中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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早春の鎌倉路を歩く:鎌倉山・七里ヶ浜の展望を楽しむ(2)

2009年03月20日 13時33分29秒 | 鎌倉あれこれ
                     <手広丘陵の道祖神>

            早春の鎌倉路を歩く(2)
          <鎌倉山・七里ヶ浜の展望を楽しむ>
          (五十三次洛遊会第4回例会)
          2009年3月18日(水)(つづき)

<上町屋から深沢へ>

■上町屋を歩く

 泉光院の境内を抜けた私達は,直ぐ近くにある天満宮を参拝する.ここの祭神は,勿論,菅原道真.勧請年月は未詳のようだが,上総介平良文が霊夢を見て天神を祀ったのが始まりだと言われている(鎌倉市史編纂委員会,1959,p.148).現在の社殿は天明元年に建立されたもののようである.
 この神社は住宅地の中にあるが,それでも静かな雰囲気が漂っている.
 「天満宮ならば,梅の木があるはずだな・・・」
と,どなたかが言い出す.そういえば,社殿に向かって左側に,梅の木があったことを思い出す.

               <上町屋の天満宮:左側に梅の木が生えている>
                  ※解像度を落としてあります.

■深沢へ下る
 天満宮前の登り坂を進む.この辺りの大地主の立派な家の前を通過する.途中に無人スタンドの野菜売り場がある.前回,ここを通ったときに,大きな夏みかんが10個ほど入った袋が100円だった.前回は,この夏みかんを衝動買いしたが,今日は,夏みかんは置いていない.
 道路脇に道祖神が並んでいる.この辺りに多分江ノ島道が通っていたのではないかと勝手に想像する.坂道を登りきると,今度は深沢に抜ける下り坂になる.
 坂道は旧JRの工場跡地に突き当たる.この跡地,今は運動広場として使われている.

■州崎古戦場跡
 この辺り一帯は,州崎古戦場跡である. 
1333年(元弘3年),新田義貞は大群を率いて,ここに進出してきた.幕府方の大将,赤堀守時は,6案人の兵で,新田義貞に対抗した.そして,一夜のうちに60数回の戦闘が行われた.その結果,6万の幕府群は,わずか300人になってしまった.
 守時は足利尊氏の妻の兄.ここで降伏すれば,新田郡に内通していたと思われるので,州崎の千代塚で自刃した(小林,1994,p.150).そして,新田軍は葛原ヶ岡を経由して,一気に鎌倉へ攻め入った.
 同行者の殆どは,こんな昔話に興味がなさそうである.案内をしている私は,少々寂しい気分になる.当初,モノレール道を登って,州崎古戦場の碑を案内しようと思っていたが止めた.

                <州崎古戦場の泣塔>

■泣塔
 12時05分,深沢運動広場に到着する.今日は平日.広大な広場には誰も居ない.私達だけで独り占めである.
 まずは,広場の片隅にある泣塔を見学する.小さな岩山にヤグラがある.このヤグラの中には,数基の五輪塔があるが,今日は中に入る手続きをしていないので,柵の外からの見学になる.ヤグラの前に立派な宝篋印塔が1基建っている.この塔は,国の重要文化財に指定されている.これが州崎合戦で亡くなった将兵の供養塔といわれている泣塔である.
 昔から,この塔のある土地の所有者は必ず没落するといわれている.一時は,泣塔を青蓮寺に移築したことがあったが,夜な夜なすすり泣くような声が聞こえたので,また,元の場所に戻したという伝説がある(小林,1994,p.150).

■運動広場で昼食
 泣塔を見学した後,広場のど真ん中に陣取って,昼食を摂る.主婦の皆様から,つぎつぎに食べ物が支給される.有り難いことである.
 食事をする私達の頭上では,数羽のトンビが,私達の食品を狙って,輪を描きながら飛んでいる.広場の近くに湘南モノレールのレールがある.ときどき,電車がモーター音を響かせながら通り過ぎる.どなたかが,
 「・・・この広場,広すぎるよ・・・」
と勿体ないことをいう.

