これもミー君のおかげだよ.ありがとうよ.
(おわり)
「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/01338da1fee3a0666ee54853df8b0b53
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