中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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ペルー周遊記(3):プロローグ(3)

2008年07月26日 06時18分25秒 | ペルー:ブランカ山脈ピスコ山登頂

              <ナスカのHotel Nasca Lineの中庭>

          ペルー周遊記(3):プロローグ(3)

            2008年7月22日(火)

<帰国して,改めて日本の素晴らしさを見直す>

■無事帰国
 2008年7月1日(火)にペルーへ向けて出発した私達一行は,旅の途中で,多少のハップニングがあったものの,22日間の旅を終えて,7月22日(正しくは23日の深夜)に,無事わが家に戻った.
 ペルーは遠かった.
 成田から延々と飛行機に乗り続けて,アメリカのアトランタでトランシットして,さらに長時間のフライトの末,やっとペルーの首都,リマに到着した.時差の影響で,長い間,飛行機の中で過ごし,到着する前に夜中を経て朝を迎える.でも,日本を出発した日の内に,リマに到着するから,不思議といえば不思議である.
 帰りも不思議である.深夜にリマを出発した.アトランタでの接続便が6時間も遅延したのに,真っ昼間を飛び続けているのに,日付変更線を跨ぐと,翌日になっている.その内に,私の体内時計は,今何時なのか全く分からなくなる.
 実際に訪れてみたペルーは,実に凄い国である.どのように凄いかは,追って,このブログで明らかにしていきたいが,思いつくままに,今回のペルー訪問で感じた印象を羅列してみよう.
 *砂漠と,帯のような緑の谷間が鮮やかなコントラストをなしている.
 *1日の内に,猛暑と極寒が同居している.これには参った.
 *とてつもなく標高が高い所でも,人間の営みが垣間見える.
 *都市と僻地の生活水準の格差が,とても大きいように見える.
 *プレインカ,インカの時代から,今日まで,長い歴史を連綿と続いている.
 *どこへ行くのにも,大抵の場合,バスによる長旅を余儀なくされる.
 *埃,乾燥,どこまでも続く砂漠.
 *標高6000メートル級の山々が連なるアンデス.
 *多種多様な家畜がノンビリと暮らしている.
 *子ども達の屈託のない笑顔が印象的である.
 *サイダーとラムネを一緒にしたような飲み物,インカコーラの味が忘れられない.
 *至る所で,素晴らしい絵画や装飾が見られる.
 *どこへ行っても,トイレが比較的に綺麗である.
 *圧倒的な存在感があるトヨタの車.丈夫で良く走っている.

                <インカ道の向こうにマチュピチュが見える>

■明るい日本
 22日夜,成田に到着した私は,ほんの数分のところで最終の成田エキスプレスに乗り損ねた.仕方なくYCAT行のバスに乗った.バスは鏡のように綺麗に舗装された高速道路を,滑るように走る.ペルーに比較して,日本の道路が,如何にお金が掛かっているかが,素人の私でも分かる.
 重い荷物を引きずって,YCATから横浜駅へ向かう.駅の構内がもの凄く明るく感じる.駅構内を歩く人達が,とても清潔,明るく艶やかな服装をしているのに驚かされる.
 途中でトランシットしたアトランタ空港のコンコースを歩く人達を見ていると,もの凄く太った人達ばかりが眼に付いたが,横浜駅では,あのように極端に太った人は,全く見当たらない.
 東海道本線の下り電車に乗車する.電車に乗りながら,つくづく電車って便利だなと実感する.
 日本は紛れもなく,先進国のようである.
   
                     <リマの動物園にて>

         2008年7月23日(水):
         
帰国第2日目 曇ときどき晴

■逆時差が取れない
 真夜中に目が覚めるが,真っ暗な夜中に起きても仕方がないので,グズグズとしながら夜が明けるのを待つ.時差のために自分の身体がどうなっているのか見当が付かない.
 4時頃,何時もの習慣で,兎に角,起床する.
 パソコンの電源を入れて,昨日は読み飛ばしてしまったメールを,片端から開けて,目を通す.
 私が留守中に開催された「鎌っこ倉ぶ」の例会の様子がアップされている.相変わらず皆さんはお元気なようである.
 ARENAの幹事長,ロングテイル氏から,7月度例会の案内が届いている.今度の土曜日,金沢八景から三浦半島を横断して,鎌倉駅までのコースを,ユックリと歩く計画のようである.早速,参加する旨,返信する.帰国早々の真夏に,山へ復帰する前哨戦として,私にとっても好都合な計画である.このARENAのハイキングに参加して,体調を確かめてから,そろそろ大倉尾根経由の塔ノ岳往復を再開したいと思っている.

