<馬籠宿上降車場から恵那山を望む>
中山道六十九宿巡り(第11回);第3日目(4):恵那山の展望
(五十三次洛遊会)
2011年11月11日(金)~14日(月)
第3日目;2011年11月14日(月)
<ルート地図>
<再掲>
<長閑な街道を行く>
■十返舎一九の句碑
11時04分,熊野神社前を通過した私たちは紅葉の美しい長閑な谷間の路をノンビリと歩き続ける.
11時10分,十返舎一九の句碑に到着する.
資料2(p.120)および地元の観光資料によると,この句碑には,
渋皮の
むけし女は見えねども
栗のこはめし
ここ乃名物
と書いてあるようだ.
十返舎一九といえば,以前,東海道五十三次を歩いていた頃から,弥次さん喜多さんを一度読んでみたいなと思いながらも,ついつい読まずにいる.
資料1(pp.234-235)によれば,この辺りの集落が島崎藤村『夜明け前』の舞台になったところのようである.
<十返舎一九の句碑>
■農家の庭先
旧中山道は,農家の庭先をかすめるようにして通っている.
11時16分,軒先で何かを洗っている農家の主婦がいる.皆,興味深そうに覗き込む.私たちが挨拶すると.
「みんな,どこから来たの・・?」
と聞く.
「東京の日本橋から,歩いてきました」
と答えると,よくもまあ,突拍子もないことをするねというような顔をする.
通りすがりの地元の方と,ちょっとした会話をするのも,手作り旅のおもしろさである.
それにしても,この辺り一帯は,地下水に恵まれたところのようである.至る所に掛け流しの水が湧出している.
「水が豊富で羨ましいな・・」
と思いながら通過する.
■双体道祖神
11時22分,双体道祖神などいくつかの石像が並んでいる場所を通過する.
作久地方から塩尻辺りまでの街道筋では,沢山の双体道祖神を見掛けたが,木曽谷に入ってから,双体道祖神を見たのはここが初めてのような気がする.でも,私が,これまで単に見落としていただけのことかもしれない.何はともあれ,私には珍しく思えてので,早速デジカメに収める.
■食事処
橋を渡り,川の左岸を下る.
11時20分,食事処に到着する.
「・・少々早いけど,食事にしますか・・・?」
とリーダーの1人が提案する.
でも,まだ時間が少々早いし,もうすぐ馬籠宿に到着する.馬籠宿は観光地なので,多分,食事処は沢山あるだろうということで,ここはパス.
■水車小屋のある風景
11時23分,進行方向右手にある水車小屋の脇を通過する.自然の中にトップリと浸かったような風情がとても羨ましく思える.
「こんなところで,しばらく暮らしてみたいな・・」
と余計なことを考える.
<峠道に入る>
■石造りの中山道標
11時23分,石造りの中山道標に到着する.
その後に神社の境内のようなところがあるが,確かめる時間がない.残念ながら通過.
■石段の道
11時32分,石段の坂道に入る.
土地勘が全くない私たちの頼りは,事前に調べた地図だけである.これから先どうなるんだろうという不安感を常に持ちながら登り続ける.
■峠からの恵那山を眺める
暫くの間,坂道を登り続けて,11時35分に峠に到着する.正面には大きな山が聳えている.恵那山であろう.
進行方向右手は畠になっている.畠では1人の女性が仕事をしている.この女性に声を掛けて,正面の山の名前を確かめたかったが,忙しそうなので,声を掛けるのは自粛する.
「多分恵那山だろうな」
と思いながら,デジカメに写真を収める.
<馬籠上陣場>
■馬籠上陣馬に到着
11時39分,馬籠宿の入口に位置する馬籠上陣馬に到着する.
これまでの鄙びた散策路が一変して,現代風の雰囲気になる.いきなり広大な広場に降り立ったので戸惑うほどである.
正面には恵那山が聳えている.素晴らしい展望である.沢山の観光客が,展望を楽しんでいる.
