<山ノ内から見た六国見山>
山ノ内から鎌倉アルプスを一回り
(某社散策の会)
2008年1月9日(土)
<ルートマップ>
25,000分の1『鎌倉』『戸塚』
※プリントすると綺麗に見えます。
■コース
鎌倉中央公園→山ノ内配水場→北鎌倉(ここから「散策の会」に合流)→名月谷→名月谷登山口→勝上嶽展望台→十王岩展望台→百八ヤグラ→太平山→貝吹地蔵→鎌倉宮→大倉山やぐら群→源頼朝の墓→鶴ヶ岡八幡宮→鎌倉駅
■参加者
Sさん,Oさん,Mさん,Iさん,flower-hill。合計5名(男性4名,アルカリ性1名)
<ハイキング記録>
■北鎌倉へ
この所,寒い日が続いている。今日も鎌倉にしてはヤケに寒い日である。天気は晴。ただ,春の兆しかどうか分からないが,遠くの山々は茫洋と霞んで見えるだけである。今日は,私が18年以上も前に勤務していた某社の職場の有志,4名の方々と,かるく鎌倉アルプス(天園ハイキングコース)を一回りする予定である。JR北鎌倉駅,10時30分集合の約束である。
この所,来週開催予定の某研究会での報告資料作成のために,何かが心の中で引っかかっているために,どうも気分が優れないし,運動不足でもある。どうせ年寄りの早起きで時間はタップリあるので,北鎌倉駅までブラブラ歩きをしていくことにする。
9時35分に鎌倉中央公園を出発する。例により丸山,大平山の尾根伝いに,山ノ内配水場の裏手に廻る。そこから尾根伝いに山ノ内展望台に出る。展望台からは,威風堂々の六国見山が聳えているのが見える。今は真冬。山肌を覆う冬枯れの樹木が,柔らかな朝日を浴びて明るく見えている。私は,この美しい風景を眺めながら,暫くの間,深呼吸を続ける。
展望台の直ぐ先で,散策路は二手に分かれる。左の道を進むと北鎌倉女学園のグラウンドに出る。このグラウンドの脇から眺める富士山は素晴らしい。また右の道を進むと,稜線に沿う狭い階段道になる。この階段道を下ると,北鎌倉の住宅地に出る。どちらも,私のお気に入りの散策路である。
散策路で,どっちの道を下ろうかと迷うが,何となく右足が先に出たので,右の道を下ることにする。のんびりと下っていると,背後から靴音がコツ,コツと響いてくる。振り返ると,着飾った中年の女性が慌てながら降りてくる。私は道端に避けて,ご婦人に先へ行ってもらう。ハンドバックと紙袋をぶら下げた着ぶくれの女性は,やっと重心を取っているような危なっかしい足取りで,階段道を下っていく。
やがて,山ノ内から北鎌倉に出る自動車道に出る。狭い自動車道は,自動車の交通量が結構多い。自動車を気にしながら,道路の片隅を,何となく卑屈な気分になりながら,恐る恐ると進む。
<山ノ内の分岐:左は北鎌倉女学園グラウンド> <十王岩>
■北鎌倉駅で集合
10時05分に北鎌倉駅近くのコンビニに立ち寄る。店の中は暖房が利いていて暖かい。ここまで,寒くて縮こまって歩いてきたので,暖かいのが何よりも有り難い。まだ,時間があるので,暖かい店内で,ユックリと買い物をすることにする。今日は,ご主人は店にいないようである。ここのご主人と他愛のない雑談をするのも,楽しみの一つだが,今日はそれもできない。ちょっと残念。
買い物をした序でに,今日歩くコースの地図を,数枚コピーする。今日の参加者にコピーを渡すつもりである。でも,所詮,今日の同行者は,地図には興味はないだろう。どうせ,直ぐにポッケに仕舞い込んで,一回も見ないだろう。その点が,平素山歩きをしている仲間と,根本的に違うところである。でも,まあ,それでも良いなと思いながらコピーを取る。
私は,少々早めに北鎌倉駅に到着して,駅前の喫茶店で,コーヒーを飲みながら,同行される方々の到着を待とうと思う。そして,10時14分に北鎌倉駅に到着する。近くの喫茶店に入ろうとすると,私より先に北鎌倉駅に到着していたIさんに,いきなり声をかけられる。内心,ビックリするが,コーヒー店に入るのを,即座に止める。
Iさんにお会いするのは,何年ぶりだろうか。確か,私が,まだ某大学に勤務中にお出で頂いたことがあるが,多分,あの時以来だろう。そうだとすれば,もう3~4年も前のことになる。その後,Iさんは,某国立大学で博士号を習得されたという。その話を伺って,私は,
「やっぱり努力家は,ちゃんと結果を残すな・・」
と感銘を受ける。事実,私の周辺には学位が欲しいという方々が,十数名居られる。でも,その後,努力して,実際に学位を取得した方は,ほんの3名しか居ない。Iさんを改めて見直した次第である。
■勝上嶽休憩所
集合時間前に全員が集まる。
