中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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善光寺街道;第1回;第2日目(2);追分宿から分去れへ

2015年09月02日 04時42分22秒 | 善光寺街道・善光寺西街道

                            <分去れ;左中仙道,右善光寺街道>
 
        善光寺街道;第1回;第2日目(2);追分宿から分去れへ
                (五十三次洛遊会)
      2015年8月25日(火)~27日(木)

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第2日目;2015年8月26日(水)(つづき) 曇やや蒸し暑い

<ルート地図>

■追分宿詳細図

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<いよいよ追分宿>

■緑豊かな追分宿
 9時05分に中山道との交差点に到着した私達は,左折して中山道に入る.ときどき自動車が通るが,緑豊かな落ち着いた雰囲気である.
 すぐに急ぎ足になる癖のある人に,私は相変わらず,
 「ゆっくり,ユックリ…」
を言い続ける.そうしないと後半でバテてしまうこと必定だからである. 

<緑豊かな追分宿>

■昇進橋
 9時11分,昇進橋を通過する.一見どこがはしか分からないが,そこには小綺麗な案内標識が立っている.標識には「中山道,追分宿,昇進橋」と書いてある.
 9時13分,進行方向左手に休憩所がある.
 少々蒸し暑い.
 「…ここで休憩しますか?」
と皆さんに伺うが,まだ求刑しなくても良いということなので,ここは通過する.
 
<追分宿案内>                               <休憩所>

<堀辰雄文学記念館と本陣跡>

■堀辰雄
 9時19分,堀辰雄文学記念館に到着する.
 私も堀辰雄の名前ぐらいは知っているが,恥ずかしながら堀辰雄の著書を読んでいない.それに,軽井沢とどんな関係があるのかも,全く知らない.時間があれば,この記念館をジックリ見学すれば良いのだが,そこまでの興味もないし,時間もない.
 資料3によると,「
堀 辰雄(明治37年(1904年 )-昭和28年(1953年),小説家.それまで私小説的となっていた日本の小説の流れの中に,意識的にフィクションによる「作りもの」としてのロマン(西洋流の小説)という文学形式を確立しようとした.フランス文学の心理主義を積極的に取り入れ,日本の古典や王朝女流文学にも新しい生命を見出し,それらを融合させることによって独自の文学世界を創造した.肺結核を病み,軽井沢に療養することも度々あり.そこを舞台にした作品を多く残した.戦時下の不安な時代に,時流に安易に迎合しない堀の作風は,後進の世代の立原道造,中村真一郎,福永武彦,丸岡明などから支持され,彼らは堀の弟子のような存在として知られている.戦争末期からは結核の症状が悪化し,戦後はほとんど作品の発表もできず,闘病生活を送ったが48歳で死去した.」という説明がある.

■本陣裏門
 「館内には入らないけど,どんなところが,ちょっとだけ外から見ましょう…」
と言うことで,敷地の入口に立派な門を潜る.
 傍らにある案内文によると,この門は,追分宿本陣裏門のようである.
 
<堀辰雄文学記念館入口>                        <本陣裏門>

■記念館前で小休止
 記念館の敷地はとても広い.敷地を100メートルほど中に進むと,右手に記念館の建物がある.
 私達は建物中には入らずに,暫く庭を拝見してから,敷地の入口に戻る.

<堀辰雄文学記念館>

■本陣見取図
 本陣浦も脇の説明文をもう一度見る.
 説明文の脇に本陣の見取図がある.この見取図を見ると.本陣は中山道の北側に位置している.そして裏門は,この見取図で「赤」で示した場所にあったとのこと.つまり,本陣は,堀辰雄文学記念館と中山道を挟んで反対側にあった.しかも裏門は本陣の北側で中山道から最も遠いところにあったことになる.
 それにしても,この見取図を見ると,本陣の建物が途轍もなく大きかったことが分かる.

■旧本陣土屋氏宅
 9時30分,進行方向右手にある旧本陣土屋氏宅に到着する.
 さきほど見た見取図からも推察できるように,随分と広い空間が広がっている.中を見たかったが,私有地なので,それも憚られる.
 入口から少し入ったところに,「明治天皇……」と刻字された立派な石塔が立っている.
 資料2(p.127)によると,「明治天皇行在所跡」と刻字されているとのこと.
 なお同資料によると,建て替えられた現在の家屋にも,昔の上段の間など4間が残っているとのことである.
 
