第6回:二ノ宮駅から箱根湯本まで(その1)
2007年10月3日(水)
<ルートマップ>
<第6回ルート概念図>
<二ノ宮駅から歩き出す>
■二ノ宮駅へ
10月になったのに,暑い日が続いている。楽しみにしていた東海道五十三次の今日も,多少,蒸し暑いが,まあまあのハイキング日和である。私は水1リットル,コーモリ傘などを小さなナップザックに入れて,8時30分頃家を出る。
湘南モノレールと東海道本線を乗り継いで,9時27分にJR二ノ宮に到着する。駅前の広場には,もうかなりの参加者が集まっている。早速,参加手続きをして,駅前の「ガラスのうさぎ」を見物しながら,出発時間を待つ。この宿場巡りも,早いもので,今回で6回目になる。そろそろ顔見知りの人達も増えてくる。
<国府津駅前のガラスのうさぎ像と説明文>
説明文によると,太平洋戦争が終わる直前に,二ノ宮駅周辺はアメリカの艦載機の機銃掃射を受けた。そして,何人かの死者が出た。このときの機銃掃射で,父親を目の前で失った12才の少女が,戦争体験記「ガラスのうさぎ」を執筆した。昭和50年,平和の尊さを表すために,このガラスのうさぎ像を建立した。うさぎは,亡くなった父親が,少女に残した形見を表しているという。
主宰者によると,本日の参加者は,55名。男女比は相半ばしている。私達は,例により,
「エイ,エイ,オー・・」
の掛け声を一斉に挙げて,10時04分に,JR二ノ宮駅前を出発する。
個人的な感情だが・・・この「エイ,エイ,オー・・」が,一番厭なのである。たった今,「ガラスのうさぎ像」を。見たばかりの私は,戦争中,教練の時間のことを思い出して,号令そのものが厭な気分になっている。私は,ほんの一寸右手を動かして,声を挙げたようなジェスチュアをする。
■等覚院
二ノ宮駅前を,ほんの少し南へ下ると直ぐに国道1号線に突き当たる。右折して,国道1号線を西へ向かう。
私達は,10時14分に,「日本橋まで74km」と書いてある標識を通過する。この辺りは,これまで何回も通ったことがあるが,これまで,路傍に1kmおきにこのような標識が整備されているのに全く気付かなかった。
<74km道標> <旧東海道を行く>
10時15分,国道1号線から右折して,路地(旧東海道)に入る。途端に往来する自動車の数が激減して,閑静な雰囲気になる。そのまま暫く歩き続けて,10時18分に真言宗等覚院の前を通過する。寺の本堂は,20~30段の石段を登ったところにある。私は列から離れ,急いで石段を登って,本堂を拝見し,すぐに石段を駆け下りて隊列の後に付く。この寺の曰く因縁は分からないが,兎に角,立派な本堂が建っている。
境内には,二宮町天然記念物指定の樹齢400年を越える大藤があるはずだが,見学する時間がないので残念である。兎に角,先を急ぐ。
<等覚院本堂> <等覚院案内標識>
■押切一里塚
10時21分に再び国道1号線に出る。国道を跨ぐ陸橋を渡って,道路の反対側に出る。そして,そのままさらに西へ,西へと歩き続ける。
10時29分,江戸日本橋から18番目の押切一里塚跡を通過する。傍らには,東海道一里塚の由来を説明した大きな看板が建っている。一里塚付近から国道1号線を左折して,再び旧東海道に入る。再び閑静な住宅地になる。
<押切一里塚> <一里塚の説明文>
■松屋本陣跡
10時32分に松屋本陣跡を通過する。民家の狭い庭先に「松屋本陣跡」と書いた杭が打ち込まれている。その杭の脇に松屋本陣跡の案内板が建っている。自分の家の貴重な庭先に,このような杭や案内板を建てられたら,辛気くさくて仕方がないだろうと同情する。
説明文によれば,この辺りは大磯宿と小田原宿の中間に位置しているようである。大磯宿と小田原宿の間は約16キロメートルもあり,少々,遠い。さらに近くに押切坂や酒匂川を手前に控えていることから,「間の宿(あいのしゅく)」として休憩所が設けられ,茶屋や商店が軒を並べていたという。その中心的存在が松屋本陣だったとのことである。
<松屋本陣跡> <松屋本陣の跡説明文>
松屋本陣跡を通過すると,旧東海道は,10時34分に,再び国道1号線と合流する。そして直ぐに押切川を渡る。