10時35分に北鎌倉駅前を出発する。もう,時季外れのためか,あるいは今日特別に寒いためか,北鎌倉周辺は,何時もより観光客の数が少なくて,閑散としている。踏切を渡り,円覚寺側に出る。そのまま建長寺の方に進む。
円覚寺境内の片隅で,観光地図を販売している年輩のご婦人が居る。以前から,この方とは顔見知りになっていて,ここを通るたびに挨拶していたが,ここ暫くの間,姿が見えなかった。久々にお見受けしたが,どうせ私の顔など覚えていないだろうし,今日は仲間と一緒なので,そっと前を通過する。
続いて「猫箱」の前を通過する。珍しく店の扉は開いているが,寒いためかプリンちゃん,ゴハンちゃんの姿はない。残念である。
「猫箱」の直ぐ先から裏道に入る。そして,10時45分に,名月院前を通過する。名月谷を進み,10時50分に名月谷登山口から山道に入る。10年ほど前までは,この登山道は途中から藪道になっていて,道の両側にはヤマユリが沢山咲いていたが,この頃は,ここを通る人が大変増えてしまい,ヤマユリはなくなってしまった。なぜ,綺麗に咲くヤマユリを,わざわざ盗掘するのか,その人の気が知れない。とても残念。
11時07分,今泉台4丁目登山口と合流する。長い階段を登って,11時14分に勝上嶽展望台に到着する。ここまで来ると,建長寺から登ってきたハイカーと出会うようになる。
上空は良く晴れているが,水平線付近には雲が湧いている。富士山だけでなく伊豆,箱根,丹沢の山々も殆ど見えない。寒々とした駿河湾が,日光を反射して光っている。まだまだ春は遠いようである。
■大平山で昼食
11時18分,勝上嶽展望台を出発する。ここからは,定番の天園ハイキングコースに沿って歩き続ける。途中,十王岩展望台で鎌倉方面の見下ろした後,やぐら群を見学するために少々寄り道をする。この辺りのことを記述することは避けるが,見学後,急坂を這い上がって,鷲峰山四国大窪寺薬師如来を参拝する。
そうこうしている内に,だんだんと昼食の時間が押してくる。あまり人混みのところで昼食を食べるのは好ましくないというので,鷲峰山を下った十字路で右折し,覚園寺方面に少し下る。宛にしていた場所は,残念ながら日陰になっている。やっぱり,オーソドックスに大平山山頂直下の広場まで行って,昼食を摂ろうということになる。
すぐに天園ハイキングコースに戻る。そして,ハイキングコースに沿って忠実に歩き続ける。途中,沢山のハイカーや,グループとすれ違う。中高年の方々が大半である。小さな子供連れの家族とも出会う。道すがら,冬枯れの枝の間から,周囲の風景を見下ろすことができる。歩きながら,「やっぱり冬の天園ハイキングコースは一番良いな」と思い続ける。
12時33分に大平山山頂直下の広場に到着する。今日は予想に反して,ハイカーの数は少ないようである。広場の周辺に数組の団体が食事を摂っているだけである。 山頂から岩塊を下り始めたときに,前方から山旅スクールのIさんとすれ違う。
「主人が出掛けたので・・・居ても立っても居られずに登ってきました。天気が良いので家の中でジッとしては居られません」と言う。Iさんは,根っからの山好きだなと感心する。
■北条首やぐら
13時08分に大平山を出発する。途中,峠の茶屋を通過する。店を覗くと,ご常連が,何時も同じ場所に座っているのが見える。相変わらずビールで真っ赤な顔をしている。今日は,同行者が居るので,峠の茶屋に立ち寄るのは止めにする。
峠の茶屋先の展望台で,風景を楽しんだ後,ハイキングコースの順路に沿って,歩き続ける。途中で,Iさんと,Oさんの2人が,後の3人を置いたまま,どんどんと先へ行ってしまう。私は内心で,
「この2人,まだまだ団体登山の心得ができていないな・・・全くダメだ!」
と思ったが,まだ山には駆け出し。ぐっと心の内に収めて,注意はしないでおこう。
先に行ってしまった2人は,放置して,コースの途中から左折して,「北条首やぐら」を見学,ついで偏界一覧亭を柵の外から見学する。ついでに塩の道,塩嘗地蔵,朝夷奈切通のことなどを話題にしながら,ゆっくりと歩く。
明王院分岐で先行の2人が待っている。ここで全員が揃って,瑞泉寺登山口に下山する。今日の途中の急坂は良く乾いているので,滑ることもなく,歩きやすい。
<北条首やぐら> <三浦やぐら>
■大倉山やぐら群
瑞泉寺から鎌倉宮に向かう。沢山の観光客とすれ違う。 14時19分に鎌倉宮に到着する。ここからバスに乗るか歩くかを一同に伺う。全員歩くという。しかも大倉山やぐら群を経由して歩きたいという結構なご希望である。
鎌倉宮から枝道に向けて歩き出す。Mさんの話だと,鎌倉宮から少し離れたところにあるソバ屋は,私達の会社の同僚が商いを始めたところだという。
「ちょっと,覗いてみようか」
