中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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春の鎌倉;名残のウメと3.11の黙祷

2013年03月12日 14時25分53秒 | 鎌倉あれこれ

                              <鎌倉中央公園のウメ>

      閑話休題;名残のウメと“3.11”の黙祷
                     (単独散策)
        2013年3月11日(月)

<鎌倉中央公園を”ぶらりぃ”歩き>

■梅林は見頃

 私は文房具を何点か購入するつもりで,午後から散策を兼ねて,自宅から大船駅までブラブラ歩きを楽しんだ.例によって,丸山の尾根沿いにある自宅から,鎌倉中央公園を通り抜けて,大船駅まで片道約7,000歩のコースである.私のお気に入りコースの一つでもある.
 春の訪れとともに,私の目を楽しませてくれた鎌倉中央公園や梶原のウメも,そろそろ見頃を過ぎようとしている.もうすぐ桜の季節を迎えるのが楽しみではあるが.同時にウメの季節ももうすぐ終わりだなと思うと,少々寂しくなる.
 公園で一寸寄り道して,梅林の方まで足を延ばす.
 例年,鎌倉中央公園の梅林のウメは,他の場所より見頃の時期が少し遅れるようである.今年も,今頃が丁度見頃のようである.

<梅林のウメ>

■野辺は美しい
 梅林から谷戸沿いに山崎口の方へ向かう.水田沿いの野辺で沢山のイヌフグリが咲いている.何とも言えない美しさだ.
 私は腰を落として,新緑の柔らかい感触を楽しむ.
 ”やっぱり,春は良いな・・・”
と心の中で独り言をいう.

<野辺は美しい>

■水温む
 散策路沿いの湿地帯を覗き込む.
 春の日射しで,湿地帯の水が,”とろ~ん”と温んでいる.ここもやっぱり春だ.良いなあ.いや,全く,実に良い.
 何時か,この感じを水彩画に仕上げたいなと思う.

<水温む>

<山崎から大船へ>

■山崎の民家のウメ
 鎌倉中央公園を抜けて,山崎の谷戸を大船方面に向かう.
 沿道沿いの民家のウメが丁度満開を過ぎようとしている.
 「寒い最中,苦労して咲いたんだろう…ん,なら,そんなに急いで散らなくても良いじゃないか」
と私は無駄なことをウメに話しかける. 



<山崎の民家のウメ>

■まずはBecker’sでコーヒーだ
 13時30分頃,大船駅に到着する.
 まずは,行きつけのBecker’sに立ち寄って,ホットコーヒーとオニポテを注文する.五十三次洛遊会の知人から頂戴した割引券を使うと,ホットコーヒーは140円.お値打ちである.
 私は,駅のコンコースに面した席に座って,ユックリとコーヒーを賞味する.カリカリに揚げたオポテもなかなかなものである.

<Becker’sのお気に入りのメニュー>

<やるせない気分になる>

■一体どうするんだろう?
 コーヒーを賞味しながら,コンコースを往来する人の群れをボンヤリと眺めている.眺めながら,実は,
 “今描きかけの絵をどう纏めるか・・・”
 “構想中の論文のシナリオをどうするか”
 “夏山は何処へ行こうか”
 “五十三次洛遊会の定例会は何処をどう廻ろうか”
 “浅間山クラブの会合に出席しようか,やめようか”
 “いつ頃,誰と,西丹沢のミツマタを見に行こうか”
など,雑多なことを同時進行で考えている.
 その内に,コンコースの反対側に寝そべっているホームレスの男性が気になり始める.どうやら警察官がコンコースから立ち退くように指示しているようである.
 “そういえば,あのホームレスの人,暫く前からあそこに居るな…随分と持ち物が増えたな”
 男性は,不承不承,身の回りを片付け始める.ユックリとしたペースだが,毛布などをきちんと
たたんでビニール袋に入れている.若い警官は,特に急かせるわけでもなく,ジッと彼の様子を見守っている.
 長い時間を掛けて荷物を片付けた男性は,荷物を引きずりながらコンコースから外へ出て行く.
 “これからどうするんだろう・・・”
と気になるが,私にはどうすることもできない.
 コーヒーを飲みながら,この一部始終を見ていた私は,戦争直後の悲惨な状態にフラッシュバックしてしまう.上野駅の地下道に焼け出された方々が,ビッシリと並んで寝ていた情景をハッキリと思い出す.街には親兄弟を失った“浮浪児”が沢山居た.もし生きていれば私とほぼ同じ年代である.
 そういえば3月10日は東京大空襲の日だ.
 私は丁度旧制中学校1年生.信州小諸から上田にある中学まで汽車通をしていた.あの空襲の夜は,東京から160キロメートルも離れた信州の夜空も天空までどす黒い炎が登っているのが見えた.その前後,日立が米軍艦隊から艦砲射撃を受けていた.爆弾が破裂する音が信州までドスン,ドスンと響いていた.そして,艦載機F6Fが本州を一またぎして長岡を空襲した.私達は竹槍を虚空に向けてヤアヤアと突き上げるしか術がなかった.
 “大日本帝国が困難に立ち入ったときには,必ず神風(台風のこと)が吹いて,鬼畜米英を吹き飛ばしてくれる”
と祈るような気持ちで,神風が吹くのを待ち望んでいた.
 思わず筆が滑ったが,戦中戦後のことを思い出すと,つくづく戦争はイヤという気分になる.
 
