<ヘッケル著『宇宙の謎』>
閑話休題:こわれたPCと『独逸ヘッケル博士原著宇宙の謎』
~この2日間に,まともに読んだ本~
※最近の私は,あまりまともに本を読んだことがない.
ところが,珍しく,下記の2冊の本を読みふけった.
2009年8月10日(月)
■壊れたPC
今日(8月10日)は,鎌倉覚園寺の黒地蔵縁日である.また,杉本寺,長谷寺,安養院などの観音菩薩を参詣すると四万六千日日間参詣したのと同じ御利益を授かると言われている縁日でもある.さらには,由比ヶ浜と材木座海岸で鎌倉花火大会が開催される.
私は敬虔な仏教徒というわけではないが,縁があって鎌倉に住んでいるので,せめて覚園寺の黒地蔵縁日だけでも参拝したいなと,常日頃思っていた.
ところが,昨夜来,台風9号の接近に伴い,鎌倉地方も朝から強い雨が降り続けている.いくら物好きの私でも,風雨の激しい中,わざわざ出かける気にもならない.こんな時は,サンデー毎日の身なので,終日家に籠もったままだった.心の中では,
「昨日,塔ノ岳を往復したばかりなので,まあ,今日一日ぐらい家に籠もっていても,運動不足にはならないだろう・・」
と,極めて都合の良い理由付けをしている.
家に籠もっていると,だんだんと退屈になる.こんな時に,まだ,まとめていないブログの記事でもサッサと仕上げればいいのだが,かえって暇なときには,そんな気は消え失せてしまう.
そこで,壊れたまま放置してあるPCの電源をONにしてみる.
何しろ修理に出したら修理代が9万円掛かると言われて,引き取ってきた代物である.そう簡単に何とかなるものではない.ちなみにヤマダ電気に行って,新しくPCを購入する場合,いくらで下取りしてくれるかと聞いたら,
「・・100円で下取りします.まあ廃却の手数料だけお得ですよ・・」
とにべもない.
<漸く呼び出したWORDの画面>
※ワープロ専用機としてなら,まだまだ使える.プリントもできる.100円なら安い.
私は意地でも,数日前から,このPCを動かしたいと思い始めた.そして,つい2日ほど前に,何とか必要なファイルの救出に成功した.その経緯はこうである.
このPC,サーモセンサーが故障しているので,電源を入れると,まず,「サーモセンサーエラー」で引っかる.
そこで,F1キーを押して継続する.
するとWINDOWSは立ち上がるが,
「プロファイルが読み込めません.プロファイルが壊れている・・・」
という“つれない”メッセージが出てくる.
数分してから,漸く立ち上がるが,プロファイルが故障しているために,電源をONにするたびに,すべての個人用設定を一からやり直さなければならない.さらには,使いなじんできたWORDや通信ソフトのアイコンが画面に出てこない.「スタート」→「すべてのプログラム」を開いても,一覧表からこれらのソフトの名前が消え失せている.
そこで,すでにDドライブに保存してあるWORDで作った文章を呼び出して,WORDを立ち上げる.そして,呼び出した文章は消去して,「新規作成」をクリックして使えるようにする・・・また,Outlookを立ち上げても,肝心のアドレス帳,やりとりした文章はすべて真っ白.しかもpopサーバーや,mailサーバ,アドレス,パスワードをその都度入れなければならないという煩わしさである.
そのうちに,Outlookが壊れはじめて,正常に動作しなくなる.そこでF社製の「@メール」を代わりに使うと,住所ファイルは使えないものの,メールのやりとりはできるようになる.とはいえ,その都度,popサーバー,mailサーバー,アドレス,パスワードを登録しなければならない煩わしさはそのまま残っている.
さて,そこで,この書物,『Windows XP Bible』の登場である.
<問題は解決できなかったが,この本のすばらしさを実感した>
私は,まともにPCの勉強をしたことがない.そこで,今回は,意地になって,穴倉幸則著,2002『Windows XP Bible』(678ページ)を首っ引きにして,いろいろと試みる.
中でも,感心したのは「システム復元」ウイザードである.結局は,完全には復旧できなかったものの,確かに素晴らしい機能だなと実感する.
その後,検索機能を使って,やっとの事で隠しファイルのアドレス帳を引っ張り出して,無事,新しいPC(といっても3年前に購入してスタンドアロンで使っていたもの)に移植した.
