中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る中山道六十九宿(第15回);第2日目(4);守山宿;2日目纏め

2012年12月21日 05時19分35秒 | 中山道六十九宿

                                 <雨の野洲川橋を渡る>

歩いて巡る中山道六十九宿(第15回);第2日目(4);守山宿;2日目纏め
           (五十三次洛遊会)
    2012年11月16日(金)~19日(月)

第2日目;2012年11月17日(土)
(つづき)

<守山宿地図> 



<雨の守山宿>

■守山宿の概要
 守山宿は67次の宿場である.
 資料3(p.358)によれば宿内人口1700人.内.男837人,女863人.宿内惣家数415軒.内,本陣2軒,脇本陣1軒,旅籠30軒.
 資料1(p.178)には,「「京発ち守山泊まり」といわれ,朝鮮通信使など公式の旅の宿となったところである.また,女性の1泊目の宿としても利用された.東門院は本堂は焼失したが,東山道時代からの宿の歴史が匂う」と紹介されている.

■十倫院かな?

 14時43分,東海道本線のガードを潜る.ガードの直ぐ近くに神社かお寺かちょっと見分けが付かないお堂が建っている.神社だろうか,それともお寺?
 降りしきる雨が一段と強くなる.もう地図や資料をジックリ確かめる余裕がなくなる.ただひたすら傘をシッカリの握って,少しでも雨に濡れないようにしているのが精一杯である.もうやけくそだ!
 手持ちの地図は,一応はビニール袋に入れてはいるが,どこからともなく袋に雨が染みこんでくる.そして頼みの綱の地図が雨水で滲み始めている.そして,頼みのデジカメも液晶画面が曇り始める.そうなると液晶に映る風景が,まるで湯気の多い風呂場を見ているような感じになり始める.一生懸命に濡れないようhにしているのだが・・・
 傘と資料で両手がいっぱいになっているので,資料を口にくわえて,無理な姿勢のまま,このお堂の写真を撮る.お堂には看板も案内板も見当たらないので,はっきりしたことは分からないが,塗れ始めた地図で確かめると,どうやら十倫院というお寺(?)らしい.
 “何だか良く分からないが,まあ,いいや・・・”
で破れかぶれの通過である.

<激しい雨が降りしきる十倫院(?)>

■野洲川を渡る
 14時47分,野洲川に架かる野洲川橋を渡る.橋には歩道が付いていない.道路の端を一列になって,怖々と渡る.私達の脇を次から次へと自動車が水しぶきを上げながら通過していく.私達は通過する自動車の風で煽られる傘を必死になって押さえながら,やけくそになって橋を渡り続ける.
 ”惨めだな~ぁ・・・・実に惨めだ!”
 資料4(p.65)によると,「野洲川は近江太郎と呼ばれた.上流は東海道横田川,流末は琵琶湖.通常は仮橋,出水時は舟渡し,朝鮮通信使通行の際は仮土橋を掛けた」という.

<雨が降りしきる野洲川橋>

■馬路石辺神社
 14時56分,馬路石辺神社の参道入口に到着する.参道入口に案内の石柱が立っている.
 降りしきる雨の中,わざわざ参拝する気にもなれないので,そのまま通過する.
 資料5によると,以下の通りである.「主祭神は建速須佐之命と大己貴命の2柱.天武天皇
の御代である白鳳3年(663)に創祀され,朱鳥元年(686年)に大己貴命を合祀したと伝わる.往古,馬路郷を拠点とする豪族であった石辺君氏が氏神として奉斎した神社である.平安時代中期の『延喜式神名帳』には「近江国野洲郡 馬路石邊神社」と記載され,式内社に列している.中世には田中莊の鎮守社として「田中大明神」・「田中天王社」と呼ばれた.戦国期には六角氏の崇敬を受けたが,元亀・天正の争乱により社殿等を失った.江戸時代に入り再建され,現在の社殿は文久2年(1862年)のものである.明治9年(1876年)近代社格制度において村社に列し,明治14年に郷社に昇格した.」
 この説明文を読んで,雨さえ降っていなかったら参拝したのに・・・と,思ったが,こういうのを後の祭りという.

馬路石辺神社>

■益須寺跡
 15時03分,益須寺路跡に到着する.ここには案内板が掲示されているだけで,往時を偲ばせるような遺構はない.
 この案内板には,日本書紀にこの寺の記事が出ていることや,発掘調査で瓦が出てきたことなどなどの説明が書かれている.

