<五所神社参道>
猛暑の鎌倉:ぼんぼり祭見学と材木座の社寺史跡巡り(2)
(五十三次洛遊会定例会)
2010年8月6日(金) (つつき)
<鶴岡八幡宮を一回り>
■飾り付け真っ最中のぼんぼり
池の畔で昼食を終えた私たちは,ぼんぼり祭の準備が進む八幡さまの境内を見物する.時間が早いためか,まだ,境内は空いている.もう殆どのぼんぼりが飾り付けられているが,まだ,作者の名前を書いた札が取り付けられていない.
見て回っても,どなたの作品か良く分からないが,地元紙の情報では,各界の著名人の方々が多数出品されているようである.中には,今年の春,京風で倒れてしまったイチョウの木を描いたものもある.
ぼんぼりを眺めながら,ノンビリとした時間を過ごす.涼しい海風がぼんぼりの間を吹き抜けていく.
気に入ったぼんぼりの絵をデジカメに収める. 参道の両側にズラリと並んだぼんぼりを,やや広角のレンズで写真に収めてみる.撮れた写真はなかなか壮観.
■源平池のハス
八幡さまの参道入口に立ち止まって池を眺める.池の中でこんもりと盛り上がるように成育したハスが白い花を咲かせている.
■段葛のぼんぼり
12時40分頃,鶴岡八幡宮を後にする.そして,若宮大路中央の段葛を南へ下る.段葛の両側にもぼんぼりが並ぶはずだが,時間が早いせいか,並んでいるぼんぼりは,まだまばらのようである.
八幡さま側の段葛入口で,同行者に歩数で道幅を測って貰う.大方の人は4歩.そして,最後の出口でもう一度計って貰う.すると,およそ6歩.つまり,段葛の南側の入口の報が,八幡さま側より5割ほど道幅が広いことになる.
「へえ~・・・八幡さまに向かうにつれて道幅が狭くなるなんて,知らなかった・・」
と何人かの同行者が驚く.
<小町大路から大町へ>
■蛭子神社
段葛を歩き終えて,鎌倉警察署脇の道を東に進んで小町大路にでる.ここまで来ると観光客はほとんど居なくなり,何となく閑散とした雰囲気になる.
12時55分,蛭子神社に到着する.参拝を兼ねて,境内で休憩を取る.
資料1(pp.20-21)によると,「蛭子神社は小町の鎮守.祭神は大己貴命(オオナムチノミコト).昔は本覚寺の鎮守で,その境内にあった夷堂が,寺と分かれてこの地に移った・・本殿は関東大震災で倒壊,1933年(昭和8年)改築された.後に夷堂は本覚寺に移された」という.
本殿前の小屋に立派な御神輿が収められている.
本殿脇に,滑川が流れている.滑川の涼しい風を受けながら,大きなイチョウの木陰で一休みする.
「このイチョウ,八幡さまのイチョウのように,ひょっとして倒壊しないかな・・」
と余計な心配をする.
■妙本寺と常栄寺
12時55分,蛭子神社を出発する.
12時56分,妙本寺の入口に到着する.ここは言わずと知れた源頼朝の乳母,比企尼の養子,比企能員ゆかりの地である.
妙本寺は,これまで何回も訪れているので,今回はパス.
続いて,13時02分,常栄寺に到着する.ここも,今回は素通り.
<常栄寺>
■別願寺
国道134号線に突き当たる.ここを左折して,逗子方面に向かう.
まずは別願寺.山号は稲荷山.時宗.藤沢遊行寺の末寺である.足利持氏の供養塔を見学する.作家広津和郎が一時寄宿したといわれる.
<足利持氏供養塔>
■上行寺
つづいて,道路を挟んで反対側にある上行寺を訪れる.山号は法久山.日蓮宗.左甚五郎作の龍の彫刻,水戸浪士広木松之助墓を詣でる.
■元八幡
国道134号線から右折して,上行寺境内沿いに進む.閑静な住宅地の路地を抜けて,一旦水道道に突き当たる.
ここで,案内役の私の気持ちが少し変わる.折角,ここまで北のだから,元八幡を訪れようと,とっさに思いつく.水道道から右折して,横須賀線踏切の方へ3~4分歩き左折して元八幡参道に入る.
13時25分,石清水の井を経由して,元八幡に到着.境内には人気がない.ここで参拝を兼ねて一休み.
「鎌倉へ来るならば,まずは元八幡にお参りしなければ駄目ですね・・」
と同行者の一人が言う.
<材木座の名刹と史跡>
■乱橋
13時42分,乱橋に到着する.資料2(p.50)によれば,「新田義貞の軍勢が鎌倉攻めに入ったとき,北条幕府軍の防衛戦が崩れはじめたのがこの橋辺りだったことから,乱橋と呼ばれるようになった」ようである.
しかし,今,この乱橋のあった場所へ来てみると,どこに橋があったのか良く分からない.注意深く進行方向右側の道路脇を見つめながら歩かないと,この場所を見落としてしまう.今は鎌倉青年団が建てた石碑があるのみである.
■妙長寺
同行者に疲労の色が見えるので,枝道を入ったすぐ近くにある啓雲寺は見学を止めて通過する.
13時39分,妙長寺に到着する.山門前に「檀家以外立ち入り禁止」という趣旨の立て看板があるので,山門から覗き込むように拝観するにとどめる.
資料2(pp.107-108)によれば,伊豆で日蓮の命を救った漁師舟守弥三郎の子,日実が開山した寺で,山号は海潮山.泉鏡花がこの寺で一夏を過ごした」という話が興味深い.
現在の本堂が何時頃建てられたものかは知らないが,威風堂々の実に立派な建物である.
■五所神社
途中から一本東の裏道に入る.この裏道を越えて,参道を真っ直ぐ東へ突き当たる.そして,祇園山の山裾にある階段を登ると,五所神社に到着する.
資料2(pp.112-113)によると,「元々,乱橋村の三島社,八雲社,金比羅社,および材木座の諏訪社,視女八坂社があった.1873年(明治6年),三島社が材木座の村社になり,村内の4社を合祀して,五社神社と改称された」という.
この神社には,とても閑静な雰囲気がある.ここで暫くの間休憩を取る.
境内に五所神社の由来と鎌倉材木座天皇謡を印刷したチラシを頂戴する.
このチラシの記事によると,祭神は天照大神,素戔嗚尊,大山祇命(オオヤマズミノカミ),建御名方命(タケミナカタミコト),崇徳院霊(ストクインノミタマ)だそうである.私には天照大神と素戔嗚尊以外の神様は全く分からない.
■来迎寺
一同に少し疲労の色が見える.
「大丈夫ですか.絶対に我慢しないで,疲れたら疲れたと言って下さい・・」
と繰り返し同行者に質問する.
正直なところ,私には,無理をして虚勢を張られるのが一番困るし,全く迷惑な話なのである.疲れたら疲れたと正直に言って貰えば,そこで休憩を取るのだが,我慢していて,急に熱射病にでもなられたら堪ったものではない.この辺りの私のイライラした気持ち,果たして分かっているのかと罵倒したくなる.
・・・ま,それはともかく,五所神社から少し北上して,13時56分,来迎寺に到着する. 来迎寺も藤沢遊行寺の末寺.山号は満光山.資料2(p.102)によれば,「開山は一向.本尊は阿弥陀如来,地蔵菩薩,如意輪観音」である.また,境内には三浦大介義明,多々良三郎重春の墓がある.さらに裏手に廻ると100数基の五輪塔が並べられている.「三浦大介公の家来の墓」と書いた案内板が立っている.
ここが,本日のコースの目玉だが,何を考えているのか分からないが,半数以上の方々は,日陰にただずんだまま見ようともしない.
「一体,何のために鎌倉へ来たんだ・・」
と私は心の中で,ボンヤリと日陰にただずんで居る人たちを罵倒する.
「歩くのが嫌なら,はっきり『嫌』と言えよ・・オレは旅行社の人間ではないぞ・・」
と腹立たしくなる.
■実相寺
来迎寺前から閑静な住宅地を南に下る.
14時09分,実相寺に到着する.この寺の山号は弘延山.開山は日詔.ここは工藤祐経の屋敷跡だった.資料2(p.104)によれば,日詔の母親は工藤祐経の娘だといわれている.
■補蛇洛寺
一人がトイレに行きたいと言い出す.あれほど,トイレがあるところで,
「トイレは大丈夫ですか」
としつこく聞いていたのに・・・
私は,以後の観光予定を省略して,トイレのある光明寺に直行することにする.
14時15分,光明寺への通り道にある補蛇洛寺(フダラクジ)に到着する.
この寺の山号は南向山.源頼朝の祈願所.文覚上人.文覚上人は「元武士で渡辺綱の妻袈裟御前を殺害してしまったので出家.伊豆で頼朝と出会った.ここに平家の赤旗がある.また,別名竜巻寺」といわれる(資料2.p.88).
■店先で一休み
自動車道路に出る.
後ろを振り返ると,人数が足りない.どうしたのかと思ったら,御朱印を貰っている人が居るので,列がばらけたという.それならそれで,なぜ一言,
「御朱印を貰うので待ってて下さい・・って言わないんだ」
と一人,内心で憤慨する.
後ろの連中を待っている間に,たまたま近くにある小さな店に入って,冷たい飲み物を購入する.
一同次々に店に入って,冷たいものを購入する.そして,店先の椅子にヘタヘタと座り込む.先ほど,トイレに行きたいと言っていた女性も,平気な顔をして休んでいる.
「トイレはどうなったの・・」
と意地悪な質問をしたくなるが,差し控える.
ここから光明寺は目と鼻の先である.
これから,光明寺に直行して,トイレ休憩を取った後,材木座海岸を経由して,鎌倉駅まで戻ろうと,頭の中でスケジュールを組み直す.
(つづく)
[参考資料]
資料1:鎌倉市教育センター(編),2009,『かまくら子ども風土記』鎌倉市教育委員会
資料2:鎌倉商工会議所(監),2009,『鎌倉観光検定公式テキストブック』かまくら春秋社
資料3:小林伸男(編),1994,『神奈川ぶらりぃウオーキング』神奈川図書
「五十三次洛遊会」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2a487a781d818b4685a152001763f2cd
「五十三次洛遊会」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/fc09b3ce06571b727469d01bc67e4825
猛暑の鎌倉:ぼんぼり祭見学と材木座の社寺史跡巡り(2)
(五十三次洛遊会定例会)
2010年8月6日(金) (つつき)
<鶴岡八幡宮を一回り>
■飾り付け真っ最中のぼんぼり
池の畔で昼食を終えた私たちは,ぼんぼり祭の準備が進む八幡さまの境内を見物する.時間が早いためか,まだ,境内は空いている.もう殆どのぼんぼりが飾り付けられているが,まだ,作者の名前を書いた札が取り付けられていない.
見て回っても,どなたの作品か良く分からないが,地元紙の情報では,各界の著名人の方々が多数出品されているようである.中には,今年の春,京風で倒れてしまったイチョウの木を描いたものもある.
ぼんぼりを眺めながら,ノンビリとした時間を過ごす.涼しい海風がぼんぼりの間を吹き抜けていく.
気に入ったぼんぼりの絵をデジカメに収める. 参道の両側にズラリと並んだぼんぼりを,やや広角のレンズで写真に収めてみる.撮れた写真はなかなか壮観.
■源平池のハス
八幡さまの参道入口に立ち止まって池を眺める.池の中でこんもりと盛り上がるように成育したハスが白い花を咲かせている.
■段葛のぼんぼり
12時40分頃,鶴岡八幡宮を後にする.そして,若宮大路中央の段葛を南へ下る.段葛の両側にもぼんぼりが並ぶはずだが,時間が早いせいか,並んでいるぼんぼりは,まだまばらのようである.
八幡さま側の段葛入口で,同行者に歩数で道幅を測って貰う.大方の人は4歩.そして,最後の出口でもう一度計って貰う.すると,およそ6歩.つまり,段葛の南側の入口の報が,八幡さま側より5割ほど道幅が広いことになる.
「へえ~・・・八幡さまに向かうにつれて道幅が狭くなるなんて,知らなかった・・」
と何人かの同行者が驚く.
<小町大路から大町へ>
■蛭子神社
段葛を歩き終えて,鎌倉警察署脇の道を東に進んで小町大路にでる.ここまで来ると観光客はほとんど居なくなり,何となく閑散とした雰囲気になる.
12時55分,蛭子神社に到着する.参拝を兼ねて,境内で休憩を取る.
資料1(pp.20-21)によると,「蛭子神社は小町の鎮守.祭神は大己貴命(オオナムチノミコト).昔は本覚寺の鎮守で,その境内にあった夷堂が,寺と分かれてこの地に移った・・本殿は関東大震災で倒壊,1933年(昭和8年)改築された.後に夷堂は本覚寺に移された」という.
本殿前の小屋に立派な御神輿が収められている.
本殿脇に,滑川が流れている.滑川の涼しい風を受けながら,大きなイチョウの木陰で一休みする.
「このイチョウ,八幡さまのイチョウのように,ひょっとして倒壊しないかな・・」
と余計な心配をする.
■妙本寺と常栄寺
12時55分,蛭子神社を出発する.
12時56分,妙本寺の入口に到着する.ここは言わずと知れた源頼朝の乳母,比企尼の養子,比企能員ゆかりの地である.
妙本寺は,これまで何回も訪れているので,今回はパス.
続いて,13時02分,常栄寺に到着する.ここも,今回は素通り.
<常栄寺>
■別願寺
国道134号線に突き当たる.ここを左折して,逗子方面に向かう.
まずは別願寺.山号は稲荷山.時宗.藤沢遊行寺の末寺である.足利持氏の供養塔を見学する.作家広津和郎が一時寄宿したといわれる.
<足利持氏供養塔>
■上行寺
つづいて,道路を挟んで反対側にある上行寺を訪れる.山号は法久山.日蓮宗.左甚五郎作の龍の彫刻,水戸浪士広木松之助墓を詣でる.
■元八幡
国道134号線から右折して,上行寺境内沿いに進む.閑静な住宅地の路地を抜けて,一旦水道道に突き当たる.
ここで,案内役の私の気持ちが少し変わる.折角,ここまで北のだから,元八幡を訪れようと,とっさに思いつく.水道道から右折して,横須賀線踏切の方へ3~4分歩き左折して元八幡参道に入る.
13時25分,石清水の井を経由して,元八幡に到着.境内には人気がない.ここで参拝を兼ねて一休み.
「鎌倉へ来るならば,まずは元八幡にお参りしなければ駄目ですね・・」
と同行者の一人が言う.
<材木座の名刹と史跡>
■乱橋
13時42分,乱橋に到着する.資料2(p.50)によれば,「新田義貞の軍勢が鎌倉攻めに入ったとき,北条幕府軍の防衛戦が崩れはじめたのがこの橋辺りだったことから,乱橋と呼ばれるようになった」ようである.
しかし,今,この乱橋のあった場所へ来てみると,どこに橋があったのか良く分からない.注意深く進行方向右側の道路脇を見つめながら歩かないと,この場所を見落としてしまう.今は鎌倉青年団が建てた石碑があるのみである.
■妙長寺
同行者に疲労の色が見えるので,枝道を入ったすぐ近くにある啓雲寺は見学を止めて通過する.
13時39分,妙長寺に到着する.山門前に「檀家以外立ち入り禁止」という趣旨の立て看板があるので,山門から覗き込むように拝観するにとどめる.
資料2(pp.107-108)によれば,伊豆で日蓮の命を救った漁師舟守弥三郎の子,日実が開山した寺で,山号は海潮山.泉鏡花がこの寺で一夏を過ごした」という話が興味深い.
現在の本堂が何時頃建てられたものかは知らないが,威風堂々の実に立派な建物である.
■五所神社
途中から一本東の裏道に入る.この裏道を越えて,参道を真っ直ぐ東へ突き当たる.そして,祇園山の山裾にある階段を登ると,五所神社に到着する.
資料2(pp.112-113)によると,「元々,乱橋村の三島社,八雲社,金比羅社,および材木座の諏訪社,視女八坂社があった.1873年(明治6年),三島社が材木座の村社になり,村内の4社を合祀して,五社神社と改称された」という.
この神社には,とても閑静な雰囲気がある.ここで暫くの間休憩を取る.
境内に五所神社の由来と鎌倉材木座天皇謡を印刷したチラシを頂戴する.
このチラシの記事によると,祭神は天照大神,素戔嗚尊,大山祇命(オオヤマズミノカミ),建御名方命(タケミナカタミコト),崇徳院霊(ストクインノミタマ)だそうである.私には天照大神と素戔嗚尊以外の神様は全く分からない.
■来迎寺
一同に少し疲労の色が見える.
「大丈夫ですか.絶対に我慢しないで,疲れたら疲れたと言って下さい・・」
と繰り返し同行者に質問する.
正直なところ,私には,無理をして虚勢を張られるのが一番困るし,全く迷惑な話なのである.疲れたら疲れたと正直に言って貰えば,そこで休憩を取るのだが,我慢していて,急に熱射病にでもなられたら堪ったものではない.この辺りの私のイライラした気持ち,果たして分かっているのかと罵倒したくなる.
・・・ま,それはともかく,五所神社から少し北上して,13時56分,来迎寺に到着する. 来迎寺も藤沢遊行寺の末寺.山号は満光山.資料2(p.102)によれば,「開山は一向.本尊は阿弥陀如来,地蔵菩薩,如意輪観音」である.また,境内には三浦大介義明,多々良三郎重春の墓がある.さらに裏手に廻ると100数基の五輪塔が並べられている.「三浦大介公の家来の墓」と書いた案内板が立っている.
ここが,本日のコースの目玉だが,何を考えているのか分からないが,半数以上の方々は,日陰にただずんだまま見ようともしない.
「一体,何のために鎌倉へ来たんだ・・」
と私は心の中で,ボンヤリと日陰にただずんで居る人たちを罵倒する.
「歩くのが嫌なら,はっきり『嫌』と言えよ・・オレは旅行社の人間ではないぞ・・」
と腹立たしくなる.
■実相寺
来迎寺前から閑静な住宅地を南に下る.
14時09分,実相寺に到着する.この寺の山号は弘延山.開山は日詔.ここは工藤祐経の屋敷跡だった.資料2(p.104)によれば,日詔の母親は工藤祐経の娘だといわれている.
■補蛇洛寺
一人がトイレに行きたいと言い出す.あれほど,トイレがあるところで,
「トイレは大丈夫ですか」
としつこく聞いていたのに・・・
私は,以後の観光予定を省略して,トイレのある光明寺に直行することにする.
14時15分,光明寺への通り道にある補蛇洛寺(フダラクジ)に到着する.
この寺の山号は南向山.源頼朝の祈願所.文覚上人.文覚上人は「元武士で渡辺綱の妻袈裟御前を殺害してしまったので出家.伊豆で頼朝と出会った.ここに平家の赤旗がある.また,別名竜巻寺」といわれる(資料2.p.88).
■店先で一休み
自動車道路に出る.
後ろを振り返ると,人数が足りない.どうしたのかと思ったら,御朱印を貰っている人が居るので,列がばらけたという.それならそれで,なぜ一言,
「御朱印を貰うので待ってて下さい・・って言わないんだ」
と一人,内心で憤慨する.
後ろの連中を待っている間に,たまたま近くにある小さな店に入って,冷たい飲み物を購入する.
一同次々に店に入って,冷たいものを購入する.そして,店先の椅子にヘタヘタと座り込む.先ほど,トイレに行きたいと言っていた女性も,平気な顔をして休んでいる.
「トイレはどうなったの・・」
と意地悪な質問をしたくなるが,差し控える.
ここから光明寺は目と鼻の先である.
これから,光明寺に直行して,トイレ休憩を取った後,材木座海岸を経由して,鎌倉駅まで戻ろうと,頭の中でスケジュールを組み直す.
(つづく)
[参考資料]
資料1:鎌倉市教育センター(編),2009,『かまくら子ども風土記』鎌倉市教育委員会
資料2:鎌倉商工会議所(監),2009,『鎌倉観光検定公式テキストブック』かまくら春秋社
資料3:小林伸男(編),1994,『神奈川ぶらりぃウオーキング』神奈川図書
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