<峠の茶屋のご常連:可愛いワンちゃん>
初夏の鎌倉アルプスと鎌倉中央公園を散策する(1)
(単独散策)
2009年6月3日(水)
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この所,天気がよいときには丹沢塔ノ岳に登ってばかりいたので,肝心の鎌倉散策がお留守になってしまった.今日(6月3日)は,生憎の天気予報だったので,折角出掛けようと思っていた丹沢行きを諦めた.ところが,どうやら雨も降りそうもないので,久々に鎌倉アルプスから鎌倉中央公園までを散策することにした.
今日は,鶴岡八幡宮から峠の茶屋までは,少し時間を掛けて歩く.
久々に峠の茶屋に顔を出す.何時ものように「エンちゃん」他,ご常連の方々が休憩を取って居られる.そこで,久々に私も雑談に参加する.
午後,大平山から北鎌倉に出る.途中,大船在住のTさん夫妻と,暫くの間,同行する.散策するグループに入りたいというので,「鎌っこ倉ぶ」を紹介する.
北鎌倉から瓜ヶ谷を登って,山ノ内展望台で風景を楽しむ.つづいて,鎌倉中央公園を一回りして帰宅する.
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<ハイキング地図>
<プロフィールマップ>
水平歩行距離 10.8km
累積登攀高度 442m
累積下降高度 395m
<鶴岡八幡宮>
■白旗神社
所用があって,朝,鎌倉駅まで出る.
雨が降るのではないかと心配していたが,どうやら直ぐには降り出しそうもない.それならば,丁度良い機会だから,天園ハイキングコースでも一回りしようかと思い立つ.駅前のコンビニで,オニギリを2個購入して,10時頃,鎌倉駅前から歩き出す.とりあえずは,小町通を真っ直ぐ北へ,途中から若宮大路に出る.
10時18分に鶴岡八幡宮に到着する.
鶴岡八幡宮の石段を登るのが面倒なので,参道の途中から右折して,まずは白旗神社を参拝する.改めて拝見すると,唐破風の下に漆塗りの柱がある素晴らしい社殿である.この神社の祭神は源頼朝と実朝である.
『かまくら子ども風土記』によると,1590年(天正18年),小田原北条氏を討った豊臣秀吉は,白旗神社に安置されている源頼朝の木像を見て,
「低い身分から身を立てて天下をとったのは,あなたとわたしだけである・・・」
と話しかけ,木像の肩を叩いて立ち去ったといわれる(鎌倉教育研究所,2000a,pp.112-113).
<白旗神社> <静桜>
■由比若宮遙拝所
白旗神社の前に「由比若宮遙拝所」という立て札が立っている小さな空き地がある.ここで,何時,誰が,どのように由比若宮を遙拝するのかは,浅学の私には分からない,
由比若宮は,1063年(康平6年),源頼義が源氏の守り神として,京都の石清水八幡宮を勧請したものである.1081年(永保元年)に源義家が修復した.後に,鎌倉入りした源頼朝が1180年(治承4年)に,現在の地に遷座したのが現在の鶴岡八幡宮である.
義家は後三年の役に従った関東の武士に私財から恩賞を与えた.このことが,後に源氏が関東武士団を纏める大きな誘因になったといわれている(鎌倉商工会議所,2008,p.22).
私は,遙拝所の前に立って,歴史の襞を思い出している.
<由比若宮遙拝所>
■二の鳥居の石柱
久々に鎌倉国宝館を覗いてみようかと思う.ところが,今日は展示品の入れ替えとかで休館である.折角,見る気になったのに残念である.
国宝館に入口から,向かって右側に,大きな歌碑が建っている.この歌碑は,もともと二の鳥居の石柱だったものである.今は廻りの木の若葉が生え茂っていて,石柱が良く見えないが,この歌碑には,源実朝の歌,
“山はさけうみはあせなむ世なりとも君にふた心わがあれめやも”
が彫ってある.鎌倉文化連盟が1942年(昭和17年)に建てたものである.
実は,二の鳥居のもう一方の石柱は,爆弾三勇士碑として鎌倉山1丁目にある.
昭和17年といえば,第二次世界大戦が始まった翌年である.私には,世界大戦と言うよりは,大東亜戦争と言った方が馴染めるが,軍国主義が正に絶頂期だった頃である.当時の歴史観に基づいて,これらの石碑が建てられたことは容易に想像できる.
私はこの歌碑を眺めながら,昔々のことを,ほろ苦く,かつ,甘酸っぱく思い出してしまう.
それにしても,この歌碑を建てた鎌倉文化連盟とは,どのような組織だったのだろうか.私にはまだ調べが付いていない.
<二の鳥居の石柱> <鶴亀石>
■鶴亀石
白旗神社の近くに鶴亀石という不思議な石が安置されている.この石の表面を洗うと,それそれ鶴と亀の文様が浮かび上がる有り難い石だという.残念ながら,私はまだ鶴亀の文様を見たことがない.
<天園ハイキングコース>
■鎌倉宮
静御前終焉の地に植えられた静桜の脇を通って,畠山重忠屋敷跡側の鳥居から鶴岡八幡宮の外へ出る.
