<寝屋川の下宿>
セピア色の画集(8):52年前の寝屋川市秦の下宿
書棚を引っかき回していたら,昔,昔,手慰めに描いていたスケッチが沢山出てきた.正にセピア色の絵である.
このスケッチは,今から52年前,私が大阪府寝屋川市秦という集落に下宿していた頃,書いたものである.
大きな家だった.その離屋の10数畳もある1室で,下宿していた.
部屋から外を眺めると,広い空き地があって,その向こうにも大きな家が建っていた.
下宿していた家は,何分にも古い家なので,あちこちに隙間があって,野良猫やネズミが自由に出入りしていた.そして何よりもすきま風が寒かった.
絵の裏側には,昭和32年2月14日という日付が書いてある.
私が下宿先から信州の母親に送ったスケッチのようである.
私は,この絵を眺めながら,当時のことを甘酸っぱく思い出している.
数年前,昔の下宿が懐かしくて,関西を訪れたときに,この辺りを散策したが,辺りがすっかり変わってしまった.学生時代乗り降りしていた秦の駅も,とっくになくなった.辺りには,当時の思い出と繋がるところは,殆ど見いだせないまま,秦と思われる場所を後にした.
絵の裏を見る.
母に宛てた数行の添え書きを改めて読む.ブルーブラックのインキを使っているようである.52年も経つと,紙もインクの色もすっかり変色している.それにしても下手な字だな.
母は,もうとっくにあの世に旅立った.
どら息子の私の絵手紙を読んで,どんなことを思っていたか,今になっては知るよしもない.ただ,当時のことを,甘酸っぱく思い出すだけである.
52年前は,私も20歳代の青年だった.
それが,もう喜寿の祝いを子ども達にして貰う年になった.幸いなことに,今の私は,まあ,まあ,元気である.しかし,分かれてから久しい母の元に旅立つ日も,そう遠くはないことだろう.
そして,母に会ったら,これらの絵を話のネタにして,昔話をしたいなと思っている.
(おわり)
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