<再認識させられる「システム復元」ウイザードの便利さ>
さて,すべてのデータの救出が終えたので,リカバリーソフトを使って,壊れたPCを元の状態に戻そうと試みる.
復元にはWINDOWS立ち上げ直後に,F12キーを押さなければならない.ところが,サーモセンサーが故障しているので,ダイアゴノスティクプログラムに引っかかってしまい,必然的にF1キーを押さないと先へ進めない.
ところが,F1キーを押すと,自動的に壊れたWINDOWSが立ち上がってしまい,F12キーは使えない.
ハードウエアで引っかかってしまったのでは,万事休す.私は,この哀れなPCを,オフラインのワープロ専用機として使うか,それとも100円で下取りして貰って,5万円程度のPCを買おうかと迷っている.
いくら物好きでも,サーモセンサーごときのハードウエアまで手を出す気にはならない.ただ,このままでは,冷却ファンが廻らないので,熱で誤動作を起こしたり,処理速度が遅くなることは間違いない.まあ,そこは,保冷剤を使って,筐体を冷やすなりすれば何とかなるだろう.
もっとも,ワープロ専用機として使う場合は,電源をONにしたままにして使わないと,面倒くさくて仕方がない・・・そういえば,昔,昔のコンピュータは,長時間,シャットダウンすると,次に立ち上げたときに,ディスクが不具合を起こすことが多かったので,なるべく電源を落とさないようにして使っていた.今のコンピュータでも事情は同じなのだろうか? 現役をとっくに卒業した私には知るよしもない.
とはいえ,このPC,2003年から使い込んできた愛機である.
それにしても,この本を改めて読んでみると,WINDOWS XPが実に良くできたOSだと再認識させられる.
こうして,8月10日は,無事,暮れた.
2009年8月11日(火)
■『独逸ヘッケル博士原著宇宙の謎』(明治39年発行)
(何となく惹かれる古典の世界)
早朝,いきなりの地震でビックリする.
台風9号の影響で,鎌倉でも雨が降り続く.また愚痴になるが,今日は天候さえ許せば,軽く塔ノ岳を往復しておきたかったが,こう悪天候ではままならない.
モロッコから帰国した直後は,湿っぽい日本の気候に万歳をしていたが,あれからもう2ヶ月近くにもなるのに,すっきり晴れた日は,ほんの数日しかない.良くもまあ,これだけ雨が降り続くなと感心する.その上に,今回の地震である.
「やっぱり,モロッコの気候の方が恵まれているかな・・・」
などと思い始めている.
所在なく家に籠もって,たまたま,ある本を読み返している.その本が,表題に掲げたエルンストヘッケル(著)岡上梁,高橋正熊(共訳),1906『宇宙の謎』有朋館である.
この本には思い出がある・・・私の父は田舎医者であった.どういう訳かヘッケル博士の著書に関心を持っていた.
戦後間もない頃,私は信州上田にある旧制上田中学校1年生だった.一日に4~5往復しか列車が走らない荒廃した信越本線で汽車通学をしていた.学校帰りの待ち時間に,たまたま入った古本屋で,ほんの数十冊しか並んでいない本の中から,この本を見つけた.父に,
「ヘッケルの本を見つけました・・・」
と報告すると,すぐに買い求めてくるように言われた.
それから暫くして,学制改革が断行され,633制が発足した.
全国に駅弁大学が誕生した.驚いたことに上田にあった蚕糸専門学校が信州大学繊維学部に昇格した.
「あれ・・・あそこが大学になっちゃった!」
私たちは,急速に変革を続ける社会を「あれよ,あれよ・・」と眺めているだけだった.
そして,何となく憧れていた旧制高校はなくなった.訳の分からない間に,私は,同じ学校に6年間も通った後,新制大学へ進んだ.旧制の大学生と同じ寮に入ったが,旧制の人たちに比較して,新制の私たちは,何となく幼くて,勉強もできなかった.
熱力学の教授が,偏微分方程式が分からない私たちの前で,
「何を教えたら良いのか,分からない・・・」
と,思わずため息をついた・・・
私は,ヘッケルの書物を手にしながら,往時を思い出す.
