鎌倉北西部後北条ゆかりの地を巡る
(某社OB会)
2007年3月18日(日)
<プロローグ>
3月中旬。桜の開花予想が話題になる今日この頃である。しかし,温暖な鎌倉でも,この所,季節外れの寒い日が続いている。とはいえ,今は空気も澄み渡っているし,蚊やヘビも居ない。それに,冬枯れの木立の間から遠くの景色も良く見える。だから,お散歩には最適の時期である。
こんな頃の一日,私達,某社OB4名は,大船北西部の後北条ゆかりの地を巡るお散歩を楽しんだ。
参加者は,Kさん(営業),Mさん(営業),およびTさん(技術)。それに案内役は私こと地元住民のFlower-hillである。
<ハイキング地図>
<鎌倉北西部散策地図>
<のんびりハイキング>
■丑堰から黙仙寺へ
10時30分に大船駅で待ち合わせる。そして,10時49分に大船駅を出発する。 まずは西口近くを流れる柏尾川に掛かる橋を渡る。橋の欄干から北側を見下ろして丑堰跡を偲ぶ。ここは,柏尾川から水を引く工事が1626年に完成した折に,酷使した牛を堰の守り神としたという言い伝えにあるところである。
続いて,柏尾川沿いの裏道に入る。そして,大船観音の東隣にある黙仙寺を詣でる。数百段もある長い石段をユックリと登り詰める。石段を登るに連れて,木立の間から大船の町並みが見下ろせるようになる。石段の傍らには由緒のありそうな石仏や板碑が並んでいる。この寺は曹銅宗総本山永平寺管長日置黙仙禅師が明治末に開基した由緒あるお寺である。11時01分,石段を登りきって本堂の脇を通り過ぎる。
■住宅地の中の“谷戸の池”と子守地蔵
黙仙寺の墓地の脇を通り抜けて,岡本1丁目の団地に入る。そして,団地南側から,狭くて急な道を下って,玉縄三丁目の住宅地に入る。ここは狭い谷間に複雑に道が作られているので,迷いやすいところである。そのまま北の方向に進んで玉縄二丁目の谷戸の池に到着する。
私が知っている範囲では,鎌倉には谷戸の池が2箇所ある。南の山崎にある谷戸の池は,自然の谷戸の中にある秘境である。しかし,北の谷戸の池は住宅地の真ん中にあり,池の周辺には高い金網が張り巡らされている。池の畔に桜の木が沢山あるが,それでも風情に欠ける印象はぬぐえない。
<谷戸の池近くの子守地蔵>
11時26分に,谷戸の池からほんの少し離れたところにある子育地蔵をお参りする。この地蔵は1862年に茂助禅師が造仏したといわれている。子育地蔵の傍らに1824年に作られた庚申塔が安置されている。
■伊勢山神明社の参道を辿る
11時26分に子育て地蔵を出発する。大船観音下から岡本2丁目に抜ける自動車道を横断して,玉縄中学校方面へ200メートルほど進む。狭い路地に右折して山道に入る。この路地の入口がとても分かりにくいので,100メートルほど行き過ぎてしまう。やっと入口を見つけて路地に入る。11時40分,山道手前の伊勢山神明社本殿に到着する。まだ新築されて間もない綺麗な社殿は,小さな丘の上に建てられている。
<伊勢山神明社本殿>
ここから参道に入る。長い切通の登り坂が続く。山道は道幅が狭く落葉が貯まっている。この山道をゆっくりと登り続ける。
■玉縄城三代の墓
途中から急坂で踏み跡が不明瞭な尾根道に入る。諏訪神社と龍宝寺の間にある尾根である。この尾根の山頂には玉縄城三代,綱哉,氏繁,氏勝の墓がある。
ここからやや急なザレ道を下り,北側の斜面を滑り降りる。勿論,道はない。すると,12時04分に,飛び出すように諏訪神社の境内に至る。境内の日溜まりで昼食を摂る。境内には全く人気がなくて,静寂である。
<諏訪神社>
ここは,玉縄城主北条氏綱の軍神を場内に勧請された。1619年に廃城の際に,ここに移転したものである。そして関谷にあった鎌倉権五郎影政の御霊社と合祀したといわれる。
■立派な名刹龍宝寺
12分35分に諏訪神社を出発した私達は,尾根を越えて南側にある龍宝寺に向かう。そして,12時45分に龍宝寺本堂の前に到着する。この名刹は,北条氏勝が先代氏繁菩提の瑞光院を1503年にここに移転したものだといわれる。玉縄学校の発祥の地
としても知られている。
<龍宝寺境内の石塔>
入口の山門から本堂に向かう石畳の立派な参道がとても印象的である。
入口近くに国指定重要文化財旧石井家住宅が建っている。小田原北条氏の地侍で江戸時代の名主の家である。当時の農家造りの様式を今に伝えている。以前は無料で拝観できたが,何時の間にか,100円の拝観料を徴収するようになっている。
