<山ノ内展望台から六国見山を望む>
初夏のような鎌倉:鎌倉北部社寺史跡と眺望を楽しむ
(山仲間と二人旅)
2010年5月6日(木)
<散策マップ>
■朝寝坊したが良い天気
この時期にしては少し暑いが,朝から良く晴れていて気持ちがよい.
早朝,3時頃目が覚める.
「よおし~っ・・と,今日は塔ノ岳を往復しよう・・」
と思い立つ.それにしても,起き出すには少々早いので,もう一眠りすることにする・・が,これがいけなかった.次に目が覚めたときは,5時少し前である.勿論,この時間に起きても,8時頃には十分に渋沢駅に到着できるので,塔ノ岳を往復する時間は十分にある.しかし,“朝一番バスで登山開始,12時頃には登山を終える”を定型パターンとしている私には,このパターン以外の塔ノ岳はあり得ない.仕方なく,塔ノ岳は諦める.
それにしても,今日は上天気のようである.勿論,こんなときに終日家に閉じこもっていることなどできない.そこで,雑務を早く済ませて,軽く鎌倉くんだりを一回りしてこようかと思い立つ.どうせ歩くならば,私と同じように,散歩に出たいなと思っている人も居るに違いない.そんな人を誘ってみよう.そうすれば一人でフラフラと歩くより,少しは楽しさが増すかも知れない.そこで,俄に“突然旅”を思い立つ.
そうは言っても,余りに早い時間に携帯メールを送るのも考え物.7時を過ぎるのも待って,近場に住んでいる数名の方々に,“これから突然旅をします,時間のある方は一緒に散策しませんか・・”とメールを送る.その結果,結局は浄明寺在住の仙人と2人で,散策をすることになる.
■まずは大船駅から粟船山へ
10時30分に大船駅で,仙人と落ち合う.
「さて,どこへ行きますか?」
「う~ん,何処でも良いよ・・・任せます」
「任せるって言われても・・どうしよう.大船北部の山を一回りして藤沢へ出ても良いし・・常楽寺辺りから北鎌倉,源氏山公園辺りを通って,鎌倉駅に出るのも良いですね・・・」
最初から何処へ行くという当てもない2人は,少々迷うが,結局は,
「鎌倉まで適当に出て『モア』でお茶をしましょう・・」
ということになる.ただ,何処を通るかは,そのとき,その場で適当に考えるということで,10時24分に大船駅ルミネ前改札口から歩き出す.
駅前の横断歩道を何となく渡る.沢山の人が行き来する猥雑な駅前から,交番脇の道を東へ向かう.松竹離山通りを渡る.そして,大船中央病院と三菱電機情報電子研究所の間を抜けて,大船5丁目の住宅街に入る.
急坂を少し登って,石垣の下で右折して,数十段の階段を登る.そして,10時47分,大船むくどり公園に到着する.
「以前,ここへ来ているかも知れない・・」
と仙人が言う.かれこれ数年前に,今は鎌っこ倉ぶの企画をしているお師匠さん,仙人,それに私の3人で,この辺りを隈無く歩き回ったことがある.
公園のフェンス脇から山道になる.直ぐに粟船山山頂に出る.山頂を越えて,桜の木立に囲まれた反対側の斜面に入る.エノキの下にある木曾義仲の長男,志水冠者義高の墓を詣でる.木曾義仲は源頼朝の従兄弟.木曾で平氏打倒の挙兵をしたときに人質として義高を鎌倉に送った.粟津で義仲を討った頼朝に,結局,義高も討たれてしまう.
義高の墓から少し下って道を曲がると小さな祠がある.ここは三浦泰村の妻,姫宮の墓あるいは頼朝の娘大姫の墓とも言われているところである(鎌倉市教育センター,2009,pp.216-217).深い木立に囲まれた質素な墓に,世の無常を感じる.
<姫宮の墓>
<粟船神社>
■常楽寺
大姫の墓の直ぐ隣にある石の祠,粟船神社を詣でてから,山を降りる.常楽寺の生け垣と民家に挟まれた路地を回って,10時58分,常楽寺に到着する.境内に人気はなく,気分が落ち着かなくなるほど静まりかえっている.
仏殿の裏手に回って,鎌倉幕府3代目執権北条泰時の墓を詣でる.ちなみに常楽寺は泰時が開基した寺で,山号は粟船山.
数年前,お師匠さん,仙人,それに私の3人で,4月8日に,常楽寺を訪れて,甘酒を茶碗にたっぷりと入れて貰い賞味したことを思い出す.
「また,あの頃のように鎌倉を隅から隅まで,もう一度歩き回りますか・・」
「そうですね.折角だから『かまくら子ども風土記』を見ながら,片っ端から尋ね歩きますか・・」
風土記片手に全部歩くって,結構,面白そうだな・・私は直ぐにその気になってしまう.
