<刎石坂から坂本宿を望む>
[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第3日目(3):いよいよ碓氷峠
(五十三次洛遊会)
2012年10月12日(金)~14日(日)
※本稿の初出は2012年11月6日である.
初稿の誤字脱字転換ミスを修正し,本文の推敲を行った.
2012年10月14日(日) (つづき)
<碓氷峠地図> (再掲)
<松の木坂を登る>
■碓氷峠の古道に入る
坂本八幡神社を出発した私達は,坂本宿から続く真っ直ぐな坂道を登り続ける.
10時12分,道路が右にカーブする地点に到着する.前方には円筒形のタンクのような建造物が見えている.カーブに沿って備え付けられているガードレールの左側に細い草道が見えている.ここが,かの有名な難所,碓氷峠道の入口である.
ここから先は山道なので,同行メンバーの中では,多少なりとも登山経験がある私が先頭に立って歩くことにする.そこで,これまでのポチスタイルはひとまず封印して,私が率先して先頭に立つ. 山道で,
“頑張れ・・・”
は絶対に禁句である.一番足の遅い人に合わせて,“ゆっくり”,“焦らずに”登れば,逆に結構調子よく登れる.このことを,私は何回となく山で経験している.ユックリを念頭に置いて,とにかく焦らずに登ることに専念する.
あらかじめ調べていた資料を頼りに,
“まあ,16時30分ぐらいには・・・要するに明るい内に,何とか軽井沢に到着するだろう”
と予想している.
<いよいよ昔の碓氷峠に入るぞ>
■杉林の中の草道に入る
これまでの舗装道路から,一変して草道になる.深い杉林に沿った登り坂が始まる.少々薄気味悪い道なので一人歩きには勇気が要りそうである.
<碓氷峠道の入口付近>
■見慣れた中山道の標識
草道を暫く進むと,小さな緑の板に白字で「中山道」と書いてある標識を見付ける.この標識は,これ以降の中山道でも度々お目に掛かることになる.
果たして間違いなく歩いているのか心配になったとき,この路傍で標識を見付けると随分と安心する.
<お馴染みの標識に励まされる>
■碓氷小屋
10時20分,碓氷小屋に到着する.一寸洒落た建物である.小屋の中には「コ」の字型のベンチが取り付けられている.
私達は八幡神社から歩き出してまだ間もないので,ここでは休憩を取らずにそのまま通過する.
<碓氷小屋>
■舗装道路を横切る
10時21分,先ほど分かれた舗装道路に突き当たる.突き当たったところに中山道の案内地図が掲示されている.
資料3(p.114-115)によると,ここから少し先まで登ったところから中山道明治道が分岐するようだが,案内板に示されている道は江戸道のようである.手許にある大半の資料には江戸道を通るように書かれている.
勿論,私達も江戸道を辿るつもりだが,明治道がどんな道か少々気にはなっている.
私達はここでも休まずに,ふたたび未舗装の山道に分け入る.
<合流点にある中山道案内板>
<刎石山の稜線を行く>
■堂峰番所跡
10時31分頃,刎石山から東南東に延びる稜線に出る.辺り一面は雑木林.木の葉の間からのこぼれ日が明るい.実に心地よい山道である.
稜線に出たところに「堂峰番所跡」という案内板が立っている.案内板の記事によると.この写真の右手の「見晴の良い所にある石垣の上に番所が設けられていた.そして,中山道を挟んで定附同心の住宅が2軒あった.関門は両方の谷が迫っている場所をさらに堀り切って道幅だけにした場所に設置された」という.
<稜線に出る> <堂峰番所跡>
■安政遠足
10時34分,安政遠足と書いてある看板の前を通過する.遠足は「えんそく」ではなく,「とおあし」と読む.暫くの間,中山道の所々で「安政遠足」とか「安政侍マラソン」と書いた案内板を見掛ける.
資料5によれば,「安政遠足(あんせいとおあし)とは,「安政2年(1855年),安中藩主板倉勝明が藩士の鍛錬のため、藩士96人に安中城門門から碓氷峠熊野権現神社まで走らせた徒歩競争.この時の時間や着順,1955年(昭和30年)年に碓氷峠の茶屋で発見された『安中御城内御諸士御遠足着帳』に記されているものの,これは走者に意義を持たせることが目的で,順位やタイムは重要視されていなかった.ゴールした者には餅などがふるまわれたという.安政遠足は,日本におけるマラソンの発祥といわれ,安中城址には「安中藩安政遠足の碑」と「日本マラソン発祥の地」の石碑が建てられている.当時は碓氷峠で中間ラップが聞かされた.峠を越えた後は登山道に入り,総走行距離は30キロメートル程度ながら最終的にスタートとゴールの標高差は1000メートル以上ある.