<父の形見の書:ヘッケル著『宇宙の謎』>
あれから幾星霜.
父は,とっくに他界した.そして私は馬齢を重ねて,父より長生きをしている.
私は,時々,父から引き継いだこの本を引っ張り出して読んでいる.
この本を見るたびに,往時のことを,甘酸っぱい気持ちで,懐かしく思い出す.
そして今,決して裕福ではないものの,応分の知識欲を保持しながら,健康にも恵まれて,恙ない晩節を送っているのも,教育熱心だった両親のお陰なのだと,何時も思っている.
ところで,ヘッケル博士がこの本を書いたのは,19世紀末,1899年のことである.
ヘッケルが活躍した時期は,ダーウインの進化論が最盛期を迎えようとしている頃である.彼はダーウインに関する沢山の書を著している.
この本を読んでいると,ようやく黎明期を迎えた19世紀末の希望に満ちた近代科学の姿が手に取るように分かる.私は科学史については全くの素人なので,正鵠を得た論評はとてもできない.しかし,次に示すこの本の目次を概観しただけで,19世紀末の自然科学の様子を垣間見ることができるような気がする.
近年の宇宙論の進展はめまぐるしい.私は素人ながら,「インフレーション」や「力の統一理論」の進展にも大変興味を持っている.学生時代に読んだガモフの本も忘れられない.
でも,一方では,あの“エーテル”にも,とても大きなロマンを感じている.
エーテルの彼方へ,何時の日には,飛び立つ日が来るであろう.そして,あのタコのような姿をした火星人とも会えるだろう・・・もちろん,あり得ないことは百も承知しているが・・・
そんなロマンを含めて,この本は,今後とも私の座右の名著でありつづけるであろう・・・もっとも,ヘッケル博士も,さすがにタコ的生物には言及していない.ウエールズの小説の世界とまぜこぜにしてはいけないが,あえて結びつけて,壮大なロマンに浸りたくなる.
<19世紀,機械文明の恍惚感が感じ取られる書き出し>
※19世紀は科学文明の黎明期,希望に満ちた時代だったように見受けられる.
<エーテルの彼方に,壮大な宇宙の絡繰りが展開する>
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目 次
第1章 宇宙の謎とは何そ
第2章 人体の構造
第3章 人間の生活
第4章 人間の胎生学
第5章 人間の種属発生学
第6章 精神の本性
第7章 精神の階段
第8章 精神の個体発生学
第9章 精神の種族発生学
第10章 精神の意識
第11章 精神の不滅
第12章 本質法質
第13章 宇宙の発生学
第14章 自然の帰一
第15章 神及び世界
第16章 知識及び信仰
第17章 科学及び基督教
第18章 吾人の一元論的宗教
第19章 吾人の一元論的倫理学
第20章 宇宙の謎の解
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この本の訳者は文科大学(東大の前身)心理学教室に関係のある方達のようである.この本は,心理学の専門家でなくても平易に読める内容になっていて,19世紀末の様子を知るのには絶好の書のような気がしている.
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午後になって,まだ,時々強い風が吹くが,雨は止んだ.
雨が止めば家に籠もってばかりでは堪らない.私は家の近くにある鎌倉中央公園を一回りした.雨上がり直後だったので,公園にはまったく人が居ない.近くの森林からはカナカナ蝉の啼き声が絶えず聞こえてくる.
「・・そういえば,立秋は過ぎたな・・」
何だかすっきりと暑い日がないまま,秋になってしまうのだろうか.それにしても,今年の夏は短いな・・・
私は蝉の声を聞きながら,少し“おセンチ”になる.
台風の強風に煽られて落ちたのか,沢山の栗が落ちている.素手では痛くて拾えないが,無理をして3個だけ拾って,難儀しながら,家に持ち帰る.孫が来たら見せてやろうと思っている.
そして・・・
今夜も,枕元にヘッケルの本を置いて,眠くなるまで,あちこちを拾い読みしようと思っている.
今更ながら,亡父のことが懐かしく思い出される.
<中央公園でイガ栗を拾う:秋が近い>
<秋色の鎌倉中央公園>
ところで,今日は一体,何の記事を書いたのだろうか?
(おわり)
「閑話休題」の前回の記事
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「鎌倉あれこれ」の前回の記事
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「鎌倉あれこれ」の次回の記事
(なし)