<守山駅から歩き出す>
歩いて巡る中山道六十九宿(第15回);第3日目(1);守山宿から栗東市へ
(五十三次洛遊会)
2012年11月16日(金)~19日(月)
第3日目;2012年11月18日(日)
<守山宿地図> (再掲)
<東横インから守山へ>
■見事な朝焼け
昨日は,終日,雨の中を歩き通しだったので,気分的に滅入っていたが,一晩グッスリ寝たおかげで,今朝は爽やかな気分で目が覚める.時計を見るとまだ3時30分.勿論外は真っ暗である.いくらなんでも,まだ,起き出すには時間が少々早すぎるので,もう一度無理に眠る.すると,後になってからは全く思い出せないが,いろいろと妙な夢を見続ける.
6時40分に再び目が覚める.私の部屋が東向きだったらしく,今丁度日の出の太陽が眩しく光り出す.まだ,雲が多いが,昨日とは打って変わって良い天気のようである.
<昇る太陽>
■ロビーで朝食
6時45分,1階のロビーまで降りる.
朝食はロビーで摂ることになっている.ロビーなので食事を摂るには何となく落ち着かない雰囲気だが,まあ我慢するしかない.ただ,このホテルの朝食はバイキング方式ではなく,ネーベンとみそ汁は最初から盛りつけてあるものを頂戴する仕組みになっている.
何となく落ち着きがないまま,30分ほどで朝食を済ませる.
<東横インの朝食>
■大津から守山へ
7時55分頃,全員がロビーに揃う.そのまま全員で守山駅に向かう.
8時01分,守山駅に到着する.JR西日本でもSUICAが使えるので大変便利である.ただ,PASMOを持っている人が使おうとしたが,どうやらPASMOは使えないようである.
私達は大津8時16分発米原行の電車に乗車する.今日は日曜日.休日なのに電車は結構混雑しているが,何とか座席に座れる.
私達が乗車した電車は,9時36分に守山駅に到着する.
<大津駅>
<守山宿の続きを歩く>
■守山駅から中山道へ
まずは,守山駅前広場に集合する.
リーダーから,
「いよいよ,残すところ後2日になったが,怪我のないように気を付けて歩きましょう・・・」
という挨拶があり,8時32分に歩き出す.
まずは駅前通を,東北東に500メートル程歩いて.8時47分,中山道に到着する.ここで左折して,昨日の続きの中山道に入る.
<リーダーから挨拶>
■今宿一里塚
8時48分,今宿一里塚に到着する.江戸日本橋から128番目の一里塚である.京都まで後8里である.いよいよ京都も間近になったなという実感が湧く.
一里塚の前に立っている案内板によると,この一里塚は滋賀県内で現存する唯一の一里塚だという.ただ,現在の一里塚は,往時のものより,規模が小さくなっている.
<今宿一里塚>
■住蓮房母公墓
8時52分,住蓮房母公墓と刻字されている案内標識の前を通過する.
住蓮房母公墓について,資料5には以下のような紹介記事が掲載されている(文語体に変更,一部省略).