「どうせなら,趣味人倶楽部で10名程度の賛同者を募って,始めるかな」
と,ついつい余計なことを思いつく.
<北条泰時墓>
■小袋谷から北鎌倉へ
バス停常楽寺付近で鎌倉街道との交差点に突き当たる.信号待ちをしていると,道路の向こう側で,手を振りながら,ニコニコしている男性がいる.どうやら仙人の知人のようである.ところが肝心の仙人がキョトンとしている.男性は,
「やあやあ,今日は山でなくて街に現れたんですか・・」
と話しかける.仙人はムニャムニャと適当に挨拶をして別れる.
「こんなひげ面をしているんで,すぐに沢山の人に顔を覚えられるけど,私の方は覚えきれないんです・・誰だったかな・・」
と頼りない.それにしても,仙人は顔が広い.
鎌倉街道を越えると直ぐに三叉路になる.左に行けば尾根伝いに六国見山の山頂に行ける.右へ向かえば北鎌倉へ抜けられる.
「どうしよう・・どっちへ行こうか・・」
ここでまた迷う.六国見山を経由して天園ハイキングコースを辿るか,それとも北鎌倉,源氏山辺りを経由して鎌倉駅へ出るかである.大いに迷う.
「まあ,どうでもいいや・・・」
で,たまたま通りかかった自動車を避けている内に右折,裏道を小袋谷に向かう.途中で再び左折して,横須賀線と小さな尾根を挟んで隣の谷を北鎌倉方面へ向かう.そして,小さなトンネルを潜って,横須賀線沿いの道路に出る.
<北鎌倉美術館>
■八雲神社から光照寺へ
途中,左折して路地に入る.緑深い森の中,長くて急な石段を登って,八雲神社を詣でる.かれこれ7~8年振り.境内に向かって左側の踏み跡をたどる.滑りやすい急坂をほんの数分登ると小高い丘に出る.その先は住宅地が迫っていて行き止まりになる.残念.
再び往路を戻って,線路脇の道に下る.
ここから直ぐ先の権兵衛踏切を,何となく渡り,鎌倉街道に出る.鎌倉街道を,ほんの少し北鎌倉駅寄りに歩く.近くに長女の家があるが,無視して通過.最初の三叉路を右折して,光照寺の前を通過,台の住宅地に入る.
<八雲神社>
<光照寺>
■稲荷社
坂道を登り切ったところで左折して路地に入る.この辺りは左右に路地が枝分かれしているので,道順が少々分かりにくいが,高台にある稲荷社を詣でる.丁度そのとき,稲荷社から犬を連れ老紳士が降りてくる.私たちに何か話し掛けたい様子だったが,面倒なので顔を逸らせて,そっと避けるようにすれ違う.
神社の境内で,眼下の風景を眺めながら,ほんの1~2分,立ち休憩を取る.
<稲荷社>
<稲荷社からの眺望>
■あいにく富士山は見えない
稲荷社から山道に入る.ふかふかに降り積もった枯葉を踏みながら山道を登る.木立の間を吹き抜けるそよ風がなんとも心地よい.
「・・やっぱり,山の中は気持ちが良いですね・・」
と仙人が言う.
細い山道を抜けて,山間の生活道路に出る.この道路は,私も北鎌倉に降りるときに時々使う馴染みの道である.すぐに北鎌倉女学院のグラウンド上に出る.晴れていれば,ここから富士山や丹沢の山が良く見えるが,今日は生憎の高曇りで,残念ながら見通しは利かない.
崖の上からグラウンドを見下ろす.真っ黒に見える制服を着た何百人かの学生が整列している.防災訓練らしい.生徒達が,ユックリと列を整えている.戦中育ちで軍事教練を受けていた私たちの目から見ると,生徒達の動作が,いかにも緩慢で,ダラダラとしていて,だらしなく見える.
「もっと,サッサと動け・・」
と思わず怒鳴りたくなるが,これは詮無いこと.こんなことを感じるのも,自分が年を取った証なのだろう.
<防災訓練:あいにく富士山は見えない>
■山ノ内の展望台
グラウンドからほんの少し南へ進むと,小高い丘の上に出る.丘の上には,2~3年前に整備された展望の良い休憩所がある.休憩所の面積は1反歩ほどだろうか,もと畑だったところである.丁度,昼時なので,ここで眺望を楽しみながら,昼食を摂ることにする.
広場の高いところに切り株を並べた椅子が5~6個並べてある.ここに座って,昼食である.今日は主婦の方が参加していないので,副食物は何もなし.静かにコンビニで購入した握り飯だけをボソボソと食べる.たったそれだけなので,ほんの数分で食事は終える.
