<小諸:郷土博物館の屋上から見た浅間連峰>
小諸:懐古園散策
2008年5月31日(土)~6月1日(日)
所用があって,生まれ故郷,信州小諸を訪れた.
5月31日(土)は生憎の雨.雨に濡れながら用事を終える.
翌,6月1日(日)は,やや雲が多いものの青空が見えている.小諸駅近くの懐古園を訪れる.
藤村記念館,藤村碑,水の手展望台,鹿嶋神宮,郷土博物館,小山敬三アトリエ,小山敬三美術館,天守閣跡,鏡石,懐古神社,富士見台,動物園,徴古館,小諸義塾を一回りする.
鹿嶋神宮を参拝すると,どうしても,昔のこと,特に戦時中のことを思い出してしまう.
昔,この鹿島神宮は,小諸駅前にあった.確か,戦後間もない昭和25年に,現在の場所に移転した.私ぐらいの年齢の人間には,鹿嶋神宮といえば,反射的に「武運長久」の4文字が頭を過ぎる.
・・・・・・・・・・・・・・・
小山敬三美術館を訪れる.
今年になって,ここを訪れるのは,多分,4回目になると思う.その度に,度肝を抜かれるような迫力のある浅間山の絵に,吸い込まれるような気分になる.また,何時ものように.絵はがきを2枚購入する.
●『御牧ヶ原より浅間を望む』(1944年)
一枚目は,御牧ヶ原から眺めた浅間山の絵である.
1944年といえば,昭和19年.正にあの陰惨な太平洋戦争の真っ最中である.信州の山奥の上空にも,敵機B29が飛来していた時代である.東京大空襲のときには,小諸の夜空も,東京が燃え盛るどす黒い炎で覆われた.日立が艦砲射撃の犠牲になっている地響きが遠く小諸まで響いていた.
あの時代,小諸の近郊にある御牧ヶ原には,こんなに美しい風景があったんだなと,私は,この絵を見ながら,当時のことを回想する.
この絵は,多分,雪解けの頃描かれたのではないかと勝手に想像する.午後の透明な空気の中に浅間山が輝いている.浅間山の後の群馬県側には雲が湧いている.その雲を押しのけるように噴煙がモクモクと沸き上がっている.
山肌は,まだ残雪が深い.それでも,冬の間の烈風に雪が吹き飛ばされたのか牙山(ぎっぱやま)から剣が峰辺りの稜線には残雪がない.日が暮れはじめて,日か届かなくなった山麓の残雪は,冷たく沈んでいる.
手前の御牧ヶ原には,夕暮れ近い日の光が淡く降り注いでいる.農家の藁屋根には残雪がある.日中の暖かい日光を浴びて,雪は大分溶けているようである.日が当たっている間は,濡れた藁から湯気が立ち上っていたのかも知れない.でも,日が西に傾き始めると,たちまちの内に,気温が下がる.融雪は軒下からツララになって,ポタポタと落ちる水滴になる.
農家の庭祭の木々は,こんな雪の中でも,春の息吹を敏感に感じ取って,新芽を出し始めている.
一方では殺伐とした戦火に曝されている不幸な場所がある.その一方では,厳しいけれども希望に満ちた自然が息づいている.この極端な対比に,当時のことを思い出して慄然とする.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は,この絵を見ながら,いろいろなことを連想する.
この絵には,「早春の物語」がある.同時に,この絵の裏には,何ともいえない世相が隠れている.
だから,私はこの絵が大好きである.
●『三宝柑』
私は,直感的に,この絵の絵はがきを選んだ.
この絵から,みずみずしさ,透明感,ダイナミックな筆使い・・等々,何ともいえない感銘を受けた.
大家の絵を,絵の素人の私がとやかく感想を述べるのは,大変おこがましいことだが,無駄のない筆遣いには,ただ,ただ,驚くばかりである.
「やっぱり,水彩画って,良いな・・・・」
踊るような筆致.それでいて,三宝柑のみずみずしさが,見事に表現されている.皿の模様や,テーブルクロスの模様が,実に簡潔なタッチで,グイツ,グイツと描かれている.凄い!
望むべくもないが,
「こんな絵を描いてみた~い・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は,熱くなった胸を両手で覆うような気分のまま,小山敬三美術館を後にした.
近い内に,もう一度,ここを訪れよう!
