<馬瀬口間ノ宿長泉寺>
善光寺街道;第1回;第2日目(4);馬瀬口間ノ宿
(五十三次洛遊会)
2015年8月25日(火)~27日(木)
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第2日目;2015年8月26日(水)(つづき) 曇やや蒸し暑い
<ルート地図>
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<旧馬瀬口村へ>
■濁川を渡る
沢山のひまわりを右手に眺めながら,静かな道を西に向けて歩き続ける.もう少しで9月だというのに,気温が高くて,やや蒸し暑い.
11時11分,立派な火の見ヤグラの脇を通過し,11時13分,小さな橋を渡る.
<火の見ヤグラ> <濁川に架かる橋>
■濁川の流れ
橋の下は意外に深い谷になっていて,赤茶色に濁った水が流れている.多分,硫化鉄が溶け込んだ水だろうと勝手に想像する.
資料2(p.366)では,細見という人の説を引用して「にごり川といふ小川,浅間谷より流出る.赤土の温水にして,その色血のごとし,俗にこれは浅間山の血池の流れ也といふ.左にあらず.川源赤土硫黄の焼けたる土湯也.故ににごりて赤し.しかし夏至の頃廿日あまり清にて流る.いかなる故にか有けん」という説明がある.とにかく,不思議な川である.
<濁川の流れ>
■三ッ谷西
11時16分,信号三ツ谷西を通過する.この信号を目印にして,地図上の現在地を確認する.
11時28分,進行方向右手に菅笠を被った品の良い人物彫像が立っている.弘法大師だろうか.周囲に説明文もないし,手許の資料にも,この彫像の記述は見当たらないので,良く分からないまま通過する.
<信号三ッ谷> <弘法大師かな?>
■高山家住宅
11時35分,高山家住宅に到着する.白壁の立派な長屋門を備えて家である.入口脇には立派な明治天皇馬瀬口御小休所碑が立っている.
資料1によると,この屋敷の裏手には御膳水の清水跡が残っているとのこと.
<高山家の門構え>
<棚口神社>
■地元の方と雑談
11時40分,高山家から100メートルほど先の三差路を右折して脇道に入る.地図を見ると,丁度この三差路脇に三角点があり,標高は800メートルである.
脇道に入ってすぐ右側の家の主婦が脚立を持ち出して庭木の手入れをしている.だれかが,
「…こんにちは大変ですね」
とこの主婦に話しかける.
「(植木が)石垣の上なんで,手が届かなくて…,すぐに伸びるんで,大変なんです.」
これを切っ掛けに,ちょっとの間,雑談する.
この主婦の話す言葉は勿論信州訛りがある.小諸出身の私は,この訛りがとても懐かしい.
<民家で立ち話>
■棚口神社到着
11時43分,棚口神社に到着する.
境内には人の気配はなく,静まり返っている.
この神社の由来などは調べていないが,広々とした敷地の真ん中に参道がある.参道の突き当たりには,ちょっと変わった感じのする社殿がある.参道の両側には立派な石塔が立っている.
資料1によると,「古来,この辺りには官牧があり,牧(牧場)の棚の木戸にあたる集落を棚口(ませぐち)と呼び,いつしか馬瀬口になった」という.
<棚口神社拝殿>
■棚口神社の石塔群
社殿右手の広場に廻ってみる.そこには夥しい数の石塔が立ち並んでいる.それぞれがどこかの神社や道祖神である.
時間があれば,これらの石塔を一つひとつ見て回るのも一興かなと思うが,今日はその暇はない.
<棚口神社の石塔群>
■境内で昼食
私は何時昼食にしようかと迷いながら歩いてきたが,そろそろ12時も近いし,棚口神社の境内を借りて,食事を済ませてしまおうと思う.
「…ここで昼食にしましょう…いかがですか?」
と皆さんに提案する.
勿論異論はない.
「この辺りで.どうですか…」
というどなたかの提案で,石塔群脇の広場に腰を下ろす.
さて私の昼食は…である.簡単にアンパンなど2つと牛乳だけ.ちょっと栄養に偏りがあるのは承知の助である.
<私の昼食> <棚口神社の参道>
<長泉寺>
■長泉寺の本堂
12時05分,昼食を終えた私達は,棚口神社から歩き出す.今度は棚口神社の正式な参道,つまり階段道を街道筋に向けて戻る.
参道の途中で右折して,12時08分,長泉寺に到着する.一風変わった造りの本堂なので,一見したところ神社のように見える.そんなことから,ここが本当に長泉寺だろうかと疑いたくなるが,私は何回も地図を見直すが,手許の地図が正しい限り,ここは間違いなく長泉寺境内である.
それにしても,赤色の屋根が印象的である.軒下に「大聖歓喜天」と書いてある額が取り付けてある.
引き続き本堂を参拝,見学する(冒頭の写真).
なお,手許の資料では長泉寺の由来などは全く分からない.
<長泉寺の本堂>
■狛犬の代わりに“駒馬?”
寺なのか神社なのか混乱したまま,境内を見て回る.まず目に付くのが狛犬ではなく”駒馬”が設置されていることである.
本堂に向かって右手に,立派な地蔵が祀られている.
<狛犬ではなく馬だ> <立派な地蔵>
■長楽寺参道と筆塚
12時12分,長楽寺参道を通って,善光寺街道に戻る.参道入口には「長泉寺」という刻字のある石柱が立っている.
善光寺街道を西の方向に歩き始める.
12時13分,大きな石塔の前を通過する.資料1によると,この石塔は筆塚らしいが,碑に書いてある文字が難解な上に摩滅しているので,私には殆ど読めない.
<長泉寺を出発> <歌碑>
<小諸市へ>
■牧歌的な風景
筆塚の先へ進むと,九に牧歌的な風景が広がり始める.
雨は降っていないが,上空は分厚い雲に覆われている.何時雨が降り出しても可笑しくないような雰囲気である.
暫くの間,長閑な風景を楽しみながら歩き続ける.
<馬瀬口を過ぎると長閑な風景になる>
■いよいよ小諸市
12時23分,Y字型分岐で再び国道18号線に合流する.合流した途端に自動車の
騒音が気になり始める.
幾分下り坂の道路を歩いて,12時25分,いよいよ小諸市に入る.繰矢川に架かる橋を渡る.ここには十石橋跡があるようだが,確かめられないまま通過してしまう.
この辺りの坂道を十石坂と呼ぶようである.
<国道18号線に合流> <いよいよ小諸市>
[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
(つづく)
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「善光寺街道」の索引
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【参考資料】
「善光寺西街道」の目次
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「善光寺西街道」の索引
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