■車坂を通過する
10時48分に「車坂跡」を通過する。傍らに「史跡車坂」と書いた大きな杭が建っている。杭までの距離が短くて,杭全体の像を撮すことができない。この車坂の曰く因縁は,良く分からないが,大田道灌,源実朝,北林善尼の車坂にまつわる詩歌を紹介する看板が建っている。
10時55分,私達は「日本橋から77km」の道標を通過する。その後,国道1号線に沿って,延々と歩き続ける。周辺の風景は単調である。
<車坂の説明杭> <押切川>
<車坂にまつわる詩歌>
途中に大山道道標がある筈だが,記録を取るのに忙殺されていた私は,列の先頭から少し遅れて,列の後半で歩いていたために,先頭を行くリーダーの説明が聞こえない。その間に,肝心の大山道標を見落としてしまったようである(帰宅後,ホームページで,大山道道標の写真を見付けたので引用する)。
<大山道道標> <旧東海道を行く>
※大山道道標の写真は「青葉OBサロンBlog」からトリミングして引用した。記して謝意を表する。
■国府津駅で休憩
そのまま国道1号線を西へ進んで,11時08分に国道から右折して,11時09分にJR国府津駅に到着する。この駅で約20分休憩となる。余談だが,湘南カラビナ隊で西丹沢へ行ったとき,帰途,必ず国府津駅で途中下車して,駅前のレストランで懇親会を開いているので,何となく懐かしい。
<JR国府津駅> <国府津駅開業100周年記念>
多数の参加者が,駅のトイレを利用させて貰う。
何もすることがない私は,駅前をブラブラしながら時間を過ごす。駅舎の壁に蒸気機関車D51の銅板画が填め込まれている。その下に「国府津駅開業100周年記念明治20年7月11日」と書いてある。D51は「デゴイチ」と呼ばれる人気の蒸気機関車である。動輪が4軸ある格好の良い機関車である。昔,昔,私は,中学,高校時代,信越本線の小諸から上田まで汽車通学をしていた・・・列車を引っ張っていた蒸気機関車は,D50(デゴマル)かD51であった。D51の銅板画を見ながら,昔のことを懐かしく思い出す。
(つづく)
2007年10月3日(水)
<ルートマップ>
<第6回ルート概念図>
<二ノ宮駅から歩き出す>
■二ノ宮駅へ
10月になったのに,暑い日が続いている。楽しみにしていた東海道五十三次の今日も,多少,蒸し暑いが,まあまあのハイキング日和である。私は水1リットル,コーモリ傘などを小さなナップザックに入れて,8時30分頃家を出る。
湘南モノレールと東海道本線を乗り継いで,9時27分にJR二ノ宮に到着する。駅前の広場には,もうかなりの参加者が集まっている。早速,参加手続きをして,駅前の「ガラスのうさぎ」を見物しながら,出発時間を待つ。この宿場巡りも,早いもので,今回で6回目になる。そろそろ顔見知りの人達も増えてくる。
<国府津駅前のガラスのうさぎ像と説明文>
説明文によると,太平洋戦争が終わる直前に,二ノ宮駅周辺はアメリカの艦載機の機銃掃射を受けた。そして,何人かの死者が出た。このときの機銃掃射で,父親を目の前で失った12才の少女が,戦争体験記「ガラスのうさぎ」を執筆した。昭和50年,平和の尊さを表すために,このガラスのうさぎ像を建立した。うさぎは,亡くなった父親が,少女に残した形見を表しているという。
主宰者によると,本日の参加者は,55名。男女比は相半ばしている。私達は,例により,
「エイ,エイ,オー・・」
の掛け声を一斉に挙げて,10時04分に,JR二ノ宮駅前を出発する。
個人的な感情だが・・・この「エイ,エイ,オー・・」が,一番厭なのである。たった今,「ガラスのうさぎ像」を。見たばかりの私は,戦争中,教練の時間のことを思い出して,号令そのものが厭な気分になっている。私は,ほんの一寸右手を動かして,声を挙げたようなジェスチュアをする。
■等覚院
二ノ宮駅前を,ほんの少し南へ下ると直ぐに国道1号線に突き当たる。右折して,国道1号線を西へ向かう。
私達は,10時14分に,「日本橋まで74km」と書いてある標識を通過する。この辺りは,これまで何回も通ったことがあるが,これまで,路傍に1kmおきにこのような標識が整備されているのに全く気付かなかった。
