<離山から中軽井沢方面を望む>
中秋の信州:軽井沢:離山・雲場池散策
(山旅スクール5期「鎌倉トレッキング会」)
2010年10月2日(土)
<ハイキング地図>
<プロフィールマップ>
<離山登山>
■軽井沢に集合
2010年10月2日から1泊2日の日程で,中秋の信州軽井沢浅間山の旅を実施した.初日の10月2日は中秋の軽井沢を散策することにしていた.
御膳10時軽井沢駅集合.参加者はホッシーさん,ノシイカさん,トドさん,野菜漬物さん,Nさんの女性5人とFHこと私の6名.このグループから段々と男性が姿を消して,ついに女性ばかりとなってしまった.つい先日も100歳以上長生きをしている方々の大半が女性だというニュースを聞いたばかりだが,やっぱり女性は強いなと実感している.
10時17分に,JR軽井沢駅から歩き出す.今日は,まずは軽く離山(標高1,295m)を登ることにしている.下山後は時間の許す限り,軽井沢または小諸の景勝地をブラブラと散策してから,一行を浅間山荘へ送り出す手筈になっている.そして私は小諸市内に住んでいる弟の家に向かう予定である.
<軽井沢駅前:前方に離山が見える>
■登山道入口
10月ともなれば,標高1000メートル近い軽井沢は,いくらか寒い気温ではないかと思っていたが,実際は,暑からず寒からずの心地よい気温である.天気予報通りの晴天で,まさにハイキング日和である.
今日の案内役である私も,実は離山には,ほんの数回しか登ったことがないので,軽井沢駅から登山口に至までの道順が些か不案内である.そこで,参加者全員にこの付近の地図のコピーを渡して,登山口までの道順をチェックしてもらいながら歩き続ける.
地図を頼りに別荘地内の道路をそろそろと進む.すばらしい木立が広がっている.その中に,立派な別荘が並んでいる.実にユッタリとした敷地である.歩きながら,軽井沢の別荘は,他の場所の別荘とはやっぱり格が違うなと感心する.
10時44分,東部小学校校門前を通過する.ここから自動車が通る道から更に静かな住宅地に入る.そして,10時47分,登山道東口に到着する.
■山栗拾い
登山口を過ぎると,道路の勾配がきつくなる.離山の東側斜面に沿って,大きく左右に曲がりくねった登り道が,暫くの間,連続する.登山道の両側は,相変わらず素晴らしい別荘が並んでいる.
「・・・でも,こんな不便なところに住みたくないね・・」
と誰かが言う.私も尤もだと思うが,所詮は,別荘を持てないものの「ひがみ」と「やっかみ」に過ぎないなと思う.
相変わらず,なだらかな登り坂が続くが,道路の至る所に山栗のイガが落ちている.小粒だが艶々した山栗の実も沢山落ちている.試しに山栗を一粒拾って試食してみる.小粒ながら甘みがあってなかなか美味である.
一同,一斉に栗拾いを始める.瞬く間に,予定時間が10分,20分と遅れる.でも,最初から何処まで行かなければならないと決めているわけではないので,私は一同が気が済むまで放置することにする.
「時間が無くなったら,途中でも軽井沢駅へ引き返すさ・・」
と覚悟を決めると,時間の遅れなど全く気にならなくなる.
■離山山頂
栗を拾いながらも,少しずつ前に進んで,12時03分,無事に離山山頂に到着する.山頂の展望台には地元の方と思われる子ども連れの家族3人が居るだけ.私たちも展望台の一角に陣取って,昼食を摂ることにする.
展望台から西の方向を眺めると,遙か先まで佐久平が広がっているのが見える.その先に,千曲川の河岸段丘が伸びている.辺り一面にごく薄い霞が棚引いている.快晴ならば見える筈の北アルプス山々は,霞に遮られて見えない.
西から東へ向かって,浅間連山の長いすそ野が広がっている.すそ野の稜線に沿って,見る方向を西から東へ向かって移動する.稜線の勾配が次第に強くなり,北北西の方向に聳える高峰山山頂(標高2091m)に達する.さらに車坂峠を越えて第2外輪山の黒斑山に達している.黒斑山から大きな谷間を越えて牙山(ぎっぱやま)が聳えているのが見える.
ただ残念なことに,高さがおよそ2400メートル付近から上には厚い雲が沸いていて,前掛山(標高2524m)や釜山(火口のある山頂:標高2568m)は雲の中で見えない.
