<深沢の路傍>
陽春の昼下がりは図書館でリフレッシュ;中国芸術の歴史って凄いな
(鎌倉深沢図書館に入り浸り)
2018年5月14日(月) 爽やかな晴れ
朝からお天気は上々である.
今日も初夏を思わせるような爽やかさである.少々気温は高いけど…
午前中は例によって,色々やっている内に瞬く間に終わってしまう.
さて,午後からは毎日恒例のお散歩だ.
私は,ノートを1冊持ってそそくさとお散歩に出掛ける.何時ものようにお散歩の出発点は鎌倉中央公園淸水塚口である.ただ,どういう風の吹き回しか分からないが,私の足が勝手に何時もとは違う方向に歩き出す.私は気ままな足に行き先を任せる.足は勝手に淸水塚口から深沢方面に向かう下り坂を歩き始める.
”オイ,オイ,…今日はそっちへ行くんかよ…”
私はちょっと戸惑うが,特段何処へ行きたいということもないので,行き先は足に任せることにする.
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富士塚を右手に見ながら,深沢の谷戸を下る.
路傍で綺麗な花が咲いているのを見付ける.
”え~とッ…この花,なんていう名前だったかな…”
つい先日まで覚えていたが出てこない.私の水っぽくなった脳みそでは,知人の名前さえすぐには出てこないほど劣化している.花の名前など,到底覚えられないし,どうせ覚えても出てこないんじゃ仕方がない.
でも綺麗な花は,名前を思い出せなくてもみて嬉しくなるし感動する.私はむやみやたらに写真を撮る…が,わざわざ接写モードにして映したのに,後ろピンの写真しか撮れていない.バカカメラでは,味わいのある写真は撮れないのかな…
私は自分の腕の未熟さを棚に上げて,バカカメラのせいにする.
”もっと,持ち主の気持ちを”忖度”しなさい…!”
とバカカメラを戒める.
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等覚寺の前に到着する.
成り行きでちょっとだけ立ち寄って参拝する.庭のアヤメかカキツバタか分からないが,見事に咲いている.
”やっぱり春は良いな…”
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成り行きで鎌倉市役所深沢支所2階にある図書館に立ち寄る.
2階へ上る階段の踊り場に大きな油絵が飾ってある.
増田常吉という方が1982年に画かれた『シャモニーの村』という油彩の大きな作品である.
私はこの図書館に来るときは,いつもこの絵の前で暫くの間阿蘇を止める.
私もこれまで何回かシャモニーを訪れている.シャモニーの思い出を辿りながら,この絵を見つめる.力強い稜線の描写や崖下の集落のただ住まいが生き生きと描かれているのに,何時も感心している.
この絵の構図は,水平と垂直の交差が強調された点に特徴があると私は勝手に思っている.
特に絵の上部の書かれている平坦で静かな氷河から,まるで滝のように垂直に描かれているダイナミックな谷間の対比が,私の胸をドキドキさせる.そして峻険で危険きわまりないような谷底に,そんな危険とは無関係なように見える平和で静かな集落が存在している.でも,一見平和で静かそうな集落も,実はさらに深く落ち込む谷底の途中の危なっかしい所に位置している.
”この村の住民は,一体どんな気持ちでこの厳しい自然と対峙してるんだろうか…”
この絵を眺めながら,私の想像は際限なく広がっていく.
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図書館に入る.
ここは定年後の男性が多く集まっているところである.入口近くで,数名の男性が熱心に新聞雑誌などを読んでいる.皆さんの間を静かに通り抜けて,書棚の方に向かう.
私は,自分で水彩画を楽しむこともあって,美術史に少しばかり興味を持っている.美術史の中でも,今は中国芸術の歴史を勉強したいなと思っている.
これまでも,大船界隈の本屋に立ち寄って,いろいろと本屋をあさっているが,西洋美術史の本はどこの本屋を覗いてもそれなりに揃っているが,中国美術の本はほとんど置いていない.この図書館の蔵書をザッと見回しても,殆どが西洋美術に関連する本ばかりで,中国や韓国関連の美術史の書籍は極めて少ない.
そんな中で唯一読み応えのありそうな本が,下の写真に示したNHKスペシアルの本である.
私は,書架近くの椅子に座り込んで,この本を1~2時間掛けて読み終わる.改めて壮大な中国芸術の流れを再認識することが出来た.
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ふと時計を見ると16時を大分廻っている.
”こりゃいかん…そろそろ家に戻らなければ…”
私はこの本を書架に戻して,図書館から往路を引き返す.
それにしても,中国芸術の発展過程は壮大だなと再認識させられる.
古くから西方,インドなどの文化の影響を受けながら,精緻の局地とも言える陶磁器や絵画を生み出した.石器時代から今日までこの壮大な芸中の流れを先導したのは常に漢民族であった.その意味からも,私は漢民族に対して尊敬の念を抱いている.
一方では,公共の場で大声を出すなど,日本人の通年から見ると粗暴に思える行動をときどき目にする外国の方々が,あの芸術の担い手であった民族と,どうしても結びつかない気がしてしまう.
そんなくだらないことを考えながら帰宅する.
家内がせわしげに夕飯の支度をしている.
(おわり)
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