東海道五十三次宿場巡り全15回第9回(23)
(小田急トラベル)
2008年2月9日(土)~11日(月・祝)(その3)
←これまでの東海道五十三次宿場巡りの記事をご覧になる
場合は,左の『CATEGORY』欄の中にある「東海道五十三次」
をクリックしてください。
第9回第1日目 2月9日(土)(3)
<西へ西へと歩き続ける>
<ルートマップ>
■毘沙門天妙伝寺
沼津中央公園で昼食を終えた私達は,12時45分に,エイ,エイ,オーの掛け声とともに歩き出す。沼津市内の中心街を南南東に少し下って,直ぐに西へ直角に曲がる。また直ぐに南南東へ少しばかり下る。さらに鋭角に右に曲がって,広い道路に沿って,真西に進む。
12時56分,丸子神社の前を慌ただしく通過する。3本の白い鳥居が並んで立っている所を,歩きながら写真を撮る。写真を撮るために,ちょっと立ち止まっただけで,たちまちの内に,一行の末尾の方になってしまう。実に慌ただしい。
この辺りから,真っ直ぐ海岸に出ると,千本松原が見えるはずだが,このツアーでは,当然,そんな寄り道はしない。ただ,ひたすらに街中を進む。
アレアレという内に,乗雲寺の前を通過する。写真を撮る暇もない。
13時11分,毘沙門天妙伝寺に到着する。旅行社の資料によると,この寺で,毎年旧暦1月8日にダルマ市が開かれるという。
<妙伝寺本堂>
旅行社から頂いた資料によると,この辺りに元吉原宿があったところだという。寺の側に「間門」という表題の案内板が建っている。どんな曰く因縁があるのか分からないまま,とりあえず写真を撮る。後で,この写真を拡大してみると,「この近くの浜に閻魔大王の首が網にかかった・・・村人はお堂を建てて祀った・・・アイヌ語で「開く」は「マカ」,「湖水」は「ト」を表す。これが間門(マカト)の語源・・・」というようなことが書いてある。
<間門の説明板>
■沼津藩領榜示杭
さらに西へ西へと歩く。空は曇っているものの,どうやら直ぐには雨にはならないだろう。ただ,雨を予想して,家から履いてきた防水靴の履き心地が,だんだんと具合が悪くなりはじめる。両方の靴が,足の形に凹んでしまっている。特に親指の直ぐ後の辺りが,体重に押されてか,深く凹んで来ている。その凹みが,歩く度に,足の裏に当たって痛くなる。痛くなるのを我慢しながら歩き続ける。
13時20分,沼津藩領榜示杭の前を,そそくさと通過する。杭は道路の反対側にあるので,やっとのことで,カメラを望遠にして撮るが,杭に何が書いてあるのか全く分からない。写真を撮っている内に,また列の最後部になってしまう。こんなことを繰り返していると,余裕のない行進に,本当にイライラしてくる。
<沼津藩領榜示杭>
■大諏訪天満宮・大諏訪松長一里塚
沿線の旧蹟や社寺を慌ただしく通過しながら歩き続ける。マゴマゴしていると,見所をアッというまに通過してしまう。
「一体,何のために歩いているのか・・・ただ歩くだけなら意味がないではないか・・」と主宰者に言いたいが,主宰者側からは「途中で止まらない」と言い渡されている。こんな旅には参加すべきでなかったと後悔するが,今更止められない。
13時40分,大諏訪天満宮の前を通過する。その直ぐ先に,日本橋から30番目の大諏訪松長長一里塚跡を慌ただしく通過する。
<大諏訪天満宮>
<大諏訪松長一里塚>
■西友で休憩
私達は自動車道路に沿って,ただ,ただ,単調に西へ進む。そして,13時50分,ようやく西友に到着する。ここで20分ほど休憩を取る。
西友の店内に入ってみる。西友以外の店舗も同じ建物の中に入っているようである。
(つづく)