■離山から下山
昼食を終え,展望を堪能した私たちは,12時45分に下山を開始する.当初,頭の中で描いていたスケジュールよりも2時間近く遅れているが,まあ,スケジュールなどどうでも良い.その時々,気が済むように道草をしながら,極,極,ユックリと,往路を辿って,下山を続ける.
途中,沢山の栗が落ちているところでは,全員が嫌になるまで栗拾いを続ける.熱心な方は大きなビニール袋が一杯になるほどの収穫になる.
登山道入口まで下山.ここから適当に山裾沿いの道に入る.ところが地図にはこの道が載っているものの,途中から私有地になってしまう.「私有地に付,通行禁止」という表示が立ててある.多分,自動車は通行止めでも歩行者は通っても構わないのではないかと思ったが,大事を取って,往路を引き返す.
<雲場池を散策>
■雲場池に到着
地図を頼りに,近くにある雲場池へ行ってみようと思う.
先ほど通った小学校前の路より一本北側の道を,暫くの間,直進する.先ほどより一層閑静な別荘が続く.やがて,前方に人影が見え出す.地図を見ながら,あそこが雲場池に違いないと確信する.
14時36分,雲場池公園の入口に到着する.雲場池は,旧軽井沢ゴルフクラブ付近から流下するウン場川の一部である.雲場川は,この池のすぐ下流で,旧軽井沢倶楽部別荘地から流下する精進場川と合流する.
雲場池入口で,10分ほど休憩を取る.
入口池の広場には沢山の観光客が屯している.雰囲気から察して,殆どの方が,私たちと同じ観光客のようである.
■池を一週
地図を頼りに,池の周りの散策路一周する.私たちは,雲場川右岸沿いの小径を川上に向かって歩き出す.進行方向右手には,ほんの少し色づき始めた木々の間から池と対岸が見えている.左手には広大な別荘が続く.数分歩いたところで,橋を渡って反対側の左岸に出る.ここから下流に向けて歩き出す.進行方向左手には広大な敷地が続く.敷地の中に川が流れている.川岸には,大きなキノコが沢山自生している.食べられるか食べられないか良く分からないキノコだが,姿形は実に見事である.
やがて前方に人集りが見えてくる.どうやら公園入口のようである.ここを訪れる大半の人たちは,入口の広場で池を眺めただけで帰ってしまうようである.
<軽井沢駅でお茶>
■駅前通を軽井沢駅へ
14時54分,雲場池を出発.この辺りで軽井沢観光は打ち止めにしようと思う.そこで,六本辻からカラマツ通りを通過して,駅前通に出る.急に辺りの雰囲気が東京郊外と余り違わない俗っぽい雰囲気になる.
途中で,とある地場野菜果物の売店を覗く.新鮮で立派な山菜や野菜が並んでいる.思わず見とれる.
店の主人が私たちの登山姿を見て,
「・・浅間山へ登るんですか・・」
と質問してくる.
「はい,明日登る予定です・・」
「私も若い頃,浅間山に登ったけど,大変ですよ・・」
と上から目線でコメントする.
私はいきなりの「上から目線」言いぐさに,内心でカチンと来る.
「憚りながら,俺様は小学校時代から,数え切れないほどの回数,浅間山へは登っているんだぞ.バカにするな~ぁ・・」
と内心で怒っている.それでも,私の気持ちを知らないこの方は続ける.
「小浅間付近から上はガラガラした急坂で大変ですよ・・」
私は心の中で,
「そんなこと,お前さんに言われなくったって,知っているよ.馬鹿たれ・・」
と無言の悪態をつく.そして,
「いえ,私たちは小諸口から登ります・・私が小諸出身ですので・・」
と返事する.すると,
「小諸ですか.私は上田から小諸○○高校へ通学していましたよ」
「そうですか,私は逆に小諸から旧制上田○学,学制改革で上田○○高校に通算6年間通っていました・・」
「上田○学ですか・・そりゃ凄い! クラスからほんの1~2名しか入れない.あそこからは○大,△大など旧帝大へドンドン進学してますね・・」
と,私が上田○学の名前を出した途端に態度が一変する.(こんなこと書くこと自体おが,自慢しているなと,ブログの読者に受け取られないかと心配になる).
■軽井沢駅の喫茶店
15時27分,軽井沢駅に到着する.
しなの鉄道の発車時刻は16時38分である.まだ,かなり時間がある.そこで,駅舎の中の小さな喫茶店に入って,コーヒーブレーク.少々無愛想な店員からホットコーヒーを受け取る.
