<黙仙寺近くの桜>
鎌倉:大船地区社寺史跡巡り(1)
(トドさんチームと仙人)
2009年4月13日(月)
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前日(4月12日),私は14日の今日,また塔ノ岳を往復するつもりでいた.ところが,前日の夕方,山旅スクール同期のトドさんから「明日,トドさんチームと鎌倉散策はいかが」という携帯メールが入った.「そうだな・・・鎌倉も良いな」と思った私は,早速,浄明寺在住の山仲間,あだ名「仙人」氏に携帯メールで連絡を取り合った.その結果,大船北部地区の社寺史跡を一回りすることにした.
参加者はトドさんとそのお仲間,仙人,それに私の4名である.
私達は新緑が眩しい大船北部の山野をグルグルと歩き回った.大船駅から,まずは黙仙寺の境内を通り抜け,尾根の反対側の谷戸の池を訪れる.さらに,岡本神社から巡礼古道を通って,後北条三代の墓を詣でる.ここから龍宝寺の境内に下山する.再び山を登り返して,尾根向こうにある諏訪神社の境内で,昼食を摂る.
午後は,七曲がりから玉縄城址の周辺を通り抜け,関東準八十八ヶ所第18番札所関谷地蔵堂を訪れる.ここから,田園の広がる谷戸に入り込み,竹林を抜けて,小雀浄水場に出る.そして,丘を下って,田谷の洞窟のある定泉寺へ.洞窟を見学した後,長尾城趾を一回りする.
再び山を登り返して,黙仙寺境内を経由して,大船駅へ戻った.
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<ハイキング地図>
25,000分の1地形図『戸塚』
<プロフィールマップ>
(カシミールで作成)
水平歩行距離 9.6km
累積登攀高度 370m
累積下降高度 370m
<谷戸の池を訪れる>
■大船駅から歩き出す
10時丁度に大船駅南口に集合する.平日にもかかわらず,大船駅は沢山の人で賑わっている.大船駅周辺は,ここ数年の間に,随分と人が増えたような気がしてならない.何時もお祭りをしているのではないかと錯覚するぐらいの賑わいである.
今日のハイキングへの参加者は,トドさんチーム2人,仙人,それに私の4名である.この程度の少人数だと,いざというときに小回りが利いて,とても具合がよい.
仙人が駅で小用をしているのを待って,10時07分に大船駅を歩き出す.
<黙仙寺本堂>
※人物は無関係.
■黙仙寺
まずは柏尾川に架かる橋を渡って,裏通りに入る.
すると,直ぐ目の前に,長い石段が続いているのが見える.ここが無我想山黙仙寺の入口である.岡本の山地に続く長い石段を登り続ける.何百段あるか数えたことはないが,石段を登るにつれて,木々の間から大船の街が,次第に見下ろせるようになる.それとともに,街中の騒音がガチャガチャと直接聞こえるようになってくる.大船駅を発着する電車の音や,自動車の音,街中のザワザワ音が,とても煩いことを実感できる.
沢山の石仏や石碑が建ち並ぶ階段を登りきると,小さな広場に到着する.この広場の突き当たりに質素で小振りの本堂が建っている.ここが黙仙寺の本堂である.
黙仙寺は,1909年(明治42年),浜地八郎という人が,静岡県から祐昌寺をこの地に移した.これが黙仙寺の前身である.曹洞宗総本山永平寺管長日置黙仙禅師が開山上人として開基した.本尊は金剛尊天.最近まで大船観音を管理していた.ここは桜の名所でもある.
裏手にある墓地を回り込むようにして,大船の裏山の尾根を越える.尾根一体は住宅地として開けている.近くにはフラワーヒルが昔勤務していた会社の社宅が並んでいる.もっともこの社宅,大分老朽化していて,かなり以前から使われていないようである.かつてフラワーヒルは,この社宅から通勤する上司に仕えていたことがある.そんなことを懐かしく思い出す.
<黙仙寺裏山からの眺望>
※桜は散り始めたが,まだ綺麗に見えている.
■谷戸の池
岡本の住宅地に降りたところから,ほんの数メートル先で,今度は反対側の斜面に作られている急傾斜の石段を下る.石段を降りると,今度は住宅地に中を抜ける急傾斜の下り道に変わる.クネクネと続く路地を道なりに進むと,少し道幅の広い道に出る.この道を右折,さらにその先で左折する.そして道路が突き当たった所にある土手の向こうが谷戸の池である.
私の知る限りでは,鎌倉には谷戸の池という名称の池が2ヶ所ある.台峰近くにある谷戸の池と,今,私達が訪れている谷戸の池の2ヶ所である.
ここの谷戸の池はそれほど大きな池ではないが,台峰の谷戸の池が,人里離れた所にあるのに比較して,住宅地に囲まれているのが特徴である.湖畔には沢山の桜の木が植えられている.今日は,大分盛りを過ぎているとはいえ,なかなか見事である.ただ残念なことには,背の高い金網が池の周囲をぐるりと取り囲んでいることである.安全確保のためにやむを得ないが,何となく圧迫感を感じてしまう.
<谷戸の池>
■子育地蔵尊
湖畔近くの子育地蔵尊を詣でる.小さなお社の中に木像が安置されている.うるしのような塗料を施された坐像である.温和な顔をしている.この像の作者は,市川茂助(荘厳).大和の蓮慶寺の木像,弘法大師坐像を彫った江戸末期から明治にかけての仏師だったという(鎌倉市教育研究所,2000,pp.104-105).
<子育地蔵>
(つづく)
[参考文献]
鎌倉市教育研究所2000『かまくら子ども風土記(中巻)』鎌倉市教育委員会
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/99493b47bc60f180f4e4cdac73e6d3f5
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/e6aa12c727d71f9bc209898ed95867ef
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