                 <シュルップ山とシュルップ湖>

■一体,今,何時
 そうこうしている内に,たちまち睡魔が襲ってくる.
 昼食をやっと済ませ,とりあえず20~30分昼寝するつもりで,ベッドに横になる.ところが,図らずも熟睡してしまう.目が覚めたら,夕方の5時を廻っている.
 こうして,私は,帰国後,2日間にわたって,家から外へ一歩も出ずに,無為に過ごしてしまった.
 こんな調子では,随分と足腰の筋肉が衰えてしまったのではないかと心配になる.


           2008年7月24日(木):
            
帰国第3日目 晴時々曇

<記録の整理が追いつかない>

■1200枚余りの画像

 23日の深夜,漸くわが家に戻る.タップリとお湯を張った湯船に身体を沈めて,やっと生き返った気分になる.恐る恐る体重計に乗ってみる.なんと,3キログラムほど減って,61.5キログラムになっている.私は,ピスコ山登頂の前日辺りから,高度障害のため,2~3日間,極度の食欲不振に陥っていた.それが原因で,贅肉が落ちて,体重が減ったようである.良かった!
 時差があまりに大きいので,自分の身体が一体どこの時間に合っているのか,全く分からない.だから,今現在,一体,何時なのかが,どうにもハッキリしない.そんな訳で,23日は,極端な出不精になり,終日,家でゴロゴロしていた.
 パソコンに齧り付いて,ペルー旅行中に撮ったデジカメの画像に,ザッと目を通す.フィルムカメラを使っていたら,こんな無駄は絶対にしないのだが,そこはデジカメである.道中,適当に撮った画像が,累計で1200枚ほどになっている.これらの画像の中で,本当に使えそうなのは1割程度しかないが,それでも,沢山の画像を一通り見終わるのに,到底,1日では不可能である.同じような写真を,一つひとつ眺めていると,たちまちの内に飽きてしまう.

■久々の鎌倉中央公園
 24日午後,近くの鎌倉中央公園を散策する.盛夏の昼下がりとあって,公園を散策している人達は,殆ど居ない.公園入り口付近の土手には,もうすっかり萎れてしまったアジサイの花が,まだ沢山残っている.たった3週間ばかり,家を留守にしていただけなのに,随分と気候が進んでいることを実感する.
 人気のない公園を一回りする.周囲の山からは,蝉の声が絶え間なく聞こえてくる.ヤブ蚊に襲われるのも気分が悪いので,できるだけ日当たりが良くて広い道を選んで散策を続ける.突然,隣の山の中からウグイスの鳴き声が聞こえてくる.姿が見えないウグイスに,
 「やあ,,,お前さんも,元気だったかな・・」
と心の中で挨拶をする.

■孫の突然の訪問
 小一時間ばかり公園を散策してから,家に戻る.
 まだ,時差が取れ切っていない私は,猛烈な眠気に襲われる.そこで,自室に戻って,暫くの間,昼寝をする.
 どのくらい時間が経ったのだろうか,わが家の玄関辺りが突然賑やかになる.北鎌倉に住んでいる長女が,孫を連れて,いきなり来訪してくる.今夜は孫を相手に,夕食を共にすることになる.これもまた嬉しいことである.私はリマの土産屋,「ポコ・ア・ポコ」で買い求めてきたコーヒー豆と岩塩1袋を,お土産として,娘に手渡す.