<旧本陣>                                   <明治天皇>

<高札場跡と石尊山登山口>

■高札場跡
 9時31分,旧本陣跡のすぐ隣にある高札場跡を見物する.これは勿論復元されたものである.

<高札場跡>

■石尊山登山口
 9時31分,「浅間山道道路第一詣石」と刻字された大きな石標に到着する.資料2(p.127)によると,沓掛から出る草津道と峰の茶屋で合流するとのこと.
 ”これは何時か是非歩いてみたいな…”
と密かに思う.
 なお,ここは石尊山に登る登山道として,地元では有名である.蛇足だが,石尊山から先の登山道を登ると,天狗の路地を経由して火山館で,小諸口登山道と合流する.
 実はこの登山道があることは,私も以前から知っていたし,是非一度歩いてみたいなと思っているが,ここは有名なクマの生息地でもある,従って,一人で登るのは危険ということで,青邨山経由で浅間山に登ったことがない.残念.
 
<石尊山登山口>                                      <石尊山登山ルート>

<追分中央公園と諏訪神社>

■諏訪神社の鳥居
 9時33分,諏訪神社参道に到着する.
 参道入口には石造りの立派な鳥居が立っている.
 この鳥居には反り返りがあり,柱が2本,鳥居上に装飾柱がある,大輪はないことから,明神鳥居であろうと素人判断する.
 鳥居を潜って内部に進む.その先には「追分中央公園」の大きな看板が立っている.
 
<諏訪神社の鳥居>                            <追分中央公園>

■諏訪神社本殿
 追分中央公園の看板の先へ進むと,諏訪神社の立派な拝殿が建っている.
 諏訪神社の由来などは,手許の資料では良く分からない.

<諏訪神社拝殿>

■一茶句碑
 境内に小林一茶の句碑がある.
 この句碑には,
  “有明や 浅間の霧の 膳をはふ”
という句が刻字されている.
 なお,刻字されている字は,軽井沢出身の書家,稲垣黄鶴の書だという.この句碑は平成6年(1994年)に建立された.
 資料4によると,一茶は「
宝暦13年(1763年),北国街道柏原宿(現信濃町大字柏原)の中農の長男として生を受ける.3歳の時に生母を失い,8歳で継母を迎える.継母に馴染めず,安永6年(1777年),14歳の時,江戸へ奉公に出る.25歳のとき小林竹阿(二六庵竹阿)に師事して俳諧を学ぶ.寛政3年(1791年),29歳の時,故郷に帰り,翌年より36歳の年まで俳諧の修行のため近畿・四国・九州を歴遊する.」
 
<諏訪神社拝殿>                              <一茶句碑>

■幾つかの標識
 9時40分,「追分宿 追分公民館」の屋根付き標識と.中山道追分宿という刻字のある石柱が立っている場所に到着する.
 ここにバス停追分公民館がある.ご多分に漏れずここも運行バスの本数が随分と少ないようである.

 
<追分宿案内標識>                              <中山道追分宿案内標識>

<泉洞禅寺>

■山門から境内へ
 9時42分,泉洞寺に到着する.
 境内にある説明文によると,この寺の正式名称は浅間山香華院泉洞寺という.泉洞寺は慶長3年(1598年),上州(嬬恋村)常林寺第5世・心庵宗祥禅師によって開創された.禅師は武士だったが,長篠の戦いで多くの死傷者を目の当たりにして,無常を感じ出家したとのこと.
 山門を潜って境内に入る.
 左手前方に沢山の石仏らしい彫像が並んでいる.六地蔵かと思って近づくと,どうやら七福神をもじった彫像のようである.私の趣味には合わないので,これ以上説明する気にはなれない.
 