昭和50年(1975年)からは「安政遠足 侍マラソン」が毎年5月第2日曜日に開催されている.仮装をしながら走れることが特徴であり,毎年参加者の半数以上はなんらかの仮装をしているという.しかし,それゆえ東日本大震災が起こった2011年は不謹慎であるという理由で大会は中止になった.」
<安政遠足の看板>
<刎石坂の石塔>
■柱状節理
10時56分,柱状節理の露頭を通過する.
節理とは岩石に発達する割れ目のことであり,マグマが冷却固結する際に生じた板状節理,柱状節理などがある.
なろほど,ここの柱状節理はなかなか見応えがある.
<柱状節理>
■刎石坂の石塔群
柱状節理過ぎて間もなく,11時丁度に刎石坂案内板の前に到着する.
案内板の記事によると,この辺りは刎石坂というようである.刎石坂には多くの石像物があって,碓氷峠で一番の難所でもある.
記事によると,昔,芭蕉の句碑もここにあったが,今は坂本宿の上木戸に移されているという.そういえば,先ほど上木戸を通過したときに,同じ趣旨のことが書かれた案内板があったことを思い出す.
同じくこの案内板によれば,近くに南無阿弥陀仏の碑,大日尊,馬頭観音があり,さらにここを下った曲がり角に刎石溶岩の節理があると書いてある.
私達は,先ほど柱状節理を見た,したがって,この案内板の説明とは逆の向きに歩いていることになる.
<石柱群を眺める同行者>
<南無阿弥陀仏> <大日尊>
■石垣
石塔群を通過すると直ぐにおびただしい数の石で作られた石垣沿いの道になる.この道は尾根の形状に合わせて,大きく右にカーブして高度を上げていく
<石垣道>
■上り地蔵下り地蔵
11時06分,上り地蔵下り地蔵の案内板を通過する.この辺りは刎石坂を登り詰めた場所である.
案内板には,「板碑のような地蔵があって,旅人の安全を見つめている」と書いてあるが.どこに件(くだん)の板碑があるのか直ぐには分からない.
また,案内板には十返舎一九の,
“たび人の身をこにはたく
なんじょみち,石のうすいの
とうげなりとて”
という歌を紹介されている.
<上り地蔵下り地蔵>
<弘法の井戸を目指して>
■素晴らしい眺望
石垣道を右手に回り込む.11時06分,進行方向左手に素晴らしい眺望が開ける.
眼下には,先ほど私達が通過した坂本宿が見えている.昔の旅人も,多分,ここでこの素晴らしい眺望を楽しんだに違いない.
傍らに立っている案内板によると,小林一茶は,ここで,
“坂本や
袂の下の
夕ヒバリ”
という句を読んだという.
■大きな板碑
11時15分,進行方向右手に大きな板碑が立っているのを見付ける.多分,これが地蔵ではないかと思うが定かではない.
<大きな板碑>
■風穴
11時18分,風穴に到着する.
傍らにある説明文によると,刎石溶岩の裂け目から水蒸気で湿った空気が吹き出しているとか.穴に手をかざしてみるが,空気が吹き出しているかどうか,余りよく分からない.
案内文によると,この辺りに数カ所の風穴があるらしい.
<風穴>
■弘法の井戸
11時23分,進行方向右手にある弘法の井戸に到着する.
井戸の上に掘っ立て屋根が建っている.屋根の両側の柱に弘法の井戸の説明文が取り付けられている.この説明文によると,諸国を廻っていた弘法大師が,刎石茶屋に水がないので,ここに井戸を掘ればよいと村人に教えたという.
水が湧き出て村人が大いに喜び,「弘法の井戸」と命名した.
<弘法の井戸>
(つづく)
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%94%BF%E9%81%A0%E8%B6%B3
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f87f9357e1de973e99122fddc0b58c93
「中山道六十九宿」第6回目の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d07a6d75e3b121bf37c6d9c3f955e08d
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5b663842b736b41c2123c27fb5563d98
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e
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