何人かが,「疲れた」を連発する.今日はたった356メートル登っただけである.それで疲れるようだと,明日,浅間山山頂まで登れるのは,ノシイカさん一人だけかなと,ひそかに評価する.それならば,せめて途中の火山館くらいまで全員で,そして余力があればJバンド分岐ぐらいまでは一緒に登りたいなと,胸の内で考える.
<しなの鉄道で小諸へ>
■懐かしの小諸駅
発車時間10分前に,停車中の“しなの鉄道”の電車に乗車する.綺麗な電車である.
車窓からの浅間山を仰ぎ見るのを楽しみにしていたが,山麓まで雲に覆われていて,全く見えない.極めて残念.
車内は,満席ではないが,かなり多くの乗客で賑わっている.
電車は軽井沢高原から,佐久平に向けて下り続ける.中軽井沢,信濃追分,御代田,平原と各駅に停車して,定刻17時01分に,小諸駅に到着する.懐かしい駅である.古い駅舎をしげしげと眺める.この駅舎は,途中,内部の改造があったものの,私が上田の中学に通っていた頃,新築されたものである.勿論,正確な年月は分からないが,多分,50数年の風雪に耐えた懐かしい駅舎である.
この駅舎から,懐かしの蒸気機関車D50またはD51に牽引されて,6年間も小諸と上田の間を通学した.そして,大学生の頃は,この駅から碓氷峠の26個のトンネルを潜って関東平野へ,さらに常磐線か東北本線で仙台まで往復した.
小諸駅の駅舎を眺めていると,半世紀にわたるあれこれが止めどもなく思い出される.
駅前で停車中の小諸観光タクシーの運転手と交渉する.小諸駅から浅間山荘までの協定料金は4,000円だという.5人乗りタクシーなので,お一人様800円である.この料金ならば文句も出ないだろう.
私は,一行5人に,このタクシーに乗車して貰い,無事発車するのを見送る.
■弟の家で一泊
一行を乗せたタクシーが見えなくなってから,私は大きなため息をつく.何とも言えない開放感がある.私は携帯メールで弟に,
「今,小諸駅前.ブラブラ散策しながら,そちらへ向かいます・・」
に送信する.
昔に較べると,駅前の商店街,相生町も随分と寂しくなった.私は小綺麗な商店が建ち並ぶ相生町をユックリと登る.人通りは殆どないものの,シャッターを下ろしっぱなしの店の数は,案外少ないようにも感じる.
市役所手前の十字路を右折して路地に入る.角を曲がってすぐの所にある大きなスーパーに立ち寄る.店内をブラブラと見て回る.野菜果物類の品質がとても良くて安価なようである.大きなリンゴを五つ六つ買って,明日,火山館辺りで,皆で食べようかとも思ったが,如何にも重いので,買うのを思いとどまる.
17時35分頃,弟の家に到着する.
風呂に浸かってから,弟と二人で,数ヶ月ぶりの再会を祈念して,飲めないビールで乾杯.その後のお互いの様子を肴に会話が弾む.19時30分頃,東京に住んでいる姪が帰宅する.明日,私たちと一緒に浅間山へ登るという.これは有り難い.姪は今風に言えば山ガールである.脚力は滅法強い.大いに頼りになる.
パソコンでお互いの写真を見ながら楽しい時間を過ごす.あっという間に22時を過ぎてしまう.これでは明日の浅間山登山に支障が出る.残念ながら寝ることにする.
「2階で適当に布団を引っ張り出して寝て下さい・・」
と弟が言う.
勝手知ったる弟の家,実は私が幼少の頃住んでいた家でもある.
22時半頃,就寝.
こうして初日が終わった.
<ラップタイム>
10:15 軽井沢駅歩き出し
10:47 離山登山口
12:03 離山山頂(12:45まで昼食)
14:36 雲場池(14:54まで池周遊)
15:27 軽井沢駅着
===================================
16:38 軽井沢発(しなの鉄道)
17:01 小諸 着
[散策記録]
■水平歩行距離 10:4km
■累積登攀高度 356m
■累積下降高度 356m
■所要時間(休憩時間込み)
軽井沢発 10:15
軽井沢着 15:27
(所要時間) 5時間12分(5:20h)
歩行速度 10.4km/5.20h=2.0km/h
(2日目に続く)
「関東・上信越の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/58d5856496472369415cd965ac4be1b6
「関東・上信越の山旅」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/76e01d869e2f19bad967edce76c442f0
「浅間山」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/91b87b25d7d17eca81f094ffe6660648
最新の画像[もっと見る]
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前