中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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セピア色の画集(8):52年前の寝屋川市秦の下宿

2009年12月12日 09時17分42秒 | 趣味三昧:セピア色の画集

                        <寝屋川の下宿>

         セピア色の画集(8):52年前の寝屋川市秦の下宿

 書棚を引っかき回していたら,昔,昔,手慰めに描いていたスケッチが沢山出てきた.正にセピア色の絵である.
 このスケッチは,今から52年前,私が大阪府寝屋川市秦という集落に下宿していた頃,書いたものである.
 大きな家だった.その離屋の10数畳もある1室で,下宿していた.
 部屋から外を眺めると,広い空き地があって,その向こうにも大きな家が建っていた.
 下宿していた家は,何分にも古い家なので,あちこちに隙間があって,野良猫やネズミが自由に出入りしていた.そして何よりもすきま風が寒かった.
 絵の裏側には,昭和32年2月14日という日付が書いてある.
 私が下宿先から信州の母親に送ったスケッチのようである.
 私は,この絵を眺めながら,当時のことを甘酸っぱく思い出している.

 数年前,昔の下宿が懐かしくて,関西を訪れたときに,この辺りを散策したが,辺りがすっかり変わってしまった.学生時代乗り降りしていた秦の駅も,とっくになくなった.辺りには,当時の思い出と繋がるところは,殆ど見いだせないまま,秦と思われる場所を後にした.

 絵の裏を見る.
 母に宛てた数行の添え書きを改めて読む.ブルーブラックのインキを使っているようである.52年も経つと,紙もインクの色もすっかり変色している.それにしても下手な字だな.

 母は,もうとっくにあの世に旅立った.
 どら息子の私の絵手紙を読んで,どんなことを思っていたか,今になっては知るよしもない.ただ,当時のことを,甘酸っぱく思い出すだけである.

 52年前は,私も20歳代の青年だった.
 それが,もう喜寿の祝いを子ども達にして貰う年になった.幸いなことに,今の私は,まあ,まあ,元気である.しかし,分かれてから久しい母の元に旅立つ日も,そう遠くはないことだろう.
 そして,母に会ったら,これらの絵を話のネタにして,昔話をしたいなと思っている.
 
                      (おわり)
「セピア色の画集」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/15c394d3fe1cb9692a0f5af553b12d8f
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