<鎌倉芸術館>
第47回鎌倉美術展が漸く終わる;私のフラウンホーヘル線
2011年7月7日(木) 曇
7月1日から開催されていた第47回鎌倉美術展が,本日漸くフィナーレを迎える.
私は昼食後,例によって自宅のある丸山の尾根から,鎌倉中央公園を抜けて,大船駅に向けて歩く.今日は気温はそこそこ高いようだが,涼しい海風が絶えず吹いているので,歩いていても実に気分がよい.
私は,若い頃からお馴染みの『口笛吹きの散歩』(名前はうろ覚えなので違っているかもしれない)という曲を小さな音で吹きながら,快調に歩き続ける.まるで,19世紀末の英国紳士のように小粋にステッキを振り回しているような気分である.
少し寄り道をして.会場の鎌倉芸術館へ行こうと思う.
まずは大船駅ルミネ6階の本屋に立ち寄る.実は,昨日,絵の先輩であるIさんに紹介された本が気になっていた.昨夜,インターネットで調べた所,本の題名が『色彩の心理学』だと分かった.余談だが,アマゾンでは,この本の売価が1円である.送料が250円なので締めて251円で手に入るようだ.すんでのところで注文しようかと思ったが,ままよと思い直した.まずは,実物があるならば,とにかくパラパラとページをめくってみたい.残念ながら,6階の本屋には無かった. ついで,ヤマダ電機が入っているビルにある古本屋を一回りしてみる.ここにもない.
さらに思いつきで,このビルの最上階にある1000円床屋に入って,暑苦しく伸びていた頭の散髪を済ませる.10分ほどで仕上がってしまう.速くて実に便利である.
展覧会は16時に終わる.15時30分頃,会場に到着するように,商店街をウロウロしながら歩く.会場は,出品物を取りに来た人たちで大変な賑わいである.まだ,少し時間があるので,改めて会場を一回りする.
あちらこちらで集まって雑談をしている人が沢山居る.どうやら鎌倉芸術家協会の会員・会友の方々のようである.新参者の私から見ると雲の上の存在である.この協会には知人が居ないので,私は何となくぼんやりと時間が来るのを待っている.
すると,近くから,
「あの・・FHさんでしょう.氷河の絵を描いた・・」
と小柄で上品な女性が声を掛けてくる.私は一瞬,
「はて,何方だったかな・・?」
と迷うが,すぐに五十三次洛遊会のオータムリーブさんのお知り合いの方だと思い出す.精密にクモの巣を描いたクモの巣オバサンである.
ひょんなことから,私の山登りが話題になって,数分立ち話をする.
やがて,終演の16時になる.偉い方お二人が遠くの方で挨拶をしているが,全く聞き取れない.その内に,拍手が始まったので,良く分からないまま私も拍手をする.
これでお開き.
各自,自分の絵を取り付け金具から外して,係員のチェックを受けて持ち帰る.大きな額を抱えて混雑するバスに乗るわけにもいかないので,私は会場から我が家まで,絵をぶら下げたまま,3キロメートルほどの道のりを歩くが,結構,重くて歩きにくい.
歩いていると,絵がときどき風にあおられる.さらに,途中でパラパラと雨粒が落ち始める.困ったなと思っている内に雨は収まる.
大汗をかきながら,やっと家に戻る.ホッとする.
一段落してから,しげしげと自分の絵を眺める.
「この絵は,カメラで撮った写真の域を出ていないぞ・・・」
というのが私の実感である.
とはいえ,絵を始めたばかりの私に大切なことは,まずは描きたい対象物を正確にデッサンし,形や色彩をできるだけ忠実に表現する技術を習得することだと思う.とはいえ,私は命のローソクがふんだんに残っている青年ではない.正直な所,そんな技術を習得すると言っても,これは何年もの修行が必須である.その間に意半ばにして,私の父母が住んでいるあの世に旅立つかも知れない.その旅立ちが何時になるかは神のみぞ知るである.
でも,でも,・・である.だからといって手抜きはしたくない.
ただ,こんな技術を習得しながら,同時並行で,Iさんが指摘した色彩の心理については,色々試してみたい.
それには,私の心の中か,頭の中か,良く分からないが,とにかく私の身体の中にある喜怒哀楽を,可視光線になぞらえたときに,どの辺りの色にフラウンホーヘル線が現れるかを知りたい.
この基礎的な理論はそれほど難しいとは思えない.色彩学の基礎を学べば,多分,自分なりのフラウンホーヘル線の位置は明確になるだろう.
そうしたら,そのフラウンホーヘル線の位置にある色を,「光」あるいは「影」の色として強調して絵を描けば,自分の感情が率直に表現できるかも知れない.こんな絵を,そのまま描いたら,多分,素っ頓狂な絵になるかも知れないが,それでも良いなと思っている.
次に気になるのは,私は一体何を目的に絵を描いているのか.さらには,何で苦労してまで展覧会などに出展しようとしているのかである.
以前,Iさんが,
「絵は他の方に見て貰わなければ価値がない・・」
と言っていた.この指摘は,多分正しいだろう.けだし名言である.
でも,まだ私には釈然としないのである.
確かに,私も自分の絵を他の人に見て貰うために,苦労して絵を仕上げている.
では,なぜ・・・?
良く分からないが,とどのつまり,絵を見て頂いた方の共感を得たいという側面があることだけは確かだろう.共感を得ることによって,モヤモヤとした市井の中で,居心地良い自分の居場所を求めているに違いない.
ちょっと論理が飛躍するかも知れないが,絵はとどのつまり自分と自分を取り巻く環境との間のコミュニケーションを円滑にする道具(あるいは媒体)の一種であると言えよう.
そうだとすると,情報の送り手である私が,絵という媒体を使って,自分の思い(つまり情報)を受け手(つまり見て頂く皆さん)に伝えるという構図になる.
送り手である私は,送りたい内容(つまり描きたい絵の対象;私の場合は氷河の山)について,強い関心を持ってよく観察して,思いを忠実に表現し,歪みのない伝送路(つまり展覧会など)を通じて,受け手に送るということである.
ここで受け手は,何よりもセンシティブ(つまり感受性豊か)で,対象物に関心を持ち共感しなければならない.
さてそこで,私は大きな問題に直面する.
このところ,私は,氷河や標高4000メートルを超える雪山の絵ばかり描いている.なぜ,大多数の方々には縁のないそんな極限のような所ばかり描くのかと疑問を持たれる方も居られるだろうが,答えは簡単である.描きたいからである.
私は,こんな極限のような場所で得られた感動,素晴らしさ,そんな諸々を,水彩画を通じて,氷河などに縁のない方々にも知って頂きたい.感動や素晴らしさを共有したいと強く思っている.そんなことを通じて,大自然の素晴らしさをお互いに理解し,自然に対する畏怖の念を分かち合い,さらにはこの素晴らしい自然を大切にする気持ちを共有したい.
でも,これは大変難しいことである.というのも,私の絵を見て頂く大部分の皆様には,見たこともいったこともない未体験の所がテーマの絵だから,空の色一つをとっても,標高4000~5000メートルを越えた所では濃紺,・・というよりはまるで星空のような色に見えること,なかなか理解して頂けない.
くだらない話が長くなりすぎた.
今回は,この辺りで愚痴話は終わりにしよう.そして,また機会を見て,額縁に効用について,いろいろと考えてみたいと思う.
何はともあれ,今日で鎌倉美術展は終わった.明日(7月8日),雨が降らないようだったら,久々に丹沢の塔ノ岳に登りたいなと思っている.
(おわり)
「閑話休題」の前回の記事
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