<龍宝寺本殿>
■関谷地蔵尊
12時55分に龍宝寺を出発する。山崎跨線橋に通じる自動車道を横断して,バス停植木谷戸付近から玉縄城址に向かう。植木の谷戸の入口に長屋門がある。この脇を通り過ぎて植木209番地を過ぎた辺りから「七曲がり」の坂道を登る。この道は玉縄城の登城道であった。
陣屋坂との三叉路に「城趾の碑」が建っている。玉縄城は北条早雲が1512年に築城した小田原城の支城で,難攻不落を誇っていた。また,陣屋坂には玉縄城の見張り陣屋があったといわれる。
玉縄城のお堀跡に沿って北上する。「ふあん坂」を下って,深沢方面へ向かうか,それとも予定通り,小雀浄水場の方へ向かうか迷うが,結局,予定通りに歩くことに決める。そして住宅地内の単調な自動車道を北上して,関谷インターチェンジから西南西300メートルほどの道路沿いにある関谷地蔵を参拝する(13時30分)。ここには「本四国八十八箇所内十八番阿波国恩山寺」と書かれた石碑が建っている。
<関谷地蔵尊>
■がっくり橋跡から小雀浄水場へ
自動車道を関谷インターチェンジ方向へ引き返す。インターチェンジの真下に「がっくり橋跡」がある。ここは玉縄城開城の際に,落武者が「がっくり」して渡った橋の跡だといわれている。
インターチェンジの下を潜って,国道1号線に向かう道路の東側の谷間を北上する。やがて民家が途絶えて,一面の畑になる。この畑を通り抜けて山道に入る。山道を登り詰めて,13時48分に小雀浄水場の敷地に突き当たる。左折して13時51分に東正院橋の上に到着する。ここで5分ほど休憩を取る。橋の上から南方面を望むと,手前に玉縄城址が見える。その遠く,玉縄城趾を挟んで左手に天園ハイキングコース,右手に逗子の二子山,南郷山,仙元山がパノラマのように広がっている。
<東正院端から見た玉縄城址遠望>
■長尾城趾へ向かう
13時57分,東正院橋を出発する。浄水場の垣根に沿って東に向かって,暫く進む。やがて,舗装道路になる。ここからなだらかな下り坂を横浜市戸塚区田谷町方面に下り,環状4号線の裏道沿いに笠間大橋方面に進む。笠間大橋の手前から,南側の長尾台町の高台を目指して,細い道を登り詰める。
やがて広大な農地が広がる台地に到着する。ここが長尾城趾である。鎌倉権五郎影政の子孫,長尾影虎(上杉謙信)の長尾氏発祥の地である。後に小田原城の出城として復活した。
<長尾城跡の丘の上にある石碑>
今は城趾とはいえ,城を偲ぶものは何もないが,ここからの港南台方面の眺望は素晴らしい。高台の一番高いところに行ってみる。山頂のヤブの中に「下痢・・」と書いた石碑が建っている。
■不気味な二人連れ
山頂の直ぐ下に1台の車が停まる。2人の中年男性が降りてくる。胡散臭い不動産屋のように見えたので,「触らぬ神に祟りなし」で,2人が通り過ぎるのをジッと待つ。ところがこの2人,全く立ち去る気配がない。そして,私達に近付いてきて,名刺を差し出しながら話しかけてくる。
「・・・私は,カックカクシカジカの人間です・・・宜しくお願いします」
名刺を見ると,大きな顔写真の下に神奈川県会議員○×党○○○○と印刷してある。近々行われる県会議員選挙に立候補する方であった。
■振り出しの大船駅へ
県会議員の○○○○さんに「どうぞ,頑張ってください」と挨拶して,15時10分に長尾城趾を出発する。そして竹林が美しい下り坂を下って,長尾台町の住宅地に出る。そのまま南に向かって,大船観音のある台地に突き当たる。細い登り道を登り詰めて台地にでる。三菱電機社宅跡の脇を通って,黙仙寺入口を通過して,16時15分に大船駅に到着する。
ここで解散。
<ラップタイム>
10:49 大船駅歩き出し
↓
11:01 黙仙寺本堂
↓
11:23 谷戸の池
↓
11:40 伊勢神社
↓
12:04 諏訪神社(昼食)
↓
12:45 龍宝寺
↓
13:30 関谷地蔵尊
↓
13:48 小雀浄水場
↓
14:35 長尾城趾
↓
16:15 大船駅(解散)
■登攀・下降高度 累計約200m
■水平歩行距離 約10km
■所要時間 5時間26分(5.43h)
■歩行速度 10km/5.43h=1.84km/h
(おわり)
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ここが、上杉謙信の父祖の地であることを知ってる人って少ないですよね。
コメント有り難うございました。
今後とも宜しくお願いします。