(おわり)
「小諸・浅間」関係の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2b059427a4759fc8086ed8da69f1a63c
「小諸・浅間」関係の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/49354894f1fd52d3e0f092638c49936c
小諸:懐古園散策
2008年5月31日(土)~6月1日(日)
所用があって,生まれ故郷,信州小諸を訪れた.
5月31日(土)は生憎の雨.雨に濡れながら用事を終える.
翌,6月1日(日)は,やや雲が多いものの青空が見えている.小諸駅近くの懐古園を訪れる.
藤村記念館,藤村碑,水の手展望台,鹿嶋神宮,郷土博物館,小山敬三アトリエ,小山敬三美術館,天守閣跡,鏡石,懐古神社,富士見台,動物園,徴古館,小諸義塾を一回りする.
鹿嶋神宮を参拝すると,どうしても,昔のこと,特に戦時中のことを思い出してしまう.
昔,この鹿島神宮は,小諸駅前にあった.確か,戦後間もない昭和25年に,現在の場所に移転した.私ぐらいの年齢の人間には,鹿嶋神宮といえば,反射的に「武運長久」の4文字が頭を過ぎる.
・・・・・・・・・・・・・・・
小山敬三美術館を訪れる.
今年になって,ここを訪れるのは,多分,4回目になると思う.その度に,度肝を抜かれるような迫力のある浅間山の絵に,吸い込まれるような気分になる.また,何時ものように.絵はがきを2枚購入する.
●『御牧ヶ原より浅間を望む』(1944年)
一枚目は,御牧ヶ原から眺めた浅間山の絵である.
1944年といえば,昭和19年.正にあの陰惨な太平洋戦争の真っ最中である.信州の山奥の上空にも,敵機B29が飛来していた時代である.東京大空襲のときには,小諸の夜空も,東京が燃え盛るどす黒い炎で覆われた.日立が艦砲射撃の犠牲になっている地響きが遠く小諸まで響いていた.
あの時代,小諸の近郊にある御牧ヶ原には,こんなに美しい風景があったんだなと,私は,この絵を見ながら,当時のことを回想する.
この絵は,多分,雪解けの頃描かれたのではないかと勝手に想像する.午後の透明な空気の中に浅間山が輝いている.浅間山の後の群馬県側には雲が湧いている.その雲を押しのけるように噴煙がモクモクと沸き上がっている.
山肌は,まだ残雪が深い.それでも,冬の間の烈風に雪が吹き飛ばされたのか牙山(ぎっぱやま)から剣が峰辺りの稜線には残雪がない.日が暮れはじめて,日か届かなくなった山麓の残雪は,冷たく沈んでいる.
手前の御牧ヶ原には,夕暮れ近い日の光が淡く降り注いでいる.農家の藁屋根には残雪がある.日中の暖かい日光を浴びて,雪は大分溶けているようである.日が当たっている間は,濡れた藁から湯気が立ち上っていたのかも知れない.でも,日が西に傾き始めると,たちまちの内に,気温が下がる.融雪は軒下からツララになって,ポタポタと落ちる水滴になる.
農家の庭祭の木々は,こんな雪の中でも,春の息吹を敏感に感じ取って,新芽を出し始めている.
一方では殺伐とした戦火に曝されている不幸な場所がある.その一方では,厳しいけれども希望に満ちた自然が息づいている.この極端な対比に,当時のことを思い出して慄然とする.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は,この絵を見ながら,いろいろなことを連想する.
この絵には,「早春の物語」がある.同時に,この絵の裏には,何ともいえない世相が隠れている.
だから,私はこの絵が大好きである.
●『三宝柑』
私は,直感的に,この絵の絵はがきを選んだ.
この絵から,みずみずしさ,透明感,ダイナミックな筆使い・・等々,何ともいえない感銘を受けた.
大家の絵を,絵の素人の私がとやかく感想を述べるのは,大変おこがましいことだが,無駄のない筆遣いには,ただ,ただ,驚くばかりである.
「やっぱり,水彩画って,良いな・・・・」
踊るような筆致.それでいて,三宝柑のみずみずしさが,見事に表現されている.皿の模様や,テーブルクロスの模様が,実に簡潔なタッチで,グイツ,グイツと描かれている.凄い!
望むべくもないが,
「こんな絵を描いてみた~い・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は,熱くなった胸を両手で覆うような気分のまま,小山敬三美術館を後にした.
近い内に,もう一度,ここを訪れよう!
(おわり)
「小諸・浅間」関係の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2b059427a4759fc8086ed8da69f1a63c
「小諸・浅間」関係の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/49354894f1fd52d3e0f092638c49936c