<山門>                                     <現代風七福神?>

■本堂
 正面に立派な本堂が建っている.境内は至って静寂.私たち以外に人の気配は全く感じられない.
 資料2(pp.127-128)によると,向かって左手の墓地の入口に,堀辰雄が愛した高さ40センチメートルほどの半迦思惟の石像があるという.可愛い像で,村人には歯痛止めの仏さまとして知られているようである.
 なお,同資料によると,ここから南東約500メートルの所に,この寺の墓地がある.そこに旅籠屋布袋屋の飯盛女の墓があるとのこと.彼女は武士の娘で,切支丹信者との理由で打ち首になったとのこと.
 墓地まで500メートルでは,わざわざ行ってみる気にもならないので割愛する.

<泉洞禅寺本堂>

満州開拓団英霊碑と水環慈石地蔵尊
 境内をザッと一回りする.
 本堂に向かって左側に満州開拓団英霊碑がある.昭和46年(1971年)に建立されたもの.開拓団で亡くなった83人を慰霊する石塔である.
 英霊碑の反対側に水環慈石地蔵尊が安置されている.メガネを掛けたちょっと意表を突くデザインの石仏である.要するに私の感覚には合わないので,これ以上の説明は省略する.
 
<満州開拓団英霊の鎮魂碑>                       <水環慈石地蔵尊>

<パン屋さんと枡形茶屋>

■パン屋さんに立ち寄る
 9時50分,パン屋さんの看板が目に付く.入口に" OPEN"と書いてある.
 ”何で英語なの? この辺りの方々は英語ができるのかしら?”
と妙な気分になるが,パンと言えばアンパンマンさんこと,HTさんを連想する.
 「…折角だからちょっと覗いてみましょう…」
ということで,パン屋さんに入る.
 若い女性が,パン屋さんの店主のようである.
 お店の広さは8畳間ぐらいだろうか,商品棚には,多種多様なパンが並んでいる.どれも美味しそうである.でも,どうも肝心のアンパンはなさそうである.
 HTさんが女店主に,
 「アンパンはないの…?」
と聞く.
 女店主は,気の毒そうな顔をして,
 「申し訳ありません…アンパンは…置いていません」
という.
 「アンパンがないんじゃ仕方がないですね…」
ということで,何も買わずにパン屋さんを跡にする.
 
<パン屋さん>                                <残念ながらアンパンはない>

■枡形茶屋
 9時54分,枡形茶屋「つがるや」に到着する.古い建物である.なかなか立派な建物である.
 資料2(p.128)によると,この辺りに枡形があったようである.

<枡形の茶屋>

<分去れ・善光寺街道の起点>

■分去れの常夜灯
 枡形茶屋の前で,中山道は現在の国道に合流する.国道を往来する自動車が多いので何となく落ち着かない.
 9時56分,合流点から,100メートルほど歩いたところにある大きな常夜灯の前に到着する.ここが「分去れ」と呼ばれているところである.
 下の写真で,左側の道が中山道,右の道が善光寺街道(北国街道)である.
 分去れ付近には,この常夜灯をはじめとして,沢山の石塔が祭られている,

<分去れの常夜灯>

■森羅万象の歌碑
 分去れには沢山の石碑,石塔がある.
 道祖神のすぐ後ろにあるのが,分去れの碑である.その後ろにあるのが森羅万象の歌碑である.この歌碑には,「世の中はありのままに霰(あらわ)ふる.かしましとだに心とめねば」と書いてある.
 資料2(p.128)によれば,森羅万象は平賀源内のことだという.この碑は寛政元年(1789年)に建立された.

<分去れの碑と森羅万象の歌碑>

■分去れで一休み
 常夜灯の裏手に回る.
 ここにも馬頭観音をはじめとして,沢山の石碑,石塔が立ち並んでいる.石碑や石塔に囲まれた草地で,暫くの間,立ち休憩を取る.
 この分去れが,今回の善光寺街道の本当の出発点である.

<分去れで一休み>

[参考資料]

資料1;完全踏査街道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料3;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E8%BE%B0%E9%9B%84
資料4;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E4%B8%80%E8%8C%B6
                                        (つづく)

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「善光寺街道」の目次
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「善光寺街道」の索引
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【参考資料】
「善光寺西街道」の目次
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「善光寺西街道」の索引
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