中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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陽春の藤沢:フジ史跡ロードを楽しむ(3)

2011年05月05日 17時13分49秒 | 関東・伊豆箱根・上信越

                       <大庭城址公園の藤>

         陽春の藤沢:フジ史跡ロードを楽しむ(3)
             (五十三次洛遊会有志)
            2011年5月2日(月)
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<歩行実績地図(2)>



<大庭城址公園>

■大庭城址公園の概要
 11時48分,大庭城址公園入口に到着する.道幅の広い石畳の坂道を登って,管理事務所(資料館)に到着する.館内には大庭城趾に関連する様々な資料が展示されている.
 小林(2005.pp.207-208)によれば,ここ大庭城山には縄文・弥生時代から奈良・平安時代に至る遺跡があり,中世には山城が築かれていたようである.
 大庭城址公園は,大庭城山の歴史的価値と自然を調和させて整備されたもので,面積は11.8ヘクタールあるという.
 大庭城は平安末期,関東の平氏大庭氏が大庭庄を拠点としていたようである.館内の説明分によると,これには明らかな根拠はなく,室町時代になってから太田道灌が本格的に築城したらしい.
 その後,上杉朝良のときに北条早雲の攻略を受け,小田原北条氏の支配下に置かれた.
 1587年(天正15年),小田原北条氏は豊臣秀吉に滅ぼされ,大庭城も廃城になったという(以上,資料館の資料より).

※藤沢市のPR資料から引用した.

■緑滴る広場
 事務所からなだらかな登り坂を進むと,一面の芝生が広がる広場に到着する.新緑の木々が実に心地よい.広場を一周するように造られている遊歩道を時計回りにユックリと廻る.散策する市民の姿もあちこちに見受けられる.


■足跡が飾られている
 広場の片隅に300平方メート利ほどの舗装されているように見える場所がある.なんだろうと思いながら近付いてみると,そこには,足跡を焼き付けたタイルがビッシリと敷き詰められている.
 これはどうやら藤沢市政50周年記念モニュメントのようである.


■藤棚の近くで昼食
 道なりに進むと大きな藤棚に到着する.藤は丁度見頃を迎えている.この辺りをどうやら休息広場と言うようである.
 藤棚近くの芝生のあちこちにベンチがある.殆どのベンチに散策に来た人たちが座っている.
 今は,丁度,お昼.私達も近くのベンチに座って,昼食を摂る.
 今日は男性だけのグループ.主婦の参加者が居ないので,勿論,ネーベンのお裾分けなどない.ボソボソとコンビニ仕入れの食事を摂る.
 
<大庭城址公園の藤棚>

■薄暗い空堀
 30分ほどで昼食を終える.これからまだ廻っていないところを通りながら,公園の外に出る予定である.
 まずは,空堀の跡を見物する.「からぼり」と刻字された大きな石の側から空堀を覗いてみる.周囲から大きな木の枝が伸びていて,堀の中は薄暗い.
 

■南入口へ下山
 広場を一回りしてから,今来た道を少し戻って,足跡が敷き詰められている場所近くから大庭城山を下山する.
 曲がりくねった山道が続く.まだ,多少,足許がフラフラする私は細心の注意を払って,ユックリと下山する.そして,12時20分,藤沢厚木線の道路に飛び出すようにして降り立つ.

<引地川親水公園>

■藤棚に沿って
 目の前の橋を渡って,13時25分頃,引地川親水公園に到着する.
 目の前には広大な公園が広がっている.公園の広々とした空間に圧倒される.日常,私が歩き回っている鎌倉の公園は,この引地川親水公園に比較すると,どこも狭くてチマチマしている.それに,鎌倉の公園を散策しているかなりの人は,鎌倉市民ではなく,外部からこられた観光客である.その点,ここの引地川親水公園は,広大で広々しているだけでなく,観光客の姿は殆どなく,地元の方々ばかりである.
 長い藤棚が続く.見頃は少し先のようである.藤棚に沿って引地川左岸を上流に向かって歩き続ける.


■聖ヶ谷
 公園の散策路は送電鉄塔のところで舗装道路に突き当たって終わりになる.右折して舗装道路を東へ少し歩き,再び右折して,引地川親水公園の東側沿いの舗装道路に入る.この舗装道路を辿って,公園の外周を南に下る.
 13時42分,聖ヶ谷の入口に到着する.聖ヶ谷の案内板が建っているところから左手に(東に),登り坂の山道が分岐している.
 案内板の説明によると,この辺り一帯を聖ヶ谷というようである.また,この案内板の説明では,「吾妻鏡によると1254年(慶長6年),北条時頼がここ大庭の地に聖福寺を建立した」という説があるようだ.
 現在,この道を辿ると藤沢本町脇へでられるようである.

<聖ヶ谷入口にある庚申塔>

<稲荷山成就院>

■成就院に到着
 引き続き同じ道を南へ下る.そして,13時53分,成就院参道に到着する.左折して参道の坂道を100メートルほど登って成就院に到着する.
 寺に掲示されている説明文によると,この寺の山号は稲荷山.高野山真言宗の寺である.古くは宝染寺と呼ばれていたようである.山号伊豆守(文和3年,1354没)が開山.江戸時代は大庭神社の別当寺を務めていたという.
 本尊は愛染明王.弘法大師霊場相模国準四国八十八箇所の第34番札所である.
 帰宅後,インターネットでこの寺のことを調べたが,これ以上の情報は得られなかった.
 ご本尊の愛染明王とは何か.ウィキメディアによれば「愛染明王(あいぜんみょうおう)は,仏教の信仰対象であり,密教特有の尊格である明王の1つ.梵名ラーガ・ラージャ(Ragaraja)は,サンスクリット経典にその名は見られず,また,インドでの作例もない忿怒尊である」という説明がある.
 結局,俄勉強では何のことか分からないが,まあ,いいか.

