<寝屋川市秦の路地>
セピア色の画集(9):タイムトンネルの旅:寝屋川の路地
このスケッチは,残念ながら彩色していない.どうして彩色しなかったのか,今になっては分からない.
この絵も50年余り昔,故郷の母に送った絵手紙の1枚である.絵を眺めていると,当時のことが淡い思い出となって脳裏に蘇ってくる.
この絵を描いた頃,私が下宿していた寝屋川の秦は,とても静かな集落だった.ちょっと登り勾配の狭い路地の両側には,古い民家が並んでいた.何時舗装したのか分からない路面は,すでに凸凹になっていた.
例によって,裏に描いてあるセピア色のコメントを読んでみる.相変わらず下手な字だなと失笑.漢字の使い方が,今風でないことに,今更ながら気がつく.
絵の裏には,こんなことが書いてある・・・・
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秦の山の手
この辺は秦のの山の手に当たります.下宿はこの絵の中央にある土蔵の家です.京阪国道からこのせまい坂道を二分程登った所です.この坂道の両側は昔の地主の家許りなので,かまえも大きく,落ち着いていますが,それだけ活気のない時代を忘れた一つの島の様にも見えます.何時この道を歩いても,ほとんど人に会うことがありません.天気の良い日ざかりにねんねこをきた老婆が小路からこの道へゆっくりと出てきて人なつっこ相な目であいさつします.
何年も前,この一角が,まだ,活気のあった頃,ペーブしたこの道も年毎につのる荒波にすっかり寸断されてしまっていますが,それでも小雨の降った日などに,昔の華やかだった頃を思い出す様に,じんわりとその濡れた破れ目を光らせています.
一年も一日の如く,何時も変わらない姿で,じっくりと余生を送っている愛すべき小路です.小説に出て来そうな小路です.
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この青臭い文章を見て,今の私は,
「・・・ああ,恥ずかしい・・」
20歳代の若気の至りである.この絵手紙を読んだ母はどんな感想を持ったんだろう.
このスケッチを描いてから,50年以上の歳月が流れた.私自身,この文章に出てくる老婆の年齢をとっくに越えているだろう.まさに「光陰矢のごとし・・」である.
今日,2009年12月12日(土),
私は,久々に某学会の研究会に出席した.退職後3年,山旅三昧に終始していた私には,たった3年の間に,世の中が変わり,研究テーマの方向や関心事が随分と変わったなと実感した.
正に今浦島の心境である.今更,第一線で頑張ろうとは思わないが,ご時世に遅れるのは,やっぱり不安である.今後は2~3回に1回程度は研究会に出席しようかな・・・など思い始めている.でも,多分,一晩寝れば,またもとのぐうたら爺に戻るだろう.
私の手許には,このスケッチのように,もうすっかりセピア色になってしまったスケッチが沢山残っている.生活の垢みたいなものである.
私自身,このスケッチと同じように,すっかりセピア色になってしまったなと実感する今日この頃である.
「セピア色の画集」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/cb33989bc776d532ee5a4c710fa77eb4
「セピア色の画集」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/07cafbc29702f46d74e3000901595cfb
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