ここからの眺望は,とにかく素晴らしい.目の前には目に染みるような新緑が一杯の六国見山が見えている.目に優しい稜線の山である.谷を挟んだ隣に,建長寺の裏山,勝上嶽が見える.その奥,遠くに天園ハイキングコースの山々が連なっている.手前には浄智寺脇から始まる裏大仏ハイキングコース沿いの尾根が見えている.手前の山に自生しているフジの花が見頃である.
私たちは昼食が済んだあとも,暫くの間,景色を眺めながらボンヤリと時間を過ごす.
「ここは鎌倉で一番景色の良い場所ですね・・・」
「・・このまま夕方まで景色を見ながらボンヤリ過ごしたいですね・・」
「・・ゴザを敷いて,夕方まで寝転んでいたいですね・・」
ここからの景色が余りに美しいので,ついつい立ち上がるのが嫌になる.
<山ノ内の展望台>
■鎌倉中央公園へ
12時43分,どちらからともなく,そろそろどこかへ行こうかということになる.たまには尾根伝いに山崎小学校脇に出て,鎌倉中央公園へでも行こうかと仙人が提案する.中央公園に行ってしまうと,中央公園近くに住んでいる私は,そのまま家に帰りたくなるが,それでもいいかと念を押す.
仙人は,中央公園東側の尾根を伝って,梶原口まで一緒に行き,そこでお別れしようと提案する.勿論,私に異論はない.私は歩いてさえいれば,何処でも構わないから.
やっと腰を上げて,北鎌倉女学院グラウンドの方に向かう.丁度そのとき,北鎌倉方面から犬を連れたご婦人と出会う.仙人の知り合いである.私のブログの読者でもある.暫くの間,このご婦人と犬が私たちに同行する.
三人と一匹旅になってから,リズムが狂って,写真を撮るタイミングがつかめなくなる.したがって,写真撮影はここで終わり.
台峯緑地東側の尾根道を伝って,一旦,山崎小学校脇に降りる.つい十数年前まで山崎切通のあった場所である.ここから山崎小学校の校庭を一回りして,魯山人窯跡から小さな谷戸(名前忘れた)に入る.ここは山崎小学校の生徒が丹精を込めて作っている畑がある.この畑を抜けて竹藪に入る.ほんの少しヤブ漕ぎをして,鎌倉中央公園東尾根の散策路に出る.
13時30分,鎌倉中央公園梶原口で,ご婦人と犬にお別れ.仙人と2人だけで園内の梅林で一休みする.
仙人が計画している磐梯山登頂,鎌倉トレッキング会のことなどを具体的に打ち合わせる. 二人旅に戻り,写真を撮る余裕が出る.
<紅葉のような若葉の中央公園>
■○○歳の手習い
13時35分頃,仙人とお別れ.仙人は源氏山公園を経て浄明寺の自宅まで帰る.私は中央公園を通り抜けて,14時15分に帰宅する.
留守中に何通かの郵便が届いている.その中に,神奈川美術協会から届いた封書がある.開いてみると,「神奈川美術協会会員への御推挙の件」という文書が入っている.
嬉しい報せである.私に会員になれというお誘いである.勿論,異論はない.私も喜んで,会員になるつもりである(多少,費用が掛かるが・・).
正に「四十の手習い」を大きく上回る「○○歳の手習い」になるが,面白そうだから始めることにしよう.9回2アウト,カウント2-3の年齢で,未知の分野への挑戦も悪くないなと思いながら,今日一日も平穏に終わった.
そうこうしている内に,明後日(5月8日)には,甲州街道の旅が始まる.
「暇」が「暇」を呼び,ますます「暇」が忙しくなる今日この頃である.
<ラップタイム>
10:24 大船駅歩き出し
10:47 大船むくどり公園
10:25 常楽寺
11:20 北鎌倉美術館
11:30 八雲神社
11:42 権兵衛踏切
11:58 光照寺
11:55 稲荷社
12:07 山ノ内展望台(12:43まで昼食)
13:04 山崎切通
13:30 鎌倉中央公園梶原口
14:10 〃 寺分口
[散策記録]
■水平歩行距離 7.5km
■累積登攀高度 265m
■累積下降高度 221m
■所要時間(休憩時間込み)
大船駅発 10:24
鎌倉中央公園入口着 14:15
(所要時間) 3時間51分(3.85h)
歩行速度 7.5km/3.85h=1.95km/h
[参考文献]
鎌倉市教育センター(監),2009,『かまくら子ども風土記』鎌倉市教育委員会
(おわり)
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c3fcaafc63ed7b072a6d37fc269f278a
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2e2660bcc842d421a134849b0a9ad683
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