<成就院本堂>

■成就院の藤棚
 山門を潜って境内に入る.周囲を山に囲まれた閑静でこぢんまりとした境内である.ただ,右手奥にこの環境とは不釣り合いの球形形ドームの建物が見えるのが残念. 本堂に向かって左手に藤棚が見えている.写真を撮ったが,どうしたわけか,画像が極端にボケていて見るに堪えない.でも,記録として掲示しておこう.
 
<成就院の藤棚>                <庭園の立派な彫像>

■庭園の立派な彫像
 庭園に廻ってみる.池の真ん中に素晴らしいお姿の彫像が立っている.
 「ひょっとして,愛染明王なのかな・・・」
と適当に思いながら,とにかく写真を撮る.

■珍木の大日如来
 境内入口近くに,珍木で彫った大日如来像がある.
 説明文によると,この珍木は鎌倉市深沢小学校裏山に繁茂していた推定樹齢約500年の椿の古木だという.この古木を彫って,199年(平成8年),寺に奉納されたもののようである.
 深沢小学校は,拙宅の近くにある小学校.私の子どもの1人も,この小学校の卒業生.深沢小学校は,梶原景時ゆかりの名刹休場山等覚寺が発祥の地である.
 成就院と鎌倉との思いがけない関係が分かって,私もビックリする.
 
<珍木の大日如来像>                                              <急坂を這い上がる>

<大庭稲荷>

■成就院から大庭神社へ
 成就院入口近くから,落ち葉が深々と堪っている急坂を這い上がって,14時丁度に大庭稲荷に到着する.
 低い尾根の上に立派な社殿がある.この神社の由来は,残念ながら私には分からない.

<大庭稲荷本殿>

■立派な鐘楼
 尾根沿いの境内を少し進むと,立派な鐘楼がある.
 鐘楼があることから,ひょっとして,廃仏毀釈が行われる前まで,大庭稲荷は成就院の守護神ではなかったかと勝手に想像する.もしそうならば,この辺りももともとは成就院の境内だったに違いない.

<大庭稲荷の鐘楼>

■急坂を下って関下橋を渡る
 鐘楼の少し先に,えらく長い石段がある.多分,この石段が正式な参道だろう.石段の上から下を見下ろすと,こんなに長い石段を下りるのはウンザリだなという気分になる.
 先導役のM丘さんの案内で,階段脇の山道を下る.足許クラクラの私は慎重に,慎重に坂道を下る.そして,再び公園沿いの道に戻る.

<関下橋を渡る>

<舟地蔵公園>

■舟地蔵
 引地川沿いの道を南へ下って,14時13分,引地川に架かる関下橋を渡る.続いて引地川から西側に分岐する支流の右岸沿いの真っ直ぐな道を先へ進む.
 14時21分,藤沢厚木線道路に突き当たる.道路を渡ったところに舟地蔵がある.
 傍らに立つ案内板によると,この地蔵は小松石製.小松石が何なのかは分からない.地蔵の台座が舟の形をしている.江戸時代中期以前のものと推定されているようだ.水害から水田を護り,秋の豊作を祈願して造立されたという.

<舟地蔵>

■可愛いネコ
 舟地蔵の側に,可愛い斑ネコが1匹,何か虫を見つけてじゃれている.その仕草が可愛いので,写真に残す.風体,面相ともに,なかなか魅力的なネコである.

<可愛いネコ>

■舟地蔵公園
 舟地蔵に隣接する舟地蔵公園に入る.円形の花壇を中心に,広々とした閑静な公園である.こんなに立派な公園が近くにある人が羨ましい.

<舟地蔵公園見取図>
 ※北が右になっているので見づらい.


<北東の角から公園に入る>

<端山藤園>

■道端の道祖神
 舟地蔵公園を通り抜けて,県営大庭団地沿いの道を西南西に直進する.進行方向左手(南側)には,新緑の丘陵が続く.
 単調な住宅地の道を暫く歩いて,14時29分,道端の道祖神を通過する.

<道端の道祖神>

■端山藤園
 14時33分,端山藤園入口の案内板の角で左折する.そして,14時33分,端山藤園に到着する.ここは個人の住宅の庭である.家屋の軒下にある缶に,気持ちだけの見学料を自由意思で入れる.私も,勿論,然るべき額の硬貨を入れる.すると「カチャン」という音が辺りに響く.
 数名の先客が居る.
 庭先には実に見事な藤が咲いている.1メートルほどもあろうかと思われる藤の花は,正に見頃.
 あまりに見事すぎて,いままで見てきた藤は一体何だったのだろうかと思ってしまう.
 藤を堪能した私達は,14時40分に端山藤園を出発する.
 
<端山藤園の案内板>                                       <端山藤園に到着>


<端山藤園の庭先>


<見事な藤>

                                     (つづく)
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