<やっと歯の治療をする>

■歯根の手術

 私は,ペルーに出発する前から,今日の18時30分に歯医者の予約をしていた.丁度,夕飯時なので,孫達と一緒に夕飯を撮ることはできないが,自宅から歩いて15分ほどのところにある某歯科医を訪れた.
 右上奥歯の歯茎にできている膿包を切開手術で取り除く予定である.本当は,ペルーへ旅立つ前に,完全に治しておきたかったが,歯科医師から,
 「もし手術をした後で,痛みが出たら困るので,帰国後に手術しましょう」
と言われていた.
 処置室の椅子に座る.歯科医師が,
 「麻酔をします.ちょっとチクリとします.肩の力を抜いて,ユックリ鼻で呼吸をしてください・・」
と言う.
 顔全体にガーゼが掛けられる.ガーゼの口に当たる所だけ穴が開いているようである.
 随分と長い時間を掛けて,ガリガリ,ゴリゴリと処置をしているのが分かる.麻酔が効いているので,全く痛くないが,何かを削ぎ落としている感触が伝わってくる.
 「はい,うがいをして下さい・・」
と言われる.口中が生臭い.
 「これが膿包です・・・」
と,歯科医師が,今,切除したばかりの長さ5ミリほどの赤い膿包を見せる.
 「これが,歯根の中にあったので,なかなか治らなかったんです」
と説明する.これは口腔外科の領域に入る治療のようである.私は心の中で,
 「この先生は,なかなか大した腕をお持ちの方だな・・」
と感心する.私は,以前,同じような症状が改善されないまま,奥歯を1本,抜歯しなければならなくなった経験がある.あの時も,この歯科医に治療をお願いしていれば,あの歯も救えたかもしれないと思うと,残念な気分になる.
 促されるままにうがいをする.血膿混じりの汚い水が口から出てくる.
 「後は縫合するだけです・・・」
と歯科医師が言う.再び椅子が倒される.パチン,パチンと,何かを切る音が聞こえてくる.
 そして,確認のためのレントゲンを撮って,治療が終わる.
 2種類の薬,3日分が手渡される.
 「今夜は,お酒や風呂は控えて下さい・・・・明日,10時30分に消毒のために,来て下さい」
と看護士に言われる.
 口の中が麻酔で痺れたまま帰宅する.そして,孫達より少し遅れて夕食を摂る.
 洗面所の鏡で,手術をした歯茎を見る.奥歯3本の歯茎に沿って,1.5センチメートル余りの長さにわたって切開されている.
 「こんな患部がありながら,ペルー滞在中に痛くならなくて,本当にラッキーだった」
と,傷口を見ながら,胸をなで下ろす.

■兎に角,眠い
 孫達が夜遅く帰る.
 ペルーの資料整理に入ろうと思うが,まだ,現地の写真の整理が3分の1程度しかできていない.
 旅行中に書き留めたメモ書きは,大学ノートに換算して,3冊ほどの量になった.汚い字で書いたメモ書きは,旅の記憶が鮮明な内に,整理しないと,訳が分からなくなる.早く何とか整理しなければと,気ばかりが焦っている.
 自分のためにも,なるべく早く,このブログで,ペルー訪問記の連載を始めたいが,まだ,まだ,前準備が大変である.それに,やっとペルーから持ち帰った衣類や登山用品に整理が終わったばかりで,他のことは,全く所,手付かずの状態である.
 また,時間構わずに睡魔が襲ってくる.
 今日は,この辺りで,整理を中断して,就寝することにしたい.
 そんな訳で,ペルー訪問記の本格的な連載は,もう暫くしてから再開することにしたい.

                    <整理がつかないメモ帳>


           2008年7月25日(金):
            
帰国第4日目 曇時々晴

■やっと,時差も解消しそうだ
 まだ時差が解消していないらしくて,深夜1時に目が覚める.
 目が冴えた状態で,4時まで,ベッドの中で,我慢して過ごす.東の空が明るくなり始めた頃,起床する.気分は,何となくスッキリとしている.今日からは,そろそろブログへの投稿を開始しようかと思い立つ.そして,パソコンに向かって,この駄文の入力を開始する.
 とはいえ,今回は,帰国直後の様子を,雑談風にアップすることだけにとどめるが,次回からは,内容を少々計画的に纏めてアップすることにしようと心に決める.

■まずは歯科医へ
 午前中に歯科医を訪れる.昨日手術をした傷口を消毒するためである.
 「抜糸は,来週,木曜日か金曜日にしましょう」
と歯科医から指示される.それまでは,あまり消耗することはしないようにと注意を受ける.
 歯科医を訪れたその足で大船のめがね屋へ向かう。実は、ペルー滞在中に,常用のメガネのフレームを壊してしまった。幸いなことに,バックアップのメガネを持参していたので,大事には至らなかったが,もしバックアップのメガネを持参していなければ,ピスコ山登頂は不可能であった。
 まあ,そんなこんなで,瞬く間にペルー帰国から,4日間が過ぎようとしている。
 「そろそろ,ブログに、ペルー訪問記のまとめを掲載し始めなければ・・・・」
と焦り始めている。
                                 (つづく)
次の記事
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1 コメント

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ピスコ山 (shinri)
2013-07-01 12:13:12
ピスコを検索していましたら、こちらのブログにハマってしまいました(笑)
とても細かく記録され、南米の空気を感じ取ることができました☆
私も以前1999年にピスコ山に登頂しました♪
その時は、皆様が憧れるパタゴニアトレッキングを1ヶ月近く歩き、満たされる旅でした
(自慢しています^^)
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