清泉小学校の北側の道を東へ進んで,大倉幕府跡を横切る.大倉幕府は1118年(治承4年)から1225年(嘉禄元年)までの源氏三代45年間,幕府だった所である.その頃は,一体どんな様子だったのだろうかと想像しながら歩き続ける.
この辺りまで来ると,観光客の姿は大分少なくなる.そして,10時47分,鎌倉宮に到着する.境内の西側で何か工事が始まっている.私はそのまま境内を通り抜けて,10時59分,紅葉ヶ谷にある瑞泉寺登山口に到着する.
■偏界一覧亭
天園ハイキングコースに入る.登山道は濡れていて滑りやすい.私の前を行く年輩の方が,滑る路面に立ち往生している.登山道の周囲には,鬱蒼とした大木が並んでいる.
急さかを登りきって,明王院へ向かう道との三叉路に到着する.ここを左折する.すぐに十二所神社に下る道を分岐する.そして,ほどなく偏界一覧亭の脇を通過する.
瑞泉寺庭園は無窓国師が造園した.この庭園の後山にある十八曲の急坂を登り詰めた錦屏山山頂に,この偏界一覧亭が建てられている.ここに鎌倉五山の僧がしばしば集まって詩会を催していたという(鎌倉市教育研究所,2000,p.86).
<偏界一覧亭>
■北条首やぐら
路傍に道案内の石柱がある.この道案内に沿って,登山道から右折する.ほんの1~2分,胡桃山山麓の道を進むと北条首やぐらに到着する.ここは北条一門の墓と伝えられている.ここに法条高時の首が葬られたのか,私には分からない.
<北条首やぐら>
■貝吹地蔵
急坂を登って,11時21分,貝吹地蔵に到着する.1333年(元弘3年),新田義貞の鎌倉攻めのとき,北条高時の首を新田勢に渡さないために,家来が高時の首を持って逃げ回った.このとき地蔵が貝を吹きながら,偏界一覧亭から,この辺りの谷間に導いたという言い伝えがある.
東勝寺で北条高時以下一族283人,総勢870人が自害した.このとき高時の上に沢山の一門の人達が折り重なるようにして自害し,さらに東勝寺は全焼した.従って,現実にはどの首が高時か区別することはできない筈だという.従って,貝吹地蔵の逸話は現実にはあり得ないという.
<貝吹地蔵>
■歴史的風土保存地区
天園ハイキングコースや名月院裏山に,「歴史的風土保存用地」と書いた看板が建っている.この看板に出てくる「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」とは,俗に「古都保存法」と呼ばれている法律のことである.
鶴岡八幡宮後背部の緑地開発を巡って,開発側と反対派が激しく対立した.このとき,大佛次郎ら著名人や多くの市民が加わって反対した.いわゆる「御谷騒動」である.この騒動が切っ掛けになって,1966年(昭和39年),古都保存法が成立した.
これが,日本初の「ナショナルトラスト運動」となった.
こんな経緯に思いを馳せながら,天延ハイキングコースを歩くと,このコースに一層の愛着を感じるようになる.
<峠の茶屋>
■東郷元帥の書
大きな木が立ち並ぶ尾根道を進む.ときどきハイカーとすれ違う.さらに尾根道を進む.やがて右手に竹林が現れる.やがて,獅子舞からの登り坂と交差する.この交差点を右折してすぐのところに,大きな石がある.この石に彫られている字は,東郷元帥の書だと言われている.
■峠の茶屋のご常連
11時40分,六国峠にある峠の茶屋に到着する.峠の茶屋に入る.暫くの間,ここを訪れていないので,少々敷居が高い感じがする. 茶屋に入ると,女主人が,
「おや,しばらく・・・いらっしゃい!」
と愛想良く私に挨拶する.
取りあえず,ジュースを所望する.
客席を見回すと,Eちゃんがご常連2人と陣取っている.私もEちゃんの近くに座って,雑談に加わる.雑談の内容は,多岐に渡ったが,ここでは省略する.
その内に,お馴染みのワンちゃんが登場する.まるで子どものようにチョコチョコと動き回る仕草がとても可愛い.
「写真に撮らせてください・・・ブログに掲載しますよ・・・」と承諾を得て,何枚かの写真を撮る.
<峠の茶屋>
■峠の茶屋で昼食
丁度昼時である.私も峠の茶屋で,持参した昼食を摂ることにする.
涼しい海風が吹いてくる.平日のためか茶屋には数名の客しか居ない.食事をしながら,話題が仙人のことになる.Eさんから,
「この頃,先任に会いましたか?」
と質問を受ける.
「・・・実は,今日,『峠の茶屋で落ち合わないか』って,仙人に携帯メールを入れたんですが,彼,今日は源氏山の方へ出掛けてしまったようです・・・」
「仙人,この頃,余り体調が良くないって言っていた・・・今どうなんだろう?」
と心配する.
<峠の茶屋のご常連>
(つづく)
[参考文献]
鎌倉市教育研究所(編),2000『かまくら子ども風土記(上巻)』鎌倉市教育委員会
かまくら商工会議所(編),2009『改訂版かまくら観光文化検定公式テキストブック』かまくら春秋社
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/7a8ddf34d9f3df358e83e025ffb73985
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/6cb78c6c0e97906d5c8728ef6f2b22a7
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