<益須寺跡>

■高札場跡と稲妻型道路
 益須寺跡の直ぐ近くに高札場跡がある.ここにも案内板がある.
 案内板の記事によると,この辺りでは街道に面する民家は直線的に配置せずに,一戸ごとに段違いの屋根割りになっている.これは宿場に治安維持を図るための工夫だったという.現在は道路整備によって,見にくくなっているが,一部では観察することができるとのことである.
 しかし,私達は降りしきる雨で,見学所ではない.


<高札場跡>

■吉身(吉水郷)と帆柱観世音
 説明板の説明によると,高札場のある辺り一帯を「吉身(吉水郷)」と言う.豊かな森林と綺麗な水に恵まれた天下の景勝地だったという.近くの川にはゲンジボタルが生息しているという.
 15時06分,帆柱観世音の石柱の前を通過する.
 
<帆柱観世音>

■2箇所のお寺を通過
 帆柱観世音に引き続き,2箇所のお寺を通過する.参道の入口から,お寺の本堂を眺めただけ.お寺の名称は,どちらも良く分からないが,雨が降り続く中で確かめる気にもなれない.
 雨で意気消沈したまま,ひたすら歩き続けるしかない.

 
<2箇所のお寺>

■雨の守山市街地を行く
 15時06分,降りしきる雨の中,私達は相変わらず守山の市街地を歩いている.
 傘をさしながらデジカメのシャッターを押すので,画像もひん曲がってしまう.
 路地の前方にお寺の屋根が見えているが,何というお寺か分からないし,雨の中で資料をジックリと眺めることもできない.


<降りしきる雨の中,守山の市街地を行く>

■高野郷新善光寺道道標
 15時10分,高野郷新善光寺道道標の前を通過知る.
 雨のためか,ほとんど人通りのない「ほたる通り商店街」が見えている.


<新善光寺通道標>

■小宮山本陣推定地
 15時11分,本陣推定地に到着する.
 案内文によると,ここは小宮山久右衛門本陣があったと推定される場所である.皇女和宮もここで宿泊されたという.
 ここは昭和40年まで特定郵便局長宅として使用されていたが,平成16年(2000年)に取り壊された.
 ここは謡曲「望月」にも関連のある場所のようだが,渡しには謡曲のことは全く分からない.従って,ここであれこれ書き綴るのはやめておこう.


<本陣推定地>

■樹下神社
 15時16分,樹下神社(じゅげじんじゃ)参道入口に到着する.綺麗な紅葉が見えている.
 資料6には,「樹下神社は,日吉大社の上七社のひとつ,樹下宮を勧請した」神社という説明があるが,詳しいことは私は分からない.


<樹下神社>

■守山駅
 第2日目の終点はJR守山駅である.
 そろそろ左折しないと守山駅を通り過ぎてしまうかもしれないので気が気ではない.傘をさしながら.絶え間なく地図を眺める.その間に,高札場跡や守山寺など見物したいところもあるが,曲がり角を間違えないように随分と神経を使う.
 15時19分,多分この辺りで左折すれば益に突き当たるだろうと見当を付けて左折する.もし間違っていなければ,この曲がり角から5~600メートルほどで守山駅に突き当たるはずである.
 “大丈夫かな・・・間違っていないかな”
と絶えず不安になるが.まあ間違えても線路に突き当たるだろうと気楽に考えることにする.
 だんだんと不安が増す頃,予定通りの場所で,道が緩やかな左折する.ここで間違いなく所定の道を通っていると確信する.
 そして,15時27分,予定通りに守山駅に到着する.
 “やれ,やれ,・・・・ご苦労様”
と案内役を買って出た自分を自分の心の中でねぎらってやる.


<守山駅に到着>

<宿泊場所の大津へ>

■東海道本線で大津へ移動
 守山15時36分発網干行の電車に乗車する.雨の中の行進がやっと終わったので,ホッとした気分になる.
 電車は混雑している.それでも席はバラバラになっても何とか座れる.途中,幾つの駅に停車したかは数えていなかったが,15時57分に無事大津駅に到着する.


<守山駅>

■東横イン京都琵琶湖大津へ
 今日から東横イン京都琵琶湖大津(長い名前だ!;以後東横インと略す)は,大津駅から北北西,長等2丁目にある.以前,東海道五十三次を歩いたときに,このホテルの近くを通った筈だが,全く記憶に残っていない.
 一行の中にこのホテルで前泊している方が居るので,その方の後に付いて行くことにする.
 相変わらず雨が降っている.まだ,16時を少し廻ったばかりなのに,まるで夕方のように薄暗く寒々としている.
 雨脚は少し弱まったが,相変わらずシトシトとしつこく降っている.
 それにしても,やけに薄ら寒くて活気のない街のような印象を受ける.早くホテルに着かないかなと思いながら歩き続ける.
 暫く歩くと路面電車が走っている通りに出る.