<ホームレスの男性と警察官2人>                       <やっとコンコースから立ち退く>

■ルミネ6階の文房具店へ
 Becker’sを出て,ルミネ6階の文房具店に立ち寄る.
 五十三次洛遊会甲州道中の先導役にお送りする地図を入れるA4版封筒を購入するのが目的である.店内にはゴチャゴチャと色々な品物が陳列されていて,何処に封筒が置いてあるか全く分からない.
 探すのが面倒になり,店員に伺う.
 「ここに置いてあります・・」
と私の直ぐ横の棚を指さす.
 “なんだここか・・・灯台もと暗しだな”
と苦笑する.

■偶然,同じ場所で黙祷
 このまま,帰宅するのは未だ早い,
 私は,隣の本屋で,15分ほど色々な本を立ち読みする.宇宙物,大学受験参考書,パソコン関係,経済誌など雑多なジャンルの本屋雑誌を見て回る.
 そろそろ帰宅しようかと思って,エスカレータ付近に移動する.丁度そのとき,館内にアナウンスが流れる.
 「間もなく,東日本大震災が発生した時間です.どうぞ皆さん,黙祷を致しましょう・・・」
 全く偶然だが,あの大地震の時,私は今と同じ場所で,まさにエスカレーターに乗ろうとしていた.あのとき,突然のグラグラで,咄嗟に柱にへばり付いた.館内は直ぐに停電.非常灯が点灯した.
 凄い偶然である.私はあのときへばり付いた柱の脇にいる.何か運命的なものを感じている.
 私は立ち止まって,心底から亡くなられた方々の冥福と被災された方々を祈念して,1分間の黙祷をする.私の出身大学は仙台にある.被害も多大だったと聞いている.学生時代仙石線沿線に下宿していた.聞くところによると,下宿していた場所近くまで津波が押し寄せたようである.
 私はズボラなので,まだ被災地をこの眼で見ていない.テレビの映像や出身校から送られてくる資料類でしか見ていない.私の貴重な青春時代にお世話になった仙台の様子を是非この目で確かめたいなと焦り始めている.
 思い返せば,終戦直後,日本の主だった都市は,今回の被害地と同じように一面の焼け野原になっていた.私も戦後間もない東京と名古屋で一面の焼け野原をこの眼で見ている.あのとき,日本がこんなに復興できるとは夢にも思わなかった.
 例えが悪かったかもしれないが.被災地の一刻も早い復興を願ってやまないし,戦後の日本の復興と重ね合わせて見ると,今回も必ず復興できると信じている.
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 それにしても,今日の私は,このブログに,一体,何を書いているんだろう.
                                         (おわり)

「鎌倉あれこれ」の前回の記事
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1 コメント

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拝見しております (ぐりぐりももんが)
2013-03-13 09:13:57
大船近辺に住む中年オヤジです。
この周辺を上さんとぶらついています。
なので、貴ブログの地図が非常に役に立っています。
梅が大船中央公園はきれいなのを知りましたので、でかけましょう。
ちょっと内陸になりますが、原宿近くの”まさかりが淵・横浜市民の森”もまたきれいですね。
記事を楽しみにさせていただきます。
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