という話も出たが,覗いたら,ソバを食べなければならなくなるので,今回は止めようということになる。
途中から右折,絵柄天神前を抜けて,清泉小学校近くの東御門から,更に右折して北へ向かう。山の際の路地を抜けて,大倉山やぐら群のある空き地に到着する。空き地の片隅にある三浦やぐらを見学した後,長い石段を登る。ここにはわざわざ2本の石段が作られている。なぜ,石段が2本もあるのか,鎌倉の年寄り学校で聞いたことがあるが思い出せない。
石段を登り詰めると,中央に大江広元,左に広元の子毛利季光(すえみつ),右に頼朝の子といわれる島津忠久の墓が並んでいる。この程度のことは私にも分かるが,それ以上のことは分からない。
墓の間に,大きな石碑が建っている。これを見ながら,
「難しくて読めないな・・だけど,ここに××と書いてあるのは分かるよ・・」
などと雑談している。
すると,どこからともなく50歳代と思われる男性が現れて,いろいろと説明をしてくれる。どうやら鎌倉のやぐらを研究している専門家のようである。この方の豊富な知識には圧倒される。今まで,flower-hillも色々な方のお話を伺ってきたが,こんなに詳しい方にお目に掛かったことはない。ここで30分ほど,随分と専門的なお話も伺うことができた。ただ,基礎知識に乏しい私には,伺った話の大半が,右の耳から左の耳に抜けてしまったのが残念である。それでも,わずかに記憶に止めたことでも,ここで記述するには,長すぎるので,伺った内容は省略するが,また,この先生にお会いできることを切望している。
<左側がとても詳しい先生> <頼朝の墓>
<大江の広元の書(写真):東京大学所蔵>
※大江広元の書を,先生に見せてもらった。端正でキッチリとした字である。
この先生によると大江広元は,源頼朝よりも,ずっと沈着冷酷な人物だったらしい。
右の一字が源頼朝のサイン。頼朝は余り字が上手でなかったので,部下の書いた書にサインをしたものが
多いとのことである。
■「モア」で懇親会
専門家のお話を伺っている内に,大分時間を喰ってしまった。
山裾を抜けて,15時12分に源頼朝の墓を参拝する。私達が山裾から降りてきたのを見て,数名の観光客から,山裾の先に何があるのかと聞かれる。同行の皆さんが,今見たことを,これ見よがしに,いろいろなことを答えている。
「あまりいい加減なことを言わなければ良いが・・・」
と内心でハラハラしている。
<頼朝の墓> <まだ綺麗な紅葉が見える>
こんな時の受け応えは,リーダに一任するのがグループ活動の基本原則だが,まあ,ここは何の危険もない観光地である。硬いことを言っても仕方がない・・・が,山行のときには,聞きかじったいい加減なことを,知らない人に言うのは御法度である。いい加減な情報が原因で,万一,事故が起きたら,その責任はどうなるかを考えるべきである。
その後,西御門から横浜国立大学付属鎌倉小中学校の脇を通って鶴岡八幡宮に向かう。途中で,偶然,仙人とすれ違う。今日の仙人は,大分彼方此方と歩き回ってきたようである。仙人が元気なことが何よりも嬉しい。
鶴岡八幡宮から若宮幕府跡,大佛次郎邸沿いの裏道を通ろうかと思ったが,Iさんが段葛を通りたいというので,平凡に,檀家面を抜けて,小町通に入る。 15時41分,「モア」に到着する。ここで,軽く祝杯を挙げる。
相談の末,次回の「散策の会」は,2008年3月8日(土)に開催することに決定。
[ハイキング記録]
※鎌倉中央公園から北鎌倉までは除く
■登攀下降高度 軽微
■歩行距離 7.5km
■所要時間(休憩時間込み)
北鎌倉歩き出し 10:35
鎌倉駅前「モア」着 15;41
(所要時間) 5時間06分(5.1h)
歩行速度 7.5km/5.1h=1.47km/h
(おわり)
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ヤグラの専門家に会えたなんて、うらやましいです。
この日、私は、道が崩落しているので物好きしか行かない百八ヤグラの最上段奥で、はじめて他の人と出合いましたが、手に何か紙を持っていました。
今にして思えば、ヤグラの番号を振った地図だったのかもしれません。
一段下のヤグラ道にも人がいましたし、もしかしたら、この日は現状調査をする日だったのかも。
ご指摘のように,ヤグラにとても詳しい先生に会えて,とても幸せでした。
その後,もう一度お会いしましたが,まだ先生のお名前は伺っておりません。
何回か彷徨いている内に,また先生にお目にかかれるだろうと思っています。
それにしても,鎌倉は奥が深いところですね。
これからも宜しくお願いします。