<大津駅・東横インの地図>

<東横イン京都琵琶湖大津>

■漸くホテルにチェックイン
 16時13分,漸く東横インに到着する.案外小規模なホテルである.
 ホテルの中に入るとロビーがある.丸いテーブルが何脚か並んでいる.そのテーブルの廻りに老いてある椅子座って,リーダーがチェックインするのを待つ.
 ロビーの片隅に無料のコーヒースタンドがある.早速,1杯頂戴するが,どういう訳か,折角のコーヒーが少々温すぎる.
 私の部屋は6階.ロビーからの通路の突き当たりにあるエレベーターを利用して,自分の部屋に入る.部屋に入るとすぐ左手にユーティリティ,その先の客室にシングルベッドが置かれている.
 昨日泊まったサンルート彦根に比較すると客室の面積は半分一寸の広さしかないが,サンルート彦根は宿泊料が高かったので,比較をしてはいけないなと思う.
 ベッド脇の注意書きを見ると,「大きな荷物はベッドの下に置けます」という趣旨のことが書いてある.“なるほど!”.

<東横インに到着>

■2食続けてラーメン
 夕食は各自適当の撮ることになっているが,私は男性2人と一緒に夕食を摂ることにする.
 17時30分にロビー集合.勝手が分からない街中に繰り出す.ホテル前の路面電車の道を北の方向に向かう.途中マーケット街のようなところを通過して,最初の十字路の近くにラーメン屋がある.
 あちこち歩き回っても仕方がないので,このラーメン屋に入る.
 ラーメンがハイカロリーなのは知っているが,ナントカ定食というのを注文する.するとラーメンと餃子タップリのメニューである.
 “これは随分とハイカロリーだな・・・”
と思ったが,まあ1食ぐらいハイカロリーでも良かろうということで美味しく頂く.
 今日は昼食もラーメンだった.
 私はラーメンが好物だが,昼食と夕食が立て続けにラーメンとなると,さすがにラーメンは食傷気味になる.

<夕食はラーメン定食>

■無事1日が終わる
 夕食を終えて,18時30分頃,ホテルへ戻る.
 ホテルへ戻る途中で,同行のAさんとすれ違う.Aさんは電車道を1人でお散歩中である.
 まずは,ちょっと熱めの風呂にユックリと浸かる.
 “それにしても,今日はしつこい雨に祟られ通しだったな・・・”
と今日一日を振り返る.
 テレビで明日の天気予報を見る.どうやら明日は天気も回復しそうである.
 少々早めの20時頃就寝.こうしてナントカ無事に第2日目も終わった.

<ラップタイム>

 9:50  武佐駅歩き出し
10:05  若宮神社
10:24  住蓮坊首洗い池
10:33  白鳥川を渡る
10:36  馬淵八幡宮・高札場
10:50  宝養寺
11:06  横関橋
11:16  若宮神社
11:21  浄泉寺
11:26  伊勢道道標
11:37  道祖神群
11:40  吉田屋跡・真照寺
11:43  源義経宿泊の館跡
17:44  本陣跡
11:46  鏡神社
11:56  道の駅(12:44まで昼食)
12:46  源義経元服の池
12:56  平宗盛・清宗終焉地
13:42  家宗川を渡る
13:44  篠原神社
13:48  子安地蔵堂
13:54  桜生史跡公園
14:16  養専寺
14:19  東海道本線ガードを潜る
14:30  朝鮮人街道分岐点
14:30  蓮照寺
14:38  顕了寺
14:47  野洲川を渡る
14:56  馬路石辺神社
15:03  益須寺路跡
15:06  帆柱観世音
15:11  高野郷新善光寺道道標・本陣推定地
15:16  樹下神社
15:27  守山駅着

[歩行記録]

■水平歩行距離   14.7km

■累積登攀高度   105m

■累積下降高度   107m

■所要時間(休憩時間込み)
  武佐駅発      9:50
  守山駅着      15:27
 (所要時間)     5時間37分(5.62h)
 水平歩行速度    14.7km/5.62h=2.61km/h
                                                                               (第2日目終わり)
                                  (第3日目に続く)

[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E8%B7%AF%E7%9F%B3%E9%82%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE

資料6;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%B9%E4%B8%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE

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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/757931e9b18389d677df71aa9d01c68b
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