<74km道標> <旧東海道を行く>
10時15分,国道1号線から右折して,路地(旧東海道)に入る。途端に往来する自動車の数が激減して,閑静な雰囲気になる。そのまま暫く歩き続けて,10時18分に真言宗等覚院の前を通過する。寺の本堂は,20~30段の石段を登ったところにある。私は列から離れ,急いで石段を登って,本堂を拝見し,すぐに石段を駆け下りて隊列の後に付く。この寺の曰く因縁は分からないが,兎に角,立派な本堂が建っている。
境内には,二宮町天然記念物指定の樹齢400年を越える大藤があるはずだが,見学する時間がないので残念である。兎に角,先を急ぐ。
<等覚院本堂> <等覚院案内標識>
■押切一里塚
10時21分に再び国道1号線に出る。国道を跨ぐ陸橋を渡って,道路の反対側に出る。そして,そのままさらに西へ,西へと歩き続ける。
10時29分,江戸日本橋から18番目の押切一里塚跡を通過する。傍らには,東海道一里塚の由来を説明した大きな看板が建っている。一里塚付近から国道1号線を左折して,再び旧東海道に入る。再び閑静な住宅地になる。
<押切一里塚> <一里塚の説明文>
■松屋本陣跡
10時32分に松屋本陣跡を通過する。民家の狭い庭先に「松屋本陣跡」と書いた杭が打ち込まれている。その杭の脇に松屋本陣跡の案内板が建っている。自分の家の貴重な庭先に,このような杭や案内板を建てられたら,辛気くさくて仕方がないだろうと同情する。
説明文によれば,この辺りは大磯宿と小田原宿の中間に位置しているようである。大磯宿と小田原宿の間は約16キロメートルもあり,少々,遠い。さらに近くに押切坂や酒匂川を手前に控えていることから,「間の宿(あいのしゅく)」として休憩所が設けられ,茶屋や商店が軒を並べていたという。その中心的存在が松屋本陣だったとのことである。
<松屋本陣跡> <松屋本陣の跡説明文>
松屋本陣跡を通過すると,旧東海道は,10時34分に,再び国道1号線と合流する。そして直ぐに押切川を渡る。
■車坂を通過する
10時48分に「車坂跡」を通過する。傍らに「史跡車坂」と書いた大きな杭が建っている。杭までの距離が短くて,杭全体の像を撮すことができない。この車坂の曰く因縁は,良く分からないが,大田道灌,源実朝,北林善尼の車坂にまつわる詩歌を紹介する看板が建っている。
10時55分,私達は「日本橋から77km」の道標を通過する。その後,国道1号線に沿って,延々と歩き続ける。周辺の風景は単調である。
<車坂の説明杭> <押切川>
<車坂にまつわる詩歌>
途中に大山道道標がある筈だが,記録を取るのに忙殺されていた私は,列の先頭から少し遅れて,列の後半で歩いていたために,先頭を行くリーダーの説明が聞こえない。その間に,肝心の大山道標を見落としてしまったようである(帰宅後,ホームページで,大山道道標の写真を見付けたので引用する)。
<大山道道標> <旧東海道を行く>
※大山道道標の写真は「青葉OBサロンBlog」からトリミングして引用した。記して謝意を表する。
■国府津駅で休憩
そのまま国道1号線を西へ進んで,11時08分に国道から右折して,11時09分にJR国府津駅に到着する。この駅で約20分休憩となる。余談だが,湘南カラビナ隊で西丹沢へ行ったとき,帰途,必ず国府津駅で途中下車して,駅前のレストランで懇親会を開いているので,何となく懐かしい。
<JR国府津駅> <国府津駅開業100周年記念>
多数の参加者が,駅のトイレを利用させて貰う。
何もすることがない私は,駅前をブラブラしながら時間を過ごす。駅舎の壁に蒸気機関車D51の銅板画が填め込まれている。その下に「国府津駅開業100周年記念明治20年7月11日」と書いてある。D51は「デゴイチ」と呼ばれる人気の蒸気機関車である。動輪が4軸ある格好の良い機関車である。昔,昔,私は,中学,高校時代,信越本線の小諸から上田まで汽車通学をしていた・・・列車を引っ張っていた蒸気機関車は,D50(デゴマル)かD51であった。D51の銅板画を見ながら,昔のことを懐かしく思い出す。
(つづく)