■恵那山の碑
広場の中程に恵那山の碑が立っている.この前で沢山の人が記念写真を撮っている.
私もこの碑を背景にして,1枚だけ写真を撮っておこうと思う.場が空くのを待って,素早くこの1枚の写真を撮る.
すると,この様子を見ていた見知らぬ男性が,
「写真を撮りましょう・・」
と私に話しかける.私は丁寧に辞退する.すると,男性は折角だから是非撮りましょうという.私は男性の親切に負けて,仕方なく(そんなこと臆面にも出さないが),写真を1枚だけ撮って貰う.
■越境合併記念碑
大きな石碑がある.何だろうと思って近付いて見ると,越境合併の碑である.
どこかの宿で,
「馬籠は岐阜県に取られちゃった・・」
と嘆いてた人のことを思い出す.
私も長野県出身(もっとも私は東信地区の出身だが・・・).やっぱり,藤村縁の地が長野県でなくなったことに,幾ばくかの寂しさを感じている.
■観光客で一杯
広場の一角にある休憩所は,観光客で一杯である.
これまで,ほとんど観光客には会わずに,街道をひたすら歩いてきた私たちには,いきなり沢山の観光客が出現したので,戸惑うばかりである.
地図で確かめると,この広場のすぐ下が馬籠宿のようである.
(つづく)
[参考文献]
資料1;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料3;五街道ウォーク事務局『ちゃんと歩ける中山道六十七次』
資料4;http://tomozoaruku.blog89.fc2.com/blog-entry-228.html
※お断り
時々,当ブログの記事について,誤字・脱字・転換ミスが多すぎるというお叱りを受けることがあります.気がついたときはできるだけ訂正するようにしていますが,所詮,当ブログは管理者の道楽.企業のブログや市販本のように十分に手間暇を掛けているわけではありません.正確さも保証致しかねます.
当ブログは,あくまで仲間内だけで見て頂くことを前提としています.ご不快に思われる方は,どうぞ,当ブログへアクセスはご遠慮いただけますようお願い致します.
なお,引用箇所に誤字があったり,内容が異なることがある場合はご容赦ください.
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5cd2c26b14adf17b4fc35a41564739d6
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/0a114e8cc6bb9c5315c82b0108293ddd
******************************
[編集後記]
2011年12月30日(金)
当ブログとお付き合いしているうちに,瞬く間に今年1年も過ぎ去っていった.
「・・・一体,この1年,お前さんは何をしていたんだい・・?」
と私の心の奥底に住み着いている底意地の悪いもう1人の私に悪態をつく.
「何をしたって!?・・・そんなこと急に言われても答えられないよ・・」
と私はアタフタする.
確かに,今年も,塔ノ岳には,今日の山行も含めて,通算55回登ったし,北アルプス,浅間連峰や海外の山にも出掛けた.
でも,振り返ってみると,だだのんべんだらりと,これまでの生き様をそのまま続けてきたに過ぎないのではないか・・・・あの東日本大震災のときにも,オレはたんなる傍観者でしかなかった.なぜ,もっと知恵を絞って,身の丈にあったに役立ち方をしなかったのか.
こんなぐうたらな私でも,年も押し迫って30日ともなると,この1年のことを振り返り,安易な日々を送ってきたことに後悔すること頻りである.
でも,まあ・・・このブログに関して言えば,毎日数百人の方々にアクセスしていただき,十分な手応えを感じている.アクセスして頂いた方々に,厚く御礼申し上げる次第である.
どうぞ皆さん,良いお年を迎えられますよう心から祈念申し上げます.
来年もどうぞ宜しくお願い致します.
※本日,これから,ご常連の皆様と一緒に,今年最終回の塔ノ岳登山に出掛けます.
今日は韋駄天のTさんが塔ノ岳登頂1700回目の節目を迎える日でもあります.
某山小屋で簡単なお祝い兼懇親会が開催されます.
それにしても,1700回とは凄いですね.
[久々の愚痴おわり]
最新の画像[もっと見る]
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前