「今より八百年前,鎌倉時代の仏教は「貴族仏教」ともいわれており,権力者や貴族たちのものであった.ところが法然上人は末法の時代にあっても、すべての人は平等であり、「南無阿弥陀仏」に救われると説いたので,新興階級の武士や農民,あるいは救いの対象からもれていた女性たちに広く受け入れられ,「念仏仏教」が大変な勢いで広まっていった.法然上人の説く専修念仏がひろまるにつれて,古くからある仏教教団は.新興の法然上人の教えを,国家の秩序を破り道徳を乱す者と決めつけ,元久元年(1204)「専修念仏停止」を時の権力者である後鳥羽上皇に訴え出た.そのような事態の中,法然上人の弟子,住蓮坊・安楽坊は上人の教えに従い,不断念仏,浄土礼賛を修道していた.両上人を修する浄土礼賛声明に魅了され,出家して仏門に入る者さえあった.その中に後鳥羽上皇の女官,松虫姫・鈴虫姫がおられ,両姫は今出川左大臣の娘で,容姿端麗,教養も豊かであったことから,ことさら上皇の寵愛をうけた.おりもおり,紀州熊野へ参詣の間に,両姫の決死の出家の願いにより住蓮坊は松虫姫(19歳)を,安楽坊は鈴虫姫(17歳)をそれぞれ剃髪,出家得度させた.このことを知った上皇は激怒し,この出来事を一つの口実として,専修念仏教団の弾圧を企てだ.建永2年(1207年)住蓮坊は近江の国馬渕(現在の滋賀県近江八幡市),安楽坊は京都六条河原(現在の東本願寺近く)において打ち首の刑に処せられた.住蓮坊に朝子という母公がおられ,我が子が捕らえられた悲しみで盲目となられ,いよいよ死罪に処せられる前に,人目遭いたいものと馬渕をめざして,中山道を急がれたが,途中で住蓮坊上人がすでに首を打たれたと聞き,最早この世に生きながらえる望みなしと思い,当地焔魔堂町の池(尼ヶ池)に身を投げた.母公の法名を「住然」と言い,当家の屋敷内に母公の墓があり,また住蓮坊の首を打った刀を所蔵していたが,延曆5年(1674年),大宝神社(栗東市綣)に奉納された.縁あって,代々墳墓をお守りしているが,住蓮坊および母公の事跡大略を後世に伝えたいと思う.」
<住蓮房母公墓>
■徳栄寺
8時53分,進行方向左手にある徳栄寺に到着する.浄土真宗本願寺派の寺である.
資料6によれば,永正6年(1504年),西哲が開基.本尊は阿弥陀如来である.
<徳栄寺>
■諏訪神社と道標
8時53分,諏訪神社に到着する.立派な鳥居と社殿が見えている.神社の片隅に「従是南淀領」という刻字のある古い石柱が立っている.
資料4(p.66)によると,北の今宿は丹後宮津藩領だった.近江国には諸大名の飛地が多かった様である.
<諏訪神社と道標>
■五道山十王寺
8時54分,諏訪神社と道路を挟んで反対側にある五道山十王寺に到着する.山門には柵が置かれていて境内には入れない.
資料6(p.66)によれば,この寺の焔魔堂は小野篁(たかむら)という人の作だという.
資料7によると「小野 篁(延暦21年(802年)~仁寿2年(853))は,平安時代前期の官吏,漢学者,歌人.従三位・参議.異名は「野相公」「野宰相」,その反骨精神から「野狂」とも.」
<五道山十王寺>
<栗東市へ>
■栗東市市境
9時02分,私達は,市境を越えて,いよいよ栗東市に入る.
■大宝公園案内図
栗東市に入って間もなく大宝公園に到着する.
案内図を見ると,この公園は大宝神社を中心とした広い公園のようである.
<大宝公園案内図>
■大宝神社
公園の入口には大宝神社の大きな鳥居がある.
資料4(p.65)によると,大宝神社は近隣20余村の生土神である.境内にある木造狛犬1対は鎌倉時代の作で国重文に指定されているという.
<大宝神社の鳥居>
■芭蕉の句碑
大宝神社の境内に芭蕉の句碑がある.
“へそのむらの
まだ麦青し
春のくれ”
という芭蕉の句碑がある.
<芭蕉の句碑>
■佛眼寺地蔵堂
9時09分,佛眼寺(ぶつげんじ)地蔵堂に到着する.
この寺の由来などは,手許の資料では良く分からないが,資料8に「佛眼寺の建立時期は定かではないが,1420年に時宗四條派の末寺になったといわれる」という説明がある.
<佛眼寺>
■信号「臍」
9時11分,信号「臍(へそ)」に到着する.
JR栗東駅は,この信号から左手の直ぐ近くにある.
<信号「臍」>
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;http://www.geocities.jp/godozan_juohji/jurenbo/jurenbo-02.htm
資料6;http://www.kokokujitanbo.com/my-ed-2.htm
資料7;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%AF%81
資料8;http://www.kyoto-np.co.jp/info/sightseeing/mukasikatari/061205.html
(つづく)
「中山道六十九宿」の前の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/701d1d86d7a30560f92c35d9f0334c5c
「中山道六十九宿」の次の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ceb684f9f2a57bf626c9a0e3bdb937bc
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