中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る中山道六十九宿(第8回):第1日目(2);軽井沢宿

2013年06月25日 20時14分30秒 | 中山道六十九宿

                  <出発点の旧軽井沢交差点>

[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿(第8回);第1日目(2);軽井沢宿
          (五十三次洛遊会)
     2010年6月12日(土)~14日(月


本稿の初出は2010年6月18日である.
 初稿の地図の差し替え,誤字脱字転換ミスの訂正,本文の加除修正を行った.


第1日目:2010年6月12日(土) 

<ルート地図>

■第1日目ルート全体図

  水平歩行距離   15.8km
    累積登攀高度   134m
    累積下降高度   255m


■ルート地図(軽井沢宿)


■ルート地図(沓掛宿)


<軽井沢駅から軽井沢宿へ>

■出発点の旧軽井沢へ
 天気予報では,今日(6月12日)は晴,明日は曇後雨,明後日は終日雨という予報である.私は雨の中を歩き続けることを覚悟して,持ち物を準備する.折りたたみ傘,ポンチョ,着替え2日分など,登山に比較すれば随分と軽い持ち物とはいえ,20リットルのリュックでは少々窮屈である.私は,今回に限って,仕方なく35リットルのリュックを使うことにする.
 今日,6月12日は,朝から晴天である.私は6時25分に家を出発,湘南モノレールを利用して大船へ向かう.
 大船駅前のコンビニで,今日の昼食用のオニギリとパンを購入する.
 横須賀線か東海道本線の電車で東京駅まで出る.そして,長野新幹線に乗って,今日の歩き出し予定地の軽井沢に向かう.
 「・・嫌だな~ぁ・・丁度ラッシュアワーだな・・」
 私は立ちっぱなし覚悟で,6時53分発横須賀線電車に乗車する.
 ところが,意外なことに,電車はガラ空きである.
 「ああ,そうか・・今日は土曜日か・・!」
 私は電車に乗ってから,やっと,今日が土曜日なことに気がつく.
 「土曜日に気付かないなんて…こんな調子では,(自動車免許更新に伴う)高齢者向けの予備検査はパスしそうもないな・・」
と妙な心配が心の中を過ぎる.
 実はもうすぐ運転免許証の更新をしなければならない.
 東京駅で長野新幹線8時40分発「あさま509号」に乗車する.勿論,少しでも安い自由席.ホームに並んでいる内に,同行者のOさん,Iさん,Hさんなど数名の方々と一緒になる.
 新幹線の列車はさすがに速い.車内販売のコーヒーを賞味している内に,9時41分に軽井沢駅に到着する.

<軽井沢駅集合>

■サイクリング大会
 初日の6月12日の行程は,前回の終着点である軽井沢宿(旧軽井沢交差点)から歩き出して,沓掛宿,追分宿を経由して,御代田までの15.8キロメートルである.累積登攀高度は134メートル,累積下降高度は255メートルである.やや軽めのコースである.
 軽井沢駅で軽くストレッチをして,10時12分に歩き出す.
 まずは,前回の終点,旧軽井沢交差点まで,駅前の道路を真っ直ぐに北上する.
 駅前の国道との交差点を渡る.そこで,数名の中年女性が屯している.私たちが通りかかると,小さな小旗を手渡される.
 「・・・今日は町内一周のサイクリング大会が開かれるんです.選手を見掛けたら,この旗を振って応援してください・・」
とのこと.勿論,快諾.
 渡された小旗の一番上に「未知を歩こう信州」という標語が印刷されている.標語の意味は,何だか良く分からない.その下に小さな字で「信州デスティネーションキャンペーン(2010.10.1-12.31)」と印刷されている.10月などまだ先のこと.ますます意味が分からなくなるが,まあ・・いいか!
 軽井沢はさすがに観光地である.まだ観光シーズンを迎えているわけでもないのに,チラホラと人影がある.
 軽井沢の標高は1000メートル弱.それにしては,結構蒸し暑い.歩いている内に喉が渇いてくる.
 私たちの後ろから,次々に自転車に乗った人たちが通り過ぎていく.サイクリング大会に参加している選手達である.殆ど全員が若い人たちである.私たちが,例の小旗を振って応援すると,笑顔で有り難うを言いながら,私たちを追い越していく.何だか分からないが楽しい気分になる.
 10時37分,旧軽井沢交差点に到着する.ここでトイレ休憩.
 今から50数年前,私は母と一緒にこの辺りを散策したことがあった.あの頃は,軽井沢駅前に若干の集落があるだけだった.軽井沢駅前から旧軽井沢まで建屋は一軒もなく,この交差点の周辺は唐松の森林に覆われていた.また,軽井沢駅前から草津温泉に向かうトロッコのような電車が走っていた.
 私は過ぎ去った昔のことを思い出しながら,旧軽井沢の交差点に立っている.

<小旗を振って応援>

<軽井沢宿>

■軽井沢宿の概要
 資料6には,軽井沢宿は,「
現在の長野県北佐久郡軽井沢町の軽井沢駅北側一帯.一般に軽井沢と呼ばれる場所とは2~3キロ離れており,旧軽井沢と呼ばれるあたりが該当する.中山道有数の難所であった碓氷峠の西の入口にあたり,六十九次で最も栄えた宿場であった.本陣と脇本陣合わせて5軒,旅籠は最盛期には100軒近くあったとされ,数百人の飯盛女が働いていたという.宿場の東にある矢ヶ崎川にかかる二手橋は,旅人と飯盛女が別れを惜しんだ場所.天保14年(1843)の『中山道宿村大概帳』によれば,軽井沢宿の宿内家数は119軒,うち本陣1軒,脇本陣4軒,旅籠21軒で宿内人口は451人であった.
 明治時代
以降は欧米人宣教師に避暑地地として広く紹介され,それまで「かるいさわ」であった当地の名を英語などで発音しやすい「かるいざわ」と読むようになった.多くの外国人が滞在する街として変貌を遂げたため,現在宿場町の面影を残すものは少ない.」という説明がある.
 なお,軽井沢宿の核心部は,前回,第7回の3日目に歩いている.

■旧軽井沢から歩き出す
 10時42分に旧軽井沢交差点から歩き出す.旧中山道に沿って西南西の方向に歩き続ける.道路の両側には唐松の林が続く.唐松の新緑がとても美しい.林の中に別荘が転々と続く.
 私の生まれ故郷である小諸に比較すると,軽井沢は晴天が少なくて寒いので住みにくというイメージがある.でも,夏の間は,確かに軽井沢は居心地が良さそうである.
 10時36分,六本の道が交差する交差点を通過する.
 11時04分,軽井沢東部小学校の脇を通過する.相変わらず唐松林が続いている.時折,サイクリング大会参加者の自転車が,私たちを追い越していく.

<唐松の林の中を西南西へ>

■庚申塔
 11時15分,進行方向右手にある庚申塔を通過する.路傍に立派な庚申塔が並んでいる.そして間もなく,軽井沢駅前から続く国道と合流する.途端に,自動車の往来が多くなる. 

<路傍の庚申塔>

■軽井沢歴史民俗資料館
 11時26分,軽井沢歴史民俗資料館に到着する.緑一杯の林の中にある素敵な資料館である.隣接する市村記念館と共通の入場券400円也を購入して,資料館の中に入る.館内は撮影禁止.残念.
 館内は,「道の文化と軽井沢」「別荘の沿革・別荘と文化活動」「特別展示」の三つのブースに区分されている.
 軽井沢は,私の生まれ故郷の小諸の直ぐ隣.それなのに軽井沢のことは殆ど知らない.我ながら自分の不勉強さに呆れてしまう.

<林の中にある歴史民俗資料館>



■市村記念館
 軽井沢歴史民俗資料館を見学した後,林の中に続く緩やかな坂を下って市村記念館に入る.ここは近衛文麿の別荘だったようである.
 念のために,軽井沢町のホームページ(資料7)には,次のような記事が載っている. 
 「記念館の建物は,大正時代に洋風住宅建築会社『あめりか屋』によって建てられたもので,大正15年に近衛文麿が軽井沢第1号別荘として野沢源次郎から購入し,昭和7年に政治学者として近衛と親交があった市村今朝蔵が購入したのち,昭和8年に南原に移築され,平成9年に現在の場所,雨宮池の東端に移築復元され,市村家のご遺族より町に寄贈されたものです.」
 南原の別荘地としての開発に尽力した市村今朝蔵とその夫人で名誉町民となった市村きよじの資料をはじめ,雨宮敬次郎,近衛文麿の資料が展示されています.」
 記念館の入口で,係員の初老の男性から,市村家のことなどを,拝聴したが,十分にメモしなかったので,直ぐに忘れてしまう.
 なお,野沢源次郎や市村今朝蔵について,インターネットで調べてみたが,軽井沢町のホームページに記載されている以上の情報は今のところ見当たらない.

<市村記念館>

■しなの鉄道の踏切を渡る
 12時06分に市村記念館を出発する.
 お昼を過ぎているので,どこか適当な食堂があったら,そこで昼食にしようと語り合いながら,街道を西へ進む.
 12時10分,軽井沢小学校前で,しなの鉄道の踏切を渡って,線路の南側の道を西へ進むが,12時19分に再び踏切を渡って,もとの北側の道路に出る.
 踏切を渡るときに,丁度,しなの鉄道の電車が走ってくる.元鉄道マニアだった私は,すかさず電車をデジカメに収めてご満悦.写真を撮りながら,
 「うん・・しなの鉄道の電車もなかなか格好良いぞ・・」
と一人悦に入っている.
 軽快な電車が走り去った後,踏切を渡る.しなの鉄道のレールが,1メートル辺りどの程度の重量かは忘れたが,太くて丈夫な線路が敷設されている.以前,信越本線の特急が走っていた線路である.今は運行本数は少なくなっているが,バッチリ複線になっている.それにしても列車の本数が少ないのが玉に瑕である.

<しなの鉄道の電車>


 [参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料6;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%BD%E4%BA%95%E6%B2%A2%E5%AE%BF
資料7;http://www.town.karuizawa.nagano.jp/ctg/01611200/01611200.html

[加除修正]
2013/6/24~25  地図の全面改定,本文の誤字,当て字,転換ミスの修正,加除訂正,
            推敲を行った.

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ec726d0bcbaa3089ea728484f3541193
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/016588309c15b1746bb4ad68f44f41bb 
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


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