<手広川に沿って>

■江ノ島道から青蓮寺へ

 昼食を終えた私達は,12時52分に広場を出発する.
 深沢の商店街を抜けて,手広川沿いの農道を西南西に進む.この辺りは鎌倉でも農地が広がる数少ない場所である.秋になると,手広川の両岸は見事な彼岸花で埋め尽くされる.この辺りまで来ると,擦れ地学人も殆どなく,実にノンビリとした気分になる.
 やがて,江ノ島道に突き当たる.左折して江ノ島道に入る.元ロジャーズがあった辺りの交差点で,バス通りの大船江ノ島道を横切って,飯盛山(はんじょうざん)青蓮寺を詣でる. 
 青蓮寺の開山は,819年(弘仁10年),空海.本尊の木造弘法大師挫像の両脚の関節に鎖のような細工が施されているので,別名鎖大師という.
 境内の片隅に「えのしま道」と書いてある石柱が立っている.このことから,昔は,この辺りに江ノ島道があったのだろうと勝手に想像している.

                   <青蓮寺>

<鎌倉山ロータリーから笛田の社寺へ>

■長閑な散策路

 13時26分,青蓮寺を出発する.当初,近くにある熊野神社を廻る積もりだったが,少々,時間が押しているようなので省略.再びもとの江ノ島道に戻る.
 江ノ島道の突き当たりから,切通に入る.一寸した登り坂である.私は再三に渡って,ゆっくり無理をせずに登るように呼びかける.
 岩を削った深い切通道を登り続ける,道の両側には墓地が散見される.途中に見晴の良い所がある.ここから,先ほど登った天神山が鋭角三角形のように聳えているのが良く見える.
 やがて,手広の台地に出る.ここから長閑な田園風景が広がる.梅の木が沢山ある桃源郷のような所である.農道を少し進むと進行方向左手,つまり西側の視界が開ける.眼下には梅林,その向こうに西鎌倉の住宅地が見えている.一行の誰かが,
 「・・・長閑で,良い所だな~ぁ・・・」
と言う.
 突然,左手に寺院のような建物が現れる.看板には本圀寺道場と書いてある.私の手許の資料では,この寺がどのようなところかは全く分からない.一行に説明できないまま通過する.
 「私達,一体何処を歩いているんですか・・・?」
 という質問が出る.私は,配布した地図で現在地を示しながら,
 「もうすぐ,皆さんがよくご存じの所へ出ますよ・・」
と説明する.

■鎌倉山ロータリーから笛田へ
 竹林を抜けて,突然,鎌倉山の住宅地に飛び出る.
 長い時間,バスが来ていないらしくて,バス停には沢山の乗客が待っている.その脇を大人数の私達がシオシオと通過する.私は,ハズカシイので小声で,近場にいる同行者に,
 「あそこが大塚山遺跡です.私有地なので入れませんが・・・」
と説明する. 
ロータリーの信号を渡ってから左折する.見晴の良い駐車場前を通過する.ここから鎌倉山,笛田の展望が開けている.私の家がある丸山付近も見えている.私は内心で,
 「・・私も,結構,良い所に住んでいるな・・」
と認識を新たにする.
 駐車場を通り過ぎた所から右折して,笛田の谷戸を目指して,細くてくねくねした下り坂を進む.そして,鎌倉教養センター裏を抜けて,笛田の住宅地に降り立つ.道路脇にイチゴ狩りの農場がある.
                         (つづく)
[参考文献]

鎌倉市史編纂委員会(編),1959『鎌倉市史社寺編』吉川弘文館
小林伸男,1996『神奈川ぶらりーいウオーキング鎌倉・江ノ島・藤沢編』神奈川図書

「五十三次洛遊会」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/281d948